第8話 出動!衛生管理調査部!
この日のロミオの仕事は、アルカディア・ケミカル傘下の病院や協力関係にある個人医院から検体を回収すること。
検体は、中層以下の住民の血液。
週に二度、無作為に選ばれた住民が調査と銘打って、血液採取を受ける。
民間企業が行っている調査であるから、この調査への参加は義務ではないのだが、故に謝礼は多く、中層エリア市民の平均的月給の約半分が支払われる。
そのため拒否する人間は、ほとんどいない。
これが各階層の、一定範囲ごとに行われており、一度に回収する検体はばらつきがあるものの二十から四十ほど。
上層エリアなら自動車を使って巡回できるのだが、道路が狭く、
検体回収の業務は、一日仕事である。
更に今日はこの検体回収の任務に加えてもう一つ、ロミオは仕事を請け負った。
特別手当ての字に釣られて引き受けたこの役目を、ロミオは早くも後悔した。
下層エリア第四階。
工場地帯である中層エリアに接するこの階層は物流の中心であり、あらゆる物資が昼夜を問わず流れている。
そして、ドーシュ内で最も活気溢れる場所の一つであった。
下層エリア中央市場。
昼は生鮮食品、夜は酒と肴を提供するドーシュ最大の屋外市場だ。
昼間と夜で客層が大きく変わる。
昼の客はほぼ女性。
だが客たちの身なりの差は大きく、明らかに下層エリアの居住者とわかる者から、小奇麗な中層エリアの居住者、果ては上層エリアで働くメイド姿の女性まで。
食品の安全性については中層エリアや上層エリアのマーケットの方が格段に高いのだが、値段は段違いに安い。
また他都市から入ってくる珍しい食品や酒類も取り揃えられており、上層エリアでは手に入りにくい嗜好品を求めてメイド達はあちらの店、こちらの店と奔走しているのだ。
様々な人間が入り乱れる中央市場を潜り抜けるのはロミオ一人であれば容易い。
一人であれば、だが。
「コンゴウ先輩!あれは何ですの?」
「コンゴウ先輩!香辛料が一杯並んでいます!」
「いい香りがします。どこのお店か気になりますよね、コンゴウ先輩!」
三歩歩く度にあれはなんだこれはなんだとロミオに質問し、その度に感動して立ち止まってしまうのだから、一向に先に進めない。
回収場所への近道として中央市場を通ろうとしていたのだが、思わぬ足止めにロミオは頭を抱える。
上層エリアから一歩も出たことはないと、出発時に言っていたものだからてっきり
『こんな不潔なところ、早く行きましょう!』
とか
『下層エリアがこんなに酷いところとは思わなかった。お仕事なんて無理です!』
となって調査チームから外れる等をロミオは期待していた。
そんな期待に反し、精肉店で無造作に置かれた豚の頭部にも微動だにしなかったし、何度か黒光りする害虫が前を横切っても悲鳴一つ上げない。
『金持ちの箱入り娘』
ロミオがエリナに抱いた第一印象はそれだったが、すぐに覆されたのだった。
しかし目に映る珍しいものに対して興味を抱くのはやはり『箱入り娘』故の無知からくるものなのであろう。
ロミオは腕時計を確認する。
診療所は四箇所回っているが、時間は予定よりも遅れている。
次は中央市場の裏通りにある診療所。
二十五メートル先の路地を曲がった先。
「ハヤマさん。予定よりも遅れている。このままでは今日のタスクをこなせない。」
「あ!すみません。見たことないものばかりでしたから、つい見とれてしまいました。次の診療所は、どこなんです?」
「あのネオンサインの路地の先だ」
「わかりました!ところでコンゴウ先輩、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「手短にな」
「ランチはいつ摂るんですか?そろそろ昼食時も終わりそうですけど…。」
時刻は午後一時を回ろうとしている。
企業が定める昼休憩時間が過ぎようとしているのだが、飲食店に入る素振りもなく、テイクアウトで済ませる気配も無いロミオにエリナは社会人として至極当然の疑問を投げかけた。
「今日の予定は午後五時までに残り八施設を巡回する。場所と残り時間から予測するに、何処かに寄って休憩する余裕はない。」
「そうなんですか!でも、それだとコンゴウ先輩お腹すきませんか?」
「さっきサンプルフードを食べたからか、そこまでだな。一食抜いたところで人間死にはしない。」
「!そう、ですか…」
ハツラツとした声とは打って変わって暗い声にロミオは肩越しに後ろを振り見た。
ため息こそ吐いていないが落胆しているのは見て取れる。
感情を素直に表すタイプは好きでも嫌いでもないが、暗い顔をしてついてこられては鬱陶しいことこの上ない。
「次の施設が終わったらテイクアウトを買うぞ。」
ロミオは再び路地の奥に視線を写したが、背後のエリナが生気を取り戻したのを背中越しに感じた。
最後の回収対象施設は下層エリア第三階のシンマチ地区の個人診療所である。
下層エリアの住民やシンマチ地区で仕事をする夜間労働者達が主な患者であり、そうした労働者は金銭面に問題を抱えているケースが多い。
故に、この診療所ではかなりの数の検体を収集できた。
血液検体をロミオは確認しながらアタッシュケースにしまい込む。
「毎度上層エリアから、ご苦労なことじゃ。」
「お茶ヲドウゾ。」
診療所の所長兼医師の老人が二人を労い、看護師兼ガードマンの女性型
「すまないが先を急」
「わぁっ!ありがとうございます!コンゴウ先輩、ご厚意に預かりましょうよ。頂きます!」
ロミオが返答する間もなくエリナは湯飲みを一つ手に取る。
会社への帰社制限時間までは余裕があり、たしかに一服しても問題はない。
午前中の遅れを取り戻すために只でさえ足の早いロミオが早足で移動したものだから、エリナは小走り、もしくは走ることを余儀なくされた。
それでも文句も言わずに付いてきたのだから、エリナはかなり頑張ったと言ってもいいだろう。
「そうだな少し一服していこう。」
「はい!お菓子もとても美味しいです!あっ!すみません、先輩に先にお召しになってもらうべきでした…」
笑顔から一転、申し訳なさそうな表情で菓子の乗った皿をロミオに差し出す。
「いいんじゃよお嬢さん。それはアンタ用じゃ。その男は甘いもんは好かんからな。」
「え?でも…」
「俺一人の時に、こんな持て成しを受けたことないぜ。全く、とんだジジイだ。」
「無愛想なやつじゃ。そんな男を労う方が難しいわい。ま、でもお嬢ちゃんはお前はお疲れのようじゃからな。医者の端くれとして、放ってはおけんよ。」
「診察ハ必要デスカ?」
「うふふ、ありがとうございます。この
「そうそう。お陰様で儂一人では賄えん程患者がわんさか来おる。かと言って
「でも、医療用はとても高いんじゃ…?」
「新品ならそうじゃな。じゃが、
からからと老医師は笑う。
「ローンが終わる前にくたばらなければ良いな。」
「あったり前じゃ!ま、生身のメイドを雇える金持ちロミオさんとは違って儂はあくせく働かなきゃならんからのう~」
「メイドさん?コンゴウ先輩の家にはメイドさんがいらっしゃるんですか?」
「そうじゃ。ヒロネちゃんという、とってもキュートでしっかりした娘さんじゃ。このドケチ男が人を雇うなんて想像がつかんがな。一体どんな手を使ったのやら。」
「勝手に言ってろ。」
ロミオは湯飲みを手に取り診察室の窓に近づいた。
視界の端でエリナがなにか言いたげにそわそわしていたがロミオはそれを無視し、ブラインドの隙間から外を伺った。
街灯やネオンサインの電源も点々と点き始め、立看板や店のシャッターが上がり出す。
まるで女の化粧のように、夜を彩る装飾が現出し、昨日も歩いた繁華街の大通りは、今は従業員らしき人影が見えるだけだが、あと一時間もすれば夜の街は本来の綺羅びやかな姿を現す。
ロミオ達が今いる医院も昼から深夜まで開いており、主な客は夜の店に勤める従業員か酒がらみの乱痴気騒ぎで怪我をした酔っぱらいである。
「そういえば、ロミオ。この前ロージィ・ナイトの従業員がきおったぞ。何やら様子がおかしかったが。」
「ロージィ・ナイト?」
老医師の出した言葉にエリナが反応する。
ロミオは、余計なことを、と心のなかで老医師に対して毒づいた。
「知り合いの店だ。シンマチ地区にある。で、なにがおかしかったんだ?」
ロミオはポケットに手を入れる振りをして、ウエストポーチの外側に付いた録音装置のスイッチを入れた。
「いや、患者はおかしくなかったんだ。調理場のスタッフが割れたガラスかなんかで手を切ったとかで。でも付き添いに来た若いやつだな。それが『教団に行こう、教団に行こう』って喚いていたんだ。そいつ酒が入っていたからな、こっちはなるべく刺激せずに話を聞いたんだわな。」
老医師は自分の分の湯飲みに手を付けた。
一口含んで、続きを話す。
「今下層エリアである宗教団体が目立っておる。本拠地はここの一層下、下層エリア第二階。教団名は『幸福の籠』だ。名前は噂で聞いていたが、信者の話を聞いたのは初めてだったよ。どんな怪我でも治す奇跡がいるんだとか。」
ロミオは録音機のスイッチを切って、口を開いた。
「オーナーからも聞いていたよ。若いのが他店の奴と喧嘩して顔に青あざ作ったってな。でも、その教団に行ったら即日、元の顔に治っていたとか。」
「儂のような下層エリアのヤブ医者にすら掛かれない人々はこぞって教団に向かうそうだ。中層エリアの人間もそうだな。そっちは骨折なんかの完治に時間がかかる怪我をした者が、ほとんどだと聞いているよ。」
老医師は淡々と述べる。
「怪我がすぐ治るなんて、なにか薬を使ってるとしか考えられないな。」
ロミオの見解にエリナが異を唱えた。
「でも、回復促進薬は骨折にはあまり効能はないはずです。」
「そうなのか?」
「はい。比較的代謝が活発な皮膚の創傷なら治りは早いですけど。時間がかかる骨や内蔵器官には、さほど。」
看護学を修了しただけあって、医学薬学の知見は広い様子だった。
「もし、なにかしらの医療行為を奇跡として触れ回っているのだったら、善良な市民を騙していることに他なりません。」
「そうだな。その教団の本拠地、詳しい場所を知っている奴を紹介できないか?ロージィ・ナイトの方には、あんまり迷惑掛けたくないんで、そいつら以外で。」
強い口調のエリナとは対照的にロミオは老医師から更に情報を聞き出そうと試みるが、老医師はニヤリと笑みを浮かべる。
「…嫌らしいジジイだ。」
ロミオはポーチから封筒を取り出す。
「ずいぶん用意が良いな。さすが下層調査官。」
「衛生調査管理部の下層環境調査チームだ。変な名称で呼ぶな。その教団の話は『上』まで届いている。情報を集めるように上司から言われていたんだよ。」
老医師は封筒を受けとると中身も見ずに引き出しに仕舞い込んだ。
「カラサキの小僧も気が利くようになったんだな。いいだろう、明後日までに教団に入っている者を呼んでやろう。ただし、入り込むならそれらしい格好をしてくることだ。」
「それらしい格好?」
「ハヤマさんには関係ない話だ。それじゃあな、ジジイ。また。」
「なんじゃ、もっとゆっくりしていけばよいのに。」
残念そうな老医師を残してロミオとエリナは診療所を後にした。
シンマチ地区の人の流れに逆流して二人は上へ上へと上る。
中層エリアから上層エリアへの
ロミオ一人であれば、アルカディア・ケミカル直通の秘密リフトを使うのだが、新人のエリナと一緒では使用が憚られる。
あのリフトが使われる任務のほとんどは、下層の孤児の回収。
先ほどの血液検体回収も、表向きは中層から下層の住民の健康管理だが、本当の目的は遺伝子の調査。
積層都市ドーシュでは劣悪な環境ゆえに、特殊な遺伝子を持った人間が稀に生まれる。
あるいは後天的に体が変化したもの…例えば細菌やウイルスへの抵抗が強いだとか、特定の化学物質に対する抗体を保持している、など。
身寄りのない孤児の血液検査はロミオとは別の職員が行っている。
勿論、それもただではない。
血液検査の代わりに、食料と衣類を彼らに与える。
そして、検査の結果『有益』な検体と判断されれば…。
あとはロミオの仕事。
都市の暗闇に紛れて拐かす。
実験室に送り込んだ後は、ロミオの知るところではない。
業界最大手アルカディア・ケミカルは多くの犠牲の上に聳え立っている。
エリナが憧れる弱者を救う、社会貢献とは相反している。
だが彼女がそれを知る余地はない。
「コンゴウ先輩、あの」
「なんだ?」
「さっきお医者様が仰っていた宗教組織ですけど、放っておくのでしょうか。人の弱みに付け込んで、騙すなんて許せません。」
「騙しているとは限らないんじゃないか。あの爺さんも言っていただろう。治るのは事実だと。」
「でも」
「実質的な犯罪被害が無ければ警察だって動けない。何より、その宗教団体に救われている人間もいるんだろ。下手に動けば、そいつらにとって俺達の方が悪人になる。」
「…」
エリナは黙り込んだ。
上層の、満たされた世界で育った者にはわからないのだろう、とロミオは思う。
何かに縋りつかなれば、明日を生きる気力さえ無い人達がいることを。
一人では生きることすら難しい環境にいる人間のことなど。
「どっちみち宗教団体の事はカラサキ主任に報告する予定だ。何らかの薬品を使って勝手な治療をしているなら、その出処を調べる必要がある。場合によっては罪にも問われるだろう。」
「!コンゴウ先輩!」
「あくまで調査対象になっただけだ。教団自体の活動をやめさせるわけじゃない。さっきも言ったが、宗教団体がらみの案件は慎重に対処する必要がある。無いと思うが、勝手な行動はくれぐれも慎むようにな。」
「はい!勿論です。」
エリナはロミオのこの言葉以降、会社に戻るまで『幸福の籠』に関する話題を出すことはなかった。
本社へ帰還後、ロミオは検体をジョウに渡し、エリナをその場に残してカラサキの元へと足を運んだ。
昨日も通った道だが、その時とは違う疲れがロミオの中にあった。
寝不足はもとより、気疲れだ。
エリナは決して手のかかる人間ではない。
正直予想よりも根性がありそうである。
しかし、あの正義感ではアルカディア・ケミカルの本当の姿を知ることは出来ないだろう。
しかも、彼女が所属している部署は、会社の暗部そのもの。
本当の姿を知って尚会社に残るのか、あるいは知らないまま別の部署に行くのか…。
遠くない未来で彼女は大きな選択を強いられることになる。
しかしロミオには関係のないこと。
彼が心を傾けるのは会社の未来でも、新人の人生でもない。
報酬、金、純金。
ただそれだけ。
今ロミオのポーチに入っている音声データもその代償になるのだ。
しかし、それがロミオの人生を大きく変えるなど彼は予想していなかった。
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