第47話 姉さんが倒れたって⁉︎(クラブ視点)
「姉さん!」
息切れしながら、乱暴にドアを開く。
知らせがあったのは中間試験中だった。
ジャック様とエース様の初めての対決。その前座とも言える僕対エース様の側近。その模擬戦が開始する直前だった。
数人の教師が何やら大慌てで女子の試験場へ向かい、誰かが運ばれて行った。そして付き添いにはとても不安そうな顔のアリアさんが付いていた。
まさか姉さんが誰かを医務室送りに?そう思った後で女子の担当だった教師から倒れたのは姉さんだと聞かされた。
試験をほっぽり出して駆けつけた医務室のベッドの上で姉さんは眠っていた。
そばにはアリアさんが座っている。
「アリアさん、姉さんの様子は⁉︎」
「容体は安定……というより魔力が空っぽになって気絶しただけみたいです」
良かった。大怪我をしたわけじゃないのか。
「魔力切れで倒れるなんて、何をしたんだ姉さんは?」
魔力切れで動けなくなることは入学してすぐに教えられる。
貴族であれば幼い頃から叩き込まれる内容だ。
いくら姉さんが魔法使いになってから実家にいた日数が少ないとはいえ、マーリン先生がそんな初歩的なことを教えていないはずがない。
またいつもの気まぐれかうっかりでやらかしてしまったのだろうか?
「お姉様がやったことは、魔力を全身から垂れ流しただけです。相手が圧で動けなくなるだけの」
「魔法ですらない魔力の暴走って、困った人だなぁ」
やれやれとため息をつく。
大人びた容姿と精神年齢が合ってないんじゃないのかな?起きたらソフィアと二人でお説教しないとね。
いつも通りかと、決めつけていた僕とは真逆にアリアさんは躊躇いつつ言葉を続けた。
「ただの暴走ならいいんです。でも、その時のお姉様はいつもと様子が違っていて、多分あれは人を本気で殺そうとしていました」
「殺し?姉さんは乱暴で暴力的ではあるけど、超えてはいけない一線は犯さないよ。見間違えじゃないのかい?」
「いえ、あれは…」
「彼女の言う事に嘘はない」
気になる続きをアリアさんが話そうとした時、新しい訪問者が医務室に入ってきた。
「どういう意味ですかマーリン先生」
慌ててやって来たのか、額に少し汗を浮かべている。
「私の元にも情報が入ってきた。試験官をしていた者や周囲で観戦していた生徒たちが、シルヴィアがクラスメイトを殺害しようとしていたと揃って証言している」
一人の思い違いではなく、誰もがそう感じ取ったということか。
「私だってシルヴィアがそんなことをする筈無いと思いたいが、こうまで証言が多いとな。アリアくんもそう感じたのだろう?」
「はい。あの時のお姉様の目は真剣でした。高密度の魔力を腕に纏わせて、心臓を突くつもりだったと思います」
そんなことはあり得ない。だって、
「姉さんには人を殺す動機が無いじゃないか」
学生の身分でクラスメイトを殺した所で罪に問われるだけだ。
姉さんは強い。だから格下相手にそこまでするはずがない。
前に教室でエカテリーナを召喚した時もマーリン先生やアリアさんを馬鹿にされたせいだが、脅しに使っただけなんだ。
「相手はベヨネッタ・シザース侯爵令嬢で間違いないんだな?」
「はい。お姉様とベヨネッタさんが何かを言い争っていて、突然……」
二人が仲悪いことは周知の事実。だから姉さんは近づかないし、軽くあしらうことしかしない。
それが一体、何を理由に?
悩む僕とは違い、マーリン先生は何かを察したのか、深く長い息を吐いた。
「つまりは依頼人だったというわけか。それなら彼女が激情した理由にも説明はつく」
「何の話ですかマーリン先生?隠し事は止めてくださいよ。僕はこの学園にいる唯一の家族なんです」
知らなくてはならない。何が姉さんをそこまで駆り立てたのか。
「今の君ならば話してもいいか。……7年前、シルヴィアが旅に出た理由は知っているか?」
「はい。両親にも聞きました。他所との軋轢で立場が危なくなったため、姉さんを離すことで注目の目を逸らすためだと」
自分でも調べて考察し、辿り着いた結果だ。
姉さんは間違いなく選ばれた天才であり、その兆しはあの頃からあった。だからこそ出る芽は打たれたのだと。
「概ね間違いないな。では、その時に不審な人物の潜入や明らかにクローバー家の重要人物、及びシルヴィア本人を襲撃するつもりだった連中が居た事は?」
「………そういうことですか」
姉さんが本気で殺意を抱いた理由がわかった。
7年前の一件は僕の想像以上に深刻な事態であり、僕にとっては不甲斐なさの象徴。姉さんにとっては自身のせいで発生したトラウマに近い。
その元凶と思わしき人物が発覚すれば、確かに姉さんは逆上する可能性がある。
姉さんは身内への、家族への愛や信頼がとても厚い人だ。気に入った人物ならどこまでも受け入れて甘やかしてくれる。
出会って半年のアリアさんを溺愛し、養子の僕に優しく、両親を愛している。
その全てが憎しみや憎悪に向けば簡単に理性を振り切ろうとするだろう。
「そんなことってあるんですか?」
アリアさんが疑問の声を上げる。
「貴族ならば考えられる事だよ。家柄や爵位にこだわり、不必要なものや邪魔で目障りなものを排除して利益を得る。それを生業とする連中だっている」
平民出身の彼女からすれば理解し難い在り方だ。
僕もつい最近までは同じ陣営の仲間からそういう目で見られていた。それを実績と強さで覆し、価値を証明した。
利益であると認識されれば持ちつ持たれつで支え合い、情も深まって信頼も生まれる。
しかし、不利益であると判断されれば切り捨てられる。
貴族の社交界はそんな場所だ。
「シルヴィアも7年前からそこは理解していた。だからこそ私について行く事を決心したのだ」
「大人達と姉さんだけが知っていたんですね。僕には何も教えてくれず」
「伯爵夫妻の思いやりがわからない君ではないだろう」
「勿論です」
姉さんのせいで命が狙われていると幼い僕が知れば何を思っただろうか。
クローバー家にいることで生命の危険があると知れば使用人達や領民達は何を考えただろうか。
飛び級する程の血の滲むような努力と経験をしてきた今なら理解は出来た。
「だが、私としては腑に落ちない点がある。シルヴィアがベヨネッタに激情したのは分かった。だが、それでも殺そうとするのは考えられない」
マーリン先生は言う。
「彼女を長い間見てきた。自衛の為の力を身につけさせたからこそ分かるのは、シルヴィアは牽制や威嚇こそすれど命を奪うことはしない。甘い考えだが、そこだけは譲らなかった」
確かな信頼の眼差しでベッドの上で眠る姉さんを見ていた。
「それが魔力まで暴走させて公衆の面前で殺害を試みるなどあり得ぬ」
「何か別の要因があるとお考えなのですか?」
僕としては姉さんがベヨネッタ嬢を襲うに値する条件は揃っていると思う。
もし立場が違えば、僕は殺しているかもしれない。姉さんと僕を、僕達家族を引き離した元凶が目の前にいることに耐えられずに心のままに手を下すかも。
「あぁ。もしそんなことをして学園にいられなくなればアリア君やクラブ、伯爵達に会えなくなってしまう。そこだけは見失わないと確信している。ならば、何かが彼女の心を揺さぶり、冷静な判断を欠かせたと考えるべきだ」
なんだろう。さっきから話を聞いていればマーリン先生は姉さんを信用し過ぎじゃないだろうか。
なんとなく自分こそが一番姉さんを理解しているとすら言っているように思える。
僕の方が先に姉さんに出会って愛されているのに。
弟という立場でさえなければ今頃……いや、考えるのはよそう。
「あの、それだったらわたし、気になるものを見たんです」
手を上げて、アリアさんが喋る。
「お姉様が魔力を全身から放っている時に、何かこう、黒いモヤのようなものが薄っすら漏れていたんです」
黒いモヤ?
姉さんの事を知らせにきた教師は何も言っていなかったけど。
「アリア君。君以外の生徒からはそのような報告は無かったが、それは確かなんだな?」
「はい。
こめかみに指を当て、考え事を始めるマーリン先生。
僕には何なのかさっぱりわからないが、この天才魔法使いと呼ばれている人物が思案するということは何か姉さんに関わりがあるのかもしれない。
「……いや……だとすれば……ふむ。私の仮説が正しければこれは厄介な出来事だな」
「何が分かったんですか?」
「アリア君だけが見た黒いモヤは魔力の属性のようなものだろう。私は感じ取れないが、アリア君ならそれを発見できるのも納得がいく。……ここ最近は似たような魔法を調べていたから思い当たった」
寝ている姉さんの頭を軽く撫で、マーリン先生は告げた。
「シルヴィアに闇魔法の呪いがかけられたかも知れん」
闇魔法。それは僕が殆ど知らない、知識としてしか聞いたことのない代物だった。
「光と闇。基本的な属性に当て嵌まらない特殊な属性だ。かつて、この国を作った初代王は光の巫女と共に闇の軍勢を倒して闇の神を封印したことから光属性は闇属性に対して優位な体質を持つとされている。アリア君だけというなら彼女が見たのはその闇の一端だ」
姉さん、貴方はまた僕の知らない所で何かに巻き込まれたっていうのか?
「だから注意しろと言っただろう。バカ弟子め」
小さく呟かれた声はアリアとクラブに聞かれることはなかった。
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