7-2
あのロボットの名前を私は知らない。ジッと見つめれば見つめるほどに、どこまでも沈み込んでしまいそうなほど真っ黒な巨躯。蜘蛛のように何本もはえた足が何もかもを踏みつぶし、口のようなものを大きく広げて放たれた熱線は何もかもを焼き払っていった。
どうしてあんなことをしたのかなんて聞いたって、奴が答えてくれるわけもなく、私はやはり、あの時と同じように、沈み込まないように耐えながらジッと巨大なそれを見据えることしかできなかった。
『通常モードニ移行』と、酷く低い声を発した後、奴はゆっくりと向きを変えてどこかに去って行った。
あの時と同じだ。何かが起こるのはいつも唐突で、それでも鮮明に何かを壊していく。
雪が吹き込む中、私は黒いそれが薄っすらと見えなくなるまでその場に力なく座り込んでいることしか出来なくて、ようやく我に返ったような心地で視線を動かし周囲を見渡しても、もうどこにも彼の姿はなかった。
きっと、壁や床と一緒に崩れ瓦礫となって遥か下へ落ちていったのだ。もう、彼と話をすることはおろか、姿を見ることさえ出来ないだろう。
「…………」
握りしめた通信機は黙ったまま。
ようやく立ち上がった私は、何かをするわけもなく、表面上は何もなかったかのようにこの建物を後にするしかなかった。
雪が吹雪いている。少しだけ重くなったリュックサックを背負いなおしつつ、私は積もった雪に足跡を残し、管理塔へと向かった。
「…………」
ハクは今、どうしているのだろう。彼と話がしたい。このリュックサックに詰め込んだ本を読み聞かせてほしい。
それと飛行機の方はどうなったのだろうか。もう直すことが出来て、空を飛べるようになったのだろうか。
ああ、そうだ。きっと彼は今頃、あの飛行機がある部屋で黙々と作業をしているんだろう。
管理塔に辿り着くころには、辺り少しばかり影を増していて、夜の足跡がもうすぐそこまで迫っていた。
私はハクの顔を思い浮かべながら整備室を目指した。
「ハク」
整備室に私の声が虚しく響く。私の声は静けさに飲み込まれるだけで、返事はどこからも聞こえはしない。ただ飛行機があるばかりで、ハクの姿は見当たらなかった。
きっと、最上階に戻ったのだろう。そう思い、私はエレベーターに乗って最上階を目指した。でも、最上階にもハクの姿はなかった。管理塔の最上階にいたのはミシェル一人だけ。それも、空中に複数の窓のようなものが浮かんでいて、ミシェルはその窓に表示されている言葉の列を見ているようだった。その光景は、つい先ほどまでいた東棟で、朽ち果てたもう一台のミシェルが制御室で私に見せた光景そのものだった。
『ミシェル?』と私が声をかけると、ミシェルは体ごと顔を私の方に向けた。
「ハクを知らない? 飛行機のある整備室にもいなかったの」
ミシェルは何らいつもと変わらない声色で、『ミシェルは外へ出ていきました』と、ただ一言口にするだけだった。
外に出て行った。一体なぜ。もうじき夜が来る。雪だって吹雪いていた。そんな中、一人で外を出歩くだなんて危険だ。
「なんでミシェルはこんなところにいるの? もうじき外は暗くなるし、雪だって吹雪いてる。ハクを今すぐに連れ戻しに行かないと、取り返しのつかないことになるかもしれない」
こんな簡単なことは私でも分かる。だから、ロボットであるミシェルだって理解できているはずだ。それなのに、どうしてミシェルはハクを連れ戻そうと外にも出ず、ずっとこの場所にいたのだろう。それが、私は許せなかった。
やっぱりロボットはロボットだ。人とは違う。
「私だけでも、探しに行く」
ミシェルに背を向け、再び外へ向かおうとした私に、ミシェルが『待ってください』と声を投げる。
『ナンバー8904を連れ戻さなければ危険だということは分かります。しかし、連れ戻すのは私ではいけないのです。人間であるリノでなければ、ナンバー8904の為にはならないと私は判断しました』
「それって……」
どういう意味なのだろう。
ミシェルに背を向けた私は、再度振り返ってミシェルの顔を見る。すると、ミシェルは『管理システムへのアクセスが完了しました』と言って、私のすぐ近くまでやってくるのだった。
『安心してください。ナンバー8904が今どこにいるのか把握しています。すぐに命の危険にさらされる可能性は低いと推察できます。あなたにナンバー8904を連れ戻していただく前に、約束通り、あなたが禁地と呼ぶこの場所、クローン人間製造工場がどういう場所なのか、ナンバー8904がどういう存在なのか、あなたに説明をします』
「クローン、人間?」
その後、ミシェルの口から話された内容を、私はすぐに飲み込むことは出来なかった。何もかもが唐突過ぎた。それでも、今ミシェルから聞いた話の内容でこれまでこの禁地で見聞きしてきたものの辻妻が合ったのもまた事実で、私はそれらを受け入れざるを得なかった。
この場所の機能を。そして、ハクがどういう存在なのかを。
「でも、私にはやっぱり分からないよ」
クローン人間。ハクはそう呼ばれる人間なのだという。ある目的をもって人間から人工的に作り出された人間を、そう呼ぶのだそうだ。
でも、私には分からない。私にとって人間は人間だ。少なくとも、私はこの禁地でハクに会って、ホッとした。不安定にぐらついていた私の心は、ハクに会って何とかずり落ちずに済んだ。私にとってハクという子はそういう意味を持った存在で、だからこそ、私は今彼と会って話がしたいと思っている。
『その言葉を、そのままナンバー8904に伝えてください』
ミシェルは、『きっと、ナンバー8904はその言葉を待ち焦がれていることでしょう』と。そしてその言葉は、やはりロボットである自分自身ではなく、人間であるリノからハクへ伝えられるべき言葉だと。
『私はこれからクローン人間製造工場の全機能を停止させます。ですが、そうするとナンバー8904が路頭に迷うことになります。これは私からのお願いです。ナンバー8904、ハクにこれから必要なのは一緒にいてくれる人間です。ロボットではありません。ですからどうか、これからハクと行動を共にしてはくれませんか』
それこそが、『ナンバー8904を連れ戻すのは私ではいけない』とミシェルが判断した理由なのだと、彼は語るのだった。
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