*13* いま愛に生きます。(後編)
三人で喫茶店のテラス席に腰を落ち着けてお茶を飲む。ジワジワとした初夏の暑さで渇いていた喉を冷たいアイスティーが潤していく。どうにもこの店のアイスティーには隠し味にスパイスらしき物を混ぜているようだ。
その正体が気になって一瞬アイスティーを舌の上に留める。
「それじゃあ貴方達は新しいポーションの作製に必要な【シェビア】を持っているクルトさんのお店に、その鉢を見せて欲しいと頼みに行くところだったのね?」
そのせいで、ちょうど柘榴ジュースを飲んでいたストローから口を離したシェルマンさんの言葉に反応するのに若干の間が生じた。
だが間抜けな僕のその隙を見逃さずに、横に座るパウラが「えぇ、その通りですわ。ミス・シェルマン」と相槌あいづちを入れてくれる。それとなく目配せをしてくれるパウラに僕も視線で応じて居住まいを正す。
「うちにも物があるにはあるのですが……何ぶん高価な希少種ですので数を揃えられないものですから。都合の良い話ですが葉を少し分けては貰えないかと思いまして」
さすがにいきなり「うちにいる【シェビア】の女の子が会いたがっているので」とは言えないので、どうにかそれらしく軟着陸を試みることにした。そもそもがまだフェイの想い人かどうかも定かではない。
一番近くで登録されていたのが二号店のヴェスパーマンが所有している【シェビア】の株だというだけだ。それでも一応は本人か確認出来るように小瓶にフェイの葉を一枚だけ忍ばせてきた。
しかし僕の言葉にシェルマンさんは穏やかな笑顔のまま、何か妙に圧力を感じさせる笑みを浮かべている。僕もそれなりの期間を一号店の見習いとして働いてきた身である。だから薄々とはいえ彼女の言いたいことは分かっているつもりだ。
「うーん……お二人には可哀想だけれど、クルトさん相手では難しいかもしれないわね」
あぁ、まぁ、やはりそうなるか。結果が分かり切っていただけにショックは受けない。それに、この話し合いの場はまだ始まったばかりだ。
「あの方は真面目で素晴らしいポーション加工の技術をお持ちだけれど、あまり人と話すのはお好きではないし。それに何より貴方は前回の中間評定の一件があるから、より頑なな態度になられるかもしれないわ」
それも勿論分かっている。元から作るポーションの内容が地味に被っている二号店のヴェスパーマンは、以前から何かと僕を目の敵にして潰したがっていた。お互いを邪魔な目の上のコブであると感じているのは僕としても同じだ。
中間評定で彼の点数が耳に入る度に、そしてその潤沢な資金ぶりを見せつけられる度に、僕は決して追い越せない壁を感じてきた。けれど、隣に座るパウラを見やればそこには変わらず僕を信じ切った金色の瞳がある。
そして僕はその瞳に自分の姿が映る度に、パウラと初めて事故的な出会い方をしたあの日を思い出すのだ。
「――えぇ、それは重々承知の上です。ですからミス・シェルマン。どうか僕達と一緒に二号店にお付き合い頂けないでしょうか?」
「あら、私? それは別に構わないけれど……私がついて行った所で、何も口添えしてあげられることはないのではないかしら?」
「いえ、貴女に交渉の口添えをして頂こうなどという図々しい考えはありません。ただ、僕達だけでは会ってすら頂けませんが、三号店の店長である貴女が一緒に出向いて下さればあちらも無碍むげに帰す訳にはいかないはずだ」
それに女性なので面と向かっては言いにくいのだが、彼女は現在工房内で最古参の部類に入る。どこの工房でも珍しい女性の職人で、しかもヴェスパーマンよりも十も年上でありながら三号店の店長で美しく人格者でもある彼女は、工房の内外問わず信奉者が多い。
出来過ぎた人間を前にすると自分の身の内にある影が濃くなる気がする臆病者な僕は、実のところヴェスパーマンよりもこのシェルマンさんの方が苦手だったりする。
何となくだが、まだ忌々しいという感情を隠そうともしないヴェスパーマンの方が人間味を感じて親しみやすい。彼女はそういう点ではどこか超然としすぎて人間味が薄いのだ。しかし僕の主観と今回の頼みごとは別。
都合のいい言い分だとは我ながら思うものの、今は彼女のキャリアに縋るしかない。
「二号店の従業員に声をかけてもらうだけで良いんです。僕では情けないことにそれすら難しい」
二号店の従業員はみな揃ってポーション職人として独り立ち出来るだけの腕を持っている。それでも二号店より名を馳せることが困難なことを理解している為に、あの店に留まり続けている者が多い。
そんな連中にとって取り立てた才能もなく、優れた容姿も人から一目置かれる社交性もない僕が、誰もなり手がいなかったからとはいえ、番号を割り振られた五号店を任されているのが気に食わないのだ。
「どうか、お願いします」
一度席を立って、シェルマンさんに頭を下げた。隣で見様見真似といった風に慌てて立ち上がったパウラも「お願いします!」と頭を下げてくれる。
そんなパウラのぎこちない一礼は、緊張でガチガチに身体を強ばらせていた僕を和ませてくれた。
「あらあら……困ったわねぇ」
頭を下げたままの背に向かってそう呟かれた言葉に、やはり格下の僕達では駄目なのかと言いようのない虚しさに唇を噛んだ。
「そんな程度ならお安いごようよ。だから貴方達、頭を上げて頂戴? これでは私が苛めているみたいだわ」
その柔らかな声に拍子抜けして頭を上げると、そこには言葉通りに眉を下げて困ったように微笑むシェルマンさんの顔があった。
***
「それにしても苦手な方にわざわざ会いに行こうだなんて余程【シャビア】の苗がお好きなのねぇ? うちの店舗ではあまり使用しないから気になってしまうわ」
「あぁ、確かにそうですね。【シェビア】は食欲不振の改善などの効果は期待できますが、美容に良いとは耳にしたことがないな」
エディール通りの一筋違いのロボフ通りにある二号店を目指して歩く間、僕とシェルマンさんとでポツポツと調合に使用する植物や客層の違いなどの話をする。やはり他の店舗が何を主戦力にしているかはお互いに興味のあるところだった為か、思いのほか会話は無理なく続いていた。
「あら、やっぱりそうよねぇ。うちは【ケンネル】みたいに浮腫を取ったりするものは時々使うけれど、基本的にはお肌に直接はたく物の方が多いの。そちらの貴女はどこのお化粧品を使っていらっしゃるのかしら?」
そんな中で会話から置いてきぼりになっていたパウラを気遣ってか、急にシェルマンさんからそう話題を振られたパウラが「えっ? わ、私はそういうものは使ったことがありません」と狼狽える様は少し可愛い。
しかし「あら、駄目よ? 若いうちはそのままが良いとは言うけれど、良い内に手入れしなくちゃね」とパウラの頬に触れようとしたときは内心慌てたが、パウラが僕の後ろに隠れたので上手く難を逃れられた。
彼女は残念がっていたが、触れられて体温がないとバレては拙い。背後のパウラに「良く避けた」と視線で伝えれば嬉しそうに頷き返してくれる。
「さぁ、目的地に着いたわよ、お二人さん。今の時間帯、私達はお客様と同じ入口から入ることは出来ないから裏口に回りましょうね」
引率をしてくれる先生のようにそう言う彼女の言葉に頷き返していたら、ふと隣に立っているパウラの様子が少しおかしいことに気が付いた。
僕と同じく緊張しているだけかとも思ったが、パウラはヴェスパーマンと面識がないのでそれは考えにくい。けれどここで時間を食って先を歩いて行く彼女から離れてしまってはこの作戦が無駄になってしまう。
僕は悩んだもののパウラに「門の前で待つか?」と訊ねたが、当のパウラに「大丈夫です」と言われてはそれを信じて裏口に回るしかなかった。
「お弟子さんに言伝を頼んだら“ここで少し待つように”ですって」
先に着いていた彼女は早くも言伝を済ませておいてくれた後で、その穏和な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を続けた。
「せっかくだから私もここで待たせてもらって、貴方達の見たがる【シェビア】を一緒に見せてもらうことにするわね?」
その願ってもない申し出に、この時期だというのに緊張で冷たくなっていた指先にゆっくりと血が巡るのを感じた。
「ミス・シェルマン――お心遣い、感謝します」
しかしそう僕がシェルマンさんに礼を述べた時。
「三号店の貴女がうちに何の御用かと思えば……そちらの腰抜けが一緒だとは言伝されておりませんが。うちの従業員の伝達ミスでしょうかな?」
そう、冷たい声が割って入った。
「いいえ~、私が伝えて頂くのを忘れただけですわ。言伝しました通り、私が新しく製作しようと思っている新製品に【ケンネル】と【シェビア】の葉を使用してみようかと思いまして。最近奥様方の間で人気のデトックスポーションですわね」
無邪気に微笑みながらシェルマンさんがそう言うと、ヴェスパーマンは神経質そうな顔を少ししかめた。
「貴女の用件は分かったが、そちらのお前は何用だ? のこのこと敵情視察でもしに来たか?」
「いいえ、私がお誘いしたんですよ。所有者登録を確認しに街に出たら、そこの通りで一緒になって。お話したら是非興味があるからと仰ったので、勝手かとは思ったのだけれどお連れさせて頂きましたわ」
僕が口を挟む間もなく続けられた会話の応酬に先に折れたのはヴェスパーマンだった。シェルマンさんとのやり取りにやや疲れた表情をしていたヴェスパーマンだったが、僕達を視界に捉えた彼は少しだけ機嫌を直したように見える。
その瞬間うっすらとした、けれど言いようのない嫌な予感を背筋に感じた。
「……良いだろう。お探しの【シェビア】はこちらだ。ついて来たまえ」
裏口にしても立派なその扉の前から、さらに奥のサンルーフが設けられた小さな薬草園に続く小道を歩く。ヴェスパーマン、シェルマンさん、僕、パウラの順に歩いていたのだけれど――不意に懐に忍ばせていたフェイを入れた小瓶が熱を持った。
不思議に感じて懐に手を入れて確かめようとしたその腕を、急にパウラが強く掴んだ。その金色の瞳が何かに怯えるように揺れ、空いた方の手で口を押さえている。
そのあまりの急変ぶりに狼狽えた僕が声をかけようとしたのだが――。
「あらぁ、残念ね。もう全部葉を使い切ってしまったの? 高価なものだと耳にしていたのにこんなに惜しげもなく使えるだなんて……さすがは二号店ですわね。お忙しいようで羨ましいわ」
「高価と言っても貴女の店であれば手の届かない物でもありますまい。そう言う訳ですので、残念ながら現物を見せるのは無理なのですよ。せっかくご足労頂いたのに申し訳ない」
耳に届いた二人の会話に強い怒りを感じた。しかし心の深い場所ではそれも無理のないことだと感じている自分がいる。
――僕等ポーション職人にとって、植物は調合する為の材料に過ぎない。
目の前で僕に縋って叫び出しそうな感情を必死に抑えているパウラも、元は材料の一つに過ぎないはずだった。けれど……今となってはそう割り切れない気持ちで同僚の言葉を聞いている僕は、何なのだろうか?
パウラの肩を支えてその場に立ち尽くしていると、話の終わった二人がこちらに引き返してきた。
「話は聞こえていただろう? もう茎を残すばかりだが、それでもよければくれてやる」
先に立って歩いてきたヴェスパーマンは僕の耳許でそう忌々しそうに囁くと、後から追いついてきたシェルマンさんに「それでは仕事に戻りますので 」と足早にその場を去る。
シェルマンさんは残された僕達を見て気の毒そうに「私もそろそろお店に戻るけれど……残念だったわね」と労りの言葉を残して帰って行った。
僕はついにへたり込んでしまったパウラをそこに残して庭へと足を運んだ。その片隅に積み上げられた植物の亡骸ともいうべき山に近付いたその時、懐の小瓶が一等熱を持った。
慌てて服の裾でつまみ出すと、小瓶は中のフェイの葉共々砕け散る。そのことが何よりの証のように思えて、堪らなくなる。
今までの僕ならここで諦めて帰ったことだろう。けれど今はそれでも一縷の望みをかけて亡骸の山を漁る諦めの悪さを手に入れたのだ。黙々と掘り進める作業に没頭していると、搾取されるだけ搾取された亡骸の中にそれは埋もれていた。
どうやら諦めない選択をしたことで再び女神は僕達を振り返ってくれたようだ。僕はその女神のギフトをソッと抱えて放心状態のパウラの元に戻ると、その金色の瞳を覗き込む。虚ろな瞳が僕を捉えて涙に濡れるのを見つめて、心に誓う。
「なぁ、パウラ。僕が必ず彼を生き返らせてみせると約束する。だから、」
健康的な小麦色のその頬を、涙に似た液体が伝って落ちる。無理だと言うように小さくかぶりを振るパウラの頬を服の袖で拭いながら、僕は苦笑して頼み込む。
「だから、お願いだ。いつものように笑って、パウラ」
飛びついてくるその身体から“彼”を庇いつつ、僕はその背中を抱きしめた。
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