*28* 慌ただしい一年の終わりと、新たな約束。
吐き出す息が手に取れそうなほどしっかりと濃い白色になって、暗く冷たい空気中に留まる。フワリと漂った後に輪郭が朧気に解けていく様を見るのはなかなか趣深い。
まだ薄暗い早朝――何となく目覚めてしまった僕は、そんな風に自分の中から溢れる人工物の雲を眺めていた。
「今日は雪が降りそうだな……」
ポツリと漏らした独り言に、背後から「そうですね」と返事があったことに驚いて工房の裏口を振り返ると、そこには全身を防寒装具の見本市のようにしたパウラの姿があった。
「ふ……っく、パウラ、寒いなら、中で待っていればいいのにっ――」
駄目だ――! 笑ってはいけないと腹筋に力を込めれば込めるほどに笑いのふれ幅が大きくなっていく。
「マスター! そこまで肩を震わせるくらいなら、いっそもう笑って下さい」
そう言って、たぶん顔を覆うマフラーの下で唇を尖らせているのであろうパウラが、少しふてくされた気配を引きずって近付いてくる。
「ふ……っふふ、すまない、これは、決して可笑しくて笑っている訳ではないんだ」
「そんなに笑っておいて、今さら言い訳はなしですよ?」
「違う違う、本当に――何だか可愛いなと思って」
「か、可愛い……?」
頬をフカフカのミトンをはめた手で押さえるパウラを見てさらに笑いが零れたが、今度はお叱りを受けずに済んだ。そのまま僕の隣にやってきたパウラは「まだ体調が万全ではないのですからね?」と小言を言うが、どうやら怒ってはいないようでホッとした。
今のパウラの格好はもうすぐある“
年を跨ぐ時にその分厚い衣を脱ぎ捨てて、新年を招くたおやかな
――黒いバックに映える白い雲は、僕の口からしか生まれなかった。
僕の口から零れるこの白がなければ、彼女と同じなのに。それとも彼女からこの白が零れれば、僕と同じだったのだろうかと。そんな詮無いことを考えながら、並んで空を見上げる。
ふと右手に重さを感じて視線を落とせば、パウラのフワフワミトンをはめた手が僕の手を握っていた。僕も無言でその手を握り返す。偽“六華選”事件から一月半が経ち、僕とパウラを取り巻くものが徐々に姿を変え始めていた。
あの事件の間にどこにいたのか、何をされたのか――僕にはその記憶が何も残っておらず、主犯の男達も証言に曖昧な部分が多数見受けられるとして、この一月半事件の捜査は完全に手詰まり状態だ。
けれど悪いことばかりでもない。二号店のヴェスパーマンには大変な世話になったし、口をきいてみれば扱っている商品が似ていることもあって、話が大いに盛り上がった。
……それでも肝心な部分で馬が合わないことはままあるが――。
それでも以前のようなギスギスした雰囲気はなく、論を競わせる仲間としてコンラートと三人それなりに上手く付き合っている。女性ポーション職人仲間としてシェルマンさんとロミー、そこにパウラも加わってこちらもなかなか楽しそうだ。
それとシェルマンさんにはお礼も兼ねて、例のパフュームの生成方法を全て譲渡することにした。やはり自分の身の丈に合わないところにまで範囲を広げるのは、性に合わなかったからだ。
そもそも、パウラから目を逸らせる為だけに立てたはずの計画に思いもよらなかった反響があったせいで少し調子に乗っていたのかもしれない。それなので、ここはきっぱりとパフュームの生産から手を引くことに決めた。
しかしその時に丁重に断ったのだが、シェルマンさんは売上の三割を僕の店の取り分として受け取らなければ手を引くことは許さないと言う。
なので、僕達はそのお言葉に甘えて三割を頂くことにした。
実際そうしておいて良かったと思うのは、三割の収入は確保されているぶん、調合を行う時に失敗を恐れずに冒険が出来る。高価なアイテムを少しずつ買い溜めて“新作のポーションに極少量加えればどうなるのか”といった試みや、いざ販売する際になってもそこまで必死に材料費の回収に頭を悩ませなくても済む。
その結果売れなさそうなポーションが出来ても、パウラと笑い合う余裕が生まれた。売れなくても、使えなくても。
このことで長くずっと僕の胸の中で眠り続けていた探求心に火がついた。埋み火のようなその火は、次第に炎の大きさに育っていく。
そんな風に良いことも、悪いことも内包して。
僕達の“世界”は広がり、膨らみ、円熟していく。
「――パウラ」
空を見上げたまま名前を呼べば。
「何でしょうか、マスター?」
空を見上げたままそう答える声がある。
フワフワミトンをはめたパウラの手を握る手に僅かに力を込めて、胸の中にある言葉を白い吐息と共に吐き出した。
「年が明けたら、今度は……今度こそは逃げないで、本気で中間評定に挑もうと思うんだ」
僕の言葉にパウラがフワフワミトン越しにでも分かるくらい強く握り返してくる。その強さに勇気付けられてかじかむ頬とは裏腹に舌が滑らかに言葉を紡ぐ。
「最初の頃に言ったと思うけど、月に一度の中間評定は最高値を+60に決めている。それ以上の点数になるには、半年に一度ある一号店主催の評定会に出なければならない」
「そこで“この評定会に出るには最低でも中間評定で評価+50以上を計五回、もしくは最高評価の+60で連続三月分取らなければならないんだ”でしょう? 勿論、一言一句しっかりと憶えております、マスター」
僕が少し躊躇った言葉の続きを、意図も容易くそらんじるパウラの、穏やかで優しい声。互いに空を見上げていたはずの僕達の視線が絡み合う。
金色の瞳が真っ暗な背景から浮き上がり、まるで夜空に浮かぶ月のように神々しく妖しい光を放っている。その目が悪戯っぽく笑みの形に細められると、萎れかけていた自信が枝葉を茂らせ始めた。
「あぁ、だから……年明けの中間評定開始から一月を店のストック作製に、二月と三月を採取期間に割こうと思う。そして残りの月で連続三月分を最高評価の+60で通る。難しいけれど、今の僕達なら出来なくはないはずだ」
中間評定で+50以上は連続して取らずとも良いが、最高評価は連続三月が絶対条件。先の二月を全て採取に回す行為は即ち、一度でも最高評価を取りこぼせばその年の一号店主催の評定会に出る機会は失われるということだ。
「一緒に本店の連中に認められ――いや、認めさせに行こうパウラ。他の皆と順位や点数を争いたい訳じゃないけれど……僕は、競い合いたい」
そう言ってパウラに向き直った瞬間、腕の中に彼女が飛び込んできた。急なことで思わず後ろに数歩たたらを踏むが、何とか倒れずに踏み留まる。僕は腕の中に収まる宵の妖精と見紛う格好をした彼女の頭に顎を預けて、苦笑しながら「来年もよろしく、パウラ」と囁けば、顎を乗せた頭が小さくコクリと頷いた。
***
「よし二人とも、次の目印になっている大きな
先に危険がないかを探りに行っていたオットーは、戻ってくるなり僕達を見てそう言った。僕達の後ろで後方からの敵に備えていたハンナも、リーダーであるオットーの提案に頷く。
「まださっきの休憩から二時間位しか経っていないだろう」
「ヘルムートさんの言う通りです。オットーさん、それにハンナ。こちらは高い契約金だって払っているのに……もう少しキビキビ採取したいです」
僕とパウラの要求に対し、オットーとハンナは二時間前と同じ様に苦笑しながら首を横に振る。まぁ……口ではそう言っていても、実際には本物の冒険者の体力に採取に慣れているとはいえ、一介のポーション職人の体力が及ぶべくもない。
本音は一度でも座り込んでしまったら、再び立ち上がることがこの上もなく困難だからだ。出来れば座りたくない。そう思わせるほどに膝やふくらはぎの筋肉が張っている。
「あまり無理をすると大物が採れそうな奥地に向かうまでにバテるぞ? そうなったら俺達は君達を担いで近くの町まで戻ることになるな。そうするとだ……今回の費用だとちょっとここまで戻ってくるには足りん」
「そーそー、慌てるナントカは稼ぎが少ないんだぞー。ちょっと休憩したらまたすぐ出発すれば良いじゃない? それにオットーは荷物ごとヘルムートを背負えるだろうけど、アタシはさすがにパウラと荷物を一気に持ち上げるのは無理だもん」
微妙に意地の悪い忠告をするオットーとは違い、ポンポンとパウラの背負うザックを叩いてニッと笑うハンナの言葉には裏がなくてこちらも素直に頷きやすい。
パウラと顔を見合わせて頷き合った僕は、疲れで下がった肩からずり落ちてくるザックを担ぎ直して「分かった」と短く答えた。その返答に満足そうに頷くと、オットーとハンナは再び僕とパウラを間に挟む形で歩を進める。
いま僕とパウラは去年末の約束通り、一月の内に店舗分のポーションのストックを大量に製造し、溜まっていたギルドからの依頼を片付けてここに採取にやって来ていた。
最近巷で大人気だとかでなかなか護衛の依頼が頼めないらしいオットーとハンナに無理を言って同行してもらっているのは、何も彼等が高ランクの冒険者だからという訳ではなく、素材の採取場所選びにセンスがあるからだ。
旅先から工房に送られてくるアイテムはいずれも珍しくて薬効も高い。だからそんな物をホイホイと送ってこられるだけの嗅覚があると見込んで、高い契約金を支払っている。それも“友人価格”なるものでだいぶ安くしてもらっているので、あまり無茶を言って困らせるのも気が引けた。
今回採取に訪れている場所は一見すれば真っ白な雪と、その雪と見紛うばかりの白亜石ばかりが転がる山地だ。その中からほんの僅かしか産出しない青い白亜石を探しにきたのだが、先ほどオットー達が見ていた地図を覗き込んだら以前見たとされる場所までまだかなりの距離があった。
足場が悪く体力の消耗も激しいので、おいそれと持ってきたポーションと星明糖を口にするわけにもいかずに細かな休憩を挟むものだから気ばかり焦る。二月はまだまだ寒い。だというのに額からは汗が滲む。
休憩中に冷えれば体調を崩すとあってなかなか気も休まらないが、仕方がない。知らず零れた溜息を前方を歩くパウラが聞きつけて僕を振り返る。雪の積もる中での寒さは僕よりもずっと堪えるだろうに、パウラは綻ぶような微笑みを向けてくれた。
無駄口を叩けば肺に冷たい空気が入って体力を余計に消耗してしまうので、四人とも無言のまま黙々と歩き続け目印の白亜石を目指した。
だから先を行くオットーが振り向いて「ほら、見えたぞ! あれだ」とその一際大きい白亜石を指差した時は――これからもっと冒険者の為に、持続性の高いポーションを開発しようと心に決めた僕とパウラだ。
火を興して汗で湿気った服を乾かし、簡単な食事と貴重な“星明糖”を口に入れてから小一時間後。立ち上がろうとして子鹿のように震える僕達を見たオットー達の爆笑が辺りに木霊したのは、言うまでもない……。
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