*23* 秋は、収穫の喜びだけにあらず。

「へぇ、凄いじゃないかロミー。この間の中間評定+30だったのか」


 最近ゴタゴタ続きだった工房内に持ち込まれた中では一番明るいニュースに、僕とパウラは微笑んだ。目の前のロミーは「でしょー?」と、喜色満面で僕達二人を見つめている。


「これでもういつコンラートが引退しても大丈夫だな?」


「これからはロミーが頑張ってコンラートに食べさせてやって下さいね」


 そのまま微笑みを浮かべた僕達の視線がロミーの後ろに立つ人物に生暖かく注がれる。そこには昨日退院してきたばかりのコンラートの姿があった。


「おいコラ、誰もまだ引退するなんて言ってねぇだろうが。それに+30くらいであんま褒めると調子に乗んだろ」


「そうか? この年頃で+30は大したものじゃないか。それに店にしても今までもあまりいなかったんだから同じようなものだろう?」


「そうですよ。それにあなたのお店のお客様もロミーの方が可愛いし、可愛い子が売ってくれるポーションは効果も倍に感じるとか仰ってましたよ?」


 僕とパウラが畳みかけるように言葉を重ねれば、コンラートはふてくされたように頭を掻く。そんなやり取りに挟まれたロミーが「病み上がりなんだからあんまり苛めないでやってよね~?」と唇を尖らせるのでそれ以上の追撃をすることは適わなかった。


 誰もあの日の出来事に触れないが、ここにいる四人の関係性は以前よりずっと平等で強固な物になったのではないだろうかと僕は感じている。コンラートに頼りっぱなしだった歪な関係は解消され、きちんと支え合う構図が出来ていた。


「それで、今日は二人揃ってその報告をしに来てくれただけなのか?」


「あー……いや、な」


 歯切れの悪いコンラートに椅子を進めて、フェイの想い人の回復状況を教える間に、僕達の後ろではパウラがお茶の準備をしてくれる。ロミーはパウラの手伝いをすると言ってその場を離れた。


 チラチラとパウラ達の方を気にするコンラートの視線に気付いたのは僕だけではなかったのか、いささか良すぎるタイミングで「すみませんヘルムートさん、お茶に浮かべようと思っていたオレンジを切らしたので、ちょっとロミーと買いに行って来ますね?」と言う。


 そんなものだから、僕は目の前に座るコンラートに苦笑を向けたまま「気をつけて」と言葉を返した。


 彼女達の表の石畳を踏む足音が遠ざかるのに耳を傾けていたら、コンラートが小さく「色々ありがとな」と口にする。その言葉にどう答えるのが正解なのか分からず、考えた末に僕は「もう秋だな」などとよく分からない返答をしてしまった。


 その脈絡のない言葉を聞いたコンラートは、一瞬その目を丸くしたもののすぐに「あぁ、オマエの言う通り――もう秋だな」と笑ってくれる。湿っぽい話題が打ち切られたと仮定した僕は、代わりに新たに明るそうな話題を投入してみることにした。


「結局ロミーとのことはどうすることにしたんだ?」


「……オマエの会話は本当に脈絡がねぇな……」


「どうなんだ?」


「どうもこうも、あんな平らな身体じゃ何も感じねぇだろ」


「まさかとは思うが、女性のそこしか見てない訳じゃないだろうな? それに十五歳なんてまだ成長期だ。あと三年もしたら分からないじゃないか」


「やれやれ、これだから童……痛っ、止めろ馬鹿。そんなもんあれだ、十年もありゃ気も変わるだろ」


 余計な単語を挟もうとしたコンラートの椅子を蹴りつけて笑みを見せると、やや早口にそう言う。そんな心中複雑そうな友人に苦笑しつつも、久々にこうしてのんびりとした午後を味わうのだった。



***



 工房の壁にかけられた暦を一枚剥がす頬が、知らず緩み、胸が躍る。コツリと軽く叩いた暦の上には、ポーション職人達が待ちに待った十月の数字。


 これから十一月の終わり頃までがポーション職人達にとって、一年で一番の勝負所と言っても過言ではない。この街では十月が近付くと急に疎遠になる友人がいるとすれば、それは農業従事者かポーション職人だとされている。現に僕とコンラートもその例に漏れず九月の半ばから一度も顔を会わせていなかった。


 街では大きな工房の本店や表通りに面した支店以外の、弱小支店は軒並み“クローズ”の看板を提げて採取に出かけている。コンラートの採取場よりも街から遠くて資源の乏しい採取場を振り分けられている僕は、今日も朝のまだ薄暗いうちからパウラと一緒にポーションの材料を採りに来ていた。


 目にした使えそうなものは、手当たり次第に持参した採取用の大きなザックと麻袋に詰めていく。大地の恵みに感謝を捧げながら鮮やかに色付いた実や葉を採取ナイフで切り取る作業は、毎年のことながら心底楽しい。


 今回からは鉱石の採取を考えなくても良くなったので、袋が重さに耐えきれずに破れたりする心配も少なくて済むのが嬉しかった。


 それというのも、いつもポーションを卸しているギルドの冒険者達に話してみると、意外にも二つ返事で頼まれてくれるパーティーがいたのだ。あちらにしても要求するポーションの納期が早くなるだけでなく、お酒の為の小遣い稼ぎ程度にはなる。仕事終わりに拾ってきてくれるのでそれなりに量もあるのだ。


 冒険者の中でも中堅以上のパーティーに声をかけたので、皆それなりにアイテム知識も持ち合わせてくれている。ごく一般的な鉱物などは質まで考えて持ち帰ってくれるため、とても状態が良い。


 しかし僕達もただ暢気に採取しているようでいて、実はそうでもないのがこの秋口の採取だ。理由としては、時折どこにも所属しないモグリのポーション職人が大手の工房が持つ採取場に密猟に現れたりする事がある。


 半分夜盗のような連中なので出会えば運が悪ければ殺されるし、良くてもアイテムは没収されてしまう。こちらにはパウラがいるが……彼女が能力を発揮させようとするなら僕は昏倒していなければならない訳であまり得策ではない。


 そんなことを考えてふと採取の手を止めていると――。


「マスター、こちらにもポーションに使えそうな物がありますよ」


 ……彼女はとんでもなく鼻が利く。一人なら泊まりがけで採取したとしても袋とザックを一杯にするのに最低でも二日はかかる。それが今日はすでにザックに物を詰められないくらいにパンパンになっていた。


 正直ここまで採取が順調に進むとは思ってもいなかったので、ザックの中には今日は不要になりそうな野宿セットが詰め込んである。簡易テントはどうしようもないが、食料は消費出来そうだ。


 いや、むしろ“多少無理をしてでもすべきである”と内なる自分が囁きかけてくる。なので、僕はこちらに手を振っているパウラを逆に手招いた。そんな僕の様子に不思議そうな表情を浮かべつつも、パウラが素直にこちらに戻ってくる。その手にはもうかなり大きくなった麻袋があった。


「どうしましたマスター、もしやご気分が優れませんか?」


 しゃがみ込んで早々にザックを下ろす僕に向かって、パウラが心配そうに問いかけてくるが、そんな彼女に苦笑しながら首を横に振る。


「いいや、そうではないよ。今日はパウラが頑張ってくれているお陰で、いつもよりうんと作業が捗っているんだ。てっきりいつもの気分で出向いたから、今回はいらない物を持って来すぎたようなんだけど……と」


 ザックの上にくくりつけた簡易テントを横に置き、ザックの中から昼食と飲み物、野営用に準備してきた食料を広げる。それだけでかなりスペースが空いた。


「今からそれを少しでも減らそうかと思ってね。時間もちょうど昼時だし、この辺で少し休もう。まだまだ時間はあるからね」


「そういうことでしたら大賛成です。ですがもしよろしければ、少々こちらでお待ちいただけますかマスター?」


 そう言うパウラの視線が、チラリと先程まで僕を呼んでいた小高い岩場の辺りで止まる。パウラには言えないけれど、あの裏手は何度も行ったことがあるので何があるのかは大体把握していた。


「あぁ、勿論。ここで昼食の準備をしているから、パウラが気になることがあるなら先に済ませておくと良い。荷物は僕が見ているから」


 彼女は「すぐに戻りますので」と言い残し、さっきの岩場の裏へと消えてしまう。僕は彼女の姿が岩場の裏に消えるのを見送ってから、近場に落ちている枯れ枝と針葉樹の枯れ葉を集める。


 岩場の近くなのでそれを利用しない手はないだろう。手頃な石を集めて簡単に組み、簡易の炉を作る。その中に軽くオイルを染み込ませた綿を置き、上から枝と葉を交差させていく。それが完成したところでマッチで火を着け、持ってきた水筒から小鍋に水を入れる。炉を崩さないように注意しながら小鍋を上に置いてそのまま沸くのをしばし待つ。


 二人だと思ったよりもかなり早く採取が済む。これなら次からはもっと持ち物を減らしても良いかも知れないな――と。


 そこまで考えてふと、いつまでパウラがあの姿をとれるのか分からないのだということに思い至り、久し振りに“臆病者のヘルムート”が顔を覗かせた。何て……彼女があの姿をとってからというもの、臆病な僕はいつも深い部分ではそのことばかり考えていたのだ。


 そもそも、長年培われてきたこの臆病癖がそう簡単になりを潜めるはずがない。彼女の身体が変調をきたさないか内心ではずっとビクビクしていた。だからだろうか、少しだけコンラートに対して“羨ましい”と“恨めしい”という感情が同居する。そんな小心で浅ましい考え方は良くないと理解しているのにだ。


 頭を切り替えようと持ってきた食料の中から乾燥させた玉ねぎとトマト、それからポーション作りで得た中でも一番役に立っている……ユパの実で固めたチキンスープを小さな気泡が浮きだした小鍋に投入する。


 乾燥バジルと塩で味を整え、真ん中で接いで使用するタイプの匙をザックから取り出して味見を少し。


「塩をもう少し足すか……」


 そんな風にポツリと漏らした言葉も、パウラが拾ってくれなくてはただの独り言だ。以前は独り言すら口にしなかったのに人間の慣れとは恐ろしい。再度スープを煮立たせる間にパウラの分の食事に取りかかる。瓶に詰めきれずに余ったポーションを天日に当てて粉末状にしたものを数種類。


 まるで色粉のように鮮やかなそれを基礎となる液肥を入れた水筒にふるい入れる。粉が溶け残っていては効果も半減だろうから、しっかりと振って中身を混ぜた。


 ――中で色がどうなっているのかはこの際気にしないでおく。いくら綺麗な色も混ぜすぎると泥のように濁ってしまうからだ。


 合間にスープが煮立ちすぎないように火加減を見ながらかき混ぜる。やがて小鍋から食欲を誘う香りが立ち始めた頃にパウラが戻ってきた。それも何か得体の知れない物を色々と抱えて。


 手伝おうと腰を浮かせかけた僕に、彼女は「マスター、火から離れては駄目ですよ」と至極当然な指摘をしてくる。そう言われては仕方がないので彼女が近付いて来るのを待った。


「ふぅー……お待たせしました、マスター。もしよろしければこれをそのスープに使ってみて下さい」


 地面に広げられた収穫物の中に丸い物体がある。拾い上げて見てみると、どうやらキノコのようだ。


「このキノコ、今まで見たことがないのだが……?」


「ふふ、大丈夫ですよマスター。そのキノコはとっても美味しいのだそうですから」


「“美味しいのだそう”って……心配だな。誰から訊いたんだ?」


 しかし僕の胡乱な眼差しに引くこともなく「絶対美味しいですから」とパウラが重ねて主張するので、渋々スライスにしてから小鍋に放り込んだ。


 パウラは他にも「これはデザートに」と香りの良い果実を幾つかと、新しくポーションに試せそうな材料を幾つか持ち帰ってくれていた。驚くことにそのほとんどは見たことのないものばかりだった。


 長年ここに来ているのに――少しばかり、いや、だいぶ悔しい。


 そんな彼女にちょっと対抗意識を燃やして、僕も用意しておいた液肥を手渡す。勿論中の色は決して見ないように言い含めてだ。


 しばらくすると小鍋の怪しいキノコスープから何とも言えない良い香りがしてきて、待っている間に空になった僕の胃を刺激した。出来上がったものを錫製のカップにスープを入れ、パウラの水筒と乾杯をするように打ち合わせて恐る恐る口にするが――。


「!!?」


 思わず一口目で目を見張った僕に向かって、パウラが極上の微笑みを浮かべる。その金色の瞳が“ほら見たことか”とでもいうように嬉しそうに細められた。因みにそのすぐ後に僕の作った液肥を口にした彼女も同じ表情になったので、この勝負は引き分けに終わる。


 食後のデザートまで綺麗に平らげた僕達はその場に仰向けに寝転び、爽やかな秋の空を見上げた。


「――なぁ、パウラ」


「はい、何でしょうかマスター?」


「ちょっとした提案なんだが……せっかくテントも用意してきたのだし、今日はここで一緒に野営をしてみないか?」


 キョトンとした表情で身体を横に向け直して寝転んだまま、僕の顔を眺めるパウラ。金色の瞳は秋の日差しで琥珀のように柔らかく輝く。小麦色の肌に深緑色の髪がかかって両者の持つ瑞々しさを際立たせた。


「この季節ここから眺める星空はそれはそれは美しいんだ」


 ここは街から離れた不便な立地だが 、それ故に明かりがない夜は星空がとても見事なのだ。僕はいつもこの季節になると、その夜空を独り占めしたような気分になっていた。


 そう思いこむことで己の惨めさを紛らわせていた。でも今回は違う。


「だから、それをパウラにも観せたい……というのとは違うな。僕が、パウラと観たいんだ。どうだろうか?」


 見る見るパウラの表情が嬉しそうに笑み崩れていくのを、温かい気分で見つめながら。今夜こそは、本当の意味でここから眺める星空を美しいと思えるような気がした。

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