*26* 身にない憶えは“造られる”。
男達に連れられて訪れたのは、不衛生な地下牢でも、人里離れた尖塔でも、離島に流す為の船着場でもなかった。
――何のことはない、僕が黒ずくめの男達に連れて来られたのは見慣れた【アイラト】本店の裏口。
最近では中間評定にすら顔を出していなかったので、結構久しぶりに感じる。しかし早朝の為に店の周辺を掃除する見習い達の姿もまだない。場違いなことにここに立って思い出すのは見習い時代の朝だ。
あの頃と少しも変わらない周囲に視線を巡らせていると、リーダー格の男とその他に二人が抜けて本店の中へとその姿を消す。残された三人は僕と談笑する気はないのか、僕が逃げないように周りを取り囲んで警戒するだけだった。
しかし、まさかこんな風に“罪人”として本店を訪れる日が来るとは考えてもみなかったが……不思議と思ったほど何の感慨も浮かばない。それどころか僕のノミの心臓は驚くほど穏やかな鼓動を打っていた。
誰かが僕を“罪人”に仕立てたがっているのか、それとも本当に無意識下のうちに僕が本店や他店の不興を買うヘマをしてしまったのか……。どちらにせよ他者との接点を多く持たない僕には、すぐに思い浮かぶような特筆すべき事案がなかった。
まだ何も明らかになっていない現状で僕が“罪人”ではないと信じてくれている人が、少なくともこの世界に一人はいてくれる。そんな事実だけで、このノミの心臓は気分良く働いてくれるらしい。
気を取り直して今度は周囲を眺める視線を本店に向け、その姿を仰ぎ見る。
もともと僕は偏屈で周囲に溶け込もうともしない、そのくせ人一倍怖がりな孤児だった。そんな僕を拾ってここへ連れてきてくれた恩人の顔を、僕は残念ながらほとんど憶えていない。大体からして何故そんな取り立てて優れた所がないどころか、他より劣った子供だった僕を選んだのかすら定かではないが――。
ただ……握ってくれた掌の柔らかさと、子供ながらに“優しい”と感じた声から女性だったような気がする。そんな靄がかかったように朧気な記憶を早朝の冷たい空気に晒されながら遡っていると、周囲を警戒していた三人が動く気配がした。中に姿を消した三人が戻ってきたようだ。
再度集結した六人は無言で頷き合うと、リーダー格の男は僕の方を振り返り「ついて来い」とだけ簡潔に口にする。
“罪人”として連れて来られたのだと理解していたが、意外にもまだ拘束らしい拘束はされていない。拒否権のない僕は、まだ自由なままの両手を身体の前で低く上げて同行する意を示した。六人は再び僕の前後に三人ずつ振り分けられ、物々しい列をなして本店の中へと足を踏み入れる。
人気のない店内に明かりはなく、店内の一部に毛足の長い絨毯をひいてはあるが、全体を見ればほぼ大理石が剥き出しの床だ。夏なら問題はないがさすがにいまの季節、そんな床から上がってくる冷気は店全体を冷蔵室のようにしていた。
あと数時間もすれば見習い達がやってきて、室内を暖める為の魔法石を魔石灯の台座に据えるだろう。ちなみに夏はその逆の行程というわけだ。そういえばあの仕事は僕が見習いの間ついぞ回って来なかった。要はそれくらい人気のある仕事だったのだろう。
当時を思い出して軽く口角を持ち上げる。暗がりの為に誰にも見咎められずに済んだものの、さすがにこうも暗くては進むことも出来ないのではないか――?
そんな僕の疑問は次の瞬間に納得へと変わった。それというのも、ここでようやく“罪人”らしく後ろ手に縛られて目隠しをされたからだ。
今でさえほんの少し先にある障害物の気配くらいしか分からないのに、随分な念の入れようだと思っていたら――僕を取り囲んでいた男達の気配が遠退き、変わりにさっきまではなかった気配が肌を掠めた。
元々ほぼなかった視覚からの情報が布一枚を足されたことで、より五感を敏感にさせる。聴覚と嗅覚はまだ塞がれていないものの、手の自由と視覚を奪われている時点で抵抗することは不可能だ。
しかし新たに現れた相手は僕に声をかけるでもなく、ただ観察するようにジッと前に立っている。何の動きもないままどれ位そうして対峙いたのか……ふと空気が微かに揺らいだ。そう感じた途端、口を覆っていた布が水気を帯びる。
慌てて反射的に酸素を求めて息を吸い込むと、喉に冷たい空気が流れ込んだ。
しかし――そう思った次の瞬間には膝が萎え、冷たい大理石の床に倒れこむ寸前で両側から身体を支えられる。転がる芋虫のように打ち付けられることこそなかったが、これが決して楽観出来る状況でないことはどんな馬鹿にも分かるだろう。
――スモーキーな中に仄かに混じるリンゴの香り。
“六華考”が行われない間も“六華選”は存在したはずだとすれば、長きに渡る歴史の中で当初の形を変質させてしまったか――別の何かがその皮を借りたのか。どちらにせよ何を布に含まされたか気付いた僕は、舌打ちをしたい衝動にかられた。
だが既に舌の感覚は鈍りつつあるらしく、口内でダラリと力なく横たわるだけだ。
あの【エンダム】に匹敵する危険植物指定を受けた【デルゼア】。
最初に用いられていた際の効能としては、物忘れを解消するという脳を活性化させるといった成分を多く含んでいると重宝された。しかし後に犯罪者の嘘を暴く為の自白薬として使用されるようになったこの香りを、僕も一度見習い時代に実習の一環で極薄めた試薬を嗅がされたことがある。
あの時は同じ講習を受けたうちの数人が、今までの実習で提出したポーションを僕に調合させていたと自白して工房を破門にされた。特に薬に対して耐性のない人間に有効だとメモを残したはずだ。
舌が気道を塞がないように前に屈み込ませた格好で固定したその耳許に、『後は頷くだけで良い』と言う簡単な暗示が吹き込まれる。禁止植物指定されたのは何度も使用するうちに、強制的な自白を要求出来るのではと危ぶまれたからだが――……まさか。
まさか、それを己の身で試すことになるとは思いもしなかった。おまけにかなり濃度が高いのか、耐性があったはずの僕ですら、最近の出来事の前後の記憶が混濁し始める。
抗いたいのに抗えない。そんな風に徐々に自我に蓋をされて蝕まれていく意識の中で、別れる間際に囁いた言葉に最早後悔するしかないと知っていても。
“ここに来て”――と、ノミの心臓が跳ねる。
“助けて”と情けなく君を呼ぶ僕を、どうか、君は――助けに来ないで。
***
私はマスターが訳の分からない連中に連れ去られてから、コンラートが訪ねて来るまでの二時間半を、ただ待っているような愚かな真似はしなかった。
マスター達の姿が見えなくなるや、最後の言葉を無視してすぐに追跡を開始。姿が見えなくても私にはニンゲンとは違った追跡方法がある。
後ろ暗そうな格好をしていたことから、大きな街路樹のある大通りは使わないだろうと中りを付けて、鉢植えの多い裏路地や雑草を探して歩く。強い意志を持たない園芸品種よりは雑草の方がまだ有益な情報を与えてくれるものの、その声はニンゲンと猿くらいの差があるので聞き取ることが難しい。
霊力の宿る植物とは違い、街の植物は意志の疎通が困難だと改めて気付かされる。けれどそれでも何とかマスターの居場所を突き止めた私は、その終点に少なからず驚いた。そのまま離れた場所の物陰にしゃがみ込んで大通りの街路樹や周辺の雑草、植木の声に全神経を集中する。
時間にして一時間半ほどそうしていたけれど、そこからマスターがさらに移動させられることはなさそうだと判断した私は、すぐにコンラート達のいる四号店に走った。
――それが今から四時間前なのだけれど……苛立ちから爪を立てた肌に白い筋が目立ち始める。表面を削る程度に留めていた力加減がだんだん出来なくなり始めて、白い樹液が傷口から僅かに滲む。
「――悪ぃ、待たせた!」
ロミーに四号店で待つように強く止められていた私が、遂に痺れを切らして立ち上がりかけた時、そんな言葉を口にコンラートが裏口から駆け込んできた。椅子に倒れ込むようにして腰を下ろしたコンラートが、神妙な顔つきで私とロミーに向き直ると、工房内は一気に息苦しい空気に包まれる。
「裏の方まで聞き込んできたが、やっぱオマエが言うようにちょっと妙だな。今回の件なら、市場の独占禁止令とかで商業ギルドの連盟から役人が派遣されることはあっても、奴等が出張るのはあり得ねぇ」
コンラートは遅くなった代わりに隅々まで回って情報を収集してくれたのか、随分とくたびれた様子をしていて、私は少しでも彼を“無能”と断じかけた自分を恥じた。ロミーがその額に浮かぶ汗を拭いたり飲み物を用意したりと、甲斐甲斐しく世話を焼くものの、当のコンラートはそれを良しとしないのか少し煩わしそうに振り払う。
「それにもっと妙なのが、同罪で捕まってもよさそうな三号店の店長が材料採取だとかで三日前から不在なんだよ。従業員を捕まえて話を訊いたから間違いない。三号店の店長はあと一週間は帰らない」
「そんな……そんな都合の良い不在がある訳がないでしょう! きっとあの女が何か手を回したに決まっています!」
感情的に荒げた私の声に目の前の二人の視線が釘付けに――ではなく、焦点がぶれている。恐らく感情が高ぶり過ぎたために、私の声が【絶命歌】寄りになっていたせいだろう。慌てて声のトーンを二つほど落とし、感情的になってしまったことを謝罪した。
こんなところで正体がバレてはいけない。何とか逸る気持ちを飲み込んで、二人の視線が定まるのを待った。
「あー、それで……だ。過去に一級職人出したデカい店の知り合いにも訊いてみたんだが近く“六華考”を行う予定なんてないらしい。ま、当然だな。どこもそんな危険植物を使ってまで違法な売上の延ばし方をしないからな」
この状況で勿体でも付けたいのか、それともまだ彼の中でも考えが纏まりきらないのか――コンラートは何とも煮え切らない言葉を口にしたきり、考え込むように黙り込む。
いきなり見た目にそぐわない冷静沈着な姿を見せられても、私はロミーのように頬を染めてその横顔を見つめている暇などない。今こうしている間にもマスターの身に危険が及んでいるかもしれないのだ。
こうなったらもう、コンラートを締め上げてでも早く続きを吐かせよう。ロミーを先に昏――眠らせてコンラートだけにしてしまおうか? 多少血を見る結果になったとしても、私の樹液を使えば傷跡などどうせ残らない。
そう結論付けて立ち上がった時、それまでどこか違う世界を睨んでいたコンラートが私に視線を戻し、硬い表情のまま口を開いた。
「確証はないが……今回の件は“六華選”の先走りか、もしくは大昔には一級職人を輩出したが、今や落ち目になっちまった工房の嫉妬からくる怨恨の類かもだ。アイツの名前、最近こっちの業界で良く耳にするようになったからな。考えられねぇ線じゃねぇだろ?」
「そんな浅ましい輩がいるなんて反吐が出ます。ポーション職人なら、ポーションで勝負すべきだわ」
「あ、えっとぉ、パウラ? それはそうなんだけどさぁ……ヘルムートの作るポーションの効能って、実はかなりずば抜けてるから真似るのが、ね?」
憤りを全身から溢れんばかりに漲らせる私に向かって、ロミーが苦笑混じりにそう言うけれど……やはりニンゲンと私達とでは相容れない部分が多くあるようだ。また二人を凍り付かせる声を出さない為にぐっと唇を引き結んでいたら、そんな私とロミーを観察していたコンラートが「ふん」と軽く鼻を鳴らす。
「まぁ、あれだ。詳しいことは何も分からないにしろ、ここでゴチャゴチャ考えるよりいっそ本店の店長に直談判してみるってのはどうだ?」
ほぼ実質の無策と何ら変わらないこのコンラートの発案に対し、私は一も二もなく頷いた。仮にもしも本店の店長があの連中の仲間であればその時は――。
私はマスターの特別製。
マスターだけの特別製。
だから……どれだけ無関係なニンゲンを壊したところで、私の元にマスターが戻るのであれば、問題なんて、一つもない。
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