*16* 怒りの鉾が向かう先。(中編)
――今朝でこの村に来て六日目。
僕が思っていた通り、やはり病に伏せった他の村人は全員同じ家……つまり村長の邸に集められていた。
この六日で亡くなったのは一人。それも高齢の男性だったので、連日続いた高熱に身体が耐えられなかったのだろう。問題はその亡くなった高齢男性が村長だったことくらいなのだけれど……何だ、大問題じゃないか。
ただここで弁明をさせてもらえるのなら、僕がここに到着した時点で村長は自力で水を飲み込むことすら出来なかった。だからという訳でもないが、こればかりは仕方がない。僕は一介のポーション職人で、医者でも神官でも、ましてや神でもない。目の前で老人が事切れる瞬間を看取ってやることしか出来なかった。
しかし幸いと言うべきか迷うが元々そんなに大きな村ではなかった為、被害者はそう多くない。最初の治療に当たった時は、持ってきた手持ちのポーションで賄えるほどの人数で助かったのは事実だ。
そして僕の作ってきたポーションは、他の工房の職人達が持ってきた物よりも多少は効き目があったのか、どの患者も熱は今のところ微熱程度まで抑え込めている。
――ただし、それも今のところは、だ。
原因が何なのか分からない以上、根本からの解決にはならないからだ。それに僕は医者でもない。この先どう手を打てばいいのかが見当も付かない現状は全く変わっていなかった。
お陰で連日その日使用した分のポーションを調合し続けるという、終わりの見えない作業に追われている。
眠気で考えが纏まらない僕のいる隣の部屋では、まだ四十人ほどの患者が横たわって、再び高熱にうなされるかもしれないことに脅えていた。室内に風を通そうにも外の気温の方が身体に障るだろうからと、大窓は早朝と夜半にしか開けられないせいで患者達の気持ちも落ち込んでいる。
それに問題はそれだけでもない。持ってきたポーションの材料の在庫が底を尽きそうなのだ。いま手許にあるのは、諦めてこの村から帰って行く職人達に頼んで分けてもらったごく一般的なポーションの材料しかない。
出かけ際にシュウに貰った葉の内の二枚は、その時大量に熱冷ましにしか使えない薬草を持っていた職人と交換してしまった。一応それらの材料を調合してはみたものの、恐らくパウラと一緒に調合を考えついたポーションの半分も効力を発揮しないであろうことは目に見えている。
そこで僕はここから各々の工房へと帰って行くみそっかす仲間達に物資援助の旨をしたためた手紙を持たせ、最後に工房名と自分の署名をして持ち帰ってもらうことにした。僕個人の署名には何の力もないが【アイラト】の名前を目にして手紙を握り潰せる工房は、そう多くないはずだ。
この手段が完璧に権力を笠に着た、あまり褒められたことでない遣り口なのは重々承知している。けれど今はそんなことに形振りを構っている暇はない。オットーとハンナの二人も近辺での採取をかって出てくれ、毎日朝早くから夕方のギリギリまで粘って材料を持ち帰って来てくれることで持ちこたえている。
少ないながらも残ってくれた冒険者や職人達も手伝ってはくれるのだが、すでに僕達三人の体力は限界だ。夏の容赦のない暑さが、ジワジワと体力の消耗を早めていく。顔を合わせるのは夕飯の時間だけで、それすら口をきくのも億劫な状態なので自然と必要なことしか話さなくなってきた。
何とかこの事態に少しでも手を打つ時間を作らなければ――。
そうは思うのにここ数日の寝不足のせいなのか、あの臭いが初日とは比べ物にならないほど気になる。身体が酷くだるい。頭痛や吐き気はないものの、この二日程どこかぼんやりとした倦怠感が拭えなかった。
残り少ない鉱石をすり潰そうとした手が滑って、危うく乳鉢を取り落としそうになる。
考えてみればここへ来てから身体を横たえて眠ったのは初日だけだ。食事と衛生面からの湯浴みの他はずっと作業に没頭している。そこでふと“パウラは今頃どうしているのだろうか”という、僕には似合わない郷愁のような物が胸を過ぎった。
暗い方に思考が偏りかけていることに気付いた僕は、前日に届いた手紙の中にあった気になる一文にもう一度目を通そうと作業の手を止める。しかしその時ちょうど部屋のドアがノックされ、誰かの訪問を告げた。
この村に来て初めての来客に誰だろうと首を傾げつつ「どうぞ」と答えると――。
その直後破壊するのではという位に勢いよくドアを開け放って飛び込んできた人物は、電光石火の勢いで僕の首に腕を回して力一杯しがみついてきた。
その柔らかだが冷たい抱き心地に徐々に驚きから冷静さを取り戻した僕は、その肩に額を埋めて溜息をつきながら、この再会を喜べぶべきか怒るべきか良く分からない感情を持て余しながらも――その名を呼んだ。
「……パウラ、」
「マスター、お叱りなら後できちんとお受けし」
「――会いたかった」
パウラの声を遮ってその背中に腕を回して吐露しながら、そうか、自分は彼女に会いたかったのかと他人事のように感じた。そしてそんな僕の言葉にパウラが耳許で息を飲む気配がする。
さっきまでは乳棒すら取り落としていた僕の手は、パウラの身体を強く抱きしめていた。こうして腕の中に彼女の存在を感じている間は、あの忌々しい臭いもどこかへ霧散していくようだ。
次に目が醒めたら、今の自分の言葉と行動に悶絶するのだろうなと苦笑を漏らして、僕の意識は微睡みの中に沈んでいった。
***
久々に“泥のように眠る”という感覚を味わったその日の夕食時に、僕は採取から帰ってきた二人にパウラを紹介する。疲労の色が濃く滲み出ている二人を前にすると、自分の今日一日の無為な過ごし方を負い目に感じなくもない。
まぁ、しかし――二人はパウラの持ってきてくれた追加の材料に驚きと喜びを露わにしてくれたのでそれで帳消しにしてもらおう。
パウラは今回も難なく場に馴染んで、今は前日届いた手紙について二人の意見を聞こうとしている僕の言葉に耳を傾けているところだった。
「なるほど、君の言うことはもっともだな。確かにこの村の出身者で、他の土地で生活している人間の体調に影響がないのは妙だ」
「うんうん、それ言えてるよ! もしかしてこれって凄い発見しちゃったのかもよ? まだ何に使えるか分からないけど」
うん、こうして両者を見比べてみて分かるのは脳筋にもタイプがあるということだろうか。隣から視線を感じてそちらを見れば、僕と同じように苦笑しているパウラの姿があった。それだけで何か不思議と、楽観視してはいけないこの現状は何も変わっていないのにどうにかなりそうな気がしてくる。
「あぁ、ハンナの言うようにこれが何の役に立つのか、それとも立たないのか、まずはそれを見極めよう。それも――」
「可及的速やかに、だな?」
僕の言葉尻を引き継ぐ形で“ニッ”と歯を見せて笑ったオットーがそう続ける。するといつの間にか僕達の机の周囲をこの村に残った他のメンバーが取り囲んでいた。
彼等、彼女等はみな一様に真剣な表情で、最初からこちらの言葉を聞いていたらしい。ほとんどの者に面識はないものの、その中の数名は見憶えがある。数日前に僕のポーションで回復したばかりの顔だ。
まだ病み上がりの色は残るものの、あの時よりも幾分顔色の良くなった面子にホッとする。その内から一人の男が進み出て座っている僕の前に立つと「俺はアンタのお陰で命を拾ったようなもんだ。だから、ここからは俺のことを手足だと思って使ってくれ」と申し出てくれる。
その言葉を皮切りに後の数人も同じように名乗りを上げてくれた。僕がそんな彼等の存在を前に戸惑いを隠せないでいると、隣にいたパウラが歌うように朗らかな調子でその中に一石を投じた。
「私、今回の一件について少しですが思い当たる節がありますよ?」
そう何でもないことのように言いながら小首を傾げて頬に人差し指を当てるパウラに、一瞬その場の視線が集中する。かく言う僕もその内の一人だ。
「絶対とは言い切れませんが、それでも宜しければお話しますよ? 私としましては今回の件をサクッと治めて、早くヘルムートさんと工房に戻りたいので」
この場の空気が一変したのもどこ吹く風とばかりに、パウラの金色の瞳は僕だけをその視界に捉えていた。まるでここには僕とパウラの二人だけだとでも言いたげな微笑みに、そんな場合ではないというのにドキリとする。
「それで――どうします? 聞きますか?」
水を打ったように静まり返ったことに若干の苛立ちを感じたのか、パウラは僕を見つめていた瞳を何も答えないでいる周囲に向けてそう言った。
やや尖った彼女の声に周囲の人間が気圧されていると、僕の正面に座っていたオットーが大きな掌をこちらに向けてパウラを制する。
「いや……待ってくれパウラさん。この状況を打開する案があるならそれは是非とも聞いてみたい。聞かせてくれ。ただ――」
オットーの言葉の内に何か含むものを感じたのか、パウラの片眉が持ち上がる。ことここに至って初めて、僕はパウラが内心ではとてつもなく不機嫌であったことを知った。
「ただ、何でしょう?」
いつもの温かみを微塵も感じさせないその声音に背筋が寒くなる。
「俺達はここにいる間は一つのパーティーだ。君がヘルムートを大切に想っているのは分かる。分かるが……だ」
さらに先を続けようとするオットーを前にして、ふと、パウラの表情が壮絶な微笑みに彩られる。それを見た瞬間“このまま彼女に口を開かせるのは危険だ”と僕の本能が訴えかけた。なので、その常ならば優しい言葉を紡ぐ唇が開かれる前に口を挟むことにする。
「パウラ、僕からも是非頼みたい。君の知っている範囲で構わないから意見を聞かせてくれないだろうか?」
情けなくも焦りからやや早口になってしまった僕の言葉に振り向いた彼女は、いつものように輝く微笑みを見せてくれた……。
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