第四十話 メイドのソフィアの休日。

 

「それじゃあ行こうか」


 服装を選ぶのに時間がかかってしまい、集合が遅くなってしまいました。

 主人を待たせるなんてメイドにあるまじき行為なのですが、クラブ様は特に気にされていないようでホッとしました。

 私を見た瞬間にクラブ様にじっと見られてしまい、服が似合っていないと言われるのでは?とビクビクしていましたが、そんな事はありませんでした。


 クラブ様は魔法学園の制服を着て歩くだけで注目の的になるので、休日の今日は地味な服装に色がついた眼鏡をかけていらっしゃいます。

 いつもの知的な感じとは一変して、近寄りがたい雰囲気を醸し出しています。


「とりあえずどこから回るの?」

「まずはメインストリートからになります」


 魔法学園の出入り口になっている門から校舎が集合している場所まで繋がる大通りです。

 馬車が行き来する事が出来るくらい道幅が広く、一番歩く人の数が多い場所なのでお店の数も多いです。

 その分建物の賃料が高くて商品の価格も割高だったりするのですが、それでも賑わっています。


「クラブ様は普段、何を買われているのですか?」

「伯爵家にいた時と同じだよ。本ばっかりさ」


 思い出すのは私が清掃をしていたクローバー邸のお部屋。

 本棚に隙間なく詰め込まれた本の数々。魔法に関する難解な書物から植物図鑑や動物図鑑、小さな子どもをあやすための絵本と幅広いジャンルがクラブ様の部屋にはあります。


 お嬢様は男女の恋愛物語や歴史上の偉人の半生を綴った物などのストーリーを重視されますが、クラブ様は知識や見聞を広めるための本をよく読まれます。

 絵本はリーフ様のためにと用意されていました。

 私も昔はクラブ様から勧められて本を読んでいましたが、中々内容が難しく、結局はお嬢様が残していかれた恋物語を読んでいました。


「この辺りの本屋は顔馴染みになっているね」

「あまり本を増やすと奥様からまたお小言を頂きますよ」

「読み返したりもするから処分出来ないんだよねぇ」


 困ったような顔で呟くクラブ様。

 離れの屋敷にクラブ様専用の書庫が完成しそうな勢いで、休暇中も奥様がその散らかりように悩んでいらっしゃいました。


「学園の図書館はご利用にならないのですか?」

「よく借りてるよ。ただ、学園の在学中にしか読めないから同じ物が売ってあると買いたくなるんだよね」


 クラブ様は気に入った本は手元に置いておきたいタイプのようですね。

 いつでも手が届くというのがポイントみたいです。


「でも今日は本はいいかな。ソフィアの買い物に付き合うよ」

「私もそんなによく買い物をする趣味はありませんよ」


 魔法学園の職員として働けば住み込みで賃金も発生しますが、そんなに贅沢ばかりが出来るような金額ではありません。

 どちらかというと魔法学園で住み込みが出来るというのが売りです。

 私は一番貴族の方々が集まりやすいAクラスの寮を担当しているので、他の寮を担当している方よりは給金は多いですがクラブ様よりは少ないです。


 お嬢様についてはその辺の商人並みに稼いでいますし、アリアさんも薬草の手入れと販売で小金持ちくらいにはなっています。

 お二人と一緒にいるとついついお金を散財しがちになるのは悩み事の一つです。

 素直にお金が無いと言えればいいのですが、そうなるとお嬢様は私の分まで全て払おうとするので困っています。申し訳なさ過ぎます。


「一人でよく見て回るのは調理器具や裁縫道具、日用品ですね」

「それは趣味?それとも、」

「仕事の関係でございますね。備品などで足りない物を買い出しに行くのも仕事ですので在庫状況や値段を確認してしまうんです」


 各寮に振り分けられる予算は決まっているので、その中でやりくりをするために値段を見比べています。

 大体いつも予算はギリギリ足りるかどうかだと寮の管理をまとめている上司は言っていました。


「職業病ってやつだね」

「そうでございますね」

「だったら今日は思い切り羽を伸ばそうよ」


 既にクラブ様がいるだけで羽は伸ばせているのですが、とは言えずに私は「そうですね」と返事した。

 平日の授業がある日はメイド服を着て、他の使用人達に挨拶をしながら歩くメインストリートは、休日の生徒達を含んでいつも以上に活気がある。

 友達数人で歩く人もいれば、男女のペアで手を繋いで歩いている者もそれなりにいた。

 私とクラブ様も側から見たら恋人同士に見えるのだろうかと少し妄想してみる。


「ソフィア、危ないよ」

「きゃっ」


 変な事を考えたせいで注意力が散漫になり、すれ違う人と衝突しそうになった私の腕を掴んで、クラブ様が自分の元へ引き寄せた。

 おかげさまで見ず知らずの人間と頭をぶつける事は回避出来たが、代わりにクラブ様の胸元へ飛び込む形になってしまった。


「しっかり前を見てないと危ないよ?」

「は、はい。申し訳ございませんでした……」


 色がついた眼鏡の奥。

 目尻が吊り上がったクローバー家の人間らしい鋭い瞳が私を覗き込む。

 眼鏡に反射している私の顔は間抜けにもその整ったご尊顔に心まで奪われていた。


 ーーーき、距離が近いです!


 次期伯爵家当主とそのメイドという立場上、接する機会も多いし、他人ではないのですが、今日はいつにも増して物理的な距離が近いように感じてしまいました。

 このまま一日、私の高鳴る心臓は保ってくれるのか不安しかありません。


「うん。素直でよろしい。じゃあ、色々見て回ろうか」

「でしたらあそこのお店に入りましょう」


 だけど、たまには我儘を叶えていいですよね?

 私は掴まれたままの腕を握り返して、お嬢様やアリアさんとなら普段行かないような男女両方の服が置いてある店へと足を向けるのでした。














 今日のソフィアはなんだかいつもと違う。

 オシャレな私服を見たせいでそんな風に感じるだけなのかもしれないけど、僕にはそう思えた。

 さっきも道の真ん中でボーッとして他人にぶつかりそうになって、心ここにあらずといった様子だった。

 咄嗟に引き寄せてしまって、いきなり触れるのは女性的に不快だったかもしれないと考えたけど、ソフィアは嫌がるどころか逆に僕の手を引っ張って店の中へと連れ込んだ。


 動揺が少ないのは僕を男として見ずに、ただの手のかかる主人として受け取っているのだろうと勝手に決め込んで、それはそれで男としてちょっと複雑な気持ちになった。

 ソフィアと一緒にいる期間は姉さんと共に過ごした時間より長い。


 涙なんて実の両親が死んだ時に枯れたと思っていた僕は姉さんとマーリン先生が旅立ったあの日に泣いた。

 その時からソフィアは同じ姉さんへの思いをもった仲間として切磋琢磨して成長してきた。

 早く姉さんに会って驚かせようと、僕は学園への飛び級を決めたし、ソフィアはクローバー家を一時的に退職してまで学園への試験を受けた。

 姉さんと再会したいという一心で。


 その願いは実を結び、また三人で仲良く暮らすという目標は果たされた。

 当時の予想以上に賑やかになったし、長期休暇中はあの頃のように笑って過ごせた。

 ただ一つ叶わなかったのは僕の姉さんへの想いだったけど、それをソフィアは慰めてくれた。

 ずっと胸に抱えていた恋心はもう捨てなくちゃと思いながら、今でも完全には消えてくれずに胸に欠片が残っている。


 いつかはクローバー伯爵家を継ぐ者として他の女性と結婚しなくてはいけないから、きれいさっぱりに忘れてしまいたい。

 ……でも、僕は家族以外の誰かを愛せるのだろうか?


 ジャック様の側近仲間達から他所の令嬢や彼らの姉妹を紹介されたけど、僕の心は突き動かされなかった。

 アリアさんの事も素直で思いやりがあって、ちょっと姉さんにべったりし過ぎじゃないかな?と思える人なんだけど、恋をするかと言われると違う。

 もし僕が何かの理由があって心が荒んでいる事があれば、アリアさんのような人の魅力に惹かれたのかもしれないけど、そうはならなかった。


 義務感で結婚をすると後から苦労するぞ?というのは誰の言葉だっただろうか。

 人から聞いた話かも知れないし、本で読んだ知識だったのかも。


「この服、お嬢様に似合いそうですね」

「姉さんならこっちも合いそうだ」


 二人して店の中を物色するのに、口に出すのは姉さんの事ばかり。

 僕らはいつもあの人に振り回されて来た。

 初めてクローバー家で会った時はこんな我儘で傲慢な女が姉だなんて認めないと決心したのにあっさり懐柔されてしまった。


「クラブ様はこの服でしょうか」

「えぇ〜。僕にはこんなカッコいい服は似合わないって」

「鏡を見てから言ってください」


 ソフィアに渡された服を試着室で着ながら姿鏡に映る自分を見る。

 そこにいたのは暗い顔をしていない、どこにでもありふれた男の顔だった。

 ジェリコ・ヴラドの話を聞いた時に、僕は自分もあの男のようになってしまうのではないかと思っていた。

 そのくらい他人事には思えなかったから。


「いかがですか?」

「ほら、やっぱりこういうのはジャック様やエース様の方が似合うよ」

「いいえ。クラブ様が一番その服を着こなせていると私は思いますよ」

「そこまで言うなら……買っちゃおうかな」


 乗せられていい気になって会計を済ませる。

 だけどこうして他の女性と買い物をしていても心が躍るのなら、僕はあの男と違う道を選べるのかもしれないな。


「この服はアリアさんに、こちらの子供服はリーフ様に……いや、エカテリーナ様?にも合いそうな気がします」


 他人の服選びにソフィアが乗り気になったのは僕としても楽しいからいいんだけど、肝心のソフィアが欲しいものが分からない。

 プレゼントに買ってあげたいと考えているのに彼女は中々自分のを選ぼうとしない。


「ソフィアは欲しい服とかないの?」

「私は既に持っていますので。私服よりメイド服を着る割合が圧倒的に多いですし」


 そこは僕も同意かな。

 魔法学園にいる間は制服を着用する回数が多いし、ジャック様の側近として社交界に参加する時はそれ用の豪華な服を着る。

 ここで選んだ服を着る機会は少ないだろう。


「これは……」


 そんな中、ソフィアが次に姉さんと出かける時に着せてみたい服を選んでいるのを待つ僕は洋服屋の隣に店を構えるアクセサリー店に目を奪われた。

 商品を一つ手に取って、素早く会計をする。

 値段は自分用に買った服より安かったが、サイズの違いを考えるとこちらが高いかもしれない。


「ソフィア。そろそろ喉が渇いただろうから近くの喫茶店に、」


 真剣に集中していた連れを別の場所へ誘おうと洋服屋を見るが、ついさっきまでここに居たソフィアの姿が消えた。


「あの、今ここに居た女の子は?」

「それが、柄の悪い連中が手を引っ張って向かいの路地に….」


 焦った顔をした店員が言った。

 指差されたのは人一人が通れるくらいの細い路地だった。

 このメインストリートは一番活気のある場所だけど、ひとつ路地を抜けて奥へ進むと夜間しか開いていないバーや、素行の悪い生徒達のたむろする場所に繋がっている。

 人の気配が減ると治安というのは簡単に悪化してくれるのだ。


「ちっ」


 馬車の前を横切って、建物の日影になっている路地裏へと足を踏み入れる。

 ゴミの入った袋を蹴り飛ばしながら、急ぎ足で奥へと進む。

 ほんの僅かな時間だからそう遠くへは行っていないと推測して、路地裏の角を曲がるとそこに彼女はいた。


「いいじゃねぇか。俺らの相手してくれよ」

「そんな格好して一人だなんて男を誘ってるんだろ?」

「なんなら宿でお昼寝でもするか?」


 見た目からしてゴロツキのような男達だった。

 背格好も年齢も魔法学園の生徒じゃないし、そうなるとこんな事をしでかすのは余所者か。

 男の一人がソフィアの腕を無理矢理掴んでいて、残りの二人が逃げられないように囲んでいた。


「離してください!」

「おいおい。抵抗するなよ。そんな風にしてると痛い目に遭うぜ?」

「こんな風にか?」

「そうそう。こんな風って……あっ?」


 僕はその場に荷物を置いて、ソフィアの腕を掴んでいた男の手を捻った。

 腕の太さならあちらが上だろうが、僕は身体強化の魔法を発動させて無理矢理彼女から引き剥がした。


「「「誰だテメェ!」」」

「大丈夫かいソフィア?」

「クラブ様……」


 男達を無視してソフィアとの間に割り込むように立つ。

 屈強な男達に囲まれたのが怖かったのか、彼女は目尻に涙を浮かべて震えていた。


「おい兄ちゃん、邪魔すんじゃねぇ」

「その女をよこしな」

「俺の手を捻りやがって、痛めつけてやろうか?」


 ソフィアはこれまでの人生で二回も拐われている。

 その上でまたこんな連中に絡まれてしまっては心に深い傷を負って男性恐怖症にでもなりかねない。


「失せろ。クズ共が」


 感情が昂って出た汚い言葉が合図だった。

 男達が僕を狙って拳を振り上げる。

 こんな連中相手に杖なんて必要ないので、僕は手を前に突き出して突風を発生させる。

 狭い路地でこの魔法は有効なようで、男二人は地面から足が離れて奥の壁へと激突した。


「魔法使えるからって調子に乗るなよ。俺だって昔はここの生徒だったんだ」


 残された一人は土の魔法で足を地面に固定して難を逃れた。

 元生徒だというのは嘘じゃないらしい。


「今度はこっちの番だぜ!!」

「そんな事させるわけないだろ」


 とはいえ、防ぐので精一杯な所を見る限りだと大した実力は無いようだ。

 同じ土魔法使いでもあのキャロレインなら即座に反撃して土の大壁をこちら側に押し倒すくらいしそうだ。

 姉さんなら風を無視して突撃して来そうだし。


 僕は風の魔法を掌に集中させると、丸い球状に変形させる。

 殴りかかって来た相手の一撃を避けて、ソレをカウンターの要領で腹に押しつけた。


「ぐるぶぇっば!?」


 圧縮した風の塊。一定方向ではない乱気流のように複雑になった風は、大柄な男一人をきりもみ回転させながら吹っ飛ばすだけの威力があった。

 間抜けな断末魔を口に出しながら地面に転がる魔法使いの音。


「「に、逃げろ!」」


 意識を失った男を脇から抱えあげ、先に吹き飛ばされた二人が大慌てで逃げて行く。

 治安維持をしている衛兵に突き出してやりたいけど、ソフィアを安心させてあげる方が優先だ。


「怪我は無い?僕が来る前に何もされなかった?」

「クラブ様っ!!」


 背後に立っていたソフィアに声をかけると、彼女は勢いよく僕に抱きついて来た。

 後ろに回された手が僕の背中をギュッと締め付ける。

 胸元で鼻を啜る音がするに、かなり怖かったみたいだ。


「安心して。もう心配いらないから」


 宥めるために僕もソフィアを抱き締めて、耳元で優しい声を出して落ち着かせる。ついでに子供をあやすようにトントンとリズム良く背中を叩く。


 どれくらいそうしていただろうか、しばらくするとソフィアが顔を赤くして恥ずかしそうに離れた。


「お見苦しい所をお見せして申し訳ございません」

「僕の方こそソフィアを一人にしちゃってごめんね。目を離した隙にあんなのが寄ってくるなんて」


 アクセサリー店なんて覗かなければこんな目に遭わなくて済んだのに。


「いいえ。私がこんな服を着ていたからです。……この服はお嬢様とお揃いなんです。そんなの私には似合わないのに」


 落ち込んで自分責めるソフィア。

 泣いてしまったせいで化粧も少し落ちかけている。


「そんな事ないよ」


 僕はポケットからハンカチを取り出してソフィアの涙を拭ってあげる。


「ソフィアにとっても似合っているよ。あの連中がそうだったように、僕にだってとても魅力的に見えたんだ」

「そんなの嘘です」

「嘘じゃない」


 否定し、俯く彼女の顎を乱暴だけど上に持ち上げる。


「僕の顔を見てよ。実はソフィアの姿を見るのが恥ずかしくてずっと目だけを見ていたんだから」


 見慣れた家族の普段とは違う姿というギャップ。

 女の子らしい服に魅力を倍増させるような化粧。

 姉さんに僕は「クラブって女の子の扱い巧そう」なんてからかわれていたけど、そんな事ない。

 確かに僕はよく声をかけられたり、女性から迫られる事はあるけど、こうして二人きりで出かけるなんてしない。

 ましてや社交辞令で上辺の言葉だけを言い合わない仲が近い人となんて経験が全く無いんだ。


「ソフィアは凄く綺麗だよ。僕が知ってる誰よりも」

「……それはお嬢様よりですか?」


 上目遣いでジッと僕を見るソフィア。

 なんだかそんなか弱い姿に僕の胸の奥が騒ついたような気がした。


「姉さんは綺麗というか元気なだけだから。馬子にも衣装ってね。……だから一番綺麗なのはソフィアだよ」


 なんだか愛の告白みたいになってしまったけど、僕は自分の心に素直に従ってそう口に出した。


「クラブ様って、本当にダメな人ですよね」

「あれ?そこで罵倒する!?」


 笑いながら何でか罵倒されてしまった。

 僕はそれがたまらなく可笑しくて、その場で抱き合ったまま笑ってしまった。


 その後は特に何事も起きずにソフィアとの買い物は終わった。

 最後にプレゼントのペンダントを渡した。銀細工で作られた鷹がモチーフのものだ。

 受け取ってくれたソフィアは早速胸から下げてくれた。


 ペンダントを身に付けた時に見せた満面の笑みは、夏に咲くひまわりのように眩しく輝いていた。


















「クラブ様って、本当にダメな人ですよね」


 ーーーこれ以上、私を好きにさせてどうするつもりなんですか?


 今はまだ、このプレゼントだけで我慢しよう。

 貴族と平民。主人とメイドという身分違いの恋はきっと叶うまでに時間がかかるから。




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