第10話 潜入!『幸福の籠』(2)

下層第二階は廃棄物処理装置や発電施設、上下水施設が設置されている。

面積は下層エリア第一階に次いで二番目に広い。

都市インフラが集積されているが、それでも余った土地には人々が集まり集落を形成した。

下層エリアの住民の中でも、第三層に住めない身寄りのない孤児や老人達。

何らかの理由で住む場所を追われたものが集まる吹き溜まりになっている。

ロミオはこの都市に来てから何度となくこの階層に足を踏み入れている。

それでも知らない場所はいくつかあった。

それだけ広い場所なのだ。


この第二層に、ロミオはシンマチ地区の老医師から紹介された『幸福の籠』の信者とともに訪れた。

だがロミオの顔には苦悶が浮かんでいる。

左腕がだらりと弛緩し、歩くのもやっとの様子だ。

『幸福の籠』の信者は、ロミオに励ましの言葉をかけ続けている。

そうしてたどり着いた教団本部は、集合住宅を改装した施設のようだ。

三街建ての比較的小さな建物だが、窓は明るく電気が通って人が居ることが確認出来る。

建物の前には体格の良い男が二人、正面玄関の横に立っている。

門番といったところだろう。

「…何か、お困りですか?おお、あなたはミチヤさん。今日はどうされましたか?」

最初こそ警戒をしていたが、ロミオに付き添っている男の顔をみて態度が軟化する。

「この方は怪我をしています。救いを求めて、ここにやってこられました。」

「…お願いします、助けて、ください。」

ロミオはうつむきながら、腕を抑えて息も絶え絶えといった風体で声を絞り出す。

尋常ではない様子に門番二人が動揺する。

「大丈夫ですか、すぐに人を呼びます。」

「もう大丈夫ですよ。ここはあなたのように傷ついた人のための救済の場。それにミチヤ様のお知り合いなら、身の保証は十分です。」

門番に支えられるようにしてロミオは建物の中に招き入れられた。

外見に反して、中は中層エリアの集合住宅のそれに近い内装だった。

広い吹き抜けのエントランスは最上階まで続いていて、天井はガラスでできている。

太陽の光の届かない積層都市では無用の長物であるが、調光システムにより一日の動きを知る程度には役に立っていそうである。

エントランスの奥には白い布が掛けられた祭壇と、その手前には人一人が横たわることが出来そうな台が置いてあった。

祭壇の上には瑞々しい果物と銀色の燭台に火の灯った蝋燭が置かれている。

エントランスには何人かが掃除をしているが、特に変わったところはない普通の人間のように見える。

「救済を求める者が来たと、ムラサキ様に伝えてくれ。」

「分かりました。そちらの方ですね、もう大丈夫ですよ。」

門番に呼び止められた女性はにこやかに応対しエントランスから二階へと続く階段を登っていった。

ロミオはその間に祭壇の前の台に座らされた。

門番はロミオが座ったのを見届けて、再び外へと出ていった。

「ミチヤさん、ありがとうございます。」

「いえ、礼にはお呼びません。ここまでくれば、もう大丈夫です。…すみません、最後まで一緒にいれたらよかったのですが…」

「はい、もう、大丈夫、です。ミチヤさんは、仕事に戻って下さい…。」

仕事を抜け出してロミオについてきたミチヤは、使命を終えたとばかりに教団を後にした。

すると、入れ替わりに待機していた信者がロミオに近付いた。

「どこが悪いんですか?」

「…昨日から腕が痺れて、どうにもならないのです。」

「腕が?」

「はい。どうしてかわからなくて…仕事も儘ならない状態です。」

ロミオは左腕を右手で支えて女性の前に差し出した。

女性は、、さほど裕福ではない家庭の主婦なのだろう。

水仕事であかぎれた手から容易に推測できる。

人の良さそうな表情が、今では同情と憐れみに染まっている。

今のロミオの服装は中層エリアの工場労働者のそれであり、体が動かなければ仕事が出来ない者が殆どである。

自分の家族に重ねたのか、その女性はロミオに深く同情した。

「大丈夫です。ここに来たからにはもう安心ですよ。ムラサキ様と、ブルー様が助けてくれますから。」

「ムラサキ様とブルー様とは…?」

「ムラサキ様はこの『幸福の籠』の指導者様です。ブルー様は、奇跡。私たちをお救いくださる、奇跡です。私の主人が腕を折ったときも、すぐに治してくれたんですよ。」

カツン。

固いヒールの音がエントランスに響く。

ロミオが音の方へ顔を向ける。

吹き抜けに隣接した階段の入り口には見たことのある女性が立っていた。

「(…マジかよ)」

つい先日、『副業』で出向いた先、シンマチ地区の『ロージィ・ナイト』でロミオに指輪を贈った人だった。

宗教がらみ、どんな怪我でも治す宗教組織、この『幸福の籠』の関係者だとは予想していたが、まさか指導者だったとは。

「ようこそ『幸福の籠』へ。私はこの教団の代表のムラサキと申します。ブルー様は支度が整い次第こちらに…あら、あなたは…?」

ロミオの顔を見て、ムラサキは驚きの表情を隠さない。

「…はじめまして、ムラサキ様。」

「はじめましてではないわ、ええ。あなた、ロミオさんよね?」

「?お二人はお知り合いなのですか?」

「え、ええちょっとね。あなた、お茶を淹れてくださるかしら。」

ムラサキは人払いの為、信者達にお茶を淹れてくるように命令する。

「まさか、あなたが訪ねてくるなんて、ロミオさん。」

人が居なくなった途端にネットリとした視線を投げ付けてくるが、ロミオは毅然と応える。

「私は救いを求める哀れな人間です。あなたの知るロミオという男ではありません。」

「でも、…いいえ、わかりました。誰にでも知られたくない一面はあるものです。」

ムラサキは咳払いを一つ、そして貌を作る。

慈悲深い、宗教指導者の顔を。

「今日は、どうされたのですか?」

「腕が痺れて動かないのです。ミチヤさんに相談したら、ここを…」

ロミオは動かなくなった腕をシンマチ地区の医者に相談し、医師からミチヤを紹介してもらった、という筋書きシナリオだ。

ムラサキはロミオに腕を見せるように言う。

ロミオは素直に左腕を捲り上げ、素肌を見せた。

ムラサキはロミオの腕を何回か擦り上げ、なるほど、と呟く。

「どうなのですか、私の、腕は」

「大丈夫です、あなたの悩みはブルー様が取り払ってくれます。」

そうして慈悲深い笑みを一つ。

しかし、ロージィ・ナイトでの行動に加え、先程の様子を間近に見たロミオにとってムラサキは胡散臭いことこの上なかった。

だがロミオは、ありがとうございます、と押し殺した声で感謝を述べる。

体を震わせながら俯けば、完璧だ。

救いに喜ぶ男の完成である。

「ほら、ブルー様がいらしたわ。」

ムラサキの声にロミオは顔を上げた。


小さな体に薄い青の、貫頭衣の様な飾り気の無い服装。

足元までかかる長いベールを被り顔はわからないが、体格からしておそらく十歳程。

年端のいかないこの子供が奇跡の存在…?

「さあ迷える子よ、こちらに」

ムラサキはロミオを誘導する。

座っていた台に、仰向けで横たわるように指示する。

言われた通り身を横たわらせると、祭壇とロミオの間にブルーと呼ばれた少女が佇んだ。

顔を隠しているベールの奥をロミオは目を凝らして見つめた。

ゾッとした。

伏し目がちの目の色は薄く、ベール越しにわずかに見える肌もこの国の人間としては薄い色をしている。

表情はなく、人形のように虚ろな瞳。

髪の毛も極端に短く、剃髪にも見える。

本当に人間なのだろうか。

よく出来た自動人形オートマタなんじゃないか。

ロミオがそう思うほど、奇跡の少女ブルーの生気は希薄であった。

「さあ迷える子よ、奇跡に祈るのです。」

ムラサキが胸の前で手を合わせ、ブルーに跪く。

ロミオの左腕に、ブルーの手が触れた。

ひんやりとした冷たい感触に、ロミオはぞっとした。

しかし冷たい感触は一瞬、次の瞬間にはまるで温熱湿布が貼られた時のような熱が伝わってくる。

少女の手の平が発熱している。ロミオは初め、そう思った。

しかし、違った。

少女の手は相変わらず冷たいままであった。

では、発熱しているのはロミオ自身…。

何か薬品を塗布されたのか、あるいは注入されたのか、なんらかの薬品反応による発熱か。

少女が横に来てからその手元を監視していたが手に何かを塗っているような形跡も、ましてや注射器などを持っている様子もない。

少女の手が触れたところだけが発熱している。

「どうですか、ロミオさん。腕は、良くなりまして?」

「……これは…」

「そう、これが奇跡ミラクルなのです。」

少女の手がロミオから離れる。

熱はまだロミオの腕に残っているが、ここに来た理由である腕の痺れはもう無かった。

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