第二章

2-1

 いつから私は一人きりになったのだろう。


 きっと、こうやって当てもなく、私自身も分からない何かを求めて彷徨うような生き方をし始めた頃からだろうとも思ったけれど、思い返してみると、私はあの町に居た時から独りでいて、誰も興味を持たないようなものに興味を持って、お母さんの言うことも聞かずに、随分と勝手なことをして生きて来たのだった。


 それが回り回ってこういう形で私自身に還って来て、望まなくとも勝手に生きなければならなくなった今、私はただ生きているということを惰性で続けているような気さえする。


 私は独りから一人になったのだ。そう考えると、ほんの少し気楽なような気もするけれど、私はそういう心持で図太く生きることは出来ないし、それでいて実の所寂しがり屋だからどうしようもなかった。


 そんな私は、私自身ですら分からない何かを求めて彷徨っている。分からないと知りながらも、その実求めているものを私は確かに知っていた。それだけは、まだあの町で日々を過ごしていた昔の頃から何一つ変わってなどいなかった。


 ポケットから機械を取り出す。この機械は通信機というのだと、こうして当てもなく彷徨うようになってから知った。この通信機を見つけて、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。それはもう何年も前のことで、その頃はまだ私が生まれ育った町があった。その頃の私は今の背丈の半分くらいの、小さな女の子だった。


 通信機を見つけた時のことを、私は今でも夢に見る。夢に見て、まるで星か何かをその手に掴んでしまったかのような胸の高鳴りを夢の中で何度も味わって、その回数分、私は夢から覚めて暗い空を見上げた。


 私がこの通信機を見つけることが出来たのは、本当に偶然だった。


 私が生まれ、育った町の近くには、遥か昔の人が生み出した機器や建造物といった遺物が多く残った禁地と呼ばれる場所があった。


 しかし、町では誰も禁地へ足を踏み入れてはいけないという規則があった。曰く、禁地に行けば災いがもたらされるからなのだそうだ。


 でも私はその禁地に毎日通っていた。私にとって、町の同い年の友達と遊ぶよりも、遥か昔の人が生み、残していったそれら遺物を眺めている方が楽しかった。理由なんてそれだけだった。ただ楽しい。遠い昔にも私のような人間はいて、そんな遠い場所にいた人達がどんな風に過ごしていたのかの方が、私にとっては魅力的だった。


 錆びて朽ち果て、わずかに原型を留めているような鉄の塊。粉々に割れて地面に飛散した鋭い破片。所々ぽっかりと穴の開いた地面と、その地面から生えた細長い鉄の棒。頭を上げなければ頂上を見ることが出来ない巨大な建造物。禁地には、そういった名も知らぬ遺物が数多く残っていて、私はそういう朽ち果てたものが漂わせる、白でもなく黒でもない灰色の残り香が満ちる空気の中にいるのが心地よかった。


 消えかけの蝋燭。遠くから聞こえる笑い声。灰色の雲に覆われた月光。私にはそれくれいがちょうどよかった。私は、かつて確かにこの場所にあった輝きの欠片を手に取って眺めるのが好きだった。欠片というのが具体的にどんなもので、何なのか私は知らない。でも、私は昔も今も、それを求め続けている。そして、それはこの通信機を見つけたあの日も同じだった。私も知らない何かを求めて禁地へと足を踏み入れ、この通信機を見つけたのだ。


 私は音を聞いた。それは人の声でもなく、雨音でもなく、風が隙間を駆ける音でもなかった。初めて聞いた音であるはずなのに、私は何故かその音を聞いた途端、懐かしいと思った。懐かしく、それでいて物寂しく、暖かい。音、というよりは音の連なりだ。私はその音の連なりにつられるように、禁地の奥へ足を進めた。


 辿り着いたのは、一軒の朽ち果てた建物。大きな樹木が建物の天井を突き破って空に伸びていて、窓からは無造作に枝が伸び、茶色の葉が点々としていた。


 そんな樹木の枝の先に通信機はあった。灰色の空。朽ち果てた建物。枯れた樹木。そんな場所で、通信機は高く澄んだ音を連ならせ、どこか遠くへと旅立たせていた。

私は未だにあの時の光景を夢に見る。あの日見た光景も、聞いた音の連なりも、私の胸の奥底に刻まれている。


 私が求めているのは、あの時見た光景だ。私はあの瞬間を求めている。あの瞬間を求めて、私は今こうして歩き回って、彷徨っている。


 でも、あの日以降この通信機が再び音を鳴らすことは一度もなかった。加えて、あのような瞬間に出会うことも出来ていない。


 それは今日だって同じ。通信機はいつものように黙り切ったままだった。

食料を集めながら、あの瞬間を夢見て彷徨う。夜になれば、例えば大きな木の下か、あるいは洞窟があれば洞窟、何もなければその場で野宿をして夜を越える。もう、そんな生活を何年も続けていた。


 今日は運よく比較的原型を留めている昔の建物があったため、その中で夜を越えることにした。


 最近は一段と寒くなった。雪が降っている。外に目をやると、地面が薄っすらと白に染まり始めていた。


 吐く息が白い。襟に顔を埋めて、壁に背中を預ける。自分の体温に縋るように、出来る限り体を小さくする。


 いつまでこんな生き方を続けるのだろう。とても寒い。寒いのはあまり好きじゃあない。


 もう、何年も人と会っていなかった。町を出たあの日から、私はずっと一人だ。


「…………」


 通信機を抱きしめる。


 夜がこんなにも長いだなんて、町で暮らしていた時には知らなかった。

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