6-2

 翌日、私は一人で外に出た。朝、少しだけハクの横顔を見たけれど、彼の表情は無色そのもので、ただ一言「整備室に行ってくるよ。リノも、外に行くなら気を付けてね」と、そう言って私よりも先にエレベーターに乗って行ってしまった。


「…………」


 振り返って、管理塔を見上げる。それから前を向いて歩く。


 今日は昨日よりも雪が多く振っていた。少し歩けば肩だとか頭、リュックなんかに雪が積もる。体を震わせたり、手で払ったりしながら時折雪を落とし、黙々と歩く。


 昨日、ハクと歩いたせいで、余計に一人だということを意識されてしまう。可笑しな話で、もうずっと、私にとっては一人で道を歩くことが当たり前だったはずなのに。この物寂しさも、不安も、すべて踏みしめてずっと歩いて来たというのに。最近の私は、よく後ろを振り返ってしまうようになった。


 今日、管理塔に帰ったらハクとまた話をすることが出来るだろうか。昨日、ハクはとても辛そうだった。何か、彼が喜ぶようなものを見つけて持って帰ることが出来たら、彼は笑ってくれるだろうか。


 白い息を吐きながら、無意識のうちにそんなことを考えている自分に気が付いて、可笑しくなって変な笑いがこみ上げ、それがまた白く染まって空気に溶けていく。


「はぁ……」


 今日の目的地は決まっていた。今日は、ハクがこれまでずっと暮らして来たという建物に行こうと思う。ただ単に、彼が暮らして来た建物だから気になって行こうと思ったのではない。多分、彼が暮らしていたというその建物は、この禁地一帯の中でも重要な建物の一つなのだと私は考えていた。だから、この禁地を知るうえで、ハクが住んでいた建物を調べて回る必要があった。


 この禁地には大きくて特徴的な建物が五つ存在している。一つは今私が寝泊りしている管理塔。前にミシェルも言っていたけれど、あの管理塔はこの禁地一帯の中心に立っている。そして、そこから東西南北に大きな建物が存在している。おそらくだけれど、東西南北にあるそれら建物はその昔、管理塔と大きな橋のようなもので繋がっていたのだと思う。一度、何か出てこないかと管理塔周辺の雪を掘ってみたところ、雪のすぐ下に、敷き詰められるように瓦礫の山が埋まっていた。また、その瓦礫が埋まっていたその先に目を向けると、例の大きな建物の姿が見えて、実際に歩いてみると、所々雪から顔を覗かせた瓦礫が見てとれた。


 管理塔と、東西南北に配置された大きな建造物。それら五つがこの禁地において重要なものであったのは間違いない。問題なのは、大半の建物は崩れ落ちていたという点だ。管理塔に上って、上か見たところ、四つすべての建物が大きく崩れ落ちていた。


 初めて管理塔に上った時、ミシェルは東にある建物を指さし、『私達はあの場所にいました』と、そんなことを言っていた。改めて、管理塔の頂上から禁地一帯を見渡した時、東西南北にある四つの建物のうち、比較的まだ原型をとどめていたのが、そのハクとミシェルが暮らしていたという東に位置する建物だった。


「…………」


 この禁地が何のために作られたのか。どうしてハクは一人でこんな場所にロボットと一緒に暮らしていたのか。それと、管理塔の中で見つけた、人が入ったカプセルのような機械について。


 確証はない、。でも何となくだけれど、あの建物へ行けば何かが分かるような気がする。


 東へ。黙々と、時折振り返っては管理塔を見つめ、また東へ歩く。


「着いた」と、東にある建物の前に辿り着き、思わずそんな独り言をつぶやいた。


 建物は、私が思っていた以上に大きい。管理塔の頂上から眺めた時、それなりに大きな建物なのだろうなと思っていたけれど、実際にこうして近くまでやって来て見ると、その建物は想像以上に大きかった。管理塔よりは背が低いけれど、それでも昨日ハクと一緒に行った特区配備用ロボット管理棟の三倍以上の高さはある。


「……ここで」


 ここで、ハクはミシェルというロボットと一緒に過ごして来た。


 一度、冷たい空気を目一杯肺に詰め込む。


「よし」


 頬を一度たたいて、それから私は崩れた壁から建物の中へ足を踏み入れた。


 思っていた通り、建物の中は暗い。崩れた壁から外の光が入り込んではいるけれど、中へ進めば進むほど辺りは真っ暗になって行く。リュックサックから手持ちのランプを取り出して、ランプに炎を灯す。ランプの炎が照らすのは、せいぜい私の足元から数m先くらいのもので、ランプを左右に動かしては周囲の様子を見て前へ進んで行く。


「まただ」


 昔の文字が書かれたプレートがあちらこちらにある。もしも私がこの言葉を読むことが出来たのなら、もっとよくこの場所のことを知ることが出来るのだろうなと、この文字を見るたびに思ってしまう。


 いつかハクにこの文字の読み方を教えてもらうのもいいかもしれない。そんなことを思ったそのすぐ後に、今更ながら、いつまでハクと一緒に居られるかは分からないんだということにも思い至った。


 ハクはこの先どうするのだろう。これまでと同じように、ずっとこの場所でミシェルというロボットと一緒に生きていくのだろうか。なのだとしたら、私がこの禁地のことを調べ終え、飛行機に乗って空を飛んだ時、私はハクとお別れをしなければならなくなるのだろう。


 ハクとお別れ。この場所がどんな場所なのか知りたいし、空を飛んでそこから見える光景も見てみたい。けれど、ハクとお別れをして、また一人で禁地を求めて彷徨う私の後ろ姿は、それこそ暗闇の先を見つめているような心地になる。私は、本当は暗いところが嫌いだ。


 途方もないように思える暗闇のその先を見つめていると、『ジジ……』という小さな音が、私のすぐ傍で鳴った。すぐ傍、というよりも、『ジジ……』というその音は、私のズボンのポケットの中から聞こえていた。


 ポケットの中にあるのは通信機。脳裏に通信機を拾った時に見た光景がよぎる。それから、その時に聞いた音色。


 ランプで照らしながら通信機をポケットから取り出す。耳をすませてみると、『ジジ……』という音の中に、微かな声のようなものが聞こえる。ただ、その声が何を話しているかまでは分からない。


 結局、声が何を話していたのか分からないまま、通信機は再び静かになる。一体なんだったのだろうかと、通信機をジッと見つめていると、音もなく、静かに通信機から一本の赤い線が走った。通信機から出た赤い線は、どこかへ向かって真っすぐに伸びている。


「ハクとミシェルに会った時と同じだ」


 あの時も、通信機から音が聞こえて、取り出してみたら緑色の線が一直線に走っていった。その緑の線の先に、ハクとミシェルがいたのだ。


 もしかしたら、あの時と同じようにこの赤い線を辿って行ったその先に人がいるのだろうか。


「…………」


 通信機を片手に持って、ライトで足元を照らしながら赤い線を辿って進む。自分でも緊張しているのがよく分かる。この場所にはまだ人がいるのかもしれない。それは、私にとっては良いことのはずだ。だって、この場所にまだ人がいるのだとして、その人はもしかしたらこの建物のことや、禁地のことについて何か知っているかもしれない。それを聞くことが出来るのは、私にとってはとてもいいことであるはずだ。良いことであるはずなのに、どうして私は今恐怖心を抱いているのだろう。私の知らない人がこの近くにいるのだと思うと、怖い。


「…………」


 赤い線のその先へ、一歩一歩前へ進む。


 いつしか、私はある場所に辿り着く。


 眩い光が見えた。赤い線はその光の中を指している。


 この先に人間がいるのかもしれない。


 深呼吸をして、光の中へ。


 一瞬目が眩んで瞼を閉じる。


 次に目を開けると、そこには、一面真っ白な壁と天井に覆われた空間が広がっていた。


「あれって」


 一台のロボットが真っ白な空間の中央で、頭を垂らしている。通信機から伸びる赤い線は、その頭を垂らしたロボットと繋がっていた。


 ロボットの外見は、ミシェルそのものであった。

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