*25* 作戦は成功した、はずだった……。
苦肉の策でパウラに言われるまま作ったポーションは瞬く間に広がり、最初の無料配布分は物の一日半で棚から消えた。その後、夜になって実際夫に使用したお客様方から注文が殺到し、一時的に一部のサービスを止めなければならないほどだったらしい。
これにより僕は三号店の従業員達から親の敵を見るような目で睨まれた。
奥様方の口コミは更に短時間で拡散したようで三号店の売上は様子見の販売から僅か四日で二号店だけでなく、本店のそれすらも上回ったのにはさすがに驚いたが。
しかしそのお陰でシェルマンさんが本店と二号店のヴェスパーマンに『今は猫の手も借りたい状況ですので、今回三号店と五号店の中間評定は免除して頂けると助かりますわ』と申し入れてくれた結果、首の皮一枚で断頭台に上がらずに済んだのだ。ただし、この一件でヴェスパーマンからさらに睨まれたのは言うまでもない。
何だかこのポーションの開発をするに当たり、あちこちから理不尽な恨みを買っている気がしないでもないな……。ともあれ絶賛品薄中なこのポーションの利権を、そろそろシェルマンさんに売ってしまおうか真剣に悩んでいる深夜二時。朝の六時から食事の一時間休みを挟む以外は休みなく作業をしている。
最終調合以外は全て三号店で準備してもらっているので、一からの労力を思えば雲泥の差であることは間違いないのだが――何せ注文量の桁が違う。五号店のポーションは何が出るかほぼ把握してあるので作りおけるが、問題はギルドからの依頼だ。そっちは急ぎの物以外少し待ってもらうように伝言してある。
そういえば最近オットーとハンナ達のパーティーに、件の回復役が戻ってきたという封書が届いていたような気がするけど、いまはどこかに埋もれているのでこの状況が落ち着いたら発掘しよう。
正直この流行りがいつ落ち着くのか見当もつかないが……。
そしてさすがにこんな生活も二週間続けばさすがに嫌気もしてきた。一日中ほぼ座りっぱなしで腰と背中が痛む。
「まぁ、あれだな。意外と金のある連中ほど政略結婚だったり、金に物言わせて若い愛人囲ったりでそういう夜のナニはご無沙汰なことが多いんだろ」
僕の向かいに座ってポーションを香水瓶に詰める作業を手伝ってくれているコンラートがそう言った。半ば眠気で意識が飛びそうだった僕は、それを悟らせないように慌ててその言葉に頷く。
「チッ、半分寝てる奴はとっととベッドに入ってこいよ。手許が怪しくなってからじゃ遅いだろうが」
口は悪いがそれが素直でないコンラートなりの優しさだと知っているので、僕は苦笑した。ここ最近コンラートは暇を持て余しているからと見え透いた嘘をついてうちに入り浸っている。
翌日仕事で帰りの遅いコンラートを待っていられないロミーは、さぞ僕を恨んでいるに違いない。一応パウラを護衛代わりに付けてはいるものの、やはりコンラートが一緒の方が安心だろう。
「そういうコンラートこそ、そろそろ帰った方が良い。前みたいにロミーが君を待つ間にリビングのソファーで眠っているかも知れないぞ?」
「あー、あり得るな。アイツ馬鹿だから。もう夜は冷えっからあそこで寝るの止めろって言ってんだけどよ」
ガシガシと少し伸びた金髪を掻き乱したコンラートが渋面になる。あの事件後から二人の関係が僅かに以前と違っているように思うのは、気のせいだろうか? ここ数週間の寝不足から娯楽が欲しくなった僕は、ちょっとした悪戯心と好奇心が勝ったので鎌を掛けてみることにした。
「そんなに警戒しなくてもロミーにコレの無料配布品は渡していないから、眠っているロミーを寝室に運んでやっても大丈夫だぞ? あぁ、でも僕じゃなくてパウラの手から渡っているかもしれないから――ベッドシーツからマスカットの香りがしたら気をつけろよ?」
今回のポーションに使用されている植物の名は【ラヴェンナ】という。その香りは淡く、仄かにマスカットのような香気を放つ。このラヴェンナは十月の頭頃に行ったあの採取でパウラが見つけてきてくれた物だ。
つる性の植物で、崖や岩場などの貧栄養性の土地にへばりつくようにして葉を茂らせる。岩場の多いダンジョンや鉱石の採掘場などでは、わざわざ栽培して壁面の崩落を防いだりすることで知られるが、パウラに教えてもらうまでは薬効があるとは思いもしなかった。
ラヴェンナは秋口にとてつもなく地味な白色の卵形をした極小花を房状に密集させて咲かせる。薬効が――主に催淫系の作用が多く含まれているのはその
その性質を知っているからこそ、僕は華奢な香水瓶をコンラートの目の高さで揺らして見せた。一瞬目を丸くしていたコンラートだが、さすが女性遊びでならしていただけのことはある。すぐに体制を立て直していつもの皮肉屋な笑みを唇の端に浮かべた。
「オレはそう簡単にその手の薬には流されねぇよ。童貞のオマエが作った催淫ポーションなんかにやられるかよ。第一そろそろ勿体ぶらねぇで何を調合に使ってるのか教えろよ」
「ほぅ、言ってくれるじゃないか……。あと、調合の要は絶対教えてやらないからな。教えたらお前がせっかくの材料を処分してしまうかも知れないだろう?」
そうからかうように軽口を叩けば、コンラートは頬をひくつかせて眉間に深いシワを刻みこむ。
「そう怖い顔をするな、ちょっとした冗談だ。お前がそんなことするはずがない。ほら、早く支度しろよ? 僕もお前の店までパウラを迎えに行くんだから」
椅子から立ち上がる僕を軽く睨むコンラートを前に寝不足でふらつきながらも、勝ち誇った気分で満面の笑みで返してやった。
しかし――。
「オマエこそ、パウラの手が届くところに完成品置いとくんじゃねぇぞ?」
“何故そこでパウラの名前が出てくるんだ”と言おうとするのに、僕の喉はまるで言葉を発することを忘れたように詰まる。
カウンターを受けて動揺する僕を見たコンラートはいつもの調子を取り戻し、満足そうにニヤリと意地悪く笑うのだった……。
***
最近すっかり生活リズムとなってしまった朝五時半の朝食。その僅かだが平穏な時間をパウラと一緒にのんびりと雑談をしながらとっているところへ、突如無遠慮に階下の工房の裏口を叩く大きな音が加わる。
僕とパウラは顔を見合わせ、いったい何事だろうと互いに疑問の表情を浮かべた。
お世辞にもあまり治安のいい場所とは言えないので、僕達が気付かない間に近所で強盗でも出たのだろうか? もしそうだとしたら焦って報せに来てくれたご近所さんかもしれない。そう思った僕はパウラにはそのまま食事を続けるように言いおき、階下へと向かった。
けれど――裏口のドアの鍵を開けた直後に入って来た男達の姿を目にした時、そんな暢気な考えはまだ残っていた眠気と一緒に瞬時に消し飛んだ。男達の数は全部で六人。それは昔、まだ僕が工房で見習いをやっていた頃に聞き及んだ通りの出で立ちをしていた。
「早朝に失礼する。貴公がこの工房の店主、ヘルムート・ロンメル殿で間違いないか?」
一番がたいの良いこの中でもリーダー格と思われる人物がそう第一声を発した時、僕は遂にパウラの秘密が発覚したのだと思って震え上がった。
男達は皆揃いの黒い足許までを覆うローブを着用し、腰には金と銀の紐を帯状に編んだベルト、顔の下半分を覆う白い布。そして何より一番この男達の身元を示すそれは……右の肩口付近でローブの前を留めている銀色の六角形をしたメダル型ブローチだ。
大きなフラスコと小さな試験管を交錯させた前に月桂樹の葉が刻印されたこのメダル型ブローチは、ポーション職人達にとって恐怖の存在として脳に刻み込まれている。
「貴公で間違いないのかと訊いている。もし違うのであれば、今すぐこの場に本人を――」
布越しにくぐもった声でそう告げられてハッと我に返った僕は、続く言葉を右手を上げて制した。
「如何にも。僕がこの工房の店主、ヘルムート・ロンメルだ。何分あまりに急な訪問だったので反応が遅れた。申し訳ない」
顔の下半分を覆う布で表情を読み切ることは出来ないが、男のその目が胡乱な人間を見る時のように眇められた。秋の爽やかな朝に似つかわしくないこの物々しい姿をした来訪者達は“
その名の通りかの“
「――本日は当店に一体どういうご用件でしょうか?」
自分でも口にしながらとんだ愚問だと思う。それは男達も同じなようで六人中の二、三人が僕を見て蔑むように目を細めた。
「悪いが下手な芝居で時間を稼ごうとしても無駄だ。本日【アイラト】五号店所属、ヘルムート・ロンメル。貴公を極危険性ポーションの無断調合罪で拘束するようにと命を受けた。この場から逃げることは工房への反旗、ひいては全ポーション工房への
ついさっきまで今朝は最近の通り変わらない“今朝”として消化され、また新たにやってくる大量のコラボ商品の仕上げ調合に取りかかる――その予定だった。
それが今や全く身に憶えのない罪状をあげつらわれて、拘束されようとしている。あまりに目まぐるしい展開に、こんな時だというのに思わず妙な笑いがこみ上げた。けれど訝しむ男の後ろで気色ばむ者、蔑みを隠そうともしない者、気が触れたのかと哀れむ者……様々な反応を見せる“六華選”の面子に人間らしさを感じて頭の中がスッと醒める。
ともあれ、疑いがパウラに向いていないのであればそれで良い。自分の中ではそんな思いの方が断然大きい。そう思ったら、足が一歩勝手に彼等の方に進み出ていた。
だというのに――。
「ヘルムートさんっ!!」
背後からかけられた切羽詰まったその声に振り返れば、そこには金色の瞳を怒りに輝かせるパウラの姿があった。
「こんな早朝にそんな大人数で強盗のように押し入って、一体何用です?」
声こそ低めて冷静に言うパウラだが、その言葉に体温らしいものは少しも籠もらず、酷く冷たい印象を受ける。怒りのせいか、そのいつもより白に近い金色の瞳を見た瞬間、首の後ろが粟立った。
まさに野生の勘とでもいうべき反応に戸惑って男達を振り返れば、その視線の鋭さに男達も縫い留められたように動きを止めている。その反応でこの場の全員が同じことを感じたのは明らかだった。
咄嗟に「パウラ」とその名が口をついて零れる。彼女はそこで初めて“人間らしい”気配を纏いなおす。後ろで金縛りが解けたように弛緩する男達の気配を感じながら、僕は彼女の方へと歩み寄った。
するとパウラは「……マスター……」と僕にしか聞き取れないくらい小さな声で囁く。僕を見上げる金色の瞳が無言のままに“どうしますか?”と訊ねている。
そんな伺いを立てるからにはきっと、彼女にならこの場を打開する策があるのだろう。けれど僕はその策をとることで彼女の身が危うくなることの方が怖かった。
――――“ノミの心臓のヘルムート”――――
そう蔑まれる事よりも、今は。
「パウラ、もう数時間したらコンラートが来てくれるはずだ。だから、そうしたら二人で、いや、ロミーを入れて三人で……僕の無実を証明する手を考えて助けに来てくれないか?」
身体を硬直させて唇を噛み締めるパウラの姿に、この場での争いを避けて大人しくついて行こうと決めた心が揺れる。
「僕は――今ここで揉め事を起こして君を失いたくない」
今は、彼女を失うことの方が何よりも怖かった。
パウラは僕の胸に頭を預けて俯くと、一度細く長い溜め息を吐く。そしてそのままの体勢で小さく頷いた。僕は深緑色のその髪を梳くように指で撫で、壊れ物を扱うように恐る恐る抱きしめる。
背後から聞こえる男達の催促を込めた咳払いに身体を離すと、もう彼女を振り返らずに工房の裏口をくぐった。
秋も終わりに近付いた早朝の外は肌寒い。
男達に前後を挟まれたまま歩き出した道で、この降って湧いた事実無根なこの騒動がこの後どう僕達を弄ぶことになるのか――。その不安が胸の中に大きく不気味な影を落としていくような気がした。
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