4-3
彼は真っ白だ。本当に何一つ汚れのない真っ白な人間。私にはそう見える。
「大丈夫?」
私の声に、ハクは「大丈夫だよ」と笑って見せる。
優しくて、嘘をつくのが下手だなと、私はそう思った。
それからというもの、私もハクも、この廊下に沿って連なる一つ一つの扉を開けて部屋の中を確認することなく、黙々とこの長い廊下を歩き続けた。でも、歩き続けた先に何かがあったわけでもなく、緩やかなカーブを描いたこの廊下は、再び私たちをこの階に来た時の場所に帰すのだった。
エレベーターに乗って下へ。下の階へ行き、何かないかと探しては見るものの、似たような廊下と扉があるばかりだった。
そして、最後の五階。もう、この建物には食べ物なんてないのかもしれない。そんな風に、半ば諦めながらエレベーターを降りてみると、先ほどとは違った光景がその階には広がっていた。
左右に大きな扉が一つずつ。正面の壁は真っ白で、私の身長よりも少しだけ高い位置にプレートのようなものが張ってある。そのプレートには、赤色で文字と矢印が赤色で書かれていた。
「これ、色んな禁地でよく見かけるのよね。多分、古代の人が使ってた文字なんだと思うんだけど、何が書いてあるのか私にはさっぱり分からない」
プレートに手を伸ばし、文字を指でなぞる。プレートはヒンヤリと冷たかった。
「食糧庫、発着場。多分、左の扉の先には食糧庫があって、右の扉の先には発着場っていうのがあるんだと思う」
私の後ろにいるハクが、プレートを見ながらそんなことを口にする。
私は思わず振り向いて、「ハク、この文字が読めるの?」と、気が付けば尋ねていた。
「う、うん。リノは読めないの?」
「読めないわよ。普通は読めない」
これまで禁地を調べて回る中で、この古代の文字が読めなくて理解することが出来なかった事が数多くあった。その度に私は悔しさを滲ませてきた。でも、ハクがこの文字を読めるのだというのなら、それも今回はなくなるかもしれない。
「普通は読めない……僕、変なのかな」
と、ハクは少しばかり暗い表情を浮かべる。「普通は読めない」という私の言葉を、何か勘違いしているような気がする。だから、私は慌てて「普通は読めないって、変な人って意味じゃあないよ。凄いってこと」
「凄い?」
「うん。凄いことだよ。食糧庫って、多分食べ物がある部屋だよね。きっと、この扉の先にあるんだよ。ほら、君が文字を読めるから、食べ物がある場所を見つけることが出来そう」
私がそう言うと、ハクは「そ、そうかな」なんて、どこか恥ずかしそうに頬を掻いて、それからぎこちなく笑うのだった。なんだか笑い方が不器用で、どこかで見たことがあるような笑い方だった。ほどなくして、母親に褒められた時に妹が浮かべていた笑い方にそっくりなのだと思い至る。いつの日だったか、そんな妹を見た母が、「お姉ちゃんにそっくりね」なんて、優しく笑っていたこともあった。
今はもう、昔のこと。こうやって、不意に昔の思い出が頭をよぎる。その度に私は鈍い痛みを引き連れてそれらを奥へと押しやった。押しやって、「じゃあ、行こうか」と笑って見せる。私は大丈夫だと、何に対してかは分からないけれど、言い訳をするみたいに心の中で呟いて、私は歩くのだ。
扉は、掌をくっつけることで開いた。扉の先には廊下があって、またすぐ先に扉があった。そしてまたその扉を開け、先へと進むとまた扉がある。そんな風に、四つほど扉を通って、ようやく私たちは開けた場所に辿り着いた。
「見つけた」
かなり大きな食糧庫。人一人が通れるくらいの間隔で、私の身長の二倍はありそうな棚が並んでいる。そして、そんな規則正しく並んだ棚には、茶色い箱が隙間なく収められていた。
試しに、一番近くにあった棚の茶色い箱を開けてみる。すると、箱の中にはどこかの禁地で見たことがあるような缶詰がびっしりと詰まっていた。
「凄い。これ、全部食べ物なの」
改めて顔を上げ部屋を見渡す。
今まで訪れたいくつかの禁地にも、こういう食べ物がまとめて保管されていた場所はあった。でも、これほどまでに広い場所を目にしたのはこれが初めてだ。一体何か月分、いや、何年分の食料になるのだろう。
「これだけあれば、当面は大丈夫そうね」
ひとまず、適当な食べ物と水が欲しい。食べ物は近くにある箱を丸ごと持っていけばいいとして、問題は水の方だ。どの棚のどの箱に何が入っているかわからない。当面は困らないほどの食料があるのはいいけれど、一つ一つの箱を開けて確かめるのは現実的じゃあない。
何か方法はないかと考えていると、「缶詰、フリーズドライ、レトルト……」というハクの声が聞こえた。隣にいるハクの視線をたどると、天井から文字の書かれたプレートがぶら下がっているのが目に見えた。
「もしかして、水がどこにあるのかわかったりする?」
「うん。多分」
ハクが「こっち」と言って前へ歩む。そのあとを追いかける。棚と棚の狭い間を歩き、ハクはある棚の前で立ち止まる。箱を開けてみると、そこには確かに水があった。
「すごい、本当に見つかった……凄いよハク、ありがとう!」
ハクの手を握って、私はブンブン振る。本当、ハクがいてくれてよかった。
「な、何でもないよ。少しでも役に立てたのならよかった」
「少しじゃないよ。とても助かるよ!」
危うく、箱を一つ一つ開けて確かめなければならなかったかもしれない。
「じゃあ、水と適当に何か食べ物をもって戻ろうか」
正直なところ、今すぐにでも何か口に入れたいくらいには空腹だった。思えば、ここ数日ろくに食べ物を口にしていない。
運よく近くに台車らしきものがあったため、さっそく水が入った箱を荷台に置いていく。黙々と茶色い箱を積み上げていると、ハクが「あの、」と私に話かけて来るのだった。
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