とある山奥の湖に住まう女神は、訪れた者に幸せをもたらすのが使命であり、生き甲斐でもあったが、人通りの少なさに祟られて暇を持て余していた。次に湖の前を通った人間には、その者が誰であってもとびきりの幸福を与え、世界一の幸せ者にしてあげよう。そう考えながら、誰かが通りがかるのを辛抱強く待っていた。

 ある時、一人の若い樵が、使い込まれた愛用の木の斧を手に山道を歩いていた。湖に差しかかった時、樵は斧をしっかりと把持していたにもかかわらず、大事な仕事道具であるそれを湖の中に落としてしまった。汀に膝をつき、呆然と水中を覗き込んでいると、突如として湖面が盛り上がり、美しい女神が姿を現した。右手には金色の斧を、左手には銀色の斧を持っている。女神は樵に微笑みかけた。

「あなたが落としたのは、金の斧? それとも銀の斧かしら?」

「いいえ、どちらでもありません。私が落としたのは使い古した木の斧です、女神さま」

「正直でよろしい。正直者のあなたには、金と銀、両方の斧を差し上げましょう」

 樵は真面目腐った顔で頭を振った。

「どちらも要りません。仕事用の古い斧さえ返していただければ、それで結構です」

 女神は唖然と樵の顔を見返したが、すぐに微笑みを回復し、両方の斧を受け取るよう、熱心に勧めた。だが樵は、「使い慣れた斧がいい」の一点張りで、埒が明かない。

 先に痺れを切らしたのは女神だった。

「頭が悪いのね、あなたは。この二本の斧を売りさえすれば、一生遊んで暮らせるのだから、木の斧なんて必要ないのに。そんなに働くのが好きなら、一生汗水垂らして木を伐っていなさい」

 女神は捨て台詞を残し、二本の斧と共に湖に沈んだ。

 樵は汀に跪いて待ち続けたが、愛用の斧が彼の手元に戻ってくることはなかった。

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