第15話 デザートはたわわな果実!?招かれざる客
ロミオが目覚めたのは日も傾き始めた午後四時過ぎ。
乾いた喉を潤すべく、一階へと降りた。
「ふわああ…」
「おはようございます、って言うてももう四時過ぎましたけど。お嬢様は一回起きて、お部屋でお粥食べはって、また寝てはります。すっごい大人しくて助かりますわ。それと、キリシマはんから電話来ましたで。五時すぎにこっち来はるって。お嬢様を診察しはるんやって。」
「…だからまたカレー作ってんのか。」
リビングに入った瞬間に包まれたスパイスの香り。
「前作って余ったのを冷凍してたんです。それと、今回ちょっと具も足しました。付け合せはタマゴサラダでいいです?」
「ああ…五時過ぎって言ったか?もうすぐじゃねぇか。」
「そうです!旦那はん、ひげでも剃ってきたらどうです?それか、もっかいシャワーでも浴びてきはったらどうです?」
「来るのはジョウだけだろ?別に必要ねぇだろ。」
ロミオはリビングのソファにどかっと腰を掛け暇潰しにテレビを点けた。
「キリシマはん!いらっしゃいませ!…あら?そちらの方は?」
出迎えたヒロネの言葉にロミオに緊張が走る。
そして、次に聞こえてきた声に脱力する。
「はじめまして!エリナ・ハヤマと申します!コンゴウ先輩と同じ部署で働く後輩です!」
あの新人お嬢様のエリナだった。
「あの!お口に合えばよろしいのですが…」
「マアマア!こんなに高級なものを、お気遣いありがとうございます~」
女性ならではの気遣い合戦が玄関先で行われている間にジョウは素早く中に入り、ロミオを見つけると苦笑いを浮かべた。
「すまないロミオ。ホノサキさんが連れていけって」
「俺はどうでもいいけど、あの様子じゃあ俺の『仕事』は知らないんだろ?」
「一応、虐待を受けていた子どもを緊急で保護したことになっている。ハヤマさんには、身の安全のために他言無用って口止めはしている。」
小声で説明された内容にロミオはため息を吐いた。
次から次へと、よく嘘を思いつくものだと。
「分かったよ。こっちもボロを出さんようにするから、早く連れて帰ってくれ。」
「分かった。」
二人が会話を終えるとエリナがヒロネに案内されてリビングに入ってきた。
仕事帰りなのだろう。
スーツではなく通勤用と思しき私服姿で、髪の毛も下ろしている。
「(…やっぱマジモンのお嬢だな。キルケのピンク・ゴールドイヤリングと18金のネックレス。服は、上はミラ・ミラ。下は…ベルンケルヒか?あれズボン一本ウン万だったはずだぞ…。)」
さもしい性根故かロミオは高価そうな服を見るとそのブランドを無意識に見定めてしまう。
ロージィ・ナイトのオーナー・ロイがまだUMEDAでデザイナーをしていた時に、彼の仕事を手伝っていたこともありブランド品に詳しくなったのも理由の一つだが。
「(カバンは天然牛の、どこのだ?見たこと無い型だな。)」
「ハヤマ様、お鞄をお預かり致します。…素敵なお鞄ですね。」
「ありがとう!これは私の大学卒業祝いにお父様が、特注してくれた鞄なんです。褒めていただいて嬉しいです!」
オーダーメイドかよ!とロミオは心の中で突っ込んだ。
そうした一流ブランドを身に着けても、エリナは平然としている。
彼女にとって日常着る服、使うものなのだから当然と言えば当然だが。
「コンゴウ先輩!お疲れ様です!」
そしてそんな服の上からでも十分にわかる胸部の膨らみ。
ロミオに頭を下げると、服の襟口から見える、いと深き谷。
ロミオは
「おつかれさん。で、声がデカい。こっちは夜勤明けなんだ。もうちょいボリューム落としてくれ」
「あっ、す、すみません。」
顔を上げてまた頭を下げる。
忙しない女だと、ロミオはため息を吐いた。
「で、ハヤマさんは何をしに来たんだ?キリシマ主任の話しじゃあ、保護した少女の検診と聞いたが、それはキリシマ主任でもできるが?」
「はい。仰る通り保護された少女の健康チェックと、必要であれば治療にと来ました。」
「ロミオ、彼女は僕よりもずっと高度な治療行為ができるんだ。来てもらったのはその為さ」
そりゃお前は肉を切り刻むのが専門だもんな、という言葉をロミオは飲み込んだ。
少女の診察&治療に来たのなら、さっさと診させて帰らせよう。
「そういうことか。んじゃ、早速診てもらうか。ヒロネ、案内してやれ」
「分かりました。ハヤマ様、こちらへ…」
「僕も行くよ。」
ぞろぞろと三人はヒロネの部屋へと吸い込まれた。
「皮膚の異常はなし。体温も平均値前後。血液は会社に戻ってからの検査になりますけど、今の所は感染症の疑いもなさそうですね。虫歯もなさそうですね。」
見た目と雰囲気とは裏腹にエリナは手際よく検温、診察、採血を熟す。
しかし、痩せて、生気のない少女の姿にエリナの表情は曇ったままだ。
少女はおそらく十歳前後なのだが、手足は細く、髪の毛もショートヘアというには短すぎる。
短いながらも長さはバラバラで、それは信者向けのお守りの材料に彼女の髪の毛が使われているからだとジョウは説明した。
「ロミオの報告によると、彼女の髪の毛や爪がご利益ありとかってことで売られてたみたい。」
「なんて酷い…!もう大丈夫ですから!安心して休んでくださいね。私はエリナ、エリナ・ハヤマ。どこか痛いところはない?」
エリナは少女の手を握り、優しい言葉を掛ける。
その様子に、少女はただ黙ってエリナを見つめている。
薄い色素の目は、光の加減では琥珀色にも、青色にも緑色にも見える不思議な色彩だった。
短い髪の毛も、白髪が混じっているが透き通るような色をしている。
異国の血が入っているのかもしれない。
採取した血液から遺伝子の解析を行えば世界のどの場所にルーツがあるか分かるだろう。
ジョウは頭の中で検査する項目をリストアップしていく。
そんなジョウとは裏腹に、エリナはただ少女と向き合っている。
そして少女がなにか言いたげに口を開こうとしていることに気がついた。
しかし、咳き込んでしまう。
エリナは落ち着いて少女の背中を擦る。
「大丈夫?無理をしなくても、大丈夫よ。お水飲む?」
その外見に違わず、エリナは母性溢れる優しさで少女を介抱する。
エリナから水を受け取った少女は口をつけ、ゆっくりと喉を潤した。
しかし、何度も声を出そうとするが出ない。
「声が出ないのかな?ヒロネちゃん、紙とペンある?」
「はい。どうぞ。」
紙とペンを受け取った少女は、震える手で紙に文字を書いた。
『わたしの なまえは じゅり』
踊っているが、はっきりと読み取れる字で少女は自分の名前を書き記した。
「ジュリ、それがあなたのお名前なのね。よろしくね、ジュリちゃん。」
エリナは少女を優しく抱きしめる。
少女、ジュリはエリナが名前を教えたお返しに、自分の名前を伝えたかったのだ。
先に会ったロミオとヒロネに対しては警戒心を持ってる。
ヒロネはともかく、少なくともロミオは
「ジュリちゃんのこと、ゆっくり教えてくれたら嬉しいわ。今日は疲れているでしょうから、また明日来るわね。」
エリナは最後にもう一度少女の背中を撫でてジョウと一緒に部屋を出た。
ヒロネは二人の後ろ姿に深々と頭を下げた。
「ほなお嬢様、ちょっとお客さんのお相手をしてきますから、ゆっくり休んでて下さいね。」
「…っ!」
「?」
ヒロネは服が引っ張られるのを感じて振り返った。
少女がまた何か言いたげにヒロネを見ている。
一旦手を離して、急いで紙に字を書いた。
もう一度、名前を書いた紙を差し出した後、今しがた書いた紙をヒロネに差し出した。
『わたしの なまえは じゅり』
『おふろと、ごはん、ありがとうございます。おれい、おくれてごめんなさい。』
めっちゃええ子やん…、とヒロネはジュリに対して好感を持った。
改めて名前の紙を差し出したのも、エリナには名前を教えたのに、自分の世話をしてくれたヒロネには名乗っておらず、しかもお礼も言っていないことを気にしていたようだった。
アレだけ衰弱していて、しかも袋詰で拉致されてきたのだから警戒して然るべきなのだが。
エリナの態度から、本当に『保護』されたのだと思ったのかもしれない。
だが、元気になったとしても彼女に待っているのは『実験体』としての未来しかないのだが。
「はい、どういたしましてです。ジュリお嬢様。ゆっくり休んで、早う元気になってくださいね。」
ヒロネはジュリの寝具を整えて、部屋の電気を消してリビングへと戻った。
リビングではエリナがジュリの容態をロミオに説明していて、ヒロネは邪魔にならないようにキッチンに入った。
カレー皿とカトラリーを三組、食器棚から取り出すと、まずテーブルにランチョマットとカトラリーを準備する。
そして冷蔵庫からサラダを取り出してトングを添え、テーブルの中央に鎮座させる。
話が一区切りついたのか、ロミオがキッチンへと顔を向けた。
それを合図にヒロネは炊きたての精白米をカレー皿に盛り付け始める。
ロミオは大盛り、ジョウは並盛り。
「エリナさん、良かったら召し上がっていきませんか?お口にあうか分かりませんが。」
「良いんですか!?」
「はい、ご飯は人数が多いほうが美味しいです。旦那はんもええでしょ?」
エリナの後ろで苦々しい顔をしているロミオを無視してヒロネはエリナの分のカレー皿にご飯をよそり始めた。
食事を終えると、ジョウはロミオの家を後にした。
目的である奇跡の少女、ジュリの状態確認と
エリナは、ご飯のお礼にと後片付けをヒロネに申し出てヒロネはそれを快く受け入れた。
「ごちそうさまでした!あんなに美味しいカレー、私初めてです!」
「そう言ってもらえて嬉しいです。」
見目麗しい若い女性が二人、キッチンで仲睦まじく会話している光景は微笑ましいものなのだがロミオは苦々しい面持ちである。
ジョウが一緒に連れて帰るかと思いきや、置いて帰ってしまったのだ。
「ハヤマ様、緑茶か紅茶、どちらがええです?」
「紅茶でお願いします。」
「旦那はんは?」
「紅茶。」
「わかりました。」
「私、お手伝いしますね。」
エリナはヒロネの指示通りテキパキとティーセットの準備をする。
お茶請けは数日前にジョウが持ってきたチョコレート菓子と先ほどエリナから受け取った菓子を半々。
箱から取り出した個包装のそれを皿に整然と並べる。
その間にヒロネは湯を沸かし、茶葉をポットに入れる。
茶葉はヒロネの『給料』で買った舶来物の準上級茶葉。
普段はロミオが居ない時にヒロネ一人で飲んでいるのだが、客人が来た時にも使えるようにちょっと良いものを買っているのだ。
最初は来客用として家計から出して買っていたのだ、思いの外消費が少なく茶葉の賞味期限が過ぎるという悲しい出来事が起こった。
来客が殆ど無いことも原因なのだが、そもそもロミオは珈琲、茶、煙草といった消耗嗜好品を好まず、茶もヒロネが淹れないと飲まないのだ。
しかも最低三回は出涸らしを淹れ、最後は色付き白湯になるまで茶葉を使い倒す。
その様子を見るたびに、ヒロネは茶葉農家に対して申し訳ない気持ちになってしまうのだ。
美味しい状態を味わっていなくてスミマセン……と。
お茶の準備が整い、エリナはロミオの正面に座る。
紅茶の上品でいい香りがダイニングに漂う。
「旦那はん、私ちょっとお嬢様の様子診てきますから。」
紅茶をサーブするとヒロネはさっさと部屋に行ってしまった。
「ひ、ヒロネさん!?…一緒に、お茶を飲めると思っていましたのに。」
ロミオと二人きりなのが気不味いのか、急に緊張した面持ちになった。
「あいつは俺の
「はっ、はい!私の
「
「はい。母は、あまり体が丈夫ではなくてそれで私のお世話や家事は
「…そうか。でも、君の服はご家庭では洗濯しにくいものばかりのように見えるが?」
「あっ!えっと、今日はたまたまこの服で、でも自分でクリーニングには出しますよ!」
ロミオとの会話で少し緊張がほぐれたようだ。
「でも、料理は学校の調理実習くらいで、全然やったことないんです。なんとかしないととは思っているんです。だから…ヒロネさんが羨ましいです。私とあまり変わらなさそうなお歳なのに。」
「あいつの場合、調理は職務に含まれている。手際が良いのは当たり前だ。」
「そ、それはそうですけど。…ヒロネさんは、コンゴウ先輩のメイドは長いんですか?」
ロミオの片眉がわずかに動く。
エリナは他意なく、世間話の延長で質問をするがロミオにとっては答え難い質問であったようだ。
「…忘れたな。ま、あいつは君が思っているよりも歳は結構上とだけ言っておくよ。」
「そ、そうなんですか。先輩、よりもですか?」
「さあな。それに女性の歳を詮索するのはあまり宜しくないと誰かから教わらなかったか?」
意地の悪い笑みを浮かべて、ロミオはエリナを誂った。
「あっ、えっと、あの、ごめんなさい!…今のはヒロネさんには内緒にしていて下さいっ!」
「ヒロネは歳のことになると、結構怖いからなぁ。」
弱みを握った、と言わんばかりの凶悪な表情にエリナは慌てる。
「あの、先輩!先輩は、なんで今のお仕事をしているんですか?」
話題を変えようと、エリナはかねてから興味があった質問をロミオに投げた。
「理由?給料が良いからだ。」
即答し、しかも会話が広がらない答えにエリナは、う、と黙ってしまった。
「働く理由なんてそれぞれだ。ハヤマさんも、キリシマ主任も理由がある。俺は君のような崇高な理由じゃあないが、仕事の質を左右するものじゃない。それは理解しているか?」
「は、はい!勿論です!」
「それなら良い。さて、夜も更けてきた。その茶飲んだら、さっさと家に帰りな。」
「はい!今日は、美味しい夕食とお茶まで頂いて、ありがとうございました。」
エリナは深々と頭を下げた。
「感謝は仕事で返してくれ。」
「はい!先輩!」
エリナはにこやかにお茶と茶菓子を堪能しながら、今日の仕事内容をロミオに話した。
ロミオは適当に相槌を打ちながら、ただぼんやりと、エリナが席についてから気になっているそれに目線を向ける。
机の上に乗っている、二つのたわわな果実。
本人は無意識で、ロミオは興奮すらしないがそれでも視界に入れば目線が吸い寄せられる。
質の悪い女だ、とロミオは内心思いながら会話が早く終わるように願った。
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