第三十一話 回想・僕と姉さんの昔話。

 

「姉さん。危ないよ木登りなんて」

「これくらい平気よ。貴方も早く登りなさいよ」


 庭に生えている木に登り、その枝に腰掛けている少女を誰が公爵家の令嬢だと思うのだろうか?

 姉の奇行にうんざりした少年はため息をつく。


 ジェリコ・ヴラドはヴラド公爵家の跡取りとしてこの世に生を受けた。

 歴史はそう古くはないが、港町を預かる領主として立派に仕事をして、王族から姫が嫁いだりもしてきたおかげで公爵まで上り詰めた貴族。それがヴラド公爵家。


 住んでいる屋敷からも海が見えるのだが、この姉はわざわざ木に登ってまでその景色を見るのが好きらしい。


(やっぱり、妾の子が考える事なんて理解出来ないな)


 現在のヴラド公爵、ジェリコの父は名家の出身である母とお見合いで知り合って結婚した。

 しかし、結婚してしばらく経っても子供が出来ずに、父は視察をしていた領地内で別の女性に惹かれて行為に及んでしまった。

 その結果生まれたのが姉のシルフィーだった。


 父は正妻に子供が生まれないのならば……と考えてシルフィーを公爵家に迎え入れた。

 だが、運命は皮肉なものでシルフィーがやって来て2年後にジェリコが生まれた。

 一度は迎え入れたのだからとシルフィーは公爵令嬢としての扱いを受けていたが、実際は公爵家が抱える悩みの種だった。


「難しい顔してるわね?大丈夫?」

「姉さんは自分の心配しなよ。魔法使えないんだからさ」


 悩みの種になった原因は魔力の有無も関わっていた。

 魔法使い同士が結婚すれば生まれる子供に魔力がある確率は高い。ごく一部はそうならない場合もあり、逆に平民同士でも血統を遡ればどこかに魔法使いがいて生まれつき魔力を持つ者もいる。


 シルフィーの父は公爵であり、立派な魔法使いだったが、母親は平民だったため、魔力を持たずに生まれた。

 ジェリコは両親揃って純血の優秀な魔法使いだったので魔力を持って生まれた。


 魔力なしの妾の子。

 そうなれば当然、屋敷内での扱いは酷いものになる……はずだった。


「こらシルフィー!また木に登るなんて!公爵令嬢として慎み深い振る舞いをしなさいとあれほど!」

「げぇ〜!お母様!?」


 使用人の誰かが告げ口したのか、ジェリコの母が顔を真っ赤にしたお怒り状態でズンズン歩いてきた。

 慌てて地面に降りて逃げようとするシルフィーだったが、その首根っこを母に捕まって拳を頭に落とされた。

 目に涙を浮かべながらも、それでも逃げようとするシルフィーを母は抱き抱えると、そのお尻をペチペチと叩き始めた。

 この家では見慣れた光景だった。








「また姉さんがお母さんに怒られてる」

「お母様ったらまた私の頭にげんこつを落としたのよ!?酷いと思わない?」


 別のある日、シルフィーは頭にたんこぶを作ってジェリコの部屋に逃げ込んで来た。

 どうやら今回は料理人が作っていたお菓子をつまみ食いしたらしい。


「それは姉さんが悪い」

「いや、だって料理長が味見するか?って聞いてきたのよ」

「で、その味見が美味しかったから残りも食べちゃったと」

「……ま、まぁね」


 本来ならば来客用に作っていたお菓子なのだ。母が怒るのも無理はない。

 シルフィーという少女は落ち着きがなく、食い意地を張っている。

 そして、人に好かれやすい子供だった。


 ジェリコの母からすれば憎い相手だったのに、いつの間にか我が子のように遠慮なく叱り付けていたし、ジェリコには内緒で母と姉がサプライズプレゼントを用意していた事もあった。

 屋敷の使用人達も姉の天真爛漫さに心を許し、料理長なんかは姉を餌付けしていた。

 その結果が今回のつまみ食いなので料理長は反省すべきだ。


「また難しい本読んでる」


 ジェリコが読んでいた本を横から覗き込んでシルフィーはつまらなさそうに言った。


「僕は姉さんと違ってこの家を継ぐんだ。だからいっぱい勉強するんだ」


 ヴラド公爵家は貴族の中でも中心的な地位にある。

 魔法使いに生まれたジェリコにはその地位を維持し、確固たるものへとする義務がある。

 いずれ魔法学園に通うようになった時に優秀な成績を残せるように予習が大事なのだ。

 他にも貴族らしい振る舞いや領地経営についても学ばなくてはならない。


「なるほど。よく出来た息子さんね」

「姉さんもマナーの勉強があるんじゃないの?」

「うっ、それは……」

「お母さんに言いつけちゃうよ?」

「これをあげるから勘弁してちょうだい。ジェリコの分に持って来たからからね?」


 そう言ってシルフィーはポケットの中からハンカチを取り出して、包んでいた物を差し出した。

 中身はつまみ食いしたお菓子の残りだった。


「勉強して疲れているだろうからと思ってちゃんと残していたのよ。ハイ!」


 貴族令嬢がハンカチにお菓子を包むなんて!と小言を言おうとしたジェリコの口にお菓子が投げ入れられた。

 行儀が悪いので黙ってそのお菓子を食べていると、とても美味しかった。

 姉はこうして自分の好きな物をジェリコに分け与えようとする癖があった。


「……早めに部屋から出て行きなよ」

「お昼寝してからにするわ」


 つまみ食いをした共犯にされたのでは?とジェリコが気づいた時にはシルフィーはジェリコのベットで豪快に寝ていた。







「やぁ!」


 数年後。ジェリコが杖を振ると、黒いモヤが発生して暴れていた野犬が大人しくなった。

 目から光が消えて、まるで操られているような野犬は大人達に捕獲されて野に帰す事になった。


「凄い魔法の才能ね。流石私の弟よ!」

「ちょ、抱きつかないでよ姉さん!」


 魔法を使う所を見ていたシルフィーは人目を気にせずにジェリコを抱擁した。

 もう小さな子供ではなく、膨らみもあるのでジェリコは顔を赤くして姉を引き剥がした。


「ちょっとは成長しなよ!」

「したわよ。背だってまだ伸びてるし」

「中身の話だよ!」


 この頃になるとジェリコはシルフィーを妾の子だとか、魔法が使えないだとか気にせずに普通の姉弟して接していた。

 シルフィー自身があまりにも楽観的で気にする方が馬鹿馬鹿しいとも思ったが、それは内緒だ。


 野犬を捕らえた後、ジェリコは両親に呼ばれてある事を言われた。


「ジェリコ。闇魔法については人前で隠しておきなさい」

「ヴラド公爵家は風や水の魔法使いが多い。窮地に追い詰められない限りは風の魔法を使うのです」


 闇魔法。それはかつて世界を恐怖に染め上げた闇の神の配下が使っていた魔法。

 不吉な象徴だと言われている力をジェリコは持っていた。

 公爵家の子息がそんな力を使えば家の看板を傷つける事になると言われたのだ。


「ちょっと待ってよお父様、お母様」


 静かに頷いたジェリコと対照的に口を挟んだのはシルフィーだった。


「ジェリコは人のためになる事をしたのよ?あの野犬だって闇魔法があったから大人しくして生きたまま帰せたの。大事なのは評判よりも使う人間の心じゃないの?」

「だが、その力は……」

「私、知ってるのよ。同じ公爵のカリスハート家には闇魔法を使う子が数代毎にいるって。その子達は王家のために力を使っているのよね」

「あぁ、そうだ」

「魔法を悪用する者が悪いのであって魔法に罪はない。神から与えられた祝福なのだから、ジェリコはその力を恥じる事なく使うべきよ!むしろこの子が手本になる事で同じ境遇の子に道を教えてあげるべきだと私は思うわ!」


 珍しく姉は怒っていた。

 その気迫と豪胆さに当主である父はたじろいだ。

 そのままどうしようかと頼るように母を見る。姉の一件で母には頭が上がらないのがヴラド公爵だった。


「……そうね。よく言ったわシルフィー。ジェリコ、その力を公爵家のため、世のために正しく使う自信はあるかしら」

「お母さん。僕は姉さんの言うような人になりたい。この力の使い方を誰かに教えてあげたいよ」


 ジェリコは悩んでいたのだ。

 闇魔法なんて使える自分はこの家に相応しくないのではないか。不気味に思われているんじゃないかと。

 だけど姉が背中を押してくれた。


 その声援に応えたい。


「旦那様。私達の子供達はこう言っていますわよ」

「……うむ。お前がそう言うなら吾輩は何も言わないでおこう」


 魔法使いジェリコ・ヴラドとしての生き方が決まったきっかけだった。








「はぁ…はぁ…。行っちゃうの姉さん?」

「うん。別に一生会えないわけじゃないから。いつか戻ってくるわよ。だから任せたわよ」

「……うん。屋敷の事も僕がきちんと対応しておくから」


 ジェリコが魔法学園に入学して2年目の出来事だった。

 長期休みで実家に戻ると屋敷内が荒れていたのだ。

 話を聞くと、シルフィーが両親と大喧嘩したらしい。


 その内容は姉に好きな人が出来たというものだった。

 魔法学園に通わなくても貴族の社交界はある。

 シルフィーはとあるお茶会の場で一人の男性に出会い、仲良くなったのだという。

 教育の賜物で猫被りを覚えたが、未だに実家では落ち着きのない姉。その人物は彼女のお転婆な部分も丸ごと受け入れてくれたのだとか。

 それだけ聞くといい話だったが、相手が悪かった。


「クローバー伯爵家ねぇ……」


 ジェリコの頭の中でもかなり忘れかけていた貴族だった。

 田舎に領地を持ち、歴史こそ古いがそれ以外は何もない貴族で、魔法使いも生まれたり生まれなかったりで血統も怪しくなっている。

 いいとこなしの落ちこぼれ貴族だった。


「それは怒るよね」


 両親はシルフィーを愛していた。

 魔力なしとはいえ、同じ公爵家の二男か三男、もしくはヴラド家の分家の家に嫁がせようとしていた。

 そのための根回しや準備も進めていたし、嫁いだ先で不当な目に遭わないように目を光らせる事も考えていた。

 それなのに選んだのは全く付き合いの無い弱小貴族。


 姉はその人と夫婦になれないならこんな家を出て行ってやると啖呵を切ったのだ。


「私にはあの人以外にいないのよ」

「根拠はあるの?」

「直感よ!」


 やっぱり中身は成長していないなとジェリコは思った。

 こんな人物の下で育ってきたせいで、ジェリコは両親の言い分よりも姉の気持ちを大事にしてあげたいと考えた。

 家を出るなら名前をヴラド公爵家から消して、ただの平民になるんだな!と脅しをかけたのが逆効果でシルフィーは荷物をまとめて出て行ってしまった。


 彼女がいなくなって暗くなった屋敷の雰囲気を元に戻すのは自分の役割だと思い、ジェリコは自分だけは公爵家のために真面目に生きることを両親に誓うのだった。









「僕は姉さんの弟で幸せだよ。これ以上は何も望まない。姉さんの事が大好きだ」

「やっと言ってくれたわね。素直じゃないんだから」


 そんなやり取りをしていたのはシルフィーの結婚式の場だった。

 ジェリコは魔法学園を卒業し、公爵家を継いで婚約者もいて順風満帆な生活をしていたのに対してシルフィーは結婚までに時間がかかってしまった。


 クローバー伯爵家側の両親が猛反対したそうだ。

 公爵家の令嬢を盗み取るような真似をして、反感を買ったらどうするんだ!

 除名されてただの平民になった人間だと伯爵家の品格が失われる!

 その場に自分がいなくてよかったとジェリコは思った。


(もしその場にいたら闇魔法を使って都合の良いようにしたかもしれないな)


 猛反対を受けたが、姉は諦めなかった。

 元から嫌われた状態で相手の懐に潜り込むのが上手かった人なので、時間をかけて信頼を勝ち取ったらしい。

 夫になる男も協力をして、二人は付き合って数年後にようやく夫婦になれた。


 とはいえ、下位の貴族のしかも公爵家から名前が消えた人物の結婚を盛大に祝う事は出来ないので、ジェリコはちょっとお金持ちの商人のフリをして参列した。

 両親からは僅かばかりのお金と姉が世話をしていた花の苗をいくつか持たされた。


「聞いてるわよ。ジェリコ、すっごい頑張っているそうじゃない」

「まぁね。僕の代でヴラド公爵家をこの国で一番凄い貴族にしてみせるよ」

「良いわねぇ。私は……家族で仲良く幸せに暮らせればそれでいいわ」


 シルフィーは優しい手つきで、まだ出ていないお腹を撫でた。


「姉さんが母親とか心配だなぁ」

「失礼ね。ようはお母様みたいにしていれば大丈夫なのよ!」


(その結果誕生したのが対称的な二人なんだけどね)


 きっとこれからも苦労するだろうなと、ジェリコは義理の兄に同情した。


「ヴラド公爵家みたいな温かい家庭をいつか持つのが夢だったのよ」


 結婚式が終わった後の宴の場で、ノンアルコールのジュースを飲みながらシルフィーはそんな事を言った。

 彼女のグラスはジェリコのとは違って酔うはずが無いのに顔が赤いのは場酔いしているからだろうか。

 相変わらず弟にもよく理解出来ない姉だ。


 そんな場の雰囲気に呑まれたのか、酔ったのか、ジェリコはポロリと言葉を漏らした。


「姉さん。実は僕にも一つ我儘な夢があるんだよ」

「ジェリコの夢?そんな子じゃなかったでしょ貴方」


 誰かさんの悪影響を受けたせいだとは言わずに、ジェリコは夢物語のような話をする。


「僕さ、魔法学園の理事長になりたい」

「ふ〜ん。なっちゃえば?」

「驚かないの?」


 適当そうな相槌に、逆にジェリコの方が驚いた。

 魔法学園の理事長と言えばあのアルバス・マグノリアだ。

 それに理事長になるにはまず理事会に入らなければならない。光の巫女の再来と呼ばれる女傑を始めとした一筋縄ではいかない猛者達がいる。

 そんな場所に飛び込もうとしているのに反応が薄いと思った。


「だってジェリコでしょ?必ずやり遂げるわよ」

「……その根拠は何処から出てくるのさ。もしかしてまた直感?」

「違うわよ」


 シルフィーは指をビシッとジェリコに向けた。


「貴方は私の弟だもの。今までだって有言実行で目標を達成してきたのよ。これからも夢を必ず叶えるってそう信じているわ!」


 そう言われて、ジェリコは幼い頃の自分を恥ずかしく思った。妾の子だから打算的に動いているのだと考えていた。

 両親に気に入られるために自分に優しくしているのだと。


 この人に裏なんてない。というか何も考えていないから心配するだけ無駄だ。

 だって、ただ姉だから。弟だからという理由で全幅の信頼を寄せるからさ。


「それにしてもこれが最後かもしれないのよね」


 これからジェリコ・ヴラド公爵として大忙しになるし、今回みたいに無理を言ってクローバー伯爵領まで来れないだろう。

 両親だって、渡した品々が祝いと手切れの品だと考えている。

 純血の魔法使いであるヴラド公爵と平民から成り上がったクローバー伯爵夫人とでは立場が釣り合わないのだ。


「またいつか会いたいわねジェリコ」

「僕もだよ姉さん」


 酒の場の戯言かもしれない。

 でも、この後の言葉をジェリコ・ヴラドは一生忘れなかった。

 きっと、シルフィー・クローバーも同じだったと信じている。







「だから約束してよ。必ずまた会うって。貴族でもない、ただのシルフィーとジェリコの姉弟として」















 ーーーその数年後、2人子供を残して彼女は亡くなった。


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