*15* 怒りの鉾が向かう先。(前編)
二日間の猶予を有意義かつ丹念に準備に使った僕は、何とかコンパクトに収めた採取用ザックを背負って店の中を見回す。時間はまだ朝の四時だが、今から出発しないと明るい内に到着しての調査が出来ない。
まだ様子を見ていたいフェイの想い人の小箱を少しだけ開いて「頑張るんだぞ」と声をかける。そう言えばパウラはまだ昨夜の“絶対留守番命令”が不服らしく、先程部屋の前で声をかけても顔を見せてくれなかった。
少し寂しい気はしたものの、仕方がない。
鉢植えの一人一人に「行ってきます」と声をかけて工房の裏口ドアへと向かいかけた僕は、ふと思い立ってシュウの鉢に近付いた。
その紺に近い青い楕円形の葉に触れて「二、三葉貰っていっても構わないか?」と伺いを立てれば、微かに楕円形の葉が熱を持つ。それを了承とみなして三葉だけ拝借する。シェビアの雌株は内側の修繕を司ってくれるが、雄株は外傷を癒してくれる能力を持っている。両者を揃えて持つのはその方が多種と混ぜるよりも多くの相乗効果が望めるからだ。
今回のような仕事が回ってきた場合一番に気をつけなければならないのは確かに病の方だが、二番目に気をつけなければならないのはそれに乗じて現れる物取り――要は人間だった。シュウほど色の濃い葉を持った個体は珍しいので、これだけでも他のポーションで薄めればざっと三十人分くらいにはなる。
出来ればそんなに役立つことがなければそれに越したことはないが……。
それを小瓶に入れてザックの外ポケットにソッと仕舞う。ザックの中には野外での調合キット一式と携帯用の応急措置道具、それから二日かけて作り溜めた熱冷ましに効果のありそうなポーションが目一杯詰め込まれている。
今度こそ支度を整えきって外に出ると、そこには二日前の約束通り早朝にも関わらずコンラートが待っていてくれた。コンラートが約束を守ってくれたことにホッとしつつ、僕はそれを面には出さないまま足早に彼に近付いて店の鍵を手渡した。
「じゃあ、悪いが……あの日陰に置いてある小箱の中のシェビアの世話を頼む。これが注意事項と肥料と、水と――」
「あーもー、分かってるっての! ここ二日眠る暇も与えないで散々講釈たれただろうが。乗合の馬車が出てねぇんだから、こっからだと今から歩いても到着は昼過ぎ頃になんだろうが」
「……そっちも仕事があるのに早朝からすまないな。戻って来られたら必ず礼をするから何か考えておいてくれ」
「来られたら、じゃねぇよ。こっちは野郎の為にタダ働きする気はねぇんだよ、馬ぁ鹿。とっととケリつけて戻ってこいや」
眠いからなのか、ややいつもよりその声音が柔らかい。僕は苦笑しながらコンラートに手を差し出した。
「あぁ、そうだな。留守の間に加算される恩が多くなりすぎない内になるべく早く戻るから、それまで――パウラを頼む」
「……女二人の相手は易くねぇんだ。帰ったら散々こき使ってやるよ」
コンラートはそう憎まれ口を叩きながらも、差し出した僕の手を握り替えしてくれた。
「行ってくる」
「おう、精々気張れよ」
その手を離して踵を返す。その間、最後まで二階の窓にかかったカーテンが開かれることはなかった。振り返らないで歩き出すその隣が空いていることに一抹の寂しさを感じる早朝の裏通りを、僕は久々にザックの重さを感じながら進むことにした。
***
僕がディネルの村の入口に辿り着いたのは、予定よりも少し遅い夕方に差し掛かる時間だった。というのも街道の途中にあった急拵えの検問所が上手く機能していなかったせいだ。
原因不明の熱病とあれば街道を一時的に封鎖するのは仕方がないとはいえ、呼び出された職人達と連絡の行き届いていない一般の行商人の選別作業くらいはもう少しスムーズに済ませて欲しかった……。
工房の中の暑さはまだ良いが、日陰のない道をこの季節に延々歩くのも待たされるのも、こんな時でもなければ遠慮したいものだ。
しかし到着して早々に感じたのは、意外なことだが村はそこまで異様な雰囲気に包まれている訳ではなさそうだということ。ただそれが返って不気味でもある。途中で一緒になった他の工房の職人達もすでに村の奥に進んでいる為、現在入口には僕だけだ。
何をしているかといえば馬鹿のように突っ立って空を仰いでいる。傍目から見ても、客観的に見ても、かなり怪しい人物だろう。けれど他人からどう見られようが、僕はあることが気になっていた。
その異変を感じたのはこの村の入口に辿り着く前からなのだが――少し気になる香りを嗅いだ気がしたのだ。
最初は甘ったるいバニラのような、それでいてアニスやクローブを煮詰めた時の独特の薬臭さもあり、後味は薄荷のようでもあったが、その最後は豪雨の後に土砂が流れ込んだ街道のような異臭を残した。
要約すれば胸焼けを起こしそうな臭いだったのだけれど、いざこの場に立ってみると香りはおろか、その痕跡すら分からない。一体どういうことだろうかと首を傾げていたら「おお、来てくれたのか!!」という聞き憶えのある低音だが伸びのある声に思考を遮られる。
ふと上から前に視線を戻せば、向こうから大きな身体をした冒険者風の男と、その後ろにこれもまた見憶えのある筋肉質な女性の姿があった。
「あんな封書を送りつけておいて何だが、まさか本当に来てくれるとは思わなかったぞ」
「はは……まぁ、職場からの通達事項と丁度内容が被っていたからそのついでだ。あまり期待しないでくれるとありがたい」
「そんな謙遜しないでよー。こっちは無名のパーティーだったうちを押し上げてくれた君ならって期待してるんだから!」
期待、とは……。僕がもっとも苦手としている言葉をサラリと口にする女冒険者に、一瞬胸の奥から苦い物が込み上げて顔をしかめる。
「コラコラ、お前はまた勝手なことを……。すまないな、暑い中の遠征で疲れているだろう? 村人達からの好意であちらの方に宿を借り受けているから、中で一服しつつ話を聞いてくれるか?」
その申し出はまさに今の僕にとっては願ったりだったので、間髪を入れずに頷き返す。それを合図にしてリーダーに 適当にあしらわれたことに不満の声を上げる女冒険者と共に、僕達は村人達から借り受けたという宿に向かった。
宿は想像していたよりもだいぶ立派な建物で、広さも申し分なかった。最近建て直されたばかりなのか、まだ真新しい木の香りが鼻をくすぐる。貿易の要所を繋ぐ街道というのはやはりかなり儲かるらしい。
それにしても……やはり妙だ。ここにいるのはほぼ全員が僕と同じような格好をしたポーション職人達なのだが、あの召集を受けた割にはあまりにその人数が少ない気がする。僕がそのことについて訊ねる前に、一緒に宿に来た冒険者二人は「何か飲み物と食い物をもらってくる」と言い残して一旦席を外してしまった。
けれどここに来て再び村にくる道中嗅いだあの臭いをほんの僅かにだが感じる。そのことが何故か気になって、宿の中で一人挙動不審な動きをとってしまう。
「どうした? 何か気になることでもあったのか?」
背後から声をかけられて振り返れば、食料の調達を終えた二人が戻ってきていた。少しだけ二人を観察してみるが、特にこの臭いを気にしている様子はない。どうやら自分は久し振りの遠征で来る疲れから、いつもより臭いに敏感になっているらしかった。
「後ろから見てたらさっきからずーっと空中の匂いを気にしてるみたいだったから。もしかしてそんなにお腹空いてた?」
そう暢気な言葉をかけてくる女冒険者に苦笑しつつ「そうかもな」と答えて席に着く。ここにきて初めてお互いにまだ自己紹介を済ませていなかったことに気付いて「ではまずそこからだな」とリーダーらしい冒険者に音頭をとられる形で簡単な自己紹介を済ませる。
リーダー格の男性冒険者は名前をオットー・コール。三十二歳。家族はおらず、十代の頃からずっと冒険者家業をしているらしい。よくある冒険者家系の出身ではなく、亜種のタイプだ。
短く角刈りにした黒髪と意志の強そうな同色の瞳。大らかだが決して大雑把ではない性格と、存外人の機微に敏い一面を持ち合わせた男だ。何となくだがコンラートは苦手そうな人種だと感じる。
装備はプレートアーマーとブロードソードという一般的な【戦士】の装備だが、本人曰わく以前よりもかなり材質が良くなっている上に、加護までかけられているらしい。しかし残念ながら僕には“鑑定”のスキルがないのでどれ位の価値でどんな加護がかけられているのかサッパリだ。
筋肉質な女性の方はハンナ・ステパット。二十一歳。見事な赤毛に大きな緑の瞳。右目の下にある泣き黒子ほくろが性格とのギャップを生じさせる。無駄のない身体は大型の猫のようだ。彼女は若い身空で天涯孤独……は、別にそう珍しくもないな。一応家族の内では祖母が冒険者だったそうだから、隔世遺伝的な適正開花型だろう。
しなやかな筋肉に動きやすさを重視した軽装甲。腰に提げた手鉄甲から恐らく【拳闘士】だろうと思われる。性格は脳き……楽天的で裏表がない。そこを好むか好まないかは人によって別れるだろう。例えば、パーティーを抜けた幼なじみとか。
他の三人はどうしたのかと問えば「アイツ等には家族がいるからな」という。裏を返せばいつ死んでも良いと思っているのはこの二人だけだということだ。正直それに巻き込むなとは言いたいが。
「それで何から訊きたい? 俺達が答えられることなら何でも教えよう」
「あぁ……その前に。小包にあった【王緑石】と【后紫石】の礼を言わせてくれ」
「んん? 違うぞ、あれはいつも世話になっている俺達から君への礼だ。それこそまだ幼竜の間に討伐を頼まれていたドラゴンの巣の近くにあったから、そのついでに拾って来たんだ。ここに立ち寄ったのは偶然だったのだが……君にしか頼めない案件だった」
「そうなのか。てっきりあれは今回のことで前払いとして送ってきたのかと。邪推してしまってすまなかった」
男同士で頭を下げあっていると、それを見ながらソーセージをかじっていたハンナ(そう呼べと強要された)に「ねー、さっさと話進めようよ」と突っ込まれる。それもそうだと譲り合っていては進まないので、オットー(これもやはり強要される)から聞かされる情報の中で気になる部分を質問する形にした。
これが功を奏して話はとんとん拍子に進んだのだが……内容はそこまで簡単に頷けるものではなかった。
オットー達の話を要約すればこんな感じになる。
*派遣されてきたポーション職人やここに運悪く滞在していた冒険者達にも感染するにはしたが、重篤化するものはいなかった。
*重篤化するものはいずれもこの村の人間だけである。
*外部の人間で感染した者は数日もすれば完治した。
*ポーションの類が効くのは外部の人間のみ。
*医者や神官に見せても原因が分からない。
――この時点で一介のポーション職人にはお手上げ状態だ。
そしてここへ来てあの検問所のやる気のなさも、表面上は穏やかな村の雰囲気の理由も分かった。
恐らくこの周辺にある都市のほとんどが、この村の住人が死に絶えるのを待っているのだろう。それはそうだ。実質他の土地の人間には被害が出ていないのだから。
職人の数が思ったより少ないのは“処置なし”と早々に切り上げたのに他ならない。恐らく村人は念の為にどこか別の場所に隔離されているのだろう。
検問所は誰かがここを訪れるのを見張っているのではなく、誰もこの村から出ないように見張っているのだ。動く者がいなくなればこの土地に火を放って、一切合切を燃やし尽くして浄化をはかる気に違いない。
そこまで考えて溜息が出た。パウラを怒らせて、炎天下の中、わざわざ足を運んだだけ無駄だったか。
「……一昨日からついに死人が出始めた」
きっと以前の僕であれば、オットーのこの悲痛な言葉にも“そうか、気の毒だったな”と返す程度に切り上げて、早々に帰路についたはずだ。なのに今、目の前でオットーとハンナが辛そうに顔を曇らせている姿を見ていても――僕の脳裏に浮かぶのは、金色のあの瞳だ。
……ザックの中にはまだ封を開けてもいないポーションが目一杯に詰め込まれている。
気が付けば暇乞いを告げるはずだった僕の口は「二人とも、まだ息のある患者の元に案内してくれ」と言葉を紡いでいた。
弾かれたように顔を上げる二人を前に、盛大な溜息を一つ。隣にパウラがいない日をここで何日過ごすことになるのかまだ分からないけれど、怒りをかってまで訪れたのだから、僕としてはせめて“仕事をしてきたよ”と彼女に胸を張りたかった。
英気を養う為の食事もそこそこに僕達三人は席を立って、帰り支度をする他の冒険者や職人達のいる宿を後にした。
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