5-4

 僕は数日ぶりに外の世界に足跡をつけた。白い雪に、僕の足跡が確かに残った。


 あの日と同じ、雪が降っている。いつか、そのうちに僕が残していくこの足跡も、何もなかったかのように真っ白に染め上げるのだろう。現に、約六日前ほどに、僕がこの管理塔に来るまでにつけた足跡はどこにも見当たらなかった。


「ハク、寒い?」

「ううん。大丈夫だよ」


 上着がとても暖かい、襟を立てて顔を埋め、リノの背中をジッと捉えて僕は歩く。地上の雪は重かった。しっかりとした足取りで雪を踏みしめなければ、うまく前へ歩くことが難しい。黒い空を見上げると、そこからは雪が降り注いでいる。雪は、時折空中を風で舞いながら、地上の雪原の一つとなっていく。あんなふうに、雪は空を舞うことが出来るほど軽やかであるのに、地上に降り立つとなぜこんなにも重くなるのか不思議だった。


「あそこへ行こうとしているんだ」


 無意識のうちに、空を見上げてそんなことを呟いてしまう。リノは「そうだよ。私たちはあそこに行くんだから」と、空へ行くことは決まり切ったことであるかの口調で話す。


 真っ黒な空。手を伸ばしたって絶対に届かない。


「空には昼と夜があるんだ。昼は太陽が、夜は月が空から僕たちを見下ろしている。昼の空は青々と、夜の空はキラキラと、昼と夜、太陽と月は一緒にはいられないけれど、一緒に僕らのいる世界を美しいものにしてくれる」


 ふと、これまでに何度も読み返した絵本の一説が、ミシェルの優しい口調と共に思い出される。


「今僕が見ている空は、僕が知っている空とは違う」


 真っ黒な空。昼の太陽も、夜の月も見えない。


「私が生まれ育った場所ではね、時々あの真っ黒な空に切れ目が出来る時があったの。そして、その切れ目の隙間から、光が射しこむことがあったんだ」

「光?」

「うん。光。とっても明るい光。一体何が光ってるんだろうってずっと不思議に思ってた。もしかしたら、ハクがさっき言った太陽が月の光かもしれないね」


 空の切れ目。それは雲の切れ目で、もしかしたら、あの黒色の雲の先に本来の空があるのかもしれない。


 その景色を見ることが出来るだろうかと、視線の先、リノの後ろ姿のさらにその先にある真っ黒な空を見て思う。


 それから黙々と歩き続け、僕とリノはある場所に辿り着く。直方体の建物。高さは僕の三倍くらいはありそうで、その屋根の上にはびっしりと雪が積もっていた。


「ここ、昨日見つけた建物なんだけど、一人じゃあ扉が開けられなくて……管理塔みたいに、自動で扉が開くわけでもなさそうなんだよね」


 建物の壁面にはいくつか破れたような穴が開いていて、その中を覗き込んでみると、確かに建物の中にロボットらしい機械が多くある。


「ね、ここならハクの探しているものもあるんじゃあないかな?」と、建物の中をうかがっていると、後ろからリノが話しかけてくる。


「そうだね。あるかもしれない」


 この建物が何のための建物なのかは分からないけれど、あれだけのロボットがあるということは、機械だとか、そういう類のものを置いておくための場所なのだと思う。


「ここ、扉が少し開いているでしょ? ここから何とか力任せに開けようとしたんだけど、なかなか開かなくて」


 確かに、扉には掌二つほどの隙間がある。リノはその扉の隙間に手をかけ、全身を使って扉を開けようと試みたが、扉は全く動く気配を見せない。


「少し離れてもらってもいい?」


 扉に触れる。反応はない。もともとそういう扉なのか、それとも壊れてしまっているのかは分からないけれど、確かにリノの言う通り、自動では開かないようだ。


「まずは、雪をどかそう」


 扉と建物の間に、雪がどっさりと積もっている。きっと、その雪がより一層この扉を重くしているのだろう。


「あ~、なるほど。気が付かなかったわ」


 リノは僕の言いたかったことをすぐに理解したようで、さっそく扉周辺にある雪を手で除いてゆく。片方の扉が開けばいいから、僕もリノの手伝いをし、手で雪を除いて行った。


「冷たい」

「あたりまえでしょ。雪なんだから」


 厚い手袋越しに雪の感触と、その冷たさが伝わってくる。ジンジンと指先が冷えていく。冷たさが痛みに変わり始めた頃、大方扉周りの雪を除き切ることが出来た。


 雪を除いていくと、その雪の中に埋まっていた色々なものが顔を覗かせた。大半は機械の部品だとか、壊れた小型の機械で、見つかるたびにリノはほんの少しばかり声を高くして、「これ、何のためのものなんだろう?」と、興味深そうな目でそれらを眺めるのだった。


 それと、雪に埋まっていたものがもう一つ。僕が両手を広げたくらいの大きさの、鉄のプレートが雪の中から出て来た。プレートには文字が書かれている。


「なんて書いてあるの?」

「特区配備用ロボット管理棟」

「特区?」


 特区配備用ロボット。先ほど建物の穴から覗き込んだ時に見えたロボットたちのことを指しているのだろう。


「ひとまず、この建物の中に機械があることは間違いなさそう」

「そっか、ならよかった」


 リノは「じゃあ、さっそく中に入ろうか」と、扉に近づいて、僕を手招きする。それから、僕はリノと一緒に扉を思いっきり引っ張った。メシメシと音を立て、扉は少しずつ開いていく。何度か休憩を挟みながら繰り返し、何とか人が一人入れるくらいまで扉を開けることが出来た。


 リノが先に建物の中に入っていく。いつものように、僕はその後を追う。ただ、先に入ったリノは、「これって……」と小さな声で呟いて、その場で立ち尽くすのだった。

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