守銭奴ロミオと青い鳥

千夜

第1話 プロローグ

巨大な窓の外には、絶景と言っても差し支えない光景が広がっている。


足元に星がある。


初めてこの部屋から外眺めた時、男はそう思った。

積層都市ドーシュは高度な産業を構築するために高密度多機能都市として設計された巨大な建築物である。

上層エリア、中層エリア、下層エリアの三つに区分され、更に各エリアに幾つかの人工地盤が設けられている。

外の住民はこの都市を『巨大なパイ生地』とも呼んでいる。

上層エリアには都市の中心であり、実質的な支配者である巨大企業が軒を連ね摩天楼が何本も聳え立つ。

上層エリアの中でも一際高い地盤に建造され、自身の高さもこの都市随一であるビルーアルカディアケミカル・ドーシュ・ビルディング。

業界にその名が轟く、巨大製薬会社のビルは、支社とはいえ、その名に恥じぬ構えを都市の一角に見せる。

ビルの最上階は幹部の執務室になっている。

部屋の主の趣味に染まるその部屋は高価な調度品が設えられて、部屋に来る人間を威嚇する。

大陸の奥地の山嶺にしか生息しない絶滅寸前の雪豹の剥製。

巨大な鷲の剥製。

翡翠と珊瑚で作られた『桃源郷』を模した彫刻に、象牙の天使像と、古今東西の垣根を超えた宝物がところかしこに置かれているのだ。

男が最初にこの部屋に来た時、随分と驚いたものだ。

自分がこれから働く会社の上司が、こんなにも趣味が悪いとは!と。


それから三年。

男は何度となくこの部屋に呼び出され、今では日課にも近い作業を行う。

「先ほどお送りした資料は、お読みになられましたか?」

「ざっと、でもあなたの口からも説明をちょうだい。ドクター・キリシマ。」

「分かりました。ホノサキさん。」

男-ジョウ・キリシマは撚れた白衣の襟と、少し乱れた黒髪を少々、整え手に持った資料を読み始めた。

「昨日検体一〇七に投与したEノ五号ですが、予想通り血中赤血球の増加を引き起こしました。複数の別検体に投与し再現性を確認したのち、臨床実験に入ります。別検体については現在十代男女が二人用意出来ています。これを使います。……また別件の報告もありますが、こちらはいかがでしょう。」

ジョウは書類から目を放し上司を…アルカディア・ケミカル・ドーシュ研究所所長兼支社長であるユイカ・ホノサキを見る。

ホノサキは女でありながら巨大企業の心臓部ともいえる実験部を統括し、社内でも権力をもつやり手の人間である。

また年齢も三十代前半と若く、アルカディア・ケミカルの創始者一族の一人ということを抜きにしても優秀な人間であった。

ホノサキは鮮やかな口許を僅かに上げてジョウを見つめていた。

言葉はないが、説明を続けろという意思表示だということは、ジョウはこの数年間で理解している。

「下層で奇妙な噂が飛び交っているようです。ええ、奇妙な噂です。」

「噂、ねえ…一体、どんな噂かしら、ドクター。」

「なんでも、『配布される栄養補充材には毒が入っている』とか。『奇病を発症した子供が消える』などです。以前からありますが、また最近振り返したようです。」

ホノサキは大袈裟に溜め息を吐いて見せる。

下らない、と吐き捨てて。

「私たち上層エリアの人間がいくら心を砕いても、下層の者たちは感謝すらしないのね。所詮、私たち上層の富にぶら下がる虫でしかないのね。それにしても、下らない噂を私に聞かせるためにこの報告をしたのかしら?ドクター・キリシマ?」

「勿論この噂が主題ではありません。…最近、下層で『宗教』が流行しているのはご存じですか?」

「宗教?」

「はい、そうです。しかも、新興宗教です。その信仰はすべて『舞い降りた奇跡』に捧げられるとか。」

「舞い降りた奇跡?何かしらね?何か、情報が?ドクター?」

「ええもちろん。ですがまだ噂だけ。これから詳しく調査を行いたいのですが、彼らにお願いしようかと思っています。下層をよく知る彼らに。」

ホノサキは頷く。

鮮やかな口を歪め、目を細めてジョウを見る。

「ええ、許可するわ。でも彼らを使う以上必ず『成果』を出しなさい。それが条件よ。」

「勿論です。それ相応の土産をご期待ください。」

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