*10* 白昼堂々のハラスメント。
無事にギルドでのポーションの引き渡しを終えた僕とパウラは、目の前でそれが注文者に買い上げられて行くのを目の当たりにして、ここ数日の苦労が報われたことにだいぶ安堵していた。
そしてその分、懐具合の方もいつもの月の売上を四ヶ月分ほど補える位には潤っている。もはやどう控え目に言おうが、快挙だ。
用意して来た分の【星明糖】が売り切れると、それを横で見ていたそのギルドのマスターが「あんた、それ商標登録していった方が良いぞ」と声をかけてくれただけでなく、わざわざカウンターに提出用の書類まで用意してくれた。
見た目は強面の筋肉質なスキンヘッドだが“ここのギルドマスターは信頼に足る”とあの筋肉質な女性冒険者と、その仲間達からの太鼓判を捺されるだけあって面倒見が良い。僕はこの段に至ってそんなことも考えつかなかった自分が、如何に雇われとはいえ店長職をこなせていなかったのかを痛感する。
けれどこういった手続きの書類を今まで書いたことがなかった僕は、世話になっているのにこう言っては何だが……あまりパウラを待たせたまま、この治安と衛生面のよろしくなさそうな場所に留まるのは遠慮したい。
良くしてくれるギルドマスターには悪いが、先程から結果的に男装しているだけのパウラに好奇の目が向けられていて気が気でなかった。このままだと何か間違いが起こったとしても助けられないぞ。この場合は彼女ではなく周囲の人間を、だが。
彼女が悲鳴を上げるようなことが起こればそれこそ、僕を含めたこの場の人間は全員即死するだろう。
傍目には非力な女性に見えるパウラはその実、人類にとっては生物兵器と呼んで差し支えない存在だと言える。そもそもマンドラゴラは謎の多い生態をしており、一般的には“声を聴いただけで死ぬ”としか伝えられていない。
それでも――ギルドの床に倒れ伏す冒険者達――白昼に起こる謎の集団変死事件。考えただけでも怖ろしい光景だ。
しかし最近発表された学術書にはその現象も、実は“人間やその生態に似た、もしくは準ずる生き物のみに効くのではないか”と提唱されている。
その学術書を発表した研究所によれば、何でも人間の脳は頭蓋骨に直接触れないよう常に水の中に浮いたような状態になっていて、マンドラゴラの声はその特殊な周波数でその水の膜を壊してしまう――とか何とか。
まだ詳しくは解き明かされていないらしいので、一介のポーション職人である僕にはさっぱりだ。ただ、そんな研究所に彼女の存在が知られればろくなことにはならないだろうということだけはハッキリとしている。そしてそれは、僕も同じ研究を志す者として理解できなくはない。
一瞬胸にこみ上げた自身への嫌悪感を鎮めようと書類から視線を上げてパウラを探せば、その金色の瞳が僕を捉えて微笑んだ。すぐに視線が合うなどそうあることでもないだろうから、たぶんパウラはずっと僕をその視界に捉え続けていてくれたのだろう。
僕も微笑みのようなものをかえしつつ、パウラに声をかける不届き者がいないか気にしながらも何とか書類の必要項目を埋めることが出来た。
ギルドマスターが出してきたナイフで指先を少しだけ切って【血印石】に吸わせる。仕上げに書類に僕の血を吸わせた【血印石】で印を捺せば完成だ。
この印を捺した書類を捏造しようものなら、石の中に宿る精霊に全身の血液を吸い上げられて絶命する羽目になる。もしかしたらあのフェアリー・リングのご婦人方の子供だったりするのだろうか?
どのギルド内でもほぼ確実に置いてあるアイテムなので、その死に様の凄惨さは僕達のようなポーション職人にまで浸透するほどの語り種となっている。
出来上がった書類をギルドマスターに確認してもらうが――どうやら大丈夫そうだ。これを本店に提出するか、ここから一番近い商標登録所に持ち込めば登録は完了となるらしい。
本店に提出するのは気が引けたのでギルドマスターにここから近い商標登録所を教えてもらう。そのついでに女性が喜びそうな服を扱っている通りも教えてもらった。
書類を手にギルドを後にしようとした僕は、あることを思い出してギルドマスターに一枚の紙を渡して、なるべくギルド内の目立つ場所に張り出してくれるように頼む。
内容に目を通したギルドマスターは快諾してくれたので、これで少しだけでも楽が出来そうだと安心する。その内容とは簡単なもので、調合用アイテムの採集依頼だ。完全受注生産とはいえ、僕も店があるの冒険者用の為のアイテム採集ばかりしてはいられない。
一応こちらの方が実入りが良いとは言え、副業だ。本店からの本業を疎かにするわけにはいけない。
そんな訳で注文してくれる冒険者達にアイテム採集を依頼する代わりに、その分の代金を少し安くすることにした。どちらにもそう損がないシステムだろう。
ギルドマスターにあの筋肉質な女性冒険者とその仲間達が今どの辺りを攻略しに回っているのかを訊ねたり、半日程で帰ってこられる採集場所を教えてもらったりと、思いのほか有意義な時間を過ごせた。
興味深そうに壁の張り紙を眺めるパウラを呼んで帰ろうとする僕に、マスターが「女への贈り物は金を惜しまねぇようにな」と耳打ちしてくる。
そのありがたい助言に苦笑して頷き返し、僕とパウラは初めての外注の仕事を終えて重くなった懐を押さえてギルドを後にした。
***
ブーツの店を訪れる前にパウラの服を一式揃えようと、ギルドマスターに描いてもらった店までの地図を頼りに二人で裏路地を歩く。どんな服装が良いか訊ねてみても「マスターに選んで欲しいのです」と答えるばかりで、それは女性の好みに疎い僕にとっては新薬の調合より遥かに難しい問題に頭を悩ませる。
パウラを失望させないようにとそればかりが頭の中を占めている僕とは対照的に、彼女は終始ご機嫌の様子だ。キョロキョロと見るもの全てが珍しい彼女はたまに僕に質問をしたり、興味のあるものに駆け寄っていったりと、まるで幼い子供のようでいつものような落ち着きがない。
何故だか彼女のそんな反応の一つ一つがとても嬉しくて、いつの間にか僕までつられて子供のようにはしゃいでしまう。途中で商標登録所に書類を提出したり、うろうろと寄り道を繰り返しながらも、ようやく地図にあった洋品店の揃う裏通りに出る。
その一帯は表の値段が張るブティックとは違い、主に古着屋を中心とした手頃な店が多かった。なるほど、ここでなら着替えの枚数を揃えてもそれなりの数が入手出来そうだ。
二人で色々と店先を見て回っていたら、その中の一件に恐らく今もっとも買い揃えておかなければならないアイテムを売る店舗があった。世の中には恋人と一緒に足を運ぶ男もいるそうだが、少なくとも僕にはそういった類の勇気はスポイト一滴分の試薬ほどもない。
淡いパステル調の色で全体的に靄がかかったような色合いの店舗を前に、一歩も進めなくなってしまった。パウラに先程受け取った報酬の入った財布を持たせ、中の店員に声をかけるように言うが「マスターも是非。一緒に選んで下さいませ」などと、とんでもない提案をしてくる。
「――すまないパウラ。それは……それだけは絶対に出来ない」
「そんな……折角マスターの好みを取り入れようと……」
「大丈夫だパウラ。僕がそれを目にすることがなくても、きっと似合うものを店員が見繕ってくれるから」
何がどう大丈夫なのか自分でも理解できない発言をして、不安そうな表情の彼女を店に送り込む。
と、そこへ――。
「お、何オマエ、ついに履かせることにしたのかよ?」
たとえ不意打ちにしても、人通りのある場所でここまで頭のおかしい発言をする人間を僕は一人しか知らない。弾かれたように振り返れば、案の定そこにはニヤニヤと皮肉屋な笑みを浮かべるブーツが立っていた。
「な、ばっ、人通りのある場所でふざけるなよお前! わざわざ語弊のある言い方をするな!!」
出しなれない大声に喉が引きつってやや掠れて上擦った情けないものになるが、構うものか。こんな場所で変態呼ばわりをされてはたまったものではない。
「いやいや、マジで。てっきりそういうプレイか何かなのかと思ってたわ」
「そんな訳があるか! 分かっていたなら……って、ちょっと待て。それが分かっていながらいつも彼女のどこを見ていたんだ貴様?」
「馬ぁ鹿、こっちはオマエと違って女に困っちゃいねぇんだよ。そんなことで目くじら立てんなっての、ったく」
飄々としたブーツを睨みつければ、さもうるさそうに手を振られた。しかも何やら聞き捨てならない発言までつけて。
「それにしても、妙なとこで会うもんだな? 今日店はどうしてんだよ? 定休日じゃねぇだろ」
「僕達はこの近くにあるギルドに注文を受けていた品物を届けに来た帰りだ。ついでに彼女の……まぁ、あれだ」
「お、ノーの次はガーターでもつけるのか? 濃い趣味してんな」
「なっ……馬鹿か、違う! 本気でいい加減にしろよお前!?」
完璧に遊ばれているのだと頭では分かっていても、つい否定する言葉に力が入る。そんな僕を見ながら一層ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるブーツを一瞬殴りたい気分になった。
「ま、冗談はさて置き、オレもオマエと同じようなもんだよ。この間の試作品配って、今はその結果待ちだ。馴染み客が皆出ちまってるから、店開けててもしょうがねぇんだよ」
それなら最初からそう言えば良いものを、肩をすくめて見せるブーツにそれ以上怒る気も失せてしまった。
「同じようなって、臨時休業のお前と僕とじゃ違うだろう。まぁ、買い物が終わったら訪ねようと思っていたからちょうど良いが……」
「へぇ、何だよオマエにしちゃ珍しい。しかし終わってからって、気の長ぇ話だな。待ってる間に日が暮れそうだし、付き合ってやるよ」
そう言いながらもブーツの視線はあのパステル調の店から外れない。その様子を訝しんでいると、ブーツが急に僕を通り越して誰かに手を上げて合図をする。それに釣られて後ろを振り返れば、そこには何故か見知らぬ少女と一緒にこちらに歩いてくるパウラの姿がある。
ベリーショートの黒髪に、スラリとした華奢な身体。身長はパウラと同じくらいだが、しなやかな姿がどこか猫科の肉食獣を思わせる。
勝ち気そうな表情に、惜しげもなく脚を晒した黒のショートパンツと同色のチューブトップ。上には短い白のジャケットを羽織り、細い首には黒いチョーカーといった一般的でないファッションセンスは、どことなく最近見知った感じがする。
僕の姿を認めたパウラが嬉しそうに“何か”を抱えてこちらに向かってくるのと同じく、見知らぬ少女は“たぶん同じ何か”を抱えてニヤリとパウラに向かって何か合図をするとブーツの方に駆け寄った。
ブーツの隣に並んで立つ少女を目にしてみれば――なるほど、そうか。こいつに似たファッションセンスなのかと納得する。
「一応紹介しとくわ。これオレの妹な。ほれ、お兄様の同僚に挨拶しろや」
そう言ってワシャワシャと乱暴に頭を撫でるブーツの手を払いのけると、ブーツの妹は焦げ茶色をしたアーモンド型の瞳に好奇心を湛えて僕を見た。
「ふぅん、アンタが最近コンラートの話してた同僚? あんまり熱心に毎日通うからそっちの女の子かと思ってたけど……何だ、男だったんだ」
その瞳に少しだけ安堵のような色が閃く。
「アタシはこのデリカシーゼロの駄目男の妹でロミー・ブーツ。ロミーって呼んで。よろしく、えーっと?」
「ヘルムート・ロンメルだ。君が連れてきてくれた彼女はパウラ。よろしく、ロミー」
手を差し出せば、ニカッとブーツより人好きのする笑顔を見せて力強く握り返してくれる。そしてそのままパウラにウインクすると、自らはブーツに、パウラは僕に向き直って抱えた包みの中にある戦利品を広げて見せてきた。
こんなことには慣れっこなのか「ちんまい胸に色気のある下着はいらねぇだろ」と余計な一言を言い放ち、その直後に脛に蹴りを入れられてうずくまるブーツの馬鹿と――。
真っ白のレースをふんだんに使った下着の一式を広げながら、
「これを付けたところを見せれば喜んで頂けると聞きました!」
と自信満々に言うパウラの口を塞いで狼狽える僕は対称的でありながらも、通行人の注目を集めるという一点においてはひどく平等な悪目立ちをしたのだった。
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