*20* 悪夢の香りは甘く誘う。(前編)
パウラは口にしたは良いものの、まだ本当に僕に話しても良いものか悩んでいるようだ。ふとその細い腕に視線を落とす。つられるように見れば、三週間前に包帯を巻いていた場所に僅かに色素の薄い傷が走っている。
何度もナイフで傷を付けた箇所だ。残ってしまったその痕に胸がズクリと痛む。これ以上彼女を傷付けたくない。
「パウラ。君が口にしたくないことなら、胸に仕舞って置いてくれても構わない。ただ、言葉にしなければ辛いことなら聞かせて欲しい」
僕がそう言ってパウラの小麦色の手を取ると、彼女は金色の瞳に決意を湛えて重い口を開いた。
「その、コンラートのことなのですが……彼、最近深夜になると工房内の植木鉢からポーション用の材料を無断で採取しています。街に出る際に後を付けたら、怪しい商人風の男に売っていました」
パウラはこの数日ずっと相談すべきかどうかを一人で悩んでいたのだろう。その表情は沈痛で僕は彼女のそんな気持ちに気付けなかった自分の鈍さに歯噛みする。
「まさかとは思うけど……フェイの想い人ではないね?」
「はい、違います。シュウから、少しずつではありますが。フェイの想い人はとても丁重に扱われて、今では数枚小さな葉を出しています」
まさかあの状態からもう葉を出すまでに回復させているとは思わなかったが、やはりコンラートに任せて良かったと安堵する。
「そうか、良かった。ではシュウは何と言っている?」
「シュウが言うには“人の子はいつも衰えかけた葉を謝りながら持ち出す。苦しげにくぐもった声で。だから、あまり気にしてやるな”と」
なるほど。シュウの葉は稀少なシェビアのものとして高い価値がある。それに何より衰え始めたものでもその辺のマーケットに出回る物とは格が違う。採取されるシュウ本人が気にしていないどころか許せというのならば、僕に異論はない。
「それでは王緑石と后紫石はどうだ? あの石の場所はコンラートも知っているはずだ」
「いいえ、それにはまだ手を付けていません」
「それは妙だな。コンラートならあの石の価値を知っているだろうし、金銭に困っているなら物取りに押し入られたように見せかけて、あれを盗んで売り払った方がよっぽど実入りが良いのに」
情報を整理しながら低く唸って首を傾げる僕を、パウラが不思議そうな表情で見つめてくる。そこで“どうした?”と視線で促せば、パウラは少しだけ嬉しそうに微笑んで、言った。
「マスターは、コンラートの行動を怒ってはおられないのですね」
「ん……そう言われてみればそうだな」
少し前までの僕なら今回の件でコンラートに失望し、臆病な殻を閉じて彼を切り捨てたに違いない。ロミーも同罪だと断じて二度と交流しなかったはずだ。
そう冷静に判断しながら何故腹が立たないのか自問自答してみる。
すると意外なほどにあっさりとある一つの答えが出た。
「コンラートは無礼で粗暴だが、薄情でも愚かでもない。だから今回の件は必ず理由があるはずだ。それも……友人の家を荒らすほどの理由が」
自分で口にしながら何となくむず痒い気分になる。しかしそれでも言葉を訂正する気にはならなかった。コンラートはああ見えてとても情に厚い。人の面倒を見るのも割と嫌いではないのか、僕達も彼に出会ってから随分と助けられた。
そもそも利益で言えばコンラートの店の方が高い。
冒険者でもないのに危険な仕事をこなす客が多いこの地区で、冒険者と違い互助組織のない賞金稼ぎ達にとって、ポーションの性能が自らの命。その為に性能の高いポーションが如何に大切かを知る彼等は金払いがとても良い。五号店では考えられない上客だ。
それなのにコンラートはその収入では足りない何かに手を出した。こうして少し考えを巡らせるだけでも、あまり良い気配はしない。
「パウラ、教えてくれてありがとう。それからすまないけれど、引き続き彼の行動を見張っていて欲しいんだ」
正直コンラート相手に“見張る”だなんて言葉を使いたくはなかったが、他に言い表す言葉もない。僕の内心の葛藤に気付いたのか、パウラはソッと僕の手を包み込むように両の手で握る。
「直接問いただしても、あいつの性格からして簡単には口を割らないだろうから……頼む」
誰でも良いから助けるのはそれが仕事で、もっと突き放した言い方をすれば飯の種だからに他ならない。けれど、コンラート達は違う。その型には当てはまらない。
「どれだけの人間をポーションの力で助けても、友人の一人支えられないようでは意味がないんだ」
誰かを真剣に助けたい。こんな気分になったのは初めてだった。
「ふふ、マスターの方からそう言って頂けて嬉しいです。私もロミーに対して似たような感覚を持っておりましたので」
深刻になりすぎた僕を安心させるように軽やかにそう答えてくれるパウラに対して苦笑する。これでは最初と真逆だ。
「では、ロミーには僕から探りを入れることにしよう。とはいえ、四号店には今月の中間評定が待ち受けてる。五号店うちは今回も免除だそうだから良いとしても、コンラートの店の評価を下げる訳にはいかないからね」
今回の中間評定は前回コンラートから『次の評定に出すポーションはロミーに作製を任せるから、オマエ補助してやってくれるか?』と頼まれていたのだ。
「この一件に片が付けば、きっとパウラの元に帰れる。コンラートも何から逃げてるのか知らないけど、そろそろ戻ってもらわないと困るしな?」
パウラの手前そう微笑んでみたけれど……。現在では使用を禁じられているエンダムの香り、その香りを一時でも纏っていた得体の知れないブルーノの存在、自分の工房を離れてまで何か危ないことに手を出したコンラート……。
秘密を打ち明けてホッとした表情を見せるパウラに悟られないように腐心しながら、僕は心の中に言葉とは裏腹な振り払えない暗雲が立ちこめていくのを感じた。
***
前日パウラからの報告を受けた僕は店が終わってこのところすっかり日課になっている勉強を見る時間に、取り敢えず何か隠している兄妹の片割れ……つまりロミーに話を訊くことにした、が。
「……はい?」
机の向かい側に座る教え子の口から出た言葉に、一瞬自分の耳を疑う。
「ちょっと何よ、何なのよ、訊いておいてその態度? ア、アタシだって恥ずかしいのにヘルムートが訊くから!」
僕の反応がお気に召さなかったロミーはそう顔を真っ赤に染め上げて怒り出すが、申し訳ないことに半分も理解が追いつかない。いや、そもそもまだ十五歳のロミーの口から飛び出すには相応しくない単語だった気が――。
「あ、え、本当に? 本当にコンラートに夜這いをかけたのか? 君が?」
困惑のあまり思わず単語だけのぶつ切りな言葉になってしまう。そこにデリカシーだとか、配慮などというものは一切ない。
コンラートと同類というか、つまりそれくらい驚いた。
「いや、だって君はコンラートの妹だろう? それにまだ十五歳だ。そんな歳で夜這いだなんて……って、大きくなったら良いという訳でもないのだがな」
僕のその一言にロミーは顔を歪めて俯いてしまった。自分の失言に気付いた時には机の上に水滴が数粒弾ける。
「ねぇ……もしかしてコンラートがそう説得してくれって言ったの? ヘルムートに頼むくらいアタシが……嫌、だったって?」
何かおかしな勘違いをし始めたロミーを慌てて宥め、詳しく話を訊こうと隣に腰を下ろす。ロミーの細い肩がビクリと跳ねたが、僕は今度こそなるべく刺激しないように注意しながら会話を続ける。
「そうじゃない。でも考えてもみてくれ。何の説明も受けないで店を変わってくれと言われただけだと、理由を訊きたくもなるだろう?」
それが“普通”というものではないか? 例えそれが僕の想像していたものとかけ離れた内容だとしても、だ。
「理由なんて、それしか、考え、られないよ。それに、血が、繋がってないから、本当の妹じゃ、ないもん」
ついにロミーは机に突っ伏して大声で泣き出してしまう。その小さな背中に手を当てて辛抱強くさすりながら、すっかり感情的になってしまった彼女の話を掘り下げようと試みる。
「じゃあロミー、何故急に夜這いなんて仕掛けたんだ? 一番近くにいた君なら勿論コンラートが好む女性の研究もしただろう?」
暗に言えばコンラートはもっと胸部と臀部でんぶの肉付きが良い女性が好みだし、年齢も一応二十歳を越えた女性を対象にしていたはずだ。将来どう化けるかはまだ分からないが、今のロミーでは
それに何よりこれが今回の件の理由の全てではないにしろ、発端の一部ではあるのだろうし……これは両者が一旦話し合いの場を設けた方が確実に良い案件だ。
「そんなのしたよ! 絶対に、ずっと一緒にいたいから、毎日どんな女の人と会ってるのか、お客さんに訊いたし、自分で街に、探しにも、行ったもん!」
それを訊いて、鈍い僕にもようやく理解出来た。
たぶんコンラートはいつかこうなると分かっていたから、ロミーに必要以上に優しく接したりしなかったのだ。女性と遊ぶことが上手いコンラートがロミーの好意に気付かないはずがないだろうから――ずっと家族ごっこを演じてきたのだろう。刷り込みで義妹が自分に恋をしたりしないように。
けれど恐らくロミーはコンラートが気付く前から自覚せずに恋をして、何かをきっかけに溢れてしまった。
「コンラートが、次の中間評定に、アタシのポーション、出せって。それで高得点が取れたら、もう、ここはオマエの店だから、一人で大丈夫だって」
そう机に伏したまま、くぐもった声でロミーが言う。僕は常ならばもっと上手く言い逃れるだろうコンラートの不器用な言い分に苦笑する。そんな風に言われて、ロミーはさぞかし気が動転したに違いない。その場に居合わせていない僕にも何となくだがその光景が想像出来た。
それに本人達には申し訳ないものの、お互いを思い合っての揉め事は少し微笑ましいような気もする。だからといってコンラートが金策をする理由が謎のままなのは変わらないのだが。
「ここはひとまず、二人で一度しっかり話し合ったらどうだろう? 明後日にはまた会いに来るだろうし、その時に一旦お互いの工房に戻ろうと僕からも提案してみる。どうかな?」
背中をさすりながら諭すようにそう声をかければ、ロミーの頭が微かに頷くように動いた。
***
――二日後。
「なぁ、パウラ。あの二人今頃どうしているだろうな?」
久々の帰宅にすっかり寛いだ気分で本に視線を落とす僕の後ろでは、以前のようにパウラが飲み物を用意してくれている。
「さぁ……どうでしょう? 私はコンラートと一緒にいる間、彼が意外と気弱な一面があるんじゃないかと踏んでいたんですけど」
パウラの少し考え込むようなその声は耳朶じだに優しく心地良い。ふと振り返ってその姿を視界の中に納めれば、言いようのない温かなものが胸の内に広がった。僕の視線に気付いたパウラが微笑んでくれる。
その微笑みにつられるように頬を緩めかけた――そんな時だった。
『ヘルムート! パウラ!! ここ開けて、助けてぇぇ!!!』
突然悲鳴に近いロミーの声が階下の工房の裏口付近から聞こえた。次の瞬間、僕とパウラは弾かれたように一階に駆け下りる。 軋むくらいの強さで叩かれる裏口のドアを確認した僕は、手近にあった明かりを灯してドアを開けた。
開けた途端に倒れ込むようにして僕の胸に飛び込んで来たロミーは錯乱状態で、いつもは好奇心に輝くその瞳は今は恐怖に見開かれ、まるで言葉を忘れてしまったように呆然と僕を見上げた。
驚いた僕が“どうしたんだ”と声をかけるより早く、その異常に気付いたパウラがすぐ背後で緊張した声を上げる。
「ロミー、その大量の血液はいったい誰のものなの?」
一瞬、彼女が何を言っているのか理解出来ずに振り返ろうとして――僕の服を握り締めるロミーの手が妙にベタつくことに気付いた。
「お願い、お願いぃ、助けて、コンラートが、コンラートがぁぁぁ……!」
パウラの言葉に正気を取り戻したロミーが、再び恐怖に取り憑かれて泣き叫ぶ。
――その髪から微かに香る甘ったるいエンダムの香り。
僕はパウラに「ロミーを頼む!!」と言い残して、彼女の返事も聞かずに深い闇に彩られた外へと駆け出した。
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