*3* まずは昇級以前にすべきこと。
パウラが僕を案内しようと目指していた場所。そこは垂直の崖の表面からテーブルのように張り出した平たい、言うなれば苔の絨毯を敷き詰めた台座だった。
いつも採取の度に登っている崖だというのにまだ上にこんな場所があったとは驚きだ。目の前には上質なベルベットに覆われたような台座一面に色とりどりのキノコが円形に並んでいる。
「あ、もう始まってますね。マスター、ここがお求めのフェアリー・リングが大量に揃う秘密の花園です」
先に台座に登っていたパウラが後から登ってきた僕を振り返って弾む声音でどこか誇らしげにそう言う。
【フェアリー・リング】またの名を【フェアリー・サークル】とも呼ばれるが、まるでそこで妖精がお茶会を開いているかのように、円陣を組んだキノコが生える不思議な現象を指す。実際にそこで妖精がお茶会を開いているのを目撃した人間はいないが大変珍しい現象で、このキノコ達もそれぞれに違った効能を持つ貴重なポーションの材料だ。
たまに朽ちかけた姿のリングを見かけることはあった。それですら珍しく見つければ必ず採取してきたのに……ここまで瑞々しい状態のキノコ群を見たのはこれが初めてだ。
「マスター、ちょうどそこの席のご婦人達がお呼びですから、お言葉に甘えてお邪魔させて頂きましょう」
現実味のない風景を前にらしくもなく興奮している僕にパウラはそう声をかけると、様々あるフェアリー・リングの中から暖色系で統一された一つを示した。
「……ここにご婦人達が?」
少なくとも僕には誰もいないように見える。しかし訝しげにそう返した僕にパウラが苦笑して頷き返す。
「リングの中心部に持ってきた砂糖菓子を置いて下さい。彼女達は甘いものに目がないですから、特級材料の霊力キノコを分けてもらうにはお菓子が必需品なんですよ」
言われた通りにリングの中心部に細かく砕いた砂糖菓子を載せた色紙を置くと、瞬く間にそれが消えた。まるで白昼夢を見ている気分だ。
「はい、ご協力ありがとうございます。それではこちらのテーブル席を頂いて行っても? えぇ、お隣に移動を……まぁ、そうなんですか」
誰もいない場所に視線を落としたままパウラが話し込み始めたので、僕はその間に周辺に自生している木々を物色することにした。とはいえほとんどの木は下に自生しているものとあまり代わり映えしない。
軽く流すように視線を彷徨わせていると、その中の一本の木に目が留まる。別にその木自体が珍しかった訳ではないものの、その木の幹に絡みついている植物の実に用があったのだ。一瞬すぐに採取しようと手を延ばしかけて、ふと先ほどのパウラの行動を思い出した。
「あー……その、ご婦人方。ここのユパの実を採取させて頂いても構わないだろうか?」
一番近くにあったリングにそう声をかけると、キノコがお辞儀をするように一斉に揺れた。僕は「ありがとう」と告げてたわわに実ったユパの実を少し残しておいて大まかに採取する。
【ユパの実】は紫色をした楕円形の果実で、大きさは大人の親指の第一関節分くらいの大きさをしている。しかし中はほぼ大きな種なので果実に分類するにはやや難しい。このユパの実は一度熱湯で茹でてからあら熱を取って中の種子を取り出し、その種子を叩き潰せば中からヌルヌルとした半透明のジェル状の液体を出す。
ポーションの材料にするにはこれを取り出した物をさらに鍋で焦げ付かせないように練り固めて加工した物を使う。これは種子の核に含まれている脂質が動物性のゼラチンと同様の――と、まぁ、要するに液体状の物を持ち運びやすい固形状にしたい時に用いる。
「それは――ユパの実ですね? そんなに沢山何に使われるのですか?」
いつの間に談笑を終えてきたのか、突然すぐ近くから顔を覗かせたパウラに少し驚いて採取したユパの実が入った袋を取り落としそうになる。
「いや、まだ使用用途を考えてはいないんだが……沢山あったので、つい」
驚いたことを誤魔化すために少し素っ気なくなってしまった僕に、それでもパウラは嬉しそうに「さすがマスターですね」とよく分からない感心をする。
今度は僕が「そちらの首尾は?」と訊ねれば、彼女は用意してきた水晶箱※(名称通り水晶を削って造られた箱。霊力は空気に霧散しやすいのでこの箱に閉じ込めておく)に一杯のキノコを見せてくれた。
こちらが了解の意を込めて頷くと、パウラはすいと頭を下げる。その意図に気付いた僕は苦笑しつつその頭を数度軽く撫でた。嬉しそうに微笑むパウラを見て、どうやらこれで正解だったようだと胸を撫で下ろす。
「では目当ての材料も揃ったことだし、そろそろ工房に帰ろうか」
「はい、帰り道の案内もお任せ下さい! それからマスター、工房に戻ったらちょっとご相談があるのですが、よろしいですか?」
「うん? それは構わないけど……今じゃ駄目なのか?」
「えぇ、ここでは。それから――ご婦人方から耳寄りな情報を教えてもらったので、工房に帰ったらそのユパの実を少しだけ分けて頂いても?」
なかなか秘密主義らしい彼女は帰りの道中も、一度も相談内容とやらを教えてはくれなかった。
***
表の店のドアから臨時休業のプレートを外して工房の裏口に回る。開けるのにコツのいる建て付けの悪いドアを軋ませながら開く。
「ただいま、パウラ」
むず痒い気持ちで帰ってきたことを伝えると、工房の奥の方から「お帰りなさいませ!」と元気な声が返ってくる。けれど出かける前に頼んでおいた作業で手が放せないのか姿を見せない。
僕の方はといえば、採取から戻るなりパウラにお使いを頼まれて市場に出かけていたのだ。何故か砂糖ばかりを五キロも。腕に感じる重みの分、甘さを感じる気がする。
奥の作業場を覗き込めば、パウラが懸命に火にかけた大鍋の中のユパの実の核から取り出した液を焦げ付かないように、これまた大きな木べラでかき混ぜている。
植物の彼女は発汗しないものの、やや髪が艶を失っていた。やはり熱には弱いらしい。「お出迎え出来ずにすみません」と恐縮するパウラから木べラを取り上げて買い物袋の中身を確認するように頼む。
代わりに大鍋の中をかき混ぜながら水を飲むように注意すれば、パウラは素直に工房で一番大きなビーカーで水を飲んでいた。
「……ふぅ。代わって頂いてありがとうございます。それにお買い物まで。これだけ砂糖があれば充分です」
買い物袋の中の砂糖を見たパウラは嬉しそうにそう言うと、ようやく採取中に話していた本題について教えてくれるようだ。
しかしユパの実は火から下ろすとすぐに凝固を始めるので、僕は作業の手を止めずにパウラの話を聞くことにする。
「まずこちらの帳簿をご覧下さい、マスター」
パウラが取り出した店の帳簿は改めて見るまでもなく真っ赤だ。あまり目に入れて優しい物でもないので、チラッと確認するフリをした。
視線はパウラの方を伺いながらも、作業の手は休めない。鍋から掬ったユパの実を製菓用の絞り袋に詰め、用意しておいた大きなバットの上に均一な分量になるように絞り出す。
こうしておけば固まってしまっても小分けにして使用できるので何かと便利なのだ。使用する際は湯でふやかすか、削ったり砕いたりして使う。
――――と、ここでパウラが眉を釣り上げた。
「このお店に来るのはマスターの人の良さに漬け込んで品物をかすめ取る輩ばかりで、お客ではありません。このままではマスターのご飯が危うくなります。ですのでマスター、今日から新しい販路を開拓しましょう」
確かに発言内容は間違っていないし、こと売上の悪い五号店だけは例外的に副業で収入を得ることも認められている。
「対価を支払わない人間にまできっちりと材料を使用するマスターはご立派ですが、それではいつまでたっても材料費の回収も出来ません!」
僕は彼女の意外に攻撃的な物言いに驚いて思わず一つだけ絞り出すのに失敗してしまう。
商品にならないそれをバットの上からよけたのを見て、パウラが「まずはそれを使って実験してみましょう」と言い出した。
「販路云々はまぁ、構わないが……その実験とやらは何を作るつもりなんだ?」
彼女の危惧している事態は薄々自分でも感じていたのでそこに異論はないものの、工房を使用しての実験とあればそうもいかない。危険を伴う類のものであればいかにパウラの願いとあっても止めなければならないだろう。
「そんなに難しいお顔をなさらなくても大丈夫ですよ、マスター。私が採取の時に話した内容、憶えておられますか?」
「あ、あぁ……確かご婦人方から耳寄りな情報を――」
「はい、その通りでございます。さすが私のマスター! パウラの話を聞いていて下さったんですね!」
そう言うや帳簿を放り投げて抱きついてくるパウラを必死に引き剥がす。
「こらこら、ユパの実はまだ熱いんだからふざけると火傷をする。危ないから大人しくしていろ、な?」
不満そうに唇を尖らせるパウラの頭を一撫でして残りのユパの実をバットに絞りきる。その中から不出来な形のものを幾つか見繕ってパウラに与えると、彼女は礼を述べてから一度店舗の方へ何かを物色しに行った。
戻ってきた彼女の手には、何故かこの間作ったスミレ色のポーション(疲労回復効果・小)がある。意図が分からないまま首を傾げる僕に向かって、彼女は実に商魂逞しい一言を放った。
「このポーションと砂糖、それにそのユパの実を使って水増しアイテムを開発しましょう。大体このポーション一つで五人分は作れると思います。残りも随時新しく色が綺麗で安価なポーションを作って製造していきましょう」
「――な、何をだ?」
「この材料だったら勿論お菓子ですよ。今日あの席にいらしていた風の精霊が教えてくれたんです。“たまに市場の方で開かれているフリーマーケットの製菓売り場が人気よ”って」
やや呆れた響きの声に「すまん」と苦笑混じりに謝れば、パウラも淡く微笑んでくれる。
「ですのでマスター。これからは可愛いものが好きで、それなりに自由に使えるお金もあり、中でも甘い物に目がないという――若い女性をターゲットに絞りましょう。上手く行けば五号店の売名チャンスです」
かなり具体的なターゲット層の絞り込み方もあったものだ。しかも自信満々に告げられた内容は末席とはいえ、表通りに店を構えるポーション工房の職人の仕事とは思えない。
それにお菓子なんて今までの人生の中で作ってみたことはなかった。
――――けれど、彼女となら。
「そうだな……どうせ今のままだと店も暇だし、やってみる価値は充分ありそうだ」
苦笑混じりに僕がそう承諾した途端、ついに我慢できなくなったパウラが飛びついてきたのは言うまでもない……。
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