*14* 過去最悪の出張予定。

 ユパの実でポーション液にとろみをつけながら練り延ばす。一瞬でも目を離せばたちまち火が通り過ぎて白く濁ってしまうので、眉を乗り越えた汗の玉が目の中に滑り込んでくる。


 汗の成分というのはどうしてこうも自分から出た物だというのに痛いのだろうかと、毎回のように感じては何を下らないことをと苦笑してしまう。汗の中にいる雑菌に思いを馳せる前に、目の前で徐々に色を鮮やかにしていくポーションに目を凝らさなければ。


 幾度か火にかけて、下ろしてという作業を黙々と繰り返す。後ろではパウラが懸命に乳鉢で鉱石をすり潰してくれているところだ。


 その気配を背中で感じながら、ユパの実でちょうど良いとろみが付いた辺りで火から下ろす。固まりきらない内に木べラで気泡が入らないようにゆるゆると混ぜながら粗熱を取る。後はそれを用意しておいたバットに広げて冷まし、固まるのを待って切り分ければ完成だ。


「ふぅ……そろそろ切りも良いし休憩しようか、パウラ」


「はい、マスター。それでは何か冷たいお飲み物をご用意して参りますね」


 七月に入ってまだ六日目だというのに、ここ数日で一気に気温が高くなり始めた。火を使う作業をしている時の工房内はかなり暑い。普通の職人はこうも暑いと嫌になるものなのだろうけれど、僕はそのことが嬉しかった。


 もっとも、以前まではこんなに室温が上がるほど一気に注文が入らなかったから、今はただ浮かれていて暑さが気にならないだけかもしれないが。


「お待たせしましたマスター。フェイがとびきり張り切ってくれたお陰で良いポーションになっていますよ。今日はソーダで割って、オレンジの輪切りを入れてみました」


 確かに葉をむしられて芯だけになってはいたものの、埋もれていたお陰で根はまだ辛うじて白い細根を残している。


 フェイの想い人の彼はまだ、生きることを諦めてはいなかったのだ。今は日陰の箱に安置してある。人間で言えばなかなかの外科手術を施した状態なので、あまり楽観視は出来ないがもう危険な山は越えたと思う。


 見た目がだいぶ変わってしまったのでフェイに会わせるのはまだ少しかかりそうだけれど、それでも傍にその存在をお互いに感じるだけでも力になるものらしい。


「へぇ、見た目も綺麗だし、夏っぽくて良いな。パウラはこういう取り合わせが上手いね」


 褒めるというより感心して口から出た言葉にパウラがはにかむ。細長いグラスに注がれた飲み物は目で見ても涼しげで、一口含むとソーダのシュワシュワとした感じがポーションの酸味と甘味を上手く引き立てている。


 パウラも僕が調合した栄養剤と保水力を高める成分を加えた液肥を、隣の椅子に座って美味しそうに飲み始めた。白色なので見た目には牛乳かヨーグルトのようだがさすがにその味は知らない。


 横目でそれを飲む彼女を観察しながら、取り敢えず文句を言わないで一気にあおれる味なのだろうと考えておく。出来れば味が分かるといいのだが、さすがに三大要素を含んだ液肥を人間である僕が摂取して無事でいられるとは思えないから、止めた方が賢明だろう。


 ご機嫌で液肥を飲むパウラを隣に感じながら今朝ギルドから届いた分の注文書と、すっかり出世頭となってしまったあの冒険者達からの分厚い封書と、その冒険者達からさっき届けられたばかりの小包を作業机の上に置く。


「それは――また注文書ですか?」


 ふと、ご機嫌だったパウラの声が堅く尖る。先日の一件以来こんな風に注文書が届けられる度に顔を曇らせるのだが、無理もないことなのでそれを注意したりはしない。むしろ毎日朝起きてきた時に彼女がまだここに居てくれることに安堵している。


「それもあるけど、ユパの実の在庫がもう残り少ないし次を作るのは難しいな。ん、こっちの分厚い封書と小包の方は例の冒険者達からだ。また何か君達にとって美味しい物が入っているかもしれないな?」


 あの冒険者達は時々こうして仕事に出た先のダンジョンなどで珍しい鉱石や、他国の市場で仕入れた珍しい薬草などを見つけては送ってくれる。鉱石はともかく薬草の方は大半が偽物なので毎回苦笑させられるが……。


 手許の小包に集中するふりをしながら、ほんの少し“美味しい”に力を込めてみると隣にいたパウラが椅子を近付けてくる気配がした。その素直さに思わず笑ってしまいそうになる口許を引き締めて小包を開ける。


「わ……あぁ!」


「これは……【王緑石おうりょくせき】と【后紫石こうしせき】とはまた珍しいなぁ。しかもこれだけのサイズとなるとかなり値が張るだろうに……どうやって入手したんだ?」


 隣ですっかり不機嫌を吹き飛ばしてはしゃいだ声を上げたパウラの手に、贈られてきた石を二つとも載せてやる。


 どちらも大きさにして一般的な成人男性の握り拳くらいのサイズの石だが、値段は金の換算にすればその一つで同じ重さの金を三十個足しても足りるかどうかという価値があるのだ。ただどちらかと言えばポーション職人が使うよりは、アミュレット※(護符)職人が使用することの方が一般的なアイテムである。


 両方とも名前の通りゴツゴツとした無骨な外の黒い部分を砕けば、中から現れるのはとても鉱石とは信じられないような湿り気のある光沢を持った深緑と、光に当てなければ黒と見紛う紫の宝石が顔を出す。


 産出するのは主に火山の火口付近で、大抵その傍にはレッド・ドラゴンの巣がある為に入手は恐ろしく困難で一般にはあまり出回らない。昔一号店の保管庫でこれの半分くらいのサイズの物を一目見ただけで、それ以来目にしたことはなかった。


 そういえばどうしてあんな所にこんな物があったのだろうか? 


 あの頃はまだポーションに鉱石を使用していた職人は誰も――現在も僕以外の職人が使用している気配はないのに……?


「マスター、本当でしたね! これは初めて見ましたけれど、とっても美味しそうです!」


 そう興奮したパウラの声にハッとして思考を中断する。考えてみればあの規模の店にあったとしても、ただの報酬だと考えればおかしくはない。


 または報酬で貰った石を換金目的に寝かせていたかだ。珍しい品だから価格が高騰するのを待てばかなりの金額にまでつり上がるはずだろう。


「そ、そうか……美味しそう、か? 僕には少々歯が立ちそうもないが、良かったな?」


 僕の答えにパウラが少しだけ不満そうな顔をする。仕方がないだろう、人間の僕にはその“美味しそう”の感覚は共感出来ないんだよ。


「あぁ、ほらそんな顔をしないでくれ。でもそうだな……パウラがそんなに言うのだから余程美味いのだろうし、かなり稀少な鉱石だが少しずつ砕いて皆に振る舞おうか」


 僕がそう言うと、つい今まで膨れた表情だったパウラの顔に見る見る笑顔が広がっていく。フェイのポーションのお陰で気力を取り戻した僕は、早速道具棚の中からノミとハンマーを持ち出して二つの石を叩き割った。


 両方の石から親指の爪ほどの欠片を一つずつ取った後は、鉱石を多少加工し易くなるように極少量の特殊加工用ポーション液に浸す。小さな泡が表面にびっしりと浮かんで表面の不純物を溶かしていく。このまま約二時間ほど浸しておくと、鉱石の方にも液が浸透して砕きやすくなるのだ。


 その泡が立たなくなるまで放置する間、僕とパウラは朝届いた注文書の仕分けを一時間ほどかけて終わらせてから、ようやく冒険者達から届いた封書を開く。


 しかし書面の途中までは全く内容の意図が掴めない散文が書かれていて思わず頭が痛くなった。恐らくこの書き手はあの筋肉質な女性冒険者だろう。途中からは明らかに書き手の変わった読みやすい文章に纏められている。これはたぶんあのパーティーのリーダーだろう。


 その中身を読み進める内に段々とその内容が不穏な物になっていく。


 ……しまったな。パウラの機嫌を直す為だったとはいえ、あの鉱石に手を付けるのは早計だったかもしれない。


 手紙の内容に知らない内に眉間にシワが寄っていたらしく、心配したパウラが「どういった内容なのですか?」と訊ねてきた。


「うーん ……分かりやすく言えば救援要請なんだが……」


 そう、恐ろしく簡単に噛み砕けば救援要請だ。


 しかしここで大きな問題が一つ。


「ただ、その救援要請の相手が僕個人というのがどうもなぁ……。これを読む限りでは僕の手には負えないどころか、個人に要請する救援内容でもない気がするんだけれど」


 確かに僕の職人としての腕を誰かがかってくれるというのは純粋に嬉しい。けれど、僕にはあの冒険者達が何を考えているのかさっぱり分からなかった。


「それでは分かりやすくないですよ、マスター。どういう救援内容なのか私にも教えて頂けますか?」


 まだ読み書きは少ししか出来ないパウラが痺れを切らしてそう詰め寄って来るので、何とか分かりやすく内容を纏めようと再び書面に視線を落として熟読していると――。


「あー……七月になった途端に馬鹿みてぇに暑くなりやがるぜ、ったく」


 呟きと言うにしては大きな不満を吐きながら近付いて来る声に、思わずパウラと顔を見合わせる。


「おい、ヘルムート、いるかぁ?」


 突如ノックもなしに開かれた工房裏口のドア。その前に仁王立ちになっているのは取り立て屋かと見紛う奇抜な服のセンスをした男。友人というジャンルに最近カテゴライズされたコンラートだった。


「オマエよぉ、今度は何やらかしたんだ?」


 最早呆れを隠そうともしない声でそう告げたコンラートが僕とパウラに向かって差し出してきた一枚の紙。受け取ればしっとりと汗で湿気っていた。


 パウラに飲み物を用意してくれるよう声をかけて、勝手にいつもの椅子に陣取ったコンラートに向き直る。僕と目が合うとその三白眼気味の目を眇めて「まぁ、読めよ」とコンラートが言うので、素直にたったいま受け取ったその紙面に視線を落とす。


 僕の視線が紙面の最後の行を読み終わる頃に「それに何か思い当たる節はあんのかよ」と声をかけてきた。どうやら文字を追う僕の瞳の動きを見ていたらしい。


 パウラからさっき僕が飲んでいたソーダ割りを受け取って口を付けたコンラートに、僕は首を横に振って代わりにあの冒険者達が送ってきた手紙を渡す。ソーダを飲みながらその手紙を読んでいたコンラートの片眉が跳ねたのを確認してから僕は口を開く。


「一体何が起こっているのかは分からないが……取り敢えず先方も、本店も、僕がここを訪ねることをご所望のようだな」


「オマエもとことん運のない奴だよなぁ」


 諦め癖のある僕がもうこれは行くしかないというオーラを出している横ではパウラが「ですから説明して下さいませ」と懇願してくる。何だか説明することが億劫になってきた僕はコンラートにその役割を譲ることにして机に伏した。


 「あ、おいコラてめぇ」と毒づくコンラートの声を無視して机の冷たさを味わっていると、渋々といった様子で説明するコンラートの声が耳に届いてくる。けれどすぐに本来面倒見の良いコンラートの言い淀む声と、パウラの怒りをかみ殺した抗議の声が聞こえる。


 手紙の内容は多少異なるが大元はあまり変わらない。


 簡潔に説明すれば“原因不明の熱病がチェンバル街道付近のディネルの村で蔓延していることが確認された。至急これを治める為に各都市から回復薬に特化したポーション職人を呼ばれたし”――と、書かれていたのだ。


 チェンバル街道はこのウォークウッドも中継地点として貫いている、行商人達に人気の高い街道だ。その近辺で原因不明の熱病とは穏やかではない。たぶん、今この時にも他の工房で僕と同じような目に合っている職人がいるのだろう。


 原因不明の熱病を治める為に派遣されるのは各工房のみそっかすとは笑える話もあったものだ。当たれば良いが、もしも無理ならば村は最初から街道付近に“なかった”ことにされるだろう。


 出発は二日後とある。


 そして残念ながらこの任務に――退路はない。

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