*18* 後始末は準備より面倒。
ディネルの村での一件は、パウラの助言のお陰で原因を突き止めてからの対応が早かった為に人死にが最小限の被害で済んだ。
それはまぁ、喜ばしいと言えなくもないが……原因となったのは、あの村の守護と繁栄を司るようにと数百年前に村を立ち上げた際に植樹された【ガジェイラ】の樹だ。
今から数百年ほど前までは各地にこうした“神聖樹”と呼ばれる、その土地の気候に適したシンボルツリーが多く存在していた。精霊の好むと言われていた樹を植樹する土着信仰が盛んだったのだ。
それを最近街道を使う人間が増えたことに欲をかいた村長以下、村の年寄り連中の提案で切り倒してその木材で旅人や商人を多数受け入れられる宿を建てたのが、樹に宿っていた精霊の逆鱗に触れた。数百年もの間、人通りの絶えない中継地として旅人や商人を受け入れながら流行病の一つもなかったのは、彼の精霊の守護があったからだというのに。
オットー達が連れてきた“精霊遣い”や“神官”が大地と【ガジェイラ】の樹に祈りを捧げる間、その大きな切り株をパウラと並んで見つめた。その年輪の数だけ見守り、加護を与え続けた精霊の哀しみと怒り、その絶望感はどれほどのものだったのだろうか?
村の男手が総出になって切り倒したという幹周りは凄まじく、振り下ろされた斧の音が、今にも僕達二人の耳に届きそうだ。隣で怒りと怖れに震えるパウラの肩を抱きながら、僕達は彼の精霊が緩やかに再び眠りにつくようただただ、祈った。
その後さらに五日ほど滞在して残りの患者が完治するまでの間、僕はパウラの腕に傷を付け続ける羽目になったのだ。人間のように血が流れない彼女が生み出す紅いポーションは、まるで人のそれと――いや、それとは比べ物にならないほどに美しい。その鮮やかな紅さたるやゾッとするほどだった。
そして何よりも驚かされたのはその他に類を見ないまでの回復力。貴重種の中でも代名詞のようなマンドラゴラだが正直あそこまでだとは恐れ入る。弱り切っていた患者の奇跡的な回復劇は、その場でその光景を目にしたポーション職人達の口伝えに各工房内に広がって行った……らしい。
“らしい”というのは僕がそれ以上パウラに傷を付けるのが堪えられなかったことと、村人達を助けることへの熱意が失せたせいで早々に帰路についたからだ。オットーとハンナは金の腕輪の冒険者とは思えない低姿勢で何度も礼を述べてくれたし、謝礼は後で小切手を送ってくれるということだったので長居をせずに済んで助かった。
―――と。
まだその感傷に浸りたい僕の前には、現在山のように積み上げられた始末書の束がある。勝手に工房の名前を濫用したペナルティーは思っていた通り高く付いた。
「ま、しかし……気の毒な奴だよなオマエも。突然無理やり派遣された挙げ句に、ちょっと工房名の濫用しただけでコレだもんな」
二日前の夕方戻った工房には、すでにこの店の店長のような風が漂い始めているコンラートがいた。
溜め息を吐きながら誓約書にサインをしている僕の目の前で、少しも気の毒がっているようには見えないコンラートが片肘をついてこちらを見ている。ニヤニヤと細められた三白眼を睨み付けるも、その通りなので反論はしない。
「おい、そう睨むなよ。こっちはオマエが留守にしてる間にしっかり集金しといてやったんだ。大体、金がねぇなんて言ってる奴はなぁ、大方ある時はあっという間に酒と賭博でスるんだよ。持ってる時を見計らって剥ぎに行かなきゃいつまでも返さねーって」
……頼もしいが、その顔は限り無く借金取りのそれに似ている。
どうやら僕の留守中に隠してあったあのノートを見つけ出して、名前を頼りに家を探して取り立てて来てくれたらしい。道理で店に戻って来た時にご近所の人達が覗きに来た訳だ。
「コンラートの言う通りですよヘルムートさん。優しいのは結構ですが、それと甘やかしは別です」
そこへ冷たい飲み物を用意してくれていたパウラが現れて、コンラートの擁護をしながら持ってきたグラスを手渡した。その腕に巻かれた白い包帯のコントラストが小麦色の肌に痛々しい。
「そそ、良いこと言うじゃねぇか。オマエも見習えよ?」
それを受け取りながらニヤリとするコンラート。今回の一件で僕の留守中にすっかり仲良くなった二人からの攻撃に苦笑しながら、サインをする手を止めてパウラからグラスを受け取った。
「今回はコンラートのお陰で色々と助かった。店番もシェビアの世話も、集金もそうだが」
一旦言葉を切った僕に二人の視線が集中する。
一方は面白そうに。
もう一方は不思議そうに。
「その、何だ。僕のところへパウラを寄越してくれて……ありがとう」
正面を向いて言葉にするのもむず痒くて書類に目を通すついでのように装うが、空気が少し揺れた気がするのは恐らく二人が笑ったせいだと思う。
「――それはそうと、コンラート。お前自分の店はどうなっているんだ? お前がフラフラ外を出歩いてばかりだとロミーが大変なんじゃないのか?」
今の会話の気恥ずかしさを誤魔化す為と、ふと浮かんだ素朴な疑問が口をついて出た。すると、それまでパウラと二人で笑っていた気配がスッと消える。空気が変わったように感じて書類から視線を上げると、そこには何か渋い物を口に含んだように顔をしかめたコンラートの姿があった。
何やらただならない気配を察した僕は、パウラに視線を向ける。パウラはそれだけで僕の意を汲んで、工房と店舗を繋ぐドアの向こうに姿を消した。工房には僕とコンラートだけになる。
「それで、どうした? 女遊びのし過ぎでロミーに追い出されたのか?」
書類の束を自分の前からどかした僕は机の上に肘を付いて手を組み、その上に顎を預けてコンラートを観察する。
「オマエはホント、鈍いのか鋭いのか分からねー奴だよなぁ」
短く舌打ちをしたコンラートは頭を掻きながら机の脚を蹴る。その振動で書類の束が崩れかけたのを慌てて押さえた。軽く睨むと意外にも素直に謝ったので鷹揚に頷くに留める。
「こんなことでせっかくオマエに着せた恩を使うのは勿体ねぇんだが――」
「悪いが部屋なら空いてないぞ」
「早ぇよ、馬鹿。そうじゃなくてだな……」
コンラートは憮然とした表情でもう一度呟くように「そうじゃねぇよ」と繰り返す。いつもは人を食ったような色を放つ三白眼の瞳が、今日は珍しく思い悩んだ風に揺れている。
頭の中で言葉を組み立てたり崩したりを繰り返しているのか、その瞳が忙しなく動く。常なら歯に衣着せぬ発言を繰り返すこの男が、こんな風に思い悩んだ素振りを見たことのない僕は、少し意外に感じつつ言葉の続きを待った。
しかしそれでもなかなか話し出そうとしないコンラートに、ついに焦れた僕が水を向けてみようと思い立った時、その口が開かれる。
「オマエさ、しばらくオレと店舗交換してくれねぇか?」
「――はぁ?」
僕は書類を支えるのも忘れて唐突なコンラートの提案に間の抜けた声を上げた。その直後に机から雪崩落ちた書類達が、工房の床にぶつかって“バシャリ”だか“グシャリ”だかの音を上げて四方に広がる。
思いのほか大きく響いた紙の束の落ちるその音に、驚いた顔をしたパウラが工房内の様子を窺う為に飛び込んできて唖然とする。
その姿を視界の端に捉えながらも――同じような表情で動けない僕にはどうすることも出来なかった。
***
朝、目覚めて真っ先に目に入る天井の様子がいつもと違うと感じる。すると今度はベッドマットの固さ、窓にかかるカーテンの柄、照明の形が違うことに気が付いて――。
「あぁ……そうか。コンラートの店と入れ替えたんだった……」
低血圧なせいですぐにはベッドから身体を起こせないせいで、力なく寝返りを打つ。すると昨夜寝る前に読んでいた古い薬学書の角が頭に当たる。昨夜何故か一人でこの四号店を訪れる羽目になった僕は、驚きに目を丸くしているロミーに事情を説明してコンラートの部屋を借り受けることになった。
視界の端に昨日手が痺れるくらいサインと謝罪と、弁明を書き連ねた書類の束が収められた紙袋が置いてある。直後に朝から見たくもない物を視界に入れたことを後悔した。
まだ遠征の疲れが取れていない僕を単身四号店に行かせることに最後まで反対していたパウラを何とか宥めて、この間の恩返しだと思ってやってきたのはまだ良い。しかしロミーに何があったのかを訊いてもコンラートと同様に口ごもるものだから、もうそれ以上は訊かないことにして早々に就寝したものの――。
「いや、どう考えても変だろう……この状態は」
そう誰に問いかけるでもなく零れた呟きは、虚しく見慣れない室内に吸い込まれていく。ただ、見慣れないとはいえ幸いにもコンラートと僕の部屋の雑多さ加減は良い勝負だ。
そこら中に積み上げられたバランスの悪い本の塔を見た時は、不覚にも胸がときめいた。昨夜就寝前に読んでいたこの本も、とても興味深い内容で疲れを忘れて読みふける内に眠ってしまったのだろう。
ようやく身体が動かせる状態になって店舗に顔を出せば、ロミーが一人で開店準備を始めている所だった。いつもは元気に輝いているその横顔が、今朝はどこか翳りを帯びている。
「あ! おはよー、ヘルムート。昨夜は良く眠れた? お腹空いてない?」
覗いていた僕の気配に気付いたロミーは、サッと翳りを脱ぎ捨てて元気な声を上げると猫のようにしなやかな動作で近寄ってきた。
「いや、今日は少し昨日書き上げた始末書を本店の方に提出しに行こうと思っているから、朝食は外で食べてくるよ。昼食は……そうだな、何かロミーの好きな物を買ってくるから一緒に食べようか?」
何となく気紛れに口にした提案に「え!? 一緒に食べてくれるの?」とこちらが思いもよらないはしゃぎ方をしてくれた。コンラートめ……この様子だと普段はロミーが一人の食事が多いのだろう。戻ったら少し注意してやらないと、と密かに決意を固くする。
しっかりしていてもまだ十五歳だ。気が付けばふとその頭に手を置いて撫でていた。掌の下で硬直しているのに気付いて慌てて謝罪すると、ロミーは少しはにかんだように微笑んで「ううん、ちょっとびっくりしただけだよ」と言う。
そんな姿を見て注意することを二つに換算し直す。ロミーはもっと褒められてしかるべきだ。それから二十分ほど開店の準備を手伝っていたら店のドアから若い、というか僕と同年代くらいの男が入ってきた。
開店時間にはまだ早いし、ロミーが「ブルーノ、おはよ」と挨拶したのを見ても、恐らく彼がコンラートの言っていた一号店から来た見習いだろう。その後ロミーが一旦奥の工房に引っ込んでしまったので、店内には僕と見習いの彼の二人だけになる。
全く面識のない人間と二人だけというのは苦手だ。それでも一応この店にいる間は同僚になるのかと思って挨拶しておこうかと進み出たのだが――。
「あぁ、五号店の……。あなたは“何かと”有名なので、挨拶などいりませんよ。仕事の邪魔をしないでいて下されば結構です」
さすが本店の見習いだ。まだ見習いなのに格が低いとはいえ店持ちに対してなかなかの言い種である。早々に胃が痛ま……ないな。どちらかと言えばムカつくか?
澄ました顔で横を通り抜けるブルーノの衣服から、どこかで嗅いだことのある香りが鼻についた。
何か妙に引っかかる甘ったるい感じだけれど、これ以上不愉快な人間の傍にいるべきでもないなと思い直し、奥のロミーに声をかけて好物を聞き出してからその場を後にした。店を出てしばらく歩く内にふとあの香りの正体に近い香りを思い出した僕は、足を止めて四号店を振り返る。
「そうか……さっきの香り【エンダム】に似ているんだ」
店の窓越しにブルーノの姿を探したが、彼は既に店の奥に姿を消してしまっていた。
【エンダム】は効能は高いがその調合難易度と、失敗した際に現れる副作用の強さから劇物指定を受けポーション職人の間ではとうに廃れた禁止植物の香り。
今では流通は愚か、採取も厳しく取り締まられている植物の香りが何故本店からの人材とはいえ、まだ見習いのブルーノの衣服からしたのだろう?
――僕は何となくだが、四号店に危険な香りが満ち始めている気がした。
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