*29* 固定概念は外部からの攻撃に弱い。

 あれからさらに二時間歩き続けてようやく辿り着いたそこには、同業者が見たらさぞ驚くであろう上質の青い白亜石サレットが幾つも無造作に転がっていた。


 フラフラと吸い寄せられるように目当ての白亜石に近付く僕の背後から「ふふん、どーよ。凄いでしょ?」というハンナの得意気な声が聞こえる。僕は振り返ることもせずに「あぁ、本当に」とだけ答えて青い白亜石のある手近な一角に近付く。


 最初に白亜石の産出場所があると聞かされた時は、正直そこまで期待していなかったので二、三個入手出来るだけでも……と思っていたのに目の前の光景でそんな考えは吹き飛んでしまった。


 ここに至るまでの道のりが帰りも続くことは分かっていても、血が騒ぐ。出来るだけ多く持ち帰りたい気持ちにならないはずがない。それでも全てを採取出来るわけもないので、膝を付いて選別作業に取りかかる。


 純粋な青に染まった物だけを選び取って行く僕の隣にパウラがしゃがみ込んで、オットー達に見えないように青い白亜石を一口かじった。


「ちゃんと美味しいです。上質な物で間違いありません。良かったですね、マスター」


 親指と人差し指で丸の形を作ってパウラが微笑む。彼女のお墨付きを貰えたことで安心した僕は、オットー達に本格的に採取に取りかかる旨を伝えてザックを下ろした。僕達が採取をする間、オットー達は周辺の警戒をしていてくれるので安心して好きなだけ白亜石を吟味していられる。


 しかしどれくらいそうしてパウラと石を選別していたのか――少し、後ろが騒がしい気がして振り返ると……。


「――お、ようやく気付いたか? 敵襲の最中でどれだけ採取に熱中してんだ。さすがに心配になるぞ。あと、パウラさんも、ちゃらっと危なくない場所に誘導しながら採取続けさせちゃいかんだろ」


 オットーは声に苦笑を滲ませつつも、敵に隙を見せないで牽制して間合いを計っているようだ。そのオットーの指摘に隣のパウラを見やれば、彼女は悪びれずに「その為にお金を払って雇っているのですから、頑張って下さい」と言い放つ。


 彼はパウラの言葉に気を悪くする様子もなく……というより、思いがけずやや苦戦しているのか? ハンナが向こうで応戦している。けれどこの白一色の世界で戦闘の為とはいえ、宙に舞う彼女の赤い髪はまるで情熱的な火の妖精が踊っているように見えた。


 その動きは大型の猫科を思わせるしなやかでいて、無駄がない流れるような攻撃。


「オットー、今更で悪いんだが……僕達は何に襲われているんだ?」


 オットーは僕達の側から動かず呆れたように肩を竦めた。しかし視線は一切敵とハンナから逸らさない。


「キラー・ラビットだよ。レベル自体はそう高くないモンスターなんだが……何せすばしっこいし、的としては小さい。俺はあまり相性が良くない相手だ。だからまぁ、厄介と言えば厄介な相手だな」


 キラー・ラビットは名前の通り、普通の野ウサギよりも二周りほど大きい肉食のモンスターだ。無論、見た目がウサギに似ているだけで全くの別種である。戦闘力は駆け出しの冒険者がたまに餌食になる位なので、僕やパウラだけであれば充分脅威になりえただろう。


 素早い動きで獲物を翻弄して弱らせながら、徐々に傷を負わせていく戦法のキラー・ラビットが相手では、確かに装備の重いオットーには少々分が悪い。


 適材適所という点で、素早さと攻撃の手数の多さが売りのハンナ一人に相手をさせているのも頷けた。僕とパウラが敵から距離を取ったことで、オットーもハンナの援護に向かう。


 援護にやってきたオットーを見たハンナが「え~、まだ遊びたい」と文句を言っているのが聞こえたものの、オットーはあっさりとその申し出を無視して、ハンナとのダンスで疲れ切っていたキラー・ラビットの首を切り飛ばした。


 キラー・ラビットは冬場は保護色になっている体毛が雪のように美しい。今回オットーに首を飛ばされたキラー・ラビットは、なかなか強い個体だったのかフカフカできめが細かい上質な毛だった。


 幸い近くにあった川も、ほんの僅かではあるが凍りきらなかった水が流れている。そこでそのまま捨てて行くのは惜しいとのことで、オットーが丁寧に剥ぎ取ることになった。


 剥いだ毛皮の内側を雪で擦って血を拭っていく様は、がたいに似合わず繊細で驚かされる。その間、僕とパウラは選別しておいた青い白亜石をどうやって大量に持って帰るか頭を悩ませ……気付いた。


「……ん? そうか、別に鉱石の形のままに拘らなくても良いのか」


 ――と、いうわけで。


 僕とパウラはポーションを調合出来るように簡易の調合キットを持って来ていたので、その場でザックの中から乳鉢と乳棒、それに小さな金槌を取り出す。要はここで持ち運びのしやすい形に加工しようという考えだ。


 まずは青い白亜石を砕いて乳鉢と乳棒ですり潰して粉状にする。こうすることで鉱石のまま持ち帰るよりもグッと嵩が減って持ち運びやすくなるだろう。その隣ではオットー達が皮を剥がれて最早ただの大型のウサギ肉になってしまったキラー・ラビットを腸を除いて本格的に調理の準備をしていた。


「今から引き返してたんじゃ余計に危ない。一応二日分位の野営の準備はあるから、今日はここで野宿にするか」


「あぁ、こちらもまだ採取し足りないからそうしてくれると助かる」


「じゃあ決まりだ。現れた獲物がキラー・ラビットでついていたな。これだけ大物だと持ってきた食料を使わなくても何とかなるだろう」


 オットーはそう言って豪快な笑みを浮かべるのだが、その隣ではハンナが盛大に溜め息を吐いている。どうしたのかとパウラと顔を見合わせていると、ハンナは嬉々として今夜の夕飯になるキラー・ラビットを、大きめの一口大に捌いているオットーに向かい口を開いた。


「ねー……また塩だけで味付けするの? それだとしとめたばっかりの獣肉の臭味が消えないから苦手なんだよね~」


「ハンナ、そうは言うがな、お前が遊んでストレスを与えなかったらもう少しマシな肉質だったんだぞ? それに肉が手に入っただけで御の字だ。わがまま言ってないで、諦めていつも通り塩焼きにするぞ!」


 この話は終わりとばかりに、捌いたばかりのキラー・ラビットを串に刺していくオットーをジト目で眺めていたハンナも、そう言われては立つ瀬もなくなったのか渋々と串に肉を刺す作業を手伝っている。


 パウラはそんな二人に「私はベジタリアンですから持参した食事をとります」と宣言し、ザックの中から“それっぽく見える”ように加工した鉱石と、粘土を練り固めたクッキーを口にした。


 恨めしそうな視線でそのクッキー擬きを見つめるハンナに“分けて”と言われる危険性を感じたのか、パウラは咀嚼そしゃくしていた口許を隠しながら僕の方を見た。


「……そう言えば、ヘルムートさん。今回効力を確かめる為に持ってきたポーションの試作品の中に、柑橘系の酸味があるものがありましたよね?」


 突然そんなことを聞かれて疑問に感じたものの確かに持っている……というか、身につけている。まだ試作段階で店に並べられないが、効能は極小な体力の回復。


 極小なのには訳があって、工房の常連である女性の子供が極度の虚弱体質なので、その体質改善の為に毎日服用出来そうなものを目指したからだ。僕はザックにそのまま入れては持ち運んでいる間に割れてしまう恐れのあるポーションを、試験管に詰めて身体に弾倉のように連ねて防寒着の下につけていた。


「あ、あぁ、それがどうしたんだ?」


 防寒着の上から試験管を押さえて……何となく先は読める気がするが、念のためにそう訊ねてみる。


「それをこの獣臭い肉にかけて食してみては如何でしょうか? それなら多少は臭味も気にならなくなるかもですし、そのまま食べるよりは幾分体力を回復させられるかも知れませんよ?」


 その答えを聞いて“やはりな”と感じる一方で“その手もあるな”という考えも浮かぶ。医食同源の精神とでも言えば良いのだろうか。少し可能性を感じる使い方ではある。


「え、何、そんな便利そうなものがあるの!? だったら少し分けてくれないかな? お金はちゃんと払うからさ」


 余程このキラー・ラビットの肉を塩焼きで食べたくないのか、異様な盛り上がりを見せて詰め寄ってくるハンナに少し引く。


「おいおい、ハンナ。ヘルムートが怯えてるだろう。もう少し慎ましいおねだりが出来ないのか?」


 諭すようにそう声をかけてくれたオットーの方に助けを求めて視線を向けたが……駄目だ。口では諭しつつ、ハンナと同じ目をしている。パウラは二人の視線が僕に集中しているのを良いことに、クッキー擬きをリスの如き速さで平らげてしまった。


 まさか自分の食事の為にパウラが僕を売る日が来ようとは。こうして自立していくのだな、と感慨深い一方で裏切られた気分を味わう。


「あー、もう、分かった分かった。どうせまだ試作段階だし、お代は結構だ。僕達の夕飯の味が少しでもマトモになるなら好きに使ってくれ」


 もう諦めて防寒着の下から取り出したポーションを、オットーとハンナは恭しく受け取って調理を再開した。僕も食事を終えたパウラと一緒に白亜石の加工に取り組む。二十分もする頃には、食欲をそそる香りのウサギ串が十数本出来上がった。


 串に刺して塩をまぶした肉を一旦軽く炙ってポーションに浸す。それをもう一度炙って……という工程で焼かれたキラー・ラビットは、何を食べ てこの大きさに育ったのかに思いを馳せなければそれなりに美味だった。


 お腹も落ち着くと、今度は体温を上げる為に僅かながらも酒をあおる。日が落ち始める前にオットーが持参した簡易テントを張ってくれた。


 中は思いのほか広くて、驚くことに防寒もしっかりしている。何かしかの魔法がかけられているのだろう。なるほど、冒険者としての格が上がるとこういう所で使えるお金が増えるのか。


 女性陣を先に休ませてオットーと二人、焚き火の番をすることになった。とはいえ、僕に戦闘力は皆無なのでハンナが起きてきたら彼女と交代で眠ることになっている。その間オットーはテントの入口付近で眠ることになっているのだそうで、少し申し訳ない気分だけれど、そのことを謝罪すると「それが仕事だ」と笑われた。


「いやー、それにしても今日の夕飯はヘルムートのお陰で随分美味いものにありつけたな」


 現在焚き火を目の前にオットーと二人で火の番をしているのだが、彼は先ほどから上機嫌で僕とパウラの功績を大袈裟なほどに称えてくれる。もしかするとさっきのポーションが作用しているのだろうか?


「いや、そんな……オットー達がキラー・ラビットをしとめてくれたお陰だ。それに本当ならとっくに街に戻れていたはずなのに、こちらの体力が至らないせいで申し訳ない」


 オットーに向かってそう頭を下げるが、反応がない。気分を害したのかと思って顔をあげると、そこにはじっとこちらを観察しているオットーの姿があった。


「君は――何というのか、勿体ないな」


「……え?」


 急にかけられたその言葉に、思わず眉根を寄せる。しかしそんな僕の表情を見たオットーからはこちらを馬鹿にするような空気は感じられない。


 それどころかこちらの表情が曇ったのを素早く感知して「あぁ、誤解しないでくれ」と苦笑する。僕は彼の言わんとするところが分からずに、自然と探るような視線を向けてしまう。


「なぁ、せっかく街を出て来たんだ。明日は足を伸ばしてこの山の反対側に抜けてみないか? ポーション職人は今回みたいなことでもない限り、あまり所属する街から出ないものなのだろう? だったらこの機会に違う街の違う工房を見て回るのも良いと思うんだがな」


 冒険者であるオットーにしてみれば何でもないその一言は、まるで。


 まるで、クロスボウの一撃のように僕の胸を貫いた。


「……あぁ、でもまぁ、そうか。これはただの俺の言い分でしかないな。本人が気乗りしないことを勧めるのも野暮か」


 僕の反応が一拍遅れたことを無関心と捉えたのか、一瞬覗かせた興奮をすぐに恥いるように仕舞い込もうとするオットーの言葉に、知らず腰を浮かせていた。


「いや、オットーの言う通りだ。今まで考えたこともなかったが、そうだな。他の街にも、まだ知らないポーションの調合のヒントがあるのかも知れないのか」


 何故そんな簡単なことを思いつかなかったのだろうか。同じ環境、同じ顔触れ、同じ技術……その先にあるのはただの“停滞”だ。パウラと出逢ってからこの方、色々な概念が姿を変えていくところを目にしてきた。その僕が変わらないことが急に不自然に思えてくる。


「オットー、その意見に賛成だ。超過料金はきっちり用意する。だから、僕達をその街に連れて行ってくれないか?」


 脳が酸欠を起こしたように痺れて、言葉を紡ぐ暇すら歯痒い。気圧されるように目を見開いていたオットーが豪胆な笑みを浮かべて差し出した手を強く握り返す。翌朝、僕達は来た道とは反対の道を、まだ見たことのない“可能性”を求めて歩き出した。

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