手紙の一通も寄越さなかったくせに
夕食後、銭湯へ行く。番台で番頭が銛に腹を貫かれて息絶えている。風呂から上がる頃には生き返っているので、入浴料は後払いすればいい。脱衣場には誰もいない。扇風機だけが動いている。服を脱ぎ、ロッカーに押し込む。どうせ誰も来ないので、ロッカーの鍵はかけない。風呂場に通じる扉を開く。するとそこは綾子さんの自宅の浴室で、狭い湯船に綾子さんが裸体を浸している。
綾子さんの顔がこちらを向いた。途端に眉がつり上がった。
「今さら会いに来るなんて、どういうつもり?」
違う。綾子さんに会いに来たわけじゃない。銭湯の風呂場の扉を開けたら、綾子さんの自宅の浴室だっただけだ。そう弁解しようとしたが、綾子さんの声に遮られた。
「手紙の一通も寄越さなかったくせに、今さら会いに来るなんて、図々しいにもほどがあるわ。何様のつもりなの?」
手紙を書いてくれなんて一言も言わなかったじゃないか。抗議の声は喉に引っかかって止まった。私を見据える綾子さんの目つきが、あまりにも鋭かったから。
綾子さんは湯船から出た。風呂椅子に腰を下ろし、床に転がっていた亀の子たわしを手に取る。
「手紙の一通も寄越さなかったくせに」
吐き捨てるように言って私から顔を背け、亀の子たわしで自らの体を擦り始める。擦るたびに皮膚がぼろぼろと剥落する。
「一通も寄越さなかったくせに。一通も寄越さなかったくせに」
擦る力は次第に強くなる。綾子さんの体は見る見る削れ、少なくなっていく。
その模様を、私は黙って見守ることしか出来ない。綾子さんに手紙を一通も送らなかった私に、綾子さんのやることなすことに文句をつける権利はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます