第三章

3-1


 歌が聞こえる。


 その歌を、僕はよく知っていた。


 その昔、中々眠る事が出来ない時にミシェルが歌ってくれた歌だ。


 その歌を聞くと、僕は不思議と安心することが出来て、無自覚に息を繰り返すようになるかのように、緩やかな曲線をゆっくりと辿るように眠りに着くことが出来た。


 昔の僕が夜眠ることが出来なかったのは、心の内に影が落ちていたからだった。ミシェルの歌う歌は、そんな影を僕の意識から緩やかに取りさってくれるのだ。


 歌は、光を以て影を取り去るのではなくて、光を消して影を取り去ってくれた。ミシェルの歌は、そういう優しさを持った歌だった。


 きっと、またミシェルが僕の傍で歌ってくれている。そう思った。でも、少しずつ明瞭となっていくその歌声を聞いているうちに、歌っているのはミシェルではないと分かった。


 良く知っている歌。でも、一度も聞いたことがない歌声。


 もうじき目が覚める。


 ミシェルと、昔の僕と、あの黒い猫が映り込んだシャボン玉が白い部屋を漂って、それは天井に着く前に弾けて消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る