*7* 意外な結末と始まり。

 中間評定の仕切り直しを翌日に控えた僕とパウラが、急遽臨時休業を設け寝食の時間を削りに削って二日間で調合し直したポーションは三種。どれも自信の持てる出来ではあるが、この中から出品が許されるのは一点だけだ。そのために明日の評定にその中からどれを出すかと頭を悩ませていた時だった。


 ――いつもなら朝に一度きりであるはずの郵便が届けられたのだ。


 その封書は大変に分厚く、しかも一体どこから届けられたのか幾つもの消印が捺されていて、読み取ることが難しい上に酷く汚れていた。辛うじて読み取れる宛名は間違いなくこの五号店の住所で僕の名前が書かれているが、差出人の名前に全く憶えがない。


 思わずパウラと二人で封書を手にしたまま首を傾げてしまった。


 というよりも悲しいかな、この店を任されてからの七年という月日の中で僕宛てに、本店の中間評定以外のことで手紙が届いた試しがなかったのだ。


「これは……色々な土地の匂いがしますが、特に有害な鉱物や植物の匂いはしません。ですがどうしたものでしょうね?」


 困り顔のパウラに同じ反応を取るしかない僕は、ひとまずポーションの選考を後回しにして怪しい匂いはしないという彼女の言葉を信じ、取り敢えずこの謎の封書を開けてみることにした。


 が――何と中にもう一回り小さい封書が入っていた。ごわついた手触りの封書は宛名の反対側に水に浸かったような痕跡がある。かといって宛名の方もだいぶ滲みがあるので、とても無事とは言い難い。この封書を新しい封筒に詰めた配達人は、よくこれを解読してここまで届けたものだと感心した。


「配送の途中にどこかで雨にでもあたったのか? 中身は……うん、やはり紙が張り付いてるな」


 こういう時は何故か嫌な予感ほど的中するもので、中に入っていた便せんはことごとく滲み、六枚からなる便せんはものの見事に張り付いていた。


「えぇ……と、マスター? これを今から一枚ずつ便せんの表面がこれ以上傷まないようにはがしていたら、かなりの時間がかかりそうですね?」


 隣で僕の顔を伺うパウラが心配そうにそう問いかけてくる。暗に“時間がないのだし諦めた方が良い”という圧力を感じ取った。僕もそれに概ね賛成だったので頷き返す。


 分厚かった理由の一端が分かったのは良いが、中で張り付いた紙を破かないように一枚ずつ剥がすのに余計な神経を使う羽目になるだろう。しかし内容が読めない以上この封書が重要なのかすら分からない。そして今の僕達にはそれを根気強く読み解く時間もなかった。


「これをわざわさ届けてくれた配達人と、うちみたいな弱小店に封書を寄越してくれた差出人には悪いが――明日の評定が終わらない限りは解読に時間を割けそうにないな……」


 せっかくこの店を任されてからの初めての封書の中身を解読したくないはずもないが、如何せんタイミングが悪い。それもただ悪いのではなく、悪すぎだ。


 せめてあと一週間早く届いてくれていたら良かったものを――と、そんなことを考えていた僕の額に突然パウラの掌が触れる。 


 急にどうしたのかと訝しみはしたものの、ひんやりとしたその温度が心地良くて一瞬目蓋を閉じた。すると隣で「あぁ、やっぱり」とパウラが苦笑混じりに呟く声が耳に届く。何のことだろうかとやや重たく感じる目蓋を開けて隣を見れば、困った様子で微笑む彼女がそこにいた。


「マスター。ポーションの選定は明日の朝、あちらに出向く直前になさることにして今日はもうお休みになられて下さいませ」


 その控え目だが有無を言わせぬ言葉に情けない気分になる。


「……はは、さすがノミの心臓、だな」


 自虐的に口の端を持ち上げてそう言えば、パウラは緩く首を横に振った。


「いいえマスター、それは“繊細さ”という得難い感情。誰もが持ち得るものではありません。そしてそんなマスターだからこそ、ここにいる私達は惹きつけられるのですよ?」


 その手が首筋に触れると、今度こそ疑いようがなく自身が発熱していることが自覚できた。大理石を押し当てられたのかと思うくらいに冷たいその手から逃れると、パウラは「あとでお部屋に特製のホットワインをお持ちしますから」と言ってまだ渋っている僕を、工房から二階の居住区へと続く階段下まで追いやってしまう。


 どうにもパウラに言いくるめられている気もしたが、彼女の言うように明日のこともある。ここは情けないが彼女の言いつけを守って早々に休んだ方が良さそうだ。


 工房から出た途端にふらつき始めた身体を引きずるようにして自室のベッドに潜り込む。枕に頭を預けてしばらくすると、汗と一緒に一気に身体の芯から熱が滲み出てくる。そうして熱に浮かされたままうつらうつらとしていると、不意に冷たい物が額に触れた。


 目蓋を開けるとそこにはいつものように柔らかく微笑むパウラがいて、薄荷を溶かし込んだ水に濡らした布で噴き出す汗を拭ってくれているところだった。子供じみた心細さに手を延ばしかけて、咄嗟に下ろそうとすればその手を彼女が握ってくれる。


「さぁ、マスター? お身体が辛いでしょうが、このホットワインを一口だけでもよろしいので召し上がって下さいませ」


 そう言って差し出された赤い液体は、ほんの少しだけ濁っている。本来であれば玻璃のような赤い液体が何故? 


 しかし何を加えたのかはもうあまり気にならなかった。パウラ特製だというそのホットワインは、一口喉を潤すごとにこの気怠い感覚を薄れさせてくれる。


「明日の朝には全開してますからね、私のマスター……」


 目蓋が眠気で落ちる。その上をパウラの冷たい指先がソッと撫でてくれるのを感じながら、僕の意識は緩やかに眠りの中へと落ちていった。



***



 昨日熱に浮かされながら飲ませてもらったパウラ特製のホットワインのお陰で、朝にはすっかり熱も下がっていた僕は無事にこの日を迎えることが出来たことに感謝と……圧倒的な緊張感の板挟みに悩まされていた。


 もしもこの“緊張感”に形や重さがあるとすれば両手でも抱えきれないだろうな、などと詮無いことを考えながら重い足を引きずって訪れた一号店――の裏口。


 裏口とはいえ一号店の物ともなればその間口の広さだけでも五号店がすっかり納まってしまいそうな大きさがある。


 懐には【シェビア】のフェイからもらった葉と、パウラと共に悩んだ鉱石と薬草のブレンドされたポーション瓶が一本と、ブーツから託してもらった仕切り直しの申請書 。


 すでに胃の中をぶちまけてしまいそうな気分の悪さを感じてはいるが、今回は……今回だけは絶対に“ノミの心臓”などと不名誉な名前で呼ばれるわけにはいかない。出かけにパウラから激励の意味を込めてされた頬への接吻を思い出して、緊張感が若干だが薄れる。


 深呼吸を一、二度繰り返し、意を決して裏口と呼ぶのも躊躇われる豪奢なドアを押し開けると、そこには一号店の店長の姿はなく、迷惑そうな表情を隠しもしない二号店の店長といつみてもノホホンとした空気を纏っている三号店の店長。


 ――そして。


「あぁ!? 良かった、本当に来たぁ~!! アタシ等、ずっと君にお礼を言いたくて探してたんだよ!」


 やたらと聞き憶えのあるハイテンションな声をした筋肉質な女性と、恐らくはその仲間と思われる冒険者風の出で立ちをした男女混合、計五人組のパーティーが待ち受けていた。


「おー、あんま遅いから腹でも壊して寝込んだのかと思ってたとこだぜ」


 その色物メンバーと他店の店長達から離れた場所からブーツがそう言いながら現れてくれた時には、言葉にはしないものの心底感謝した。


「これで役者がそろった……って言いたいとこなんだが、肝心の一号店の店長が今日はいないんだとよ。何か他ギルドの会合だとか何とか――ったく、自分の日程くらい憶えとけっつーんだよなぁ?」


 物怖じしないブーツの物言いにそれを聞いた二号店の店長が、神経質そうな細い眉を跳ね上げる。


「聞き捨てならんな、四号店の。元気が取り柄のつもりかしれんが口を慎め。本来このような茶番に呼ばれて迷惑を被っているのはこちらの方だ」


 相変わらずの陰湿な物言いがこちらの気を滅入らせてくれる。二号店を任されているこの男はクルト・ヴェスパーマン。


 歳は確かまだ四十二歳だったと記憶しているが、傲慢な物言いと窪んだ目と高すぎる鼻がその年齢を少し上に見えさせる。後ろで細く束ねられた黒髪を解けば暗黒司祭といった風貌になってしまう。


 その鳶色の鋭い目がこちらを射るように見つめるが、今日はこちらもこのチャンスをくれたブーツの手前、真正面から受け止めた。


「ふん、どうやら時間の無駄だったようだな。貴公等もこれで店で売られることもない不出来なポーションを探す手間が省けたようなので失礼する」


 そう吐き捨てるように言ったかと思えば、あっという間にその長身を翻したヴェスパーマンは表口から帰って行ってしまった。


 残された三号店のハンナ・シェルマンはふくよかで、見る者に穏和な印象を与える圧倒的“お母さん”感を持った女性だ。


 金色のフワフワと肩口で揺れるウェーブのかかった髪に、同じ色の瞳。白い肌は彼女の店舗が美容液系のポーションに特化していることを物語る。その外観から奇跡の五十代としてマダム達から絶大な支持を得ていた。


 そんな彼女も少し困った様子でこのことの成り行きを見ていたが、ヴェスパーマンの背中が見えなくなると、


「ふふ、クルトさんねぇ、そちらのお客様方がお店にいらして“ここのポーションでもない”って言われたのが悔しかったみたいなの。だから、許してあげて頂戴ねぇ?」


 そう鈴を転がすような声でこっそりと気後れしている僕に教えてくれると、裏口から帰って行ってしまった。結局広い裏口のホールに残されたのは、僕とブーツ。それから物凄く何か言いたそうにこちらを窺いながらウズウズしている謎の冒険者達だけだった。


「今日はお開きっつーことになりそうだな。けどま、オマエには良い顧客が付いたみたいだし、上々じゃねーの?」


 呆然としている僕とは違い、のんびりとした調子でそう言ったブーツは壁際に固まる冒険者達を視線でこちらに来るように促す。


「ほら、オマエもビビってねぇで握手くらいしろよ。こちらさん、最近うちの店でもたまに噂になってる有名人だぜ?」


 ニイッとブーツが笑うと、唇の端から尖った犬歯が覗いて肉食獣を連想させた。


「もー、有名人だなんてヤダなー! アタシ等はこの人が作ってくれたポーション……っていうの、あの固形のヤツ? あれのお陰で一気に鉄の腕輪から金の腕輪まで駆け上がれちゃったんだから!!」


 筋肉質な彼女の放った衝撃の一言に、僕は一瞬世界から音が消えたのかと錯覚する。鉄から一足跳びに金? そんな馬鹿なことがあるはずが――。


「あるんだもんなー? 吃驚させてくれるぜ、まったくよ」


 心の中を勝手に覗いたのかと思ってしまうような絶妙なタイミングで、横から現実に引き戻してくれたブーツを見る。自分が今どんな顔をしているのかは盛大に噴き出したブーツを見て何となくだが分かった。


「あのポーション固形で日持ちもするし、大事な局面で落として割って飲めなくなるとかもないしで凄く助かったんだよね! それに舐めながら歩いてたらずっと微回復魔法かけられてるようなもんでしょう?」


 自分でも全く考えつかなかった利点を次々と興奮気味に上げてくれる女冒険者に条件反射で頷き返していると、見かねたように彼女を手で制して大柄な男性が僕とブーツの前に進み出て来た。


「驚かせてすまん。コイツは悪い奴じゃないんだが話し始めるとこうして止まらなくなる悪癖があってな。俺達の要件はただ一つだ。君達さえよければ……あのポーションを大量発注させてくれないか?」


 ――驚きに色を失う僕の横で、まるで自分のことのように俄然乗り気で卸値の算段を付け始めたブーツを見やる。


 ノロノロと女冒険者に視線を戻せば「あ、そうそう、旅先から出した手紙届いた?」とこれまた悪びれずに言い出す始末。


 こうして僕は先日のリベンジどころかニュー・ステージに繰り出す羽目になってしまったのだった……。

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