祈り

 日課のジョギングの最中、制服姿の女子中学生が雑木林に入っていくのを有子は目撃した。女子中学生は紛れもなく、二十年前の有子だった。

「いつもより長めに走ることにしたから、朝ご飯はちょっと待ってて」

 以上の内容のメッセージを夫と息子の携帯電話に送信し、過去の自分を追いかけた。

 中学生の有子は迷いのない足取りで木々の間を進む。その後をつける三十四歳の有子は、彼女の行く先を知っていた。

 十分ほど歩くと、開けた場所に出た。背の高い雑草に埋もれるようにして、古びた小さな祠が建っている。少女の有子は制服が汚れるのも厭わずに祠の前に跪いた。胸の前で掌を合わせ、目を瞑る。身じろぎ一つしない。

 祈りを捧げているのだ。

 黙って見てなどいられなかった。靴音を殺して歩み寄り、やんわりと肩を叩く。振り向き、大人の有子を目の当たりにして、中学生の有子は双眸を見開いた。しかし、騒いだり喚いたりはしなかった。

「クラスメイトから虐めを受けて、辛いと思うけど、苦しみは長くは続かないわ。来年の春、父親の転勤に伴って、あなたは転校する。転校先の中学校で、あなたはたくさんの友達に恵まれる。だから前途を悲観しないで」

 有子は晴れやかな表情で、落ち着いた口調で話す。少女の有子は黙って、真剣な面持ちで聞いている。

「その友達の一人と、あなたは将来結婚するの。優しすぎるくらいに優しくて、頼り甲斐のある人よ。子供も授かるわ。やんちゃで手がかかるけど、家族思いの男の子を」

 これ以上、言うべきことはなかった。過去の自分に背を向ける。

「じゃあ私は、朝食の用意があるから家に帰るわね。夫と息子が待っているから」

 有子は小走りでその場を後にした。後ろは一度も振り返らなかった。

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