5-5

「すごい」


 思わずそんな声が僕の口からも漏れ出る。


 外からでは分からなかったけれど、建物の天井の何ヵ所かが崩れ落ちていた。


「何かに踏みつぶされたみたいな、そんな崩れ方をしてる」


 リノはそう言って、一番近くの崩れた箇所に近づいて、天井を見上げるのだった。


 天井からは、真っ黒な空が顔を覗かせている。そこから静かに雪が降っていて、静かに降り注ぐ雪は、瓦礫と粉々になったロボット飲み込んでいた。


「まさか、ね……」と、リノは小さく呟く。「リノ?」と声をかけると、彼女は「何でもないわ」と言ってカラっと笑うのだった。


「さあ、早く目的を果たしちゃおう。ここからまた管理塔まで歩いて帰ることを考えたら、そんなに長くはいられないよ。目的、忘れてないよね」

「う、うん」


 リノの目的はこの建物の調査をこと。そして、僕の目的は飛行機のアクチェーターの代わりになるものを探すことだ。


 それからは、僕とリノは一緒にこの建物の中を歩き回った。


 正直なところ、天井が数ヵ所崩れているだけあって、建物の内部は決して良いとは言えなかった。ロボットの種類ごとに部屋が分けられているようだけれど、大半の部屋は例えば壁が崩れていたり、吹き抜けになっていたり、ロボットが無尽蔵に倒れていて、なんだかまるで、何かが荒らしていったかのような様相だった。


 時折瓦礫で塞がれた通路があったけれど、リノと手を取り合って瓦礫をよじ登り、前へ進んでいった。これが想像以上に大変で、僕の息はすぐに上がってしまう。


 リノは禁地を渡り歩いて、調べて回ってきたと話していたけれど、これまでこんな大変なことを一人でやってきたのだろうか。気になって尋ねてみると、「そうね。でも、まだこの禁地一帯は良い方だと思うわよ」と、何でもないかのようにそんなことを口にするのだった。


 リノは、きっと僕が想像すらできないほど、苦しい中を歩いてきたのかもしれない。一体何が彼女をそこまでさせるのだろう。リノは、禁地を歩いているのはただ興味があるだけだからと話していたけれど、それだけではないような気がする。


 でも僕は結局、リノがそうまでして禁地を渡り歩く理由を聞くことが出来なかった。声に出そうとしたところで、いつの日か目にしたリノの険しい表情が僕の頭の中をよぎった。


 代わりに出たのは、「リノは、この建物の何を調べたいの?」というものだった。それに対しリノは「この建物が何のためのものなのか、かな? でも、それももう君のおかげでわかっちゃったけれどね」と、笑うのだった。


 特区配備用ロボット管理棟。特区、というのはおそらく僕達がいる禁地のことを言っているのだと思う。だとしたら、この建物は禁地で使用されるロボットの保管場所なのだろう。


 一体、僕が生まれてミシェルと過ごして来たこの場所は、一体どんな場所なのか気になってくる。これまで、リノは多くの禁地を渡り歩いて来たと話していたけれど、他の禁地もみんな同じような様子なのだろうか。リノに尋ねてみると、彼女は「違うわ」と顔を横に振るのだった。


「これまで見て来た禁地は、多分昔の人が生活していた街のようなものだったんだと思う。背の高い建物、多分、昔の人が住んでいた住宅と、食べ物なんかを売っていたお店、そういうものが密集している禁地ばかりだった。むしろ、私達が今いるこの禁地の方が珍しいと思う。少なくとも、こんな禁地に来たのはこれが初めて。ロボットだって桁違いに多いし、何か目的をもって作られた場所みたいに見える。私はそれが知りたい」


 目的。もしもそんなものがあるのだとして、この場所で生まれて育った僕に、一体どんな意味を与えるのだろう。それが少しばかり気になった。


 リノは最後に「もちろん、あの飛行機に乗って空から景色を見るのが、一番やりたいこと」と付け足し笑う。そんなリノに、僕は「そうだね」と答えた。


 その飛行機を直すために必要なアクチェーターだけれど、結論から言えば、いくつか代わりになりそうなものを見つけることはできた。ただ、飛行機に使われていたものと同じものを見つけることは出来なかったため、あくまで代替品になりそうなものでしかない。実際に使えるかどうかは、管理塔に持ち帰り試す必要があるだろう。


「リノ、重くはない?」


 見つけたアクチェーターを持ち帰るにあたり、とても僕一人ではすべてを持ち帰ることは難しかった。そのため、リノにも手伝ってもらうことになった。


「これくらい大丈夫だよ」


 リノは「よいしょ」と言いながら、いくつかのアクチェーターを入れたリュックサックを背負う。


「ごめんね、手伝ってもらって」


「ハクが謝る必要なんてないよ。私だって空を飛びたいから、手伝うのは当たり前」と、リノは何でもないように言ってみせる。そんなリノの言葉は、ゆっくりと僕の内側にしみこんで、それは熱となって瞳の奥から全身へと渡っていくようだった。この気持ちは何だろう。リノと出会ってからというもの、こんなことがしばしばあって、僕は戸惑ってしまう。そうしていつも、「あ、ありがとう」と、顔を伏せて言葉を返すのだ。


 この気持ちが、僕は好きなのだと思う。居心地がよくて、なんだか安心する。ミシェルと一緒にいた時、こんな気持ちになったことはなかった。


「よし。私の目的も、リノの目的も果たせたことだし帰ろう」

「うん」


 後は帰るだけ。リノが扉の方へと足を進める。僕は、やはりそんなリノの背中を追う。


 とてもいい気持ちだった。だからこそ余計に僕は、その時目に映った光景に対し動揺した。


 何とはなしに、僕は後ろを振り返ったのだ。この建物を後にする。だから、もう一度建物の内部がどんなものなのか見ておきたかったのかもしれない。


 瓦礫と雪。その中にミシェルが埋もれていた。この建物に入った時、建物の奥の方まで眺めることは出来なかったから、気が付かなかったのだ。


「み、ミシェル……?」


 僕は、自然と駆け出していた。ミシェルが埋まっているその場所に。


 冷静になってみれば、ミシェルは今管理塔の最上階にいるのだから、こんな場所にいるはずがないことに気が付くだろう。


 でも、僕はボロボロになって瓦礫と雪に埋もれたミシェルを見ることは出来なかった。駆け出して、両手で必死になってミシェルを掘り出して、掘り出した結果、そのあたり周辺にミシェルと同じ姿をしたロボットがたくさん散乱していることに気が付いて、そこでようやく僕は理解することが出来た。


 この建物の名称は何だったか。それを思い出した。


「ハク、急に駆け出してどうしたの?」


 リノが僕の元に駆け寄ってきてくれる。僕の周囲の様子を見たリノは、大方把握してくれたようで、「これ、ハクこれまで一緒に暮らしていたミシェルっていうロボットと同じロボット?」と、口にする。


「う、うん。そうみたい……」


 リノの言う通りだ。これはミシェルであってミシェルではない。ミシェルと同じ姿をしたロボットだ。


「ごめん……ミシェルだと思って……その、ミシェルは今管理塔の最上階にいるはずなのにね」


 フっと何かが切れる。思わずその場にしゃがみこんでしまって、立ち上がることが出来そうになかった。それから、頬に何かが流れるのが分かった。


「ミシェルはロボットだけれど、でも、ミシェルが死んでしまったんじゃあないかって……」


 僕は、そう思ってしまった。ミシェルは死んでしまって、僕の遠い所へ行ってしまったんじゃあないかと。


「怖かった?」


 怖い。


「わかるよ」


 リノは僕の隣で一緒になってかがんでくれる。そして、僕の手を握ってくれる。リノは「わかるよ」と、もう一度そう呟くのだった。

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