*8* その先を見据えるもの。
二度目の中間評定の結果はあの騒ぎから四日後に届いた。評価は当然上限一杯の+60。しかし残念ながらこの最高評価を得られたことを喜んでいる暇が僕達にはなかった。
「すみませんマスター。その調合が済んでからで良いので、このグスト鉱とキリファ鉱の状態を見てもらってもよろしいでしょうか?」
「いや、その二つは冷めると面倒だから今すぐ様子を見るよ」
そう言いながらも自分の前に置かれた簡易炉の炎の調子を見ながら、空いた手で乳鉢の中にある数種類の乾燥させた薬草をすり潰していく。
あの日から僅か数日で五号店の話は一部の特級レベルのギルド以外、つまり弱小から中堅ギルド内での評価を確実なものとしてしまった。その理由となってしまったのは例の成り上がり冒険者達だった訳だが、ここで一つ誤解のないように言えば彼女達のパーティーは元から実力はそれなりに高い。
しかしそれでもなかなかランクを上げられずにいたのは、ひとえに今の冒険者ギルドの運営方法に問題があるらしかった。
それというのも駆け出しのギルドに登録している回復魔法を使える人間は限られている上に、レベルも低く周囲の仲間との戦力差を上手く調整出来ない。結果戦闘力、防御力が共に低い回復役を庇ってパーティーは力を発揮出来ないか……最悪全滅の憂き目にあう。
そしてそこまでして一緒にレベルを上げた仲間は賃金が一人だけ優遇されるようになるや、特級ギルドにその籍を移してしまうわけだ。
彼女達のパーティーもどうやら最初は六人編成だったらしいのだが、その一連の流れに逆らえずに出て行ってしまったとのことだった。
『抜けたのがアイツの幼なじみでな……。それをずっと気に病んでいたから俺達としても助かった。そういう理由でも君は我がパーティーの恩人だ』
そうあの冒険者達をを纏めていた男に耳打ちされた時になって、ようやくマーケットで見た彼女の異様なハイテンションぶりにも納得がいった。そんな冒険者達の裏事情や、やるせない理由が幾つも積み重なった結果、弟子のどころか従業員もいない五号店は目も回る多忙ぶりを極めている。
今まで一週間に三件分も注文が入れば御の字だった頃からは、考えられない分量でポーションの材料を調合していく。これでブーツの言うように完全受注生産にしていなかったら今頃どうなっていたことやら、考えるだけでも背筋が寒くなる。
あの場でトントン拍子に算段をつけてくれたブーツの手際の良さに驚いていると、あいつは「馬鹿かオマエ? 賞金稼ぎ相手に商売してりゃこれぐらい出来て当然なんだよ」と鼻で嗤われてしまった。
それもそうかと思いつつも、ブーツの手際の良さに今までの自分の暢気過ぎる経営方針を少し見直すことにする。悔しいから本人には口が裂けても言わないが。
――と、表の方でベルが鳴らされて、来訪者を告げる。
しかしその足音がすぐに裏口まで回ってきたことを考えれば、作業の手を休めることはないだろう。パウラもそう思っているのか、こちらに少し微笑みを投げかけただけで手許の作業に戻る。
ノックもなしに開かれたドアから姿を見せたのはやはりブーツだった。その手には何やら大きな袋を提げている。
「おーい、生きてるかぁ? これ、ユパの実。うちの店じゃあんまり使い道がねぇからな。ちょっと時期がずれてるから萎れてるけど、それでも良いならオマエにやるわ」
「わざわざ持ってきてくれたのか? 昨日のうちに言っておいてくれればこちらから取りに行ったのに」
「これくらいのことは別に良いっての。それより調子はどうだよ?」
こちらの申し出に面倒臭そうな顔で手を振ったブーツは、工房内の彼の定位置である窓際の椅子にどっかりと腰掛けた。それを見たパウラがキリの良いところで作業を終えて、そそくさと飲み物を用意しに席を立つ。
「調子は悪くはないが、如何せん人手が足りないのは否めないな。とは言ってもこちらが勝手に始めた取引だから、本店に人手を借りる訳にもいかない」
ブーツには正直にそう漏らしたものの、今までのことを考えればかなり疲れる毎日を送っているはずなのだが――。
「何だよ、もっとへばってるかと思ってからかいに来てやったってのに……楽しくてしょうがねぇって顔してやがんな?」
注意深く簡易炉の火を落として、こちらの作業もようやく一段落だ。意地悪くそう言いつつも気にかけて様子を見にきてくれたのだろうブーツに、僕もここ数日の間に暇を見つけて書き殴っておいた成分表をまとめたレポート用紙を手渡す。
椅子にふんぞり返るように座っているブーツは引ったくるようにレポートを受け取ると、さすがの早さでそれを読み飛ばしていく。
「……うちの店のポーションの分析結果と、効能の成分表だな。つまんねぇ奴だなオマエは。こんなに細かく書き出されたらこっちが頭使って捻り出した調合の労力が馬鹿馬鹿しくなっちまうぜ。しかも――こっちのこの数値は何だよ?」
口では不満そうにそう言うが、その口許は愉快そうに笑みの形に持ち上げられている。やはりこの男もこんななりで仕事馬鹿なのだ。
そして、ブーツの受け持つ四号店は客層が他の店舗とだいぶ違う。
荒くれ者で冒険者と違いパーティーを組まない賞金稼ぎは、防御力を上げたり治癒力を高めたりというよりは、ただひたすら自慢の戦闘力を上げる肉体強化のポーションを欲しがる。なので今回は元から肉体強化の性能には全く問題がないブーツの調合に、元来足りなかった持続時間を足すことにした。
「ん、それはこの部分の材料の加熱時間を三十秒ごとに記録したものでこの部分、ここだな。この部分で一気に効能が減ることが分かったんだ。だから可能ならこの部分の加熱時間を今よりも――、」
「お、なるほどな。今よりも七秒早めに切り上げりゃあ良いわけか。そうすると……ふん、ポーションに加工した時の効能が今より二時間も長くなるわけだ」
「そうだ。お前の作るポーションは恐ろしく効果が高いが、変わりに持続時間が短い。冒険者ではないから荒事には詳しくないが、恐らく戦闘中に何度もポーションを口にすることは難しいだろう。なら今よりも二時間伸びればその分――、」
「賞金首を捕まえる客の仕事がはかどって、うちの信頼も上がるってわけだ。そうすると、あれか、最初は何本か試作品を配って知名度上げて……効果に客が満足すれば今より値段を釣り上げられるな」
「あぁ、そういうことだ」
「無料配布分の試作品を幾つ用意するかってのは悩むが……後のリターンを考えりゃあ悪かねぇな」
二人でそんなことを言い合いながら手許のレポート用紙を覗き込んでいたら「お二人とも、お茶の用意が出来てるのですが?」とやや冷たいパウラの声が割って入る。
今日の気温から考えてくれたのか【シェビア】のポーションを加えた冷たいお茶は、夕焼けの薄い色を掬い取ったような美しい薄紅色をしていた。
「お! 旨いなこのお茶。何のポーション入れたんだ? 最初は酸味が強く感じたけど含んでる間に甘味が濃くなりやがる。柘榴かスグリかとも思ったんだが、それとも違う」
一口含んだ時点でそう言ったブーツに向かってパウラが得意気に微笑んで胸を反らせる。この辺りで柘榴やスグリの名を知っているだけでも珍しいのに、味まで知っているとは大したものだ。
ライバルの知識欲に内心で舌を巻く。やはりブーツは面白い。
「企業秘密と言いたいところですが、この間再審査に提出した【シェビア】のポーションの余りです。暑気あたりが出始めるこの季節には最適かと思いまして」
パウラの見立てに「良い判断だ」と返せば、彼女はその金色の目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
「最近は特にお世話になっていますから、気に入られたのでしたら少しお分けしますよ?」
褒められたことに気を良くしたパウラがそう言うと、ブーツも「じゃあ頼むわ」と笑う。
しばらくはそんな風に長閑な時間を楽しんでいたのだが、ブーツの店のことでふと気になることがあったので親しくなったこの期に訊ねてみることにした。
「なぁ、最近どころかフリーマーケットで会って以来、ずっとうちに出入りしてるが自分の店はどうしてるんだ?」
「オマエ今更そんなこと訊くのかよ」
「いや、まぁこれでも一応ライバル店な訳だからだな、その……頼りきりで悪いなと思ってるんだ」
パウラが持ち帰りようのポーションを用意してくれている後ろで何となく声を潜めるようにそう言えば、ブーツはニヤリとして答えた。
「オマエとライバルってのは悪くないが、別にオレは店の売上で競う気もねぇし、上に行こうともさらさら考えちゃいねぇぞ?」
「上に行かないとは……どういうことだ」
困惑したままそう訊ねれば、ブーツは面倒臭そうに細い眉をしかめて、すぐに思い直したように笑った。
「ま、オマエには教えといてやるか。オレはこのまま本店の奴らにくっ付いて店をやりたくねぇんだわ。オマエだってどうせやるならいつかは独立して自分の店を持ちてぇだろ?」
そんなことをさも当然のように言われても僕はすぐには頷けなかった。考えたこともなかったと言った方が正しい。しかしブーツほどの腕があれば確かにそう考えてたとしてもおかしなことではないし、そもそもこの性格で何故未だにグループに属して四号店のような場所でくすぶっているのか。
考えてみればその方がよほど不自然で不思議だった。
そんな内情が顔に出ていたのか、ブーツは僕の頭を鷲掴みにして乱暴に撫でた。
「ははっ! んなこと考えてもなかったって顔してやがんな! でもま、オマエはそんくらい暢気で丁度良いぜ」
パウラが後ろから「そうですよー」と同意の声を上げれば、ブーツはさらに大きな声を上げて笑い出す。
二人の間で急に自身が幼くなったような錯覚を覚えて憮然としていると、不意にそれまで大声を上げて笑っていたブーツが彼にしては珍しく真剣な表情になった。
「オレは別に張り合うつもりはねぇよ。誰ともな。ただ、アイツが……いや、やっぱ何でもねぇ。変なこと口走った。悪ぃな、忘れろ」
そう言って取って付けたような笑顔を見せたブーツは、パウラの方に用意してもらったポーションを受け取るために席を立つ。咄嗟のことに呼び止め損ねた男は、その後何事もなかったかのように来たときと同じく飄々と帰って行ったが……。
その彼らしくもない歯切れの悪い言葉と躊躇うように揺れた視線に、僕は初めてコンラート・ブーツという男の姿を見た気がした。
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