生卵

 牛丼屋のカウンター席に着き、豚丼を待っていると、隣席に客が座った。糞尿の臭いが鼻を衝いた。禿頭の、紺色の作業着を着た、五十がらみの男だ。糞尿を扱うなんらかの仕事に携わっていて、その臭いが作業着に定着したものと推察された。

 豚丼が来た。食べ始めたが、隣からの臭いが不快で喉を通らない。隣の男が食べ終わり、店を出てから食べようと考え、一旦箸を置く。

 隣席に牛丼が到着した。男は牛肉ばかりを口に運んだ。たちまち丼の中は白飯のみになった。

「うわあ、ご飯だけになっちゃったよ。おかずがないと食べられないよ。でも、生卵はコレステロールが気になるし……。そうだ。生卵の代わりに、あれをおかずにご飯を食べよう」

 男は独り言を呟いたかと思うと、咳き込んだ。その拍子に、唇から何かが滑り出て丼の中に落ちた。覗き込むと、黄色っぽい、どろどろとした物体が、唾液にまみれて白米の上に載っていた。痰だ。

 男は箸を逆手に持ち替え、痰と白米をぐちゃぐちゃに掻き混ぜた。そして、ぺちゃぺちゃと音を立ててそれを食べ始めた。

 吐き気が込み上げてきた。助けを求めるように店員を呼び、手早く会計を済ませ、逃げるようにカウンター席から離れる。

 出入り口の自動ドアを潜ろうとして、店に入ってきた人物とぶつかりそうになった。糞尿の臭いを強く感じた。その人物は、禿頭の中年男で、紺色の作業着を着ていた。

「痰は黄身よりも、唾は白身よりも美味いことを知らないから、素人は不幸だよ。ねえ兄さん?」

 声に振り向くと、カウンター席に座った、紺色の作業着を着た禿頭の中年男が、にやにやと笑いながらこちらを見ていた。

「そうだな。不幸な者には教えてやらなければな」

 同じ声が反対方向から聞こえた。全身に鳥肌が立った。顔を正面に戻した瞬間、目の前にいた禿頭の男の唇によって唇を塞がれた。生温かい、どろどろとした物体が、口の中に滑り込んできた。

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