*5* たぶん、友人のようなもの。

「はい、それでは確かに二回分の支払いを受け取りました。残りの支払い回数ですが……あと十五回分ですね。次回もよろしくお願いします」


 帳簿と顔を突き合わせながら、ツケの返済に来てくれた客の名前と金額を探し出して斜線を入れる。


 ほぼ文字と数字が並ぶだけで滅多に斜線が引かれることはないが、それでもこうして忘れた頃に返済に来てくれるのだからまだマシと言うものだ。大抵の人間は返しに来ない。それでも作って渡し続けるのは何故なのか自分でも説明が出来ないのが厄介だが……やはり純粋にポーションの研究が好きなのだろう。


「先生、いつも本当に、本当にありがとうございます……!」


 目の前でそう言って拝むようにしてくる彼女にしても、女手一つで育てる子供の病気を医者に診せることも適わないからこうしてこの店を頼ってくるのだ。


 お世辞にもあまり綺麗ではない店の会計カウンターに頭を擦り付けんばかりに下げてくれる女性を見ていれば、嫌でも彼女を門前払いにした医者の対応が見えてくるというものだ。


 うちのポーション工房【アイラト】設立者の信念は体現できているのだし良いだろう。そう他人事のようにぼんやりと考えながら、まだお礼を言い募ろうとする女性に曖昧に笑ってみせる。


 ひとしきりお礼を言って気が済んだ女性が帰って行くと、奥の工房からパウラが顔を覗かせた。以前は一人だったのでこれといって使っていなかった、工房と店舗を行き来できるようにしてあるカウンター内側にあるドア。


 本来は見習いが店番をして、店長は奥の工房で調合を行うのでその連絡をとりやすくする為にあるのだが――ここに僕が配属されてからずっと荷物に隠れたままの開かずのドアだった。しかしパウラがこの姿になってからは随分と重宝している。ドアも仕事が出来て心なしか嬉しそうだ。


「お仕事お疲れ様です、マスター。工房の方にお茶をご用意しましょうか?」


 ジッと顔を見つめて動かない僕に、パウラは若干不思議そうな表情をしつつもそう言ってくれる。


「――ありがとうパウラ、お願いするよ」


 仕事というか……ただツケを払いに来てくれただけなので、僕は咄嗟に帳簿を棚の中に隠した。それを見たパウラは目を細めたものの、何も言及せずに奥へ引っ込んだ。


 表の道から少し低い場所に建っている為、半地下式のようなこの店は昼間でも薄暗くてややカビ臭い。そのせいもあって五号店は他の店舗から密かに“流刑地”と呼ばれ、畏れられている。


 ここに僕の前に勤務していた店長は僅か三ヶ月で気をやって失踪したらしい。まぁ、確かに長い時間をこの薄暗がりで過ごすのは、あまり気分の良いものではないかもしれないが。


 ただそれも悪いことばかりでもなく、そのお陰で棚に日光が当たる時間が短いのでポーションの劣化がほとんどない。これはポーションの移動をさせる手間をはぶけて僕の仕事を大幅に楽にしてくれている。


 ここに十八歳で転属させられて早七年目だ。最初の頃は設備の酷さと立地に失望したものだが何事も住めば都。大切なのは諦めと慣れだ。見るともなしに狭い店内を眺めた僕は、半分しか役目を果たしていない窓にカーテンを引いて、店のドアに【ご用の方はベルを鳴らして下さい】と書いた札を提げて店の鍵をかける。


 ―――しかし。


『おいコラ、まだ営業時間内だろうが! 何閉めてやがんだてめぇ!』


 たった今鍵をかけたばかりのドアの向こうから聞き覚えのある罵声と、続けざまに律儀にベルが鳴らされた。ここ数日ですっかり聞き慣れ始めたこの声の人物を、店内に入れたものか少し思案するが――。


『このボロいドアを蹴破られたくなかったらとっとと開けやがれ!』


 とんでもないことをドアの向こうで叫ぶ相手は、本当にそれくらいのことならやりかねないので僕は諦めてドアを開けた。


「あのな、ブーツ。たった数日で何度同じことを言わせるつもりだ? 近所に誤解されそうなことをするな。大体こちらからではなく裏の工房の方に回れと昨日言っただろうが」


 呆れて皮肉と共に出迎えた相手は、誰あろうフリーマーケットで因縁を付けてきた同僚――コンラート・ブーツだった。今日も今日とて奇抜な格好である。


 しかもこの男は去り際に言った“今度”どころか、フリーマーケットの翌日にはうちを訪ねて来て、ポーションについてあれこれと論をぶつけ合う間柄になってしまった。


 そして悔しいことにあるところでは知識を追い越され、またあるところでは僕が勝るという……微妙に均衡のとれた技能を持ち合わせた好敵手だということが分かったのだ。


 ――――それがたった四日前のことである。


「おぅ、そっちこそ叫ばれんのが嫌だったらさっさと開けりゃあ良いんだよ。それに最初は裏に回ったけどよ、あの女が開けねーんだって」


 不服そうにそう愚痴るブーツを見て、ようやく僕も納得した。あの日以来ブーツを毛嫌いしているパウラが、連日の襲来で見慣れたとはいえそうそう簡単にドアを開けるはずがなかったか。


「それにしてもまだ四時だろ。閉店時間まで二時間も残ってんのに何もう閉めてんだよ」


「余計な世話だ。大体お前こそ店の方はどうしたんだ?」


「うちはオマエのところと違って本店から有望な見習いが来てるからな。ソイツ等とうちの弟子が店番してっから良いんだよ」


「本店からって……それはまた気の毒な見習いがいたものだな……」


 思わずそう素直な感想を漏らすと「だよな。何やらかしたんだか」と人の一人、二人殺めていそうな人の悪い笑顔を見せるブーツ。


 今まで話したことがほとんどなかったから気付かなかったのだが、この男は根は口ほど悪い奴ではない。


 何よりもうちほどではないとは言え、ブーツの四号店もなかなかに厳しい立地だ。客層が冒険者でも一般人でもなく賞金稼ぎという辺りで察してしまえる治安である。そんな店の弟子と、こんな店長となれば――本店から派遣されてきた見習いには“強く生きろ”と言うほかない。


「それで、今日は一体何の用件なんだ?」


 工房にパウラを待たせているのが気にかかっている僕は、ややおざなりな対応を取ったのに当のブーツは全く気にしていないのか、懐からグシャグシャになった封書を取り出した。


「これだよ、これ。届いてんだろ? 優しいオレがわざわざオマエの点数聞きに来てやったんだ」


 その手に握られているのは先日の中間評定の結果だ。全くもって余計な世話ではあるものの、ライバル店の同僚が持ってきたその内容が気にならない訳はない。


 さすがに前回のポイントは上回っているだろうが、そういえば今朝届いていたのにまだ目を通していなかったことを思い出す。


「あぁ、それか――確かに今朝届いていた気がするが、まだ目を通していないんだ」


 忙しかった訳ではないので純粋に忘れていたのだが、ブーツはそんな僕の答えに「んなことだろうと思ってたよ」と笑う。


「工房にパウラを待たせているから続きは奥で話そう」


 そう言って今度こそ表のいがんでしまった札を提げなおしてドアを施錠すると、僕は彼女の仇敵を奥の工房へと案内した。


「あぁ……やっぱり招き入れてしまったんですね……」


 工房に足を踏み入れるなりそうあからさまにガッカリするパウラを見て思わず苦笑してしまう。


「まぁ、パウラ、そう毛嫌いしてやらないでくれ。これでもこの男もこの間のマーケットでのことは反省……してるよな?」


 そういえばまだ謝罪の言葉を聞いていなかった。水を向けたところでどうせ無駄だとは思ったが一応パウラの手前、その形だけでも取ってくれと後ろをついてきたブーツを振り返る。すると――。


「あ~……あの日は確かにオレが悪かった。コイツ見つけたらつい溜まってた文句言いたくなっちまって」


 僕やパウラが拍子抜けするくらいあっさりとブーツはそう謝罪の言葉を口にした。


「コイツたまにこっちが驚くようなポーション出してくるからよ。その癖いつもビクビクしていやがるわ、本店の評定ではさっさと帰るわで……苛ついてた。だから一回サシで文句つけてやりたくて――つい、な」


 不機嫌そう……というかバツ悪そうにそう言うブーツを、パウラの金色の瞳が射抜かんばかりに鋭く見つめる。二人の間に立っていた僕はそのあまりの眼光の鋭さに思わず身体をずらしてしまったが、ブーツは正面からその視線を受け止めていた。


 しばし無言で睨み合う両者を見ていたのだが、なかなか動きがないので飽きてしまった僕は、今朝届いた郵便物の中から例の封書を手にして作業机の傍にある円椅子に腰掛けた。


 机にあったパウラが淹れておいてくれたらしい、すっかり冷めたコーヒーを一口含んで封書にペーパーナイフを滑らせる。


 中を確認する前にもう一度二人を観察しようと視線を上げたが、やはりどちらも睨み合ったままの姿勢だったのでそのまま放っておくことにした。


 そもそもの問題としてこの結果を見るのに人手がいる訳でもない。以前はいつも一人で確認していたのだから今回もそうすれば良いだけのことだ。


 折り畳まれた紙を開く手が少しだけ震えるものの、今回の結果には自信があった。だからいつもよりは落胆しないだろうと、多少気を緩めて開いたのだが――。


「え……?」


 中に書かれていた数字に思わずそう声が零れた。そんな僕の変化に気付いた二人がいつの間にか睨み合いを中断して、両脇から手許の紙を覗き込んでいる。


「……あぁ? おいおい、何だこのふざけた評価は。オマエ確か今回の調合に特級アイテム使ったって言ってたよな? それでこの評価って……本店の人間に目を付けられるようなこと何かしたのか? 」


 耳許近くで聞こえるはずのブーツの声がやけに遠い。それでも何とか首を横に振って否定の意を示す。


「何です、これ……こんなふざけた話ってあります?」


 パウラがもう片側から怒りを抑え込んだ声で話しかけてくるが、今回の調合の何が至らなかったのか分からない僕はこの言葉にも首を横に振ることしか出来ない。


“五号店店主、ヘルムート・ロンメル殿。前回の中間評定で提出されました作品から、貴殿のポーション精製スキルは+30相当と認定されました。これからも引き続き精進されたし”


 そう書かれたその紙は、あまりに無慈悲に“特級アイテムを使用したところでおまえの腕はこの程度だ”と僕に知らしめるだけのものだった――。

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