第2話 非道!?守銭奴ロミオ登場!

腐った臭いが充満する路地を男は走る。

全身黒尽くめに覆面。

どう見ても不審者であるが、ここではそれを指摘したり捕らえたりするものはないない。

下層エリア第一階、南西地区。

通称貧民エリア。

都市汚水処理施設予定地だったこの階層は、人工地盤の完成前後に他都市からの難民が占領、地盤が完成する頃には人口五百に登る『町』が出来上がっていた。

下層では最も古いこの街は、次から次へと人と物が流入し最初こそ活気に溢れていたものの、件の汚水処理施設が街の片隅に出来上がると途端に廃れてしまった。

臭いと騒音のためである。

余裕のあるものは、下層最大で、最上部の下層第四階へ転居。

それ以外の者は下の下層第二階や三階に留まった。

結果的にこの場所は下層でも行き場のないならず者や、厄介者が屯する最も荒れた場所となった。

病気や怪我で『使い物にならない者』が最後に行き着く場所…もとい、捨て置かれる場所でもあった。

だから、いかにも怪しい男が居たとしても、そしてその男が子供を追い詰めていたとしても誰も気にかけないのだ。

ボロ雑巾のようになった何かの死骸を飛び越えて男は走る。

耳に付けた小型情報端末からは『ターゲット』がこの先にいるというアナウンス。

袋小路になっている路地の先に『それ』は居る。

走って、曲がって。

また走って。

視界に『それ』を確認できたところで、男は胸のホルスターから小さな金属を取り出す。

最新式の麻痺弾パラライザーが装填された銃で、その大きさは大人の拳で隠せるほど。

旧世紀には暗殺用として暗躍したとされるデリンジャーという小型拳銃によく似ている。

手古摺てこずらせやがって」

『それ』が男の言葉でこちらを振り向いたと同時に、男は狙いを定めて引き金を引いた。

鳴り響く炸裂音と小さい悲鳴、ぐにゃりと子供それは地面に崩れ落ちる。

大人しくなった子供に近付き、男はウエストポーチからリストタグを取り出して右腕に取り付ける。

タグは一見するとゴム製のリストバンドだが、装着するとフィットしバイタルサインをその表面に映し出す。

体温、脈拍、血圧に血糖量、ヘモグロビン各量。

今回もそれは役目を全うする。

呼吸、脈拍は乱れ、血圧も高いが直前まで走っていたのだから当然だ。

しかし許容の範囲内。

「女のガキ、外見は……」

男の端末から立体映像ホログラフが眼前に映し出される。

その映像と地面に倒れている子供の容姿が一致する事を確認して男はウエストポーチから同じリストバンドを三つ取り出して手首と足首に通す。

このリストバンドは装着者が暴れれば即拘束用電流が流れる拘束具でもあった。

力なくぐにゃりと横たわる子供の身体を持ち上げて肩に担いだ。

「さて、あとは帰還するだけだ。その後は……グフフフフ。」

男は下卑た笑みを浮かべると、ここに来た時と同じように小型情報端末のアナウンスに従って暗い路地に足を向けた。

目指すのは廃棄物投下リフト。

このリフトは上層エリアから下層エリアの廃棄物処理施設まで塵を投下する設備であるが、その実男の『仕事』の為に使われる移動手段でもあった。

上層エリアのある企業のビルと、この投下リフトは直結しており、誰にも見られることなく下層エリアへ行くことができるのだ。

『認証を行います……どうぞお入りください』

機械音声に従って、男は覆面から唯一露出している目を制御盤のカメラに向けた。

網膜パターンによる認証装置。

極々限られたメンバーのみこのリフトの『下から上』を使うことができ、勿論男はその一人。

昇降機のボックスに入るや霧状の薬品が散布される。

衛生状態の悪い下層エリアから上層エリアに上がるためには、この消毒が必要なのだ。

まして、今から行く先は『製薬会社の実験室』だ。

無菌ではないにしても、できる限り除菌してから足を踏み入れる必要がある。

男は無言のまま、エレベーターが上りきるのを待った。



「いや、だ、助けて…!助けて!!ぎゃっ!」

「暴れるな。暴れたら余計に痛いぞ。」

ビルの目的階に着くか着かないかというところで、子供が眼を覚ました。

男の表情はマスクで隠れて解らないが、鬱陶しいことこの上ないといった視線を子供に向ける。

子供は逃れようと身を捩るが、その度に装着したリストバンドから電流が流れ、ビクビクと小刻みに震える。

「だいたい、あんなゴミ溜めに比べれば今から行くところは天国みたいなところだぞ?ちょっとは嬉しそうにしろ。」

「や、だ。離し、て。」

男が慰め言葉を言うが、子供は気付いているのだろう。

決して、よい扱いをされることはない、と。

無理もない。

いきなり覆面の男に追いかけられて、銃を向けられ昏睡。

そして上層エリアに拉致されたのだから。

しかも自分自身が『奇病』ともくれば、物心ついた子供であれば、この後の展開は容易に想像がつくだろう。

「下層環境調査および衛生調査管理部所属嘱託職員、ロミオ・コンゴウ、帰還しました。」

男は目的地に到着しドア横のタブレットに手を当てた。

数秒の認証の後にドアはプシュ、と音を立てて開く。

白い部屋である。

真四角の部屋の真ん中には、医師が使う診察台とバイタルサインをチェックする機材。

ワゴンには様々な薬品や処置器具が置かれている。

一見するとそれそこ病院の診察室であるが、壁に隙間なく連なる本棚と薬棚、それに一角に設けられた巨大なコンピューターとモニターの存在が、この部屋が研究と実験を目的にしているのだと物語っている。

「お帰りロミオ。待っていたよ。」

「ようジョウ。相変わらず暇そうだな。」

男は部屋の真ん中に置かれているストレッチャーに子供を下ろす。

子供は様子を探ろうと眼だけをキョロキョロと動かして回りを見る。

「目が覚めたのか?」

「みたいだ。麻痺弾パラライザーはいつも通りの投与量だが、こいつには効きが悪かった。…にしても、毎度ながらこれ、意味あるのか。」

男は覆面を外し、じっとりと掻いていた汗を脱ぐった。

やや長めの前髪を後ろに撫で付け男は、ロミオは覆面をジョウに投げた。

「下層はどんな病原菌があるか解らないからね。こうしたマスクを着けないと感染の危険がある。と、所長がおっしゃるからね。」

「実際はどうなんだ?」

「目下調査中さ。で、麻痺弾パラライザーの利きが悪かったって?まあそんな予想はしていたが、やっぱりか。」

「あ?予想してたって、どういうことだ。」

「元々、『薬品に対する抗体がある』と報告が入っていた。体に害をなす毒物は勿論、栄養補填剤とか身体の為にもなる薬に対してもだ。だから麻痺弾パラライザーも効くかどうか…ってね。」

「なんだそれ。ちゃんとそう言うの連絡しとけよ。もし効かなかったら連れてこられなかったんだぞ。」

「だがお前は連れてきた。それにパラライザーが利かなくても、お前ならなんとかするだろうと信じているからな。俺は。」

ジョウの笑みに、ロミオはあからさまな不満を顔に浮かべる。

「失敗時のペナルティが無いとは聞いているが、俺はタダ働きが嫌いだと言っているだろ。今度から『獲物』の情報は全部よこせ。でないと受けないからな。」

「分かった分かった。そう怒るなよロミオ。」

ジョウは、やれやれ、と肩をすくめる。

「所長は上か?」

「ああ。お前の帰りを首を長くして待っていらっしゃるよ。」

「そうか。じゃ、報酬をもらってくるとするか…そういやジョウ。お前今日晩飯はどうするんだ?」

ジョウは眉を顰める。

「今日はやることがあるからここでインスタントさ。」

「気分転換は必要だぜ?外で食わないか?」

「お前なあ…とにかく今日は無理だ!ってか毎回毎回奢らせようとするな!自分の金で食え!!」

「なんだよ、ケチ…んじゃあな。明日は付き合えよ。」

「考えといてやる。ただし金はもう払わんぞ!」

「チェッ、ケチ……ん?」

ロミオは踵を返して部屋を出ようとするが、後ろから服を引っ張られて立ち止まった。

振り向いた拍子にそれはあっけなく外れたが、誰が引いたかは分かっていた。

ストレッチャーの上で身を横たえる子供だ。

自分の運命を嫌でも理解したのだろう。

涙が止めどなく溢れて、虚ろな目でロミオを見つめる。

「俺はお前を助けたりはしない。じゃあな。」

何かを言いかけた子供に被せる様にロミオは言い放つ。

実際、ロミオが何かしたところで子供がこの場所から逃れることはできない。

あの子供はこの企業にとっては大事な研究対象である。

この都市の外であるなら金を積んでも手に入らないが、この都市では手に入るモノ。

ここでは下層の子供が一人消えたところで、誰も気にしないからだ。

そんな、人の命が軽い場所なのだ。

この都市ドーシュは。

ロミオは上階行きのエレベーターに乗り込んで目的階を押す。

すぐに指紋認証を要求されるが、彼は勿論クリアする。

しかし消毒とばかりに再度、霧状薬剤を振り掛けられて眉をしかめた。

このビルに戻った直後も散布されたからこれで二回目。通過儀礼とはいえ、慣れないものだと溜息を吐き咳き込んだ。

長いエレベーターの後は長い廊下。

そして美人ではあるが尊大な女上司。

疲れている時に会うのは辛いものがあるものの、ロミオはその後に待つ報酬の事を思い出し一人口角を上げた。

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