6-5
『照明機器が壊れているようです。明かりをつけることが出来ません』
部屋は薄暗かった。足元を見えるけれど、数メートル先ははっきりと見えない。
ただ、部屋自体はボロボロになったミシェルがいた部屋と変わりないようで、ただ何もない広い空間が広がっている。もしも養人室の作りはすべて同じであるのなら、先ほどの養人室で見た、ベッドや机なんかが置かれた部屋があるはずだ。多分、ハクは普段そこで生活をしていたのだと思う。
「養人室って、必ず部屋が二部屋あったりする?」
『はい。今いる部屋が運動などを行うときに使用する部屋です。そしてもう一部屋は、人が食事をしたり、眠ったり、また私たちが学問を教える際に使用する部屋です』
壁に沿って、足元と周囲を見ながらゆっくり歩き、ぐるりと一周する。でも、何かハクのことを知る手掛かりになるようなものは見当たらなかった。やっぱり、あるとしたらもう一つの部屋だろう。私は閉じた扉の前に立つ。ミシェルに「扉を開けられる?」と聞くと、ミシェルは『可能です』と答えた。それからすぐに扉が開いたのだった。
「ここが」
ハクが毎日を過ごしていた部屋。この部屋も基本的な作りは同じだ。ベッドに机、それと本がたくさん収められた本棚。ただ、ベッドが乱れていることと、本棚からは数冊の本が床に落ちていることが異なっている。
床に落ちていた一冊の本を手に取る。表紙には黒猫の絵が描かれている。表紙には文字も書いてあるけれど、生憎私には読めない。表紙をめくってみると、表紙と同じように絵と文字が書かれていた。
多分、これはお話だ。文字は読めないけれど、絵を見るだけでなんとなく分かる。一匹の黒猫のお話。
「これは?」
『絵本です。幼少期の子供に読み聞かせ、教養を培います』
絵本。パラパラとめくって絵を眺める。これは、一体どういうお話なのだろう。何となく、絵だけで判断をするとあまり明るい話ではなさそうだった。
お話の内容が気になってしまう。ハクに頼めば、読み聞かせてくれるだろうか。
「これ、持って帰ってもいいもの?」
『確認します……はい、問題はありません』
「ありがとう」
黒猫が書かれた絵本。それから、数冊気になったものをリュックサックに詰め込む。あとは、他に何かハクのことを知る手掛かりになりそうなものはないかと部屋の中を探る。でも、あるものといえば本当に本くらいのもので、それ以外にあるとすれば、小さな機械の部品のようなものや、おそらく彼が来ていたのであろう衣類くらいだ。
本棚の本を手に取って、パラパラとめくっては戻し、また隣にある本を手に取る。多くの本はページにびっしりと文字が書かれていて、私には本の内容は分からない。文字だけが書かれた本は、これまでにもよく目にしてきた。私が生まれ育った町の近くにあった禁地にも、このような本はあった。おばあちゃんは「この中には、遥か昔の人が描いた物語が詰まっているのさ」と言っていたけれど、これにもそんな物語が詰まっているのだろうか。
興味がない、といえば嘘になる。やっぱり、ハクに文字の読み書きを教えてもらうのがいいかもしれない。そうしていつか、ここにある本を私も読んでみたいと思う。
ハクのお気に入りの本はどれだろう。そんなことを思いながら、本棚にある本を一冊一冊手に取る。沢山の本の中から、擦り切れて何度も読まれているような本を数冊、私はリュックサックに詰め込んだ。
一通り本棚にある本に目を通し終える。取り立てて、直接的にハクのことを知ることが出来そうな何かがあったわけではなかった。ここにある本を読むことが出来れば、あるいは彼の心のうちの尻尾に触れることが出来たかもしれないけれど、生憎私は一文字も読むことは出来ない。
ただ、ハクがこの場所でこれまでミシェルというロボットと一緒に過ごして来たというのは事実らしかった。
「養人室で過ごしている間って、本当にほかの人と会うとか、外に出るとか、そういうことはしないの?」
『はい。養人室は閉ざされた場所です。他者との接触や、養人室の外へ出ることは許されていません』
ハクは言っていた。外の世界なんてなくて、自分以外の人間はいないと教えられてきたと。どうしてそんな嘘をロボットたちは教えていたのだろう。どうして、こんな部屋に閉じ込めるようなことをしていたのだろう。
「ちなみに、人間を育てた後、その人間はどうなるの?」
ミシェルたちロボットの役割は、あくまで人を育て上げることだ。ということは、ロボットに育てられた人間には、その後があるはずだろう。
『十年間、養人室で人を育てた後、再び人を生まれた場所に還します。そうして、一つのオペレーションは完遂されます』
「生まれた場所?」
ハクも似たようなことを言っていたような気がする。彼は、確か「還るべき場所」と言っていた。管理塔にあった人が眠っているカプセルのような機械を見た時にそんな言葉を口にしていた。
自然と、あの時眠っていた人間の顔とハクの顔が重なる。
「………」
『どうかしましたか?』
「何でもない」
外にも出さず、誰とも合わせず、その後はただ眠り続ける。一体何のために。
きっと、理由を聞いてもロボットは答えてくれない。理由を知らないだろうから。ただ、ロボットはそうするように決められて、決められたことを淡々とこなすだけなのだから。
そんなことを決めたのは誰なのか。それは遥か昔の人々だ。この禁地を、建物を、ロボットを作った人たち。その人たちが、この場所で、ロボットたちに人間を育てさせることを決めたのだ。
たった一人。床に座って静かに本を読んでいるハクの姿が浮かび上がる。
「…………」
ふと、出入口の近くに一冊の本が落ちているのに気が付いた。これまでどうして気が付かなかったのだろうかと不思議に思いながら、その本を手に取って開く。本を開いてみると、そこには何本もの横線が走っていて、その横線の上に文字が手書きされていた。
「これは?」
『日記のようです』
「日記って?」
『日々の記録を記したものです』
私はそっと、それを拾い上げた。
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