第七章
7-1
思っていたよりも力んでいたようで、レンチから手を離した時、掌にジンとした痺れが尾を引いていた。掌に視線を落とすと、レンチを握っていた跡が赤く残っていて、僕はその跡をもう片方の手の指先でなぞってみた。
「…………」
飛行機を見上げる。
リノと一緒に外へ行き、特区配備用ロボット管理棟という名前の建物から複数のアクチュエータを運び出した。運び出したアクチュエータで無事に飛行機の故障個所を直すことは出来た。これで、直さなければならない箇所は残すところ一つ。その一つの故障個所を直すのがまた随分と骨が折れそうだった。
「…………」
ミシェルは今、何をしているのだろう。
飛行機を直すのは大切なことだ。リノやミシェルと約束をしたし、空だって飛んでみたい。でも、今はそのこと以上に僕の頭の中に居座っているものがある。
「クローン人間」
特区配備用ロボット管理棟で知ったその言葉。
クローン人間製造用ロボット。それが、本当にミシェル同じ容姿をしたロボットたちの名称なのだとしたら、ミシェルに育てられてきた僕は、つまり作り出された人間ということなのだろうか。
ミシェルは言った。僕は人を助けるために生まれたのだと。それが僕の生まれた意味なのだと。でも、それは正確には間違っていて、正しく言うのであれば、僕は人を助けるために生み出されたということのなのだろうか。
ずっと気がかりになっているのことが一つ。この管理塔の下の階で見た光景。カプセル型の機械の中で眠っていた人間。ミシェルが言った僕の還るべき場所と、あのカプセル型の機械はよく似ていた。ということは、僕もまた、あの眠り続けていた人間と同じ存在になるはずだったのだろうか。
僕は僕が分からない。なんで生きているのかも、どうしてこんな場所に一人でいるのかも、他の人間がいないのかも分からなかった。それでもここまで生きてこられたのはミシェルがいたからだ。
「…………」
一度だけ振り返って飛行機を見た後、僕はミシェルのいる管理塔の最上階を目指す。
本当のことを、ミシェルの知っているすべてを教えてほしい。
僕はただ知りたいだけだ。自分自身がどういう存在なのかを。
「ミシェル」
僕は、ミシェルの背中を見つめ、彼の名前を口にする。
『はい。ナンバー8904。どうかしましたか?』
ナンバー8904。それが僕の名前。リノは変な名前と言っていたし、これまで読んできた小説でも、こんな名前の登場人物はいなかった。それでも、僕の名前はナンバー8904で、僕はずっとミシェルにそう呼ばれてきた。その名前の裏にある何かを、僕は今日ミシェルから聞きたいのだ。
「飛行機を直すために、リノと一緒に特区配備用ロボット管理棟っていう場所へ行ってきたんだ」
『はい。怪我はしませんでしたか?』
「うん。しなかったよ。ほしかった部品も手に入れられて、飛行機もあと一か所直せば動かせそうなんだ」
『そうですか。それはよかったです』
「うん。それでね、特区配備用ロボット管理棟って場所で、ミシェルにそっくりのロボットを沢山見た。瓦礫と雪に埋もれていたけれど、あれは確かにミシェルと同じ姿だった」
ミシェルは何も言わない。ただジッと僕のことを見ている。
「……ミシェル、ミシェルは本当にクローン人間製造用ロボットって言う名前のロボットなの?」
僕は、ミシェルに『違います』と言ってほしかった。ミシェルはミシェルで、僕を育てるために生まれたロボットだと、そう言ってほしかった。
でもミシェルは一言、『その通りです』と、僕の問いかけに答えるのだった。
『私はクローン人間製造用ロボット、ミシェルシリーズの一機です。養人室という場所で十年間、あなたたちクローン人間を育てるのが役割です』
ミシェルの『あなたたちクローン人間を育てる』という言葉が決定的だった。
ああ、やっぱり僕は普通の人間ではなくクローン人間なのだ。僕は生み出された人間だった。小説に出てくる人間のように、あるいはリノのように、僕には親なんてものはいない。普通ではないから、あんな場所で一人閉じ込められて、外の世界はないと、ほかの人間はいないと教え込まれてきたんだ。
「ミシェル……、外の世界はあったんじゃあないか……僕以外の人間だって、リノがいたよ。ミシェル、ミシェルにはこれまでいろいろなことを教えてもらってきた。でも、でもさ」
それは全部、あの日々は嘘の塊だったの?
『ナンバー8904。申し訳ありません』
「ミシェル……」
なんで、謝るの? どうか謝らないでほしい。僕に、外の世界はないと、僕以外の人間はいないと教え続けてきたのには、何か特別な理由があったんだと、そう言ってはくれないの?
僕はクローン人間なんかではなくて、普通の人間なのだとは言ってはくれないの?
「ミシェル、僕は何のために作りだされたの?」
『人を助けるためです』
「助ける助けるって、一体何のために?」
僕は誰を何から救うというのだろう。
「ミシェル、僕は見たんだよ。ミシェルが言った、僕が還るべき場所だというカプセル型の機械によく似た物の中で、静かに死んだように寝ていた人間を。ねぇ、もしも僕が、ミシェルの言う通りにあのカプセル型の機械の中で眠りについたら、僕もあんな風になっていたの?」
言葉がうまくまとまらないまま、どんどん口から吐き出されていく。今にもどこかへ駆け出してしまいたい。足が震えるようだった。
『ナンバー8904。私からは何も言えません。私はただ、あなたたちを十年間育て、あなたたちが生まれた場所へ還すことを、繰り返すだけなのです。それが、私達ミシェルシリーズの役割なのです』
「もういいよ……」
もういい。何も言わないでほしい。
リノに比べて平坦で無機質な声を、僕はもう聞きたくはなかった。
『ナンバー8904、どこへ行くのですか?』
僕の行く場所。
クローン人間である僕が、そんな場所を知っているはずもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます