両想い

 池端は元カノの麻綾の自室のクロゼットに潜み、息を殺して彼女の帰宅を待っていた。その手には鋭利なナイフが握られている。

 池端は麻綾を殺すつもりだった。自己中心的で独占欲が強い彼は、自分ではなく、女優になる夢を選んで上京した彼女をこの世から抹消することこそが、振られたショックを払拭する唯一無二の方法だと信じ込んでいた。

 深夜になって麻綾が帰宅した。池端はクロゼットの扉の僅かな隙間から彼女の動向を覗い、確実に殺害を果たせる状況が調うのを待った。最悪、彼女が眠りに就くまで身を潜めているつもりだった。

 麻綾は余所行きの服のまま、携帯電話を熱心に操作していたが、おもむろにそれを耳に宛がい、笑顔で喋り始めた。声量は小さく、会話の内容は聴き取れない。

 池端は動揺した。池端がクロゼットに潜んでいることに感づいて、秘密裏に救援を要請したのではないか、と邪推したからだ。一人きりの自室で友人と通話するのに、声を抑える必要はないではないか。麻綾は女優志望だ。それくらいの演技をしたとしてもおかしくはない。

 仮に救援が訪れるのであれば、クロゼットの中に居続けては、袋の鼠となりかねない。だからといって、今の段階で麻綾を襲っても、目的を遂げられる確証はない。初志貫徹、確実に殺せる状況が来るまで待つか。それとも、一か八かの勝負に打って出るか。

 腕力では圧倒的にこちらに分がある。麻綾が眠っているか眠っていないか、救援が来るか来ないかにかかわらず、さっさと片をつけるべきだ。

 意を決した池端は、クロゼットの扉を蹴り開けて外に飛び出し、麻綾に襲いかかった。標的が振り向いた。その顔に浮かんだ表情を見て、ああそうか、と池端は悟る。

 麻綾、君はずっと、僕に殺されるのを待っていたんだね。

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