*17* 怒りの鉾が向かう先。(後編)

 僕の言葉で何とか機嫌を直してくれたパウラは、周囲を取り囲む面々をぐるりと見回してしたり顔になった。けれどすぐにやや気難しい表情になる。


「まずはこの中で感染された方々ですが……恐らく一般の方よりも魔力の適性が高い方々だとお見受けします」


 試しにパウラが指を差して選んだ人物のことごとくが、僕が以前治療に当たった元・患者ばかりだ。しかしそう言われたところで魔力の適性が高いなら、冒険者が先に倒れそうなものだという意見が数人から上がる。


「パッとお見受けする限りでは、冒険者の方々は戦士の素質を持つ方が多いのではありませんか?」


 指摘されて周囲を見渡せば、確かにその通りだ。みな顔を見合わせて不安気な表情を浮かべている。オットーとハンナを見ても同様の反応だ。


「……異論がなくなられたようで結構」


 慇懃いんぎんとも取れる言葉ですっかりこの場を掌握したパウラが、ぎこちなくはあるものの、ほんの少し微笑んだ。


「では倒れられた方々の中で、何か気になったことのある方はおられますか?」


 これならば僕にも答えられそうだ。僕が手を挙げたことで周囲の人間は驚いたように見えたが、そのお陰で元・患者達も手を挙げてくれた。隣に座るパウラが先程までの印象を消し去って、労りの籠もる優しい視線を向けてくれる。


 実際に小麦色の冷たい手が僕の手を包み込むように握るものだから、主に同性の同業者からの視線が痛い。


 僕や元・患者の証言は多少例えの差異はあったものの大まかな部分はほぼ一致していて、あとの人間を黙り込ませるには充分な説得力を持っていた。


 ――しかし。


「一つ不思議なんだが、気を悪くしないで聞いてくれ。ただ、パウラさんは今回の一件に最初から関わっていた訳でもないのに何故そう断言出来るんだ?」


 あまりこういうことに敏くなさそうなオットーからの意外に鋭い指摘に、パウラは明らかに面倒そうな視線を投げかける。どう答えるつもりなのだろうかと少し興味を引かれていると、彼女の唇が僅かに歪む。


「別に、私にはそういう“素質”があるので。何となく分かるだけです」


 素質か。危なげない上手い言い逃れの手口に、思わず「ふむ」と声が漏れた。そう言われてしまえば、その目には見えないもので職を選んだ彼等は口を噤つぐむしかないだろう。


 案の定オットーを含む他の冒険者達はしきりに頷いている。僕はこうしてパウラに人あしらいまで差を付けられるのか。植木鉢から育ててきた彼女の独り立ちを見ていると感慨深いものを感じた。


「素質か、了解した。それでパウラさんはこの熱病に何らかの因果関係があると、そういうのか?」


 この場を纏めるのに一番相応しいと思われたオットーが皆の意見を集約させて口を開けば、パウラはその金色の目を眇めて頷く。


 あまりこういうことに敏くなさそうなオットーからの意外な指摘に、パウラは明らかに面倒そうな視線を投げかける。どう答えるつもりなのだろうかと少し興味を引かれていると、彼女の唇が僅かに歪む。


「ええ。此度の熱病騒ぎの元凶は、恐らくですが……この宿に使用されている木材です。この村の近隣に大樹があったのではありませんか?」


 ふとパウラの瞳の奥に、一瞬言いようのない黒い感情が渦巻いているように見えた。僕とパウラを含むあまり都市部から出ないポーション職人を除いた冒険者達に訊ねると、そのほとんどが“知っている”もしくは“たぶんあの樹だ”と中りを付けられる大木がこの村にはあったのだそうだ。


 ――“あった”。


 パウラがそう表現するからには、もう既に失われているのだろう。断言するようなその言葉に気付いたのは僕だけではなかった。メンバーの数人が顔を見合わせている。


「簡単に言ってしまえば、これはこの地にかけられた呪いです。ですから私達は何の影響も受けません。受けたとしても一種の魔力酔いですので、一般的なポーションで回復します。ただあくまでも――私達は、ですが」


 シン、と最後の一言で静まり返った宿の中で、パウラだけが清々しい表情になって僕を見つめる。このままだと帰ろうと言い出しかねないパウラを、どうこの場に留めて置こうか僕が思案していると、オットーが名案を思い付いたとばかりに人好きのする笑顔を浮かべた。


「なるほど、理由が分かれば手も打てると言うものだな。これで明日の作業に張りが出るな! それでは皆、今夜はもう休もう。そういう訳だ、詳しい話はまた朝にでもよろしく頼む、パウラさん」


「うんうん、今の話でこっちはどんな動きも取れるって分かったもんね。これでもう少し頑張れそうだよ!」


 空気は吸うものだと考えているオットーとハンナが、空元気でも虚勢でもない本心でそう言えば、周囲の人間の表情にも余裕や鋭気が戻ってくる。場を盛り立てるだけ盛り立てた後、皆はあてがわれた寝室へと各々戻っていった。


 数十人からなる“パーティー”が解散した食堂に残されたのは、僕とパウラの二人だけとなる。彼女はしばらくその視線を宿の隅々に向けていたが、やがて細く息を吐くと悔しげに顔を歪めた。


「マスター、今から私の言う言葉をどうか許して下さいますか?」


「それは勿論構わないが……あのな、パウラ。僕と君は対等だ。許すだとか、許さないだとか、そんなものは関係ない」


 やんわりとだが、しっかりと知っておいて欲しくて、僕は彼女の金色の瞳を静かに覗き込む。そんな僕から逃れるようにそのまま俯いてしまったパウラに、どうしたのかと声をかけようとして、机の上で水の玉が弾けるのを目にして止める。


 しばらくして堪えきれなくなったのか、その華奢な肩が小刻みに震えた。落ち着かせようかとも思ったけれど、何となくそのままにしておいた方が良い気もしたので少し見守ることにした。


「マスター……」


「うん?」


「私、本当は――貴方以外の人間なんて、大嫌いです」


 まるで甘い秘め事を囁くみたいに、パウラは小さく言葉を紡ぐ。僕はその言葉にただ「そうか」と答える。僅かに落ちる静けさの後「ごめんなさい」とパウラが俯いたまま呟く。


 むしろフェイの一件もあった後ではそれが普通の反応のような気がしていた僕は、その謝罪を素直に受け取ることが出来なかった。


「パウラが謝る必要なんてどこにもない。謝るのは僕の方だ。今回は君を巻き込むことになってしまった。すまない」


 そこでさっき自分からした宣言を思い出して苦笑してしまった。フッと僕が笑ったせいで揺れた空気に気付いたパウラが顔を上げる。その金色の瞳は水を湛えて潤んでいた。


 涙なのか違う物質なのか、何て野暮なことを考えかけてしまう自分の職業病が嫌になる。今はただ……その顔を上げてくれただけで嬉しかった。


「謝り合うのはもうなしだ。パウラは僕を助けてくれる為にここへ来てくれたんだろう? だったら、何も考えないで。僕のことを助けてくれ」


 今回のことで彼女は間接的とはいえ、仲間を裏切ることになるのだろうと察せられた。それも恐らくは、人間である僕のせいで。


「勿論です、マスター。例え同族であろうとも、私のマスターを酷い目に合わせた“落とし前”はきっちりつけさせてやりますから」


 その彼女に似合わない言葉に思わず噴き出す。僕が留守にしている間にこんな言葉を教え込んだのは、まず間違いなくあの兄妹だろう。


「何故笑うんですかマスター。使い方が間違っていましたか?」


 少し膨れてパウラがそう訊ねてくるものだから、僕はこみ上げてくる笑いの発作を抑えようと努めたが――見事に失敗して再び噴き出す。僕のその姿に涙は引っ込んだようだったけれど、代わりに羞恥からの怒りが顔を覗かせる。


 「マスターなんてもう知りません」とそっぽを向いてしまったパウラの背中を見つめながら、この先彼女の身に今回と同じことが起きたとしたらその時は――。そんなことを考えて眺めたパウラの後ろ姿からは、朝霧に濡れた森の香りがした。



***



 そして、翌朝。パウラは食堂に集まった“パーティーメンバー”を前にして、部隊を二編成に分けた。


 一つは冒険者部隊。


 そしてもう一つは僕を含めたポーション職人の部隊だ。


 パウラは冒険者部隊に周辺の町や村のギルドから“精霊使い”と“神官”を出来るだけ多く捜してくるように言付け、もう一方のポーション職人達には僕の補佐をするように命じた。


 彼女曰わく「土壌にかけられた呪いは私達にはどうしようもないですから」という身も蓋もない発言にこちらも頷くしかない。畑違いの分野に手が出せないのは冒険者もポーション職人も同じだった。


 であれば、お互い得意な分野で活動しようと発起しあって黙々と作業に従事するに至った訳だ。僕達は土壌の解呪が成されるまでの間に残された患者の回復を少しでも早める為、持ち寄った材料から少しでも効力の高いポーションを作り出す役目を担った。


 ポーションの補佐と言っても乳鉢で薬草を煎じるだけの、ごく簡単だが数がいる以上は腕への疲労が半端ではない作業をこなしてもらう。他の職人達は僕があの【アイラト】の職人だということもあって、文句も言わずに懸命に薬草を煎じてくれる。


 しかしさすがに鉱石を使用していることが知られては具合が悪いので、何か別の素材をと思ったのは確かだが……。


「パウラ……本当にやるのか?」


 別室に二人だけで作業場を借りた僕達は今、向かい合わせの状態で座っているのだが、全く気が進まない僕に向かって小麦色の腕を差し出したパウラは、フワリと微笑みを交えて言った。


「はい、ザックリやって下さいマスター。私の樹液でしたら、その辺りの鉱石なんて目じゃないようなポーションを作れます」


 ――ポーション職人として、その効果を知りたい。

 ――けれど、そんなことで彼女に傷を付けたくない。


 震える手でナイフの柄を握りしめたまま逡巡する僕の手を取ったパウラが、止める間もなくその小麦色の腕にその刃を突き立てる。小麦色の肌から零れ落ちる真珠色の彼女の体液が、透明なポーションに落ちた瞬間、溶液をパッと紅く染め上げた。


 目を見張るほど鮮やかなその色は、動脈を切った際に溢れる鮮血よりも尚紅く、紅玉ルビーを溶かしたのかと見紛うほどに美しい。


「これで……私が一番の功労者です。工房に戻ったらうんと褒めて下さいね? マスター」


 僕は恥ずかしそうにそうねだるパウラの傷に包帯を巻くのに夢中で。そのポーションが後々大きな波乱の種になるとはこの時、露ほども思わなかった。

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