*24* 混ぜたら危険だったコラボ企画。
楽しい採取から一夜明けて店に戻った僕達に突きつけられたのは、情け容赦のない現実だった。
僕はたった一時間前の自分の浅はかな発言を全力で悔やんでおり、虚ろに向ける視線の先には、忌々しい本店からの封書が一通鎮座している。隣にいるパウラもこちらに負けず劣らずの渋面だ。
そんな彼女の表情を見るにつけて、何故僕は『最近何だか中間評定の免除をされてばかりなので腕が落ちた気がするな?』などと、馬鹿げたことを口にしたのかと我が身を呪った。
普段ならしない調子に乗った発言をした理由は分かっている。昨夜二人で観た夜空を思い出して浮かれていたのだ。しかしそれを隠す為だったとしても、せめて何故もう少し言葉を選ばなかったのか……今更ながらに悔やまずにはいられない。
「……困りましたね、マスター」
「……そうだな」
「どうやってしらを切りましょうか?」
「残念ながら本店の連中相手にしらを切るのは難しいだろうな」
今回この封書の内容は非常に簡単で、なおかつ僕達がいくら必死だったとはいえ、
――封書の内容はこうだ。
“五号店店長、ヘルムート・ロンメル殿。先日貴公が四号店店長、コンラート・ブーツへ使用したとされるポーションが、工房の規定する数値を大幅に上回っていると二号店店長、クルト・ヴェスパーマンから報告を受けた。次回の中間評定の際に、使用したポーションを持って釈明に来られたし”
あの何かにつけて僕を目の敵にしているヴェスパーマンが、工房内のゴタゴタだとしてもあのまま大人しく引き下がるはずがなかった。
「あの陰険男には本当に困りましたね。それにあれは人の血液を大量に使いますし、実演するには肉が剥き出しになるような傷口が必要ですから……そう易々とは」
僕の考えていた心配の斜め上をいくパウラの物騒な発言に、不謹慎にも噴き出してしまった。そんな僕を不思議そうに眺めるパウラを見ていると、時折彼女がマンドラゴラであることを忘れてしまいそうになる自分がいる。
――と、パウラが何か思い付いたのか金色の瞳がパッと輝いた。
「マスター、こうなったら昨日採取して来た物で何か違った方向に危……いえ、斬新な新製品を作って敵の目を
「あぁ、もちろ――んん!?」
取り敢えず、すでにその提案事態がこれ以上ないくらいの危険性をはらんでいる気がするのだが、これはマンドラゴラジョークか何かだろうか?
「あのな、パウラ。昨日採取した物でそんな危険な成分のある物はなかったはずだが?」
「ご心配には及びませんよマスター。使用したところで人体に害を及ぼす訳ではありません。何といっても私がロミーの相談を受けて考えていた物ですから」
「何だそうか、だったら――」
「えぇ、ほんのちょこっと脳のある一部分の神経的な何かをジャックしますが、人体には悪影響というまでのものではないかと?」
――おっと? 会話の雲行きが急さらに怪しくなったことに気付いた僕は、出しかけた了承の言葉を飲み込んだ。
「ちょっと待ったパウラ。何だかいま聞き流せない内容がチラッとあっ――、」
「さぁ、そうと決まったら即行動しましょうマスター! 日の高い間にサクサク調合して、気乗りはしませんがある方の協力を仰ぎに行きましょう」
僕の言葉を遮ったパウラはそのまま鼻歌交じりに、昨日採取したアイテムで膨らんでいるザックの中を漁りだす。彼女の背中と机の上に置いてある封書の内容とを交互に見比べるものの、当然そう簡単に打開策を思いつくはずもなく――。
結局は僕もパウラ同様、ザックの中身を物色することにした。
***
――忌々しい封書が届けられてから五日後の十月十日。
僕とパウラの前には、品の良いティーセットで整えられたアフタヌーンティーが用意されている。紅茶の茶葉も極上品なのだろう。爽やかな香りの中にアクセントのようなスパイス香が含まれていた。
「うふふ、前回お話を頂いた時から今日までのとても楽しみにしていたの。うちとコラボ企画をしたいだなんて申し出はそうそうないものだから」
“それはそうだろう”と心の内で思ったが、まさか自分達から申し込んでおいてそうは言えまい。僕だって未だにこうもトントン拍子に物事が進むとは考えてもいなかったので、実際問題さっきから胃がキリキリ痛んでいる。
「今朝ようやく注文していた香水瓶が届いたのよ。どうかしら?」
さらりとした自然な物腰で差し出された香水瓶を隣のパウラが受け取る。どうしてパウラはこうも堂々としていられるのか……マスターと呼ばれる身でありながら情けないことこの上ない。ふとした瞬間二人が摘まんでいる美術品のように華奢で美しい香水瓶が、室内のシャンデリアの明かりに反射して宝石のように輝く。恐らくあれ一つでも相当な金額だ。
「そうですね――とても可愛らしくて、商品棚にあれば女性の目を惹きつけてくれそうな良いデザインかと。ヘルムートさんはどう思われますか?」
「え? あ、あぁ、パウラの言う通りだと思う」
客も従業員も女性だらけの店内で唯一の男性枠に収まってしまった僕は、三号店の空気に気圧されているところで急にそう声をかけられたものだから、咄嗟とはいえ子供のような返答をしてしまう。
苦笑するパウラと「貴女と一緒だと随分可愛らしい返答をするのねぇ?」と、少し意外そうな顔をしているシェルマンさんと目が合い、誤魔化すように笑ってみせた。
「それにしても、まさか全然畑違いの商品を扱う貴方達から、こんなに面白いコラボ企画を持ち込まれるなんて思ってもみなかったわね? 私もつい張り切っちゃった」
情けないことに前回同様、今回も僕達は三号店のミス・シェルマンの偉功に縋ることにしたのだ。しかし無論タダではない。今回は前回と違って彼女にも有益(であると思いたい)な取引だ。
「それではミス・シェルマン。香水瓶はこれで決定ということで、今日はこの瓶を預かって帰ります。そこでこの瓶にポーションを移し換えたとして……いつから配布していただけそうでしょうか?」
女性の小指サイズの香水瓶は、大量にあったとしてもそう重いものでもない。多分全部預かったとしても五号店の工房に収まりきるだろう。
「あら、だけど預かると言ってもうちのお得意様方全員分となると結構な量よ? 大丈夫かしら?」
気遣わしげにシェルマンさんが、近くにいた従業員にバックヤードに残っている箱の数を確認してくれるも、その数を聞いて即座に前言を撤回する。決して人気店の客数を嘗めていたつもりはなかった。暗に思い付く数ではなかっただけで。
「ではすみませんが瓶の保管の方はお願いします。取り急ぎ必要な本数分だけでも仰って頂けましたら、すぐにこちらにお持ちします」
「まぁ、ポーションの調合表を見せて頂けたら、こちらで瓶詰めも出来ますのよ?」
「――いいえ、さすがにそれは」
「……うふふ、ちょっとした冗談よ? 貴方はせっかく良い腕をお持ちなのだから、もう少し肩の力を抜いた方が良いわね」
底の知れない微笑みを浮かべ、緩やかな動作で従業員に顧客リストの手配をさせるシェルマンさんには、さすが男の職人が多いこの業界に一つのジャンルを確立させた先駆者の揺るぎない自信がある。
彼女のポーションの能力を考えればその美しさは当然かもしれないが、それとはまた別に彼女を美しく見せているものがあった。それは言葉にしてしまえば安っぽくなってしまうけれど、自分の仕事に対しての誇りだと思う。
隣のパウラも女性として何か感じ入るものがあるのか、さっきから僕の視線にも気付かずに彼女の横顔を注視している。
「はい、ありがとう。下がって頂戴」
持ってきた顧客リストはほんの一部だとしてもかなりの厚みがあったというのに、シェルマンさんはサッと読み飛ばすように眺めただけで従業員の手に返してしまった。
「お待たせしてごめんなさいね? それと私ったら、一番大事なことを聞き忘れていたわ。貴方達はもちろんこのポーションを人に使ってみたことはあるのよね?」
指を組んで優雅にそう訊ねる瞳にこちらを値踏みをするような光が宿る。僕は言われる前に出さなければいけないものを、相手に催促させて初めて気付いたのだ。
彼女にとっての僕を見極める試験はもうずっと前から始まっていたに違いない。背筋に冷たいものが伝うのを感じながら、慌てて持ってきた試験結果を纏めたリストを手渡す。
「本当はお話を頂いた時に出して欲しかったのだけれど……まぁ、初めてでしょうから仕方がないわね?」
心なしか、薄く微笑むその表情には“次はないぞ?”というニュアンスの圧力が含まれているように感じる。
「なるほど……大変優秀な結果が出ているようね。この被検者の方々は皆さん冒険者の方ということだから、うちで扱う際にはもう少し効能を薄めた方が良いと思うわ。このままだと三号店の顧客の皆さんには効きが良すぎるでしょうから」
確かに指摘されてみれば、冒険者ギルドの冒険者達と貴族や大商家の女性や男性には多少強すぎるかもしれない。
「手直しに四日差し上げますから、きっちり仕上げて頂戴。それから数は取り敢えずサンプルとして三百セット用意して下さるかしら?」
今回持ち込んだポーションは二種類。三百セットといえば単純に倍の六百セットとなる。
一瞬納期と天秤にかけて怯みそうになるが、何とか頷く。シェルマンさんはそんなこちらに向かって満足そうに頷き返した。
僕が一つも聞き漏らすまいと必死にメモを取る隣では、パウラが彼女に指摘された箇所に素早く視線を走らせて削る部分を計算していた。そんな僕とパウラを楽しそうに眺めながら、シェルマンさんはカップの紅茶に口をつけている。
「若いというのはやはりどの業種でも強みよねぇ。私にはもうこんな面白そうな試み思い付かないわ」
そうポツリと漏らした言葉は、常ならはかりにくい彼女の本音のように感じられた。
どこか哀しげな物が混じっていた風なその声に、けれど僕もパウラも手許から顔を上げはしない。これは彼女が気付かない間に吐露した弱音。だからこれ僕達もそれに気付いた素振りを見せてはならない気がした。
それに別に優しさからそうした訳ではない。それによって引き起こされそうな厄介ごとに巻き込まれたくないだけだ。要は我が身の保身である。
パウラと目配せをしあって絶対に顔を上げてはいけないと互いの思いを伝えあう。幸いシェルマンさんが僕達の後ろ暗い思いに気付くことはなく、打ち合わせは無事に終了した。
帰ろうとする僕達を裏口まで送っていくと言い出したシェルマンさんに対し、従業員は何とも言えない表情を浮かべたが無理もない。明らかな格下相手に格上が取る行動ではない。実際僕も断ったのだが、彼女は「一緒に仕事をしようとする大切なパートナーですから」と頑として譲らなかった。
仕方なく裏口……というには少し距離のある場所までの廊下を一緒に歩く。
「そう言えばミス・シェルマン。最後に二つほど質問をする機会を頂いてもよろしいでしょうか?」
その問いに快く頷いてくれたのを確認してから、僕は常々疑問に感じていたことを訊ねることにした。
「一つ目なんですが、ヴェスパーマンは貴女に対してとても、その――」
「ふふふ、そんなに緊張しないで。どうしてあの偏屈さんが従順なのかが不思議なのね?」
こくりと頷くと、彼女は微笑む。あのヴェスパーマンをもってして“偏屈さん”とは恐れ入る。あまりに率直な物言いにパウラも少し目を丸くしていた。
「残念ながら簡単なことよ? あの人はね、昔うちの工房で見習いをやっていた時期があるの。勿論、私の元でね」
そう言って、当時を懐かしむようにそのパウラより幾分色素の薄い金色の双眸を細めた。しかしこれで一つとても大切なことが分かった。それは、この彼女の優しげな様相に騙されてはいけないということだ。
「それで、もう一つは何なのかしら?」
面白がる風な響きの声に思わず苦い表情になった僕を見て、彼女は柔らかく鈴を転がすような声で笑う。
「――問わなくても、もうお分かりでしょう」
僕は諦めて裏口の脇に立てかけられたパステルカラーのパネルを指差す。視界に入るパネルには女性の好みそうな飾り文字でこう綴られていた。
“あの街道を救った伝説のポーションマスターとの初のコラボ作品! 今回は初挑戦という催淫系パフューム。種類は二種類【初恋の君“夜”】と【愛を取り戻せ“昼”】となっております。気になられたお客様は、お気軽に店員までお声掛け下さいませ”
けれど指差す僕を見た彼女は「ラブポーションよりは良いでしょう?」と少女のような微笑みを浮かべるのだった。
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