*6* 初めて芽生えた感情の形。

 今朝もまだ空から闇が抜けきる前に起き出して郵便受けを覗く。当然まだ何も投函されていない空の郵便受けを溜め息をつきながら閉じる。


 この三日間というもの、飽きもせずこんな無意味な行動を取り続けている自分の不甲斐なさに呆れていた。こんなにみっともなく弱り切った僕が待っているのは、あの日ブーツが発した一言の真相だ。


『……って、ちょっと待て。これ今回の中間評定の結果じゃねぇぞ?』


 そう言って動揺している僕から紙を取り上げたブーツが、そこに記された日付を睨みつけてそう口にした。僕は多分『今朝届いたのだから、そんなはずはない』というようなことを言ったと記憶している。


 しかし、


『いや、よく見て見ろ。この日付』


 そう言って再び押し付けるように手許に戻された紙の右上を、僕と同じ様に傷の多いブーツの指先が差した。


『おい、ロンメル、諦めんのが早いのはオマエの悪い癖だぜ? これは要するに前回のポイントは誤りで、今回その誤りを正してきたってだけだ』


『それでしたらどうして今回分の評定がないんです? この封書に同封されていたって良いではないですか』


『それはオレに言われても分かるわけねーだろ? だが、何か妙なのは確かだな。普通ならアンタの言うように、この封書に同封したって何の問題もないはずだしよ』


 そんな二人の両側で交わされる会話を聞くともなしに聞きながら、僕は緊張で冷え切った指先を組んで黙り込むことしかできなかった。


『――よし、ちょっとオレが本店の方に掛け合ってどういうことか聞いてきてやるよ。ロンメル、オマエはその答えをここで待ってろ。良いか、ここでだぞ? 何も分からねーうちからビビんじゃねぇよ』


 “バシッ!”と大きな音をさせて僕の背中を叩いたブーツは、机につんのめりかけた僕の向こうにいるパウラに、


『アンタはコイツが逃げ出したりしねーように見張ってろ。んで、今回の件が全部片付いたらオレを普通に工房に入れろ。良いな?』


 と――そう言いたいことだけ言い残したブーツはこちらの答えを聞く暇もなく身を翻して帰って行った。以来、まだブーツからも四号店からも何の音沙汰もない。本店は当然のようにだんまりだ。


 やはりあの紙の日付が誤りであっただけで、あの結果こそが今回の評定内容だと考えた方が無難なのかもしれない。いやそれだけならまだしも……もしもブーツにまで本店から何かしらのペナルティーが下されたりしていたら――?


「マスター、おはようございます」


 ぼうっとしていた背中にそう声をかけられた僕は、やましいことはしていないにも関わらずかなり驚いて振り返ってしまう。


「そのお顔では今朝もブーツさんからお返事は届いていませんでしたか?」


 優しくて丸みを帯びたパウラの声が、ここ数日の張り詰めた心と耳朶じだに心地良い。


「せっかく早起きをなさったのでしたら、中で蜂蜜をたっぷり加えたホットミルクでも如何ですか? 窓辺でみんなもマスターを心配していますよ」


 パウラはまるで幼い子供を宥める母親のようにそう言って僕の手を握ると、工房の裏口へ向かって手を引いてくれる。僕はその手を振り解くこともなく素直にその後をついて行く。


 あぁ、そうか――いつもならこんなに落ち込んだりしない。諦めはいつからかまるで僕の身体の一部のようになってしまっていたのだ。


 なのに、今回はそれを受け入れられない。


 その理由が――ようやく分かった。


「……パウラ」


 前を歩くパウラが僕の呼びかけに即座に振り返る。その金色の瞳は真っ直ぐに――まるで最初から疑うことを知らないように僕を見つめていた。


「僕は、君に謝らなければならない。君が協力してくれていながらこんなに不甲斐ない結果になってしまった」


 握る手に体温を持たない彼女は代わりにその瞳に熱を宿している。いつも僕を見つめて優しく笑みの形を作る金色の瞳はけれど、次の瞬間怒ったようにつり上がった。


「もう、マスター! どうしてそこで私に謝るのですか?」


 僕より一回り小さなその掌が、彼女の怒りのままに“ギュウゥ”と強く僕の手を握る。痛くはないがその語気の強さに少しだけ驚いた。


「マスター……私は――いいえ、私達は、」


 止めてくれ。頼むからそんな風に哀しげな顔をしないでくれ、と。そう思う僕の頬に冷たくも温かくもないパウラの両手が添えられる。


「マスター……貴方様さえ信じて用いて下さるのなら、それ以上のことは、何も。何も必要としませんわ」


 そのまま添えられた掌が僕の輪郭を確かめるように撫でる。パウラの金色の瞳が逸らされることはない。


「太陽も、水も、土も、肥料ですらも。私達にとっては貴方様の存在がなければ無意味で無価値。貴方様がいないのでしたら、皆その身が朽ちても構わないのです」


 狂気すら感じさせるその発言に軽く息を飲むが、パウラは次の瞬間には何事もなかったかのようにフワリと微笑んだ。


「と、いう訳ですので――早く工房に戻ってホットミルクでひとまず心を落ち着けましょう? それを召し上がった後は、私と一緒に残り少なくなったユパの実を採取に参りましょうね」


 頬から離されたその手が再び僕の手を取る。今度はこちらから握り返せば、またいつもの眩しい元気な笑顔を向けてくれた。



***



 その日、 三日前に採取してきた大量のユパの実を加工し終えて、ようやく気持ちも安定していた僕とパウラで、週に一回の出窓の彼等や彼女達の為に霊力キノコと鉱石やポーションを使って調合した肥料を与えていた。


「ですからあそこは古い風習に嫌気がさして、街へ出て冒険者について行ってしまったお子様達の愚痴を言い合う場なのですって」


 僕の長年の疑問を面白そうに説明してくれるパウラには悪いが、まさかフェアリー・リングの存在にそんな秘密があったとは……。訊ねておいて何だがあまり聞きたくなかったと思いながら【シェビア】の鉢の根元に彼女の為に調合した肥料を一掬いまく。


 【シェビア】は滋養強壮と食欲不振を改善する東の国の植物だ。採取場所にはなかったので、数年前に行商人から物々交換で入手した。何でも行商人の国では“カンポー”というポーションになるらしい。


 丸みを帯びた多肉植物の一種で宝玉のような葉の中に薬効成分のある水分を蓄えている。断りをいれてからその葉を一枚、というか一粒だけ分けてもらう。赤味を帯びた彼女の葉は、掌で転がせば自分が宝石商にでもなった気分にさせてくれる。


「フェイが“大切に使って頂戴ね”ですって」


 “フェイ”はこの【シェビア】の名前で、隣にいたパウラが彼女の言葉を代弁してくれた。僕が「勿論だ」と答えると、掌の赤い実がほんの少し鮮やかさを増した気がする。


 そのまましばらく二人で黙々と、けれども穏やかに手入れをしていたのだが―――。


『おいコラてめぇ、何回言わせんだ! 営業時間内は店開けとけって言ってんだろうが!』


 そんな聞き憶えのある怒声と共に工房の裏口が激しい音を立てた。どうやら外から思い切り蹴りつけられたらしい。


 ドアの古びた鍵が“グネリ”と歪んだように見えたか――と思う間もなく弾け飛んだ。それとほぼ時間を同じくして、ここ数日待ち続けていた男が乱入してきた。


「オマエ等なぁ、こっちが真面目に調査してきてやったってのに……いい加減に職務怠慢が過ぎんだろうが!」


 見た目の上では決して文句をつけられるタイプの人種ではないものの、その発言内容に間違えた箇所など一つとしてなかった訳だが……。


 パウラは蹴破られたドアの方が気になるのか、肩で息をするブーツと弾け飛んだ鍵を交互に見やって溜め息をついている。


「あぁ、その、至極もっともな意見だな。すまん」


「押し入って来られたからには今回の件について、何か情報が入ったのだと期待してもよろしいのでしょうか?」


 両者の正反対な反応に一瞬だけ栗色の目を瞬かせた彼を見た僕は慌てて散らかっていた工房内の、まだマシな一角にある席を彼に勧めて、パウラにはその喉を潤す物を持ってきてくれるように頼む。


 飲み物に疲労回復の効果があるポーションを入れてくれるように言おうと振り返れば、彼女は最初から心得ているとばかりに、僕が言おうとしていたポーションの瓶を棚から取り出しているところだった。ビーカーに注がれたウェルカム・ドリンクで喉を潤したブーツは、僕とパウラに向かって「遅くなって悪かったな」と前置きするや、次には思いも寄らなかった話を切り出してきた。


「あー……待たせた挙げ句こんなくだらねぇ報告すんのはオレも嫌なんだが、良く聞けよ? 今回の件な、どうも二号店と三号店の連中がオマエが自分達の採取地を荒らしたって騒ぎ出したせいだったわ」


「――は?」


 思わずそう言うしかない展開に僕の頭の中は真っ白になった。


「何ですか、その根も葉もない言いがかりは」


 怒りを押し殺したパウラの声に、白く塗り潰された僕の頭の中も怒りで赤く色付く。二号店と三号店とはブーツの四号店以上に接点がない。その僕等が何故そんな謂われのない濡れ衣を着せられなければならないんだ?


 そんな感情が表情の乏しい僕にしては珍しく全て面に出ていたらしい。正面に腰をおろしていたブーツが意地悪く細い眉を片方だけ釣り上げた。


「――んな顔すんなや。騒いでんのは店長連中じゃない。あっちの弟子共だ。奴等の言い分じゃあ五号店に割り振られた採取地程度じゃ、今回オマエが使ったレベルの特級アイテムは採取出来っこないってのが言い分だった」


 ともすれば、僕が妙な自尊心から加えた最後のアイテムが今回の結果を招いたということになるのだろう。隣に座るパウラが動揺しているのが空気で伝わる。彼女のことだからきっと僕と同じことを考えているに違いない。


「けどオレから言わせりゃ、この工房の中を見たら誰だって連中が嘘ついてるって分かるだろってことだ」


 根底に触れるほど沈みかけていた僕達の心が、ブーツのその一言で浮上したのを感じる。


「だから勝手に悪いとは思ったんだけどよぉ……今回オマエの中間評定な、あれ仕切り直しってことで申請し直してきてやったぜ」


 言葉とは裏腹に全く悪びれた様子もなくニヤリと笑ったブーツが、一枚の封書を僕に差し出してきた。面を見ればいつもの赤い封蝋ではなく、黒い封蝋を捺してあるそれを無言で受け取る。


「売られた喧嘩はてめぇでしっかり返して来いよ?」


 笑みの形に歪められた口許と違い、目だけがギラつくブーツの顔を見た僕とパウラは、彼なりの激励の言葉に深く頷き返す。


「……今度は二度とは疑わせないように、必ず完膚なきまでに認めさせると君に誓おう」


 机の上に僕が拳を突き出せば、ブーツが「今さら格好付けんな、馬ぁ鹿」と嘲るように笑いながらもその拳をぶつけてくれる。


 隣で僕達の様子を見つめていたパウラと目が合えば、彼女は誇らしそうに微笑んでくれた。黒い封蝋を捺された封書の中に記された評定の“仕切り直し”は三日後。


 生まれて初めて虚仮にされたことへの逆襲を誓った気分は、どこまでも晴れやかだった。

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