*2* レッツ・ゴー・レア物採取。

 今朝郵便受けに届いていた封書は分厚くてご大層な封蝋が捺されている。


 それを緊張した面持ちのパウラの見守る中、僕は特に何の感慨もなく作業机の前に座って封を切った。中には第三者に細工をされたりしないよう特殊なインクを用いたペンで、いつも通りの使い古された定型文が並んでいる。


 その中で唯一いつも少しだけ変化する部分に目を留めた後はもう興味も失せるので、傍らにパウラがいるのを失念していた僕は封書をゴミ箱に投げ入れそうになった。


「マスター……それはこの間の中間評定の返事ですよね? 何か良くないことでも書かれていたのですか?」


 そう気遣わしげに言うパウラの悲しそうな声にハッとして、握りつぶしかけた封書を慌てて机の上に広げた。


 身体を斜めにしてパウラを見上げれば、心配そうな金色の瞳と視線がぶつかる。気は進まないが僕は仕方なく、その内容をまだ文字の読めない彼女に分かるように音読してやることにする。


「ここには“五号店店主、ヘルムート・ロンメル殿。前回の中間評定で提出されました作品から、貴殿のポーション精製スキルは+18相当と認定されました。これからも引き続き精進されたし”と書いてある」


 やや自嘲気味な声になってしまったかと気になってパウラを見やれば、彼女は何やら思案する風な表情をしていた。


「マスター、この評価はどれくらいのものでしょうか?」


 口を開いた彼女の言葉に僕はほぼ反射的に「そう悪くはない」と答えた。


「では――取り立てて良くもない、と。そういうことでしょうか?」


 読めない書面に視線を落としたまま、パウラはなかなか痛いところを突いてきた。これは親バカと呼ばれる部類の感情であるかもしれないが、この娘は頭が良い。


「情けない話だがパウラの言う通りだ。評価としては“可もなく不可もない”といったところかな。でもそれでもいつもよりは良い点数なんだ。パウラが手伝ってくれたお陰だな」


 何の嘘偽りもなく口から出た僕の本心だ。その言葉に弾かれたように僕を見たパウラの表情に、あの笑顔が戻った。


「それに本来この評価を得るにしても、もう少し入手するのが難しい材料を必要とするものなんだ」


 パウラの笑顔に気を良くした僕は、らしくもなくつい話題を続けることにした。見ればパウラも「そうなのですか?」と興味津々といった様子で僕の横から身を乗り出して、手紙の文面をその小麦色の指でなぞる。


「うん、そうだな……パウラにはこれから手伝ってもらうのだから丁度良い機会だし、簡単に説明しようか?」


 そう声をかければ嬉しそうに頷く。するとその肩から零れた深緑色の髪が僕の頬を撫でた。


「ではまず、この月に一度の中間評定は最高値を+60に決めているんだ。それ以上の点数になるには、半年に一度ある一号店主催の評定会に出なければならない。この評定会に出るには最低でも中間評定で評価+50以上を計五回、もしくは最高評価の+60で連続三月分取らなければならないんだ」


 今はすでに四月も終わろうとしているので、今年中の評定会参加は無理だろう。それに気付いたパウラが不満そうに眉根を寄せた。


「まぁ、意地の悪い。一号店の者達は何故もう少しその評定会とやらの開催を増やさないのでしょうか?」


 一号店に勤めている連中にパウラのこの発言を聞かれたら何を言われることやら。とはいえ五号店の人間が一号店の人間と口をきく機会など、年末年始の仕事占と始めの時くらいだから問題はない。


 ……この底辺でどれだけ吠えたところで雲上人には届かないのだから。


「まぁ、上には上の考えが合ってのことだろう。それにあの材料で+18の評価が出ることはそう多くない。いつもなら精々+8か+10くらいだ。君のお陰で面白い配合を思いつけたからこその評価だ――ありがとう、パウラ」


 椅子の背もたれにおかれたその小さな手にソッと触れて礼を述べると、彼女は金色の瞳を見開いて「もう! そんな嬉しいことを言われたら叫びたくなってしまいますよ、マスター」と物騒なことを口走って僕を背後から抱きしめる。


 頭に押し当てられる感触を考えないように、精製する際に熱を加えて変化する化合物の一覧表を思い浮かべることに専念した。しかし、そんな苦労を全く預かり知らぬパウラはギュウギュウと抱きしめる腕にさらに力を込める。


 次は何で気を紛らわせようか――そう思案しかけた僕の耳に、次の瞬間彼女はとんでもない提案を吹き込んできた。


「材料の値段や価値に効能が跳ね返るのでしたら、どうぞマスター、ここにいるパウラの指を一本お使い下さいませ。そうすればたちどころにこの評価だって――」


「それは駄目だ!!!」


 ――パウラが全て言い終わる前にそう叫んでいた。


 大声を出すことなんて年に数回ほどで、それだけで酷使されることになれていない喉が鈍く痛んだ。すぐそこにあったはずのパウラの身体の温かみがいつの間にか離れていることに気付いて振り向けば、彼女は脅えた様子で僕を見つめていた。


 怖がらせたことを謝ろうと手を伸ばせば「すみません……」と小さく呟いて身体を強ばらせる。金色の瞳が不安に揺れて、僕の良心を苛んだ。


「……謝るのは僕の方だ。急に怒鳴ったりしてすまなかった」


 普段は平坦な声になるべく柔らかさを込めて、優しく話しかける。


 逃げ出す素振りのないパウラに歩み寄って怖がる彼女を落ち着かせようと言葉を探すのに、頭に浮かぶのは薬草の効能や採取場所の情報だけだ。


 結局言葉を見つけられない僕は、目の前で小さくなって震えている彼女を正面から抱きすくめるくらいしか思いつかなかった。男としては比較的小柄な僕の腕の中にすっぽりと納まってしまうパウラ。そんな存在に声を荒げた自分に嫌気がさす。


「パウラ――今から僕の話すことをよく聞いて、憶えておいて」


 俯いたままのパウラの耳元に口を寄せて囁くような声でそう言うと、彼女が腕の中で小さく頷く気配がした。それを確認して抱きしめる腕に少しだけ力を込める。


「僕は研究馬鹿なくせにとことん本番に弱い腰抜けだ。年中裏通りから抜けられないし、評価も他店の同僚より低い。でも、だからこそ……そんな僕に力を貸してくれる君や、まだ窓辺にいる君の仲間達をただの薬の材料だとか、高価な商品だとか……そういう風に扱いたくはないんだ」


 顎のすぐしたにあるパウラの髪からは青青とした草原の香りがする。きめの細かい肌は太陽と大地の香りだ。植物である彼女に体温はない。


 ―――ひんやりとしたその身体が、ほんの少し寂しかった。


「君達にしてみれば何を都合の良いことをと思うかもしれない。けれど僕は今まで一度も採取して来た植物を根こそぎ材料にしてしまったことはない」


 確かに割り当てられた採取場所が良くないせいもある。けれどそれだけではないことも理解して欲しかった。


「私達は……人間は、嫌いです。際限のない欲のままに根こそぎ私達を殺し尽くしてしまうから」


 小さく返ってきたその答えにきつく目を閉じる。けれど、パウラの言葉はそれだけで終わらなかった。


「それでも……ここにいるみんなや、私は、マスターが大好きです」


 そう言って甘えるように僕の胸に頭をすり寄せるパウラを見たときの安堵といったら、膝からくずおれそうなほどだった。


 ―――しかし、


「ですから、私達は何としてでもマスターを一号店に押し上げて見せます。見る目のない人間共を踏み台にして、マスターは高みを目指して下さいませ」


 再び僕を熱っぽく潤んだその金色の瞳に映した彼女の狂気めいた発言と発想に、背筋が薄ら寒くなるのを感じながらも「……お手柔らかに頼む」としか言えない。


「そうと決まればまず手始めに、マスターの腕を最大限に活かせるような特級材料をザクザク採りに参りましょうね!」


 間近で生命力に溢れた輝きを放つ彼女の瞳に、僕は釘付けになって頷くことしか出来なかった。



***



 ―――翌日。


 僕とパウラは割り当てられた採取場所の最も険しい地区を目指していた。装備だけを見れば植物採取というよりも登山家のそれに近い装備だ。


 ……おかしい、全然お手柔らかではない気がする。


「さぁ、マスター、あと少しでフェアリー・リングが多く見られる場所につきますよ。昨日ご用意して頂いた砂糖菓子はお持ちですよね?」


 僕が頷くと、彼女はこちらまで元気になれそうな笑顔を向けてくれた。そのままピョコピョコと岩場に近い山道を跳ねるようにして登っては、僕が登りやすそうな場所へ誘導してくれている。


 口では何だかんだとあの崖を悪く言いつつも、やはり久しぶりの里帰りが嬉しいのかパウラは朝からずっとあの調子だ。


 昨日は結局あの後、


 “人前では自分がマンドラゴラだと言わない”

 理由=頭がおかしいと思われるか、材料としてバラバラにされるから。


 “簡単に身体の一部を材料に提供しようとしない”

 理由=再生するにしても気分が悪い。職人以前に人道的にない。


 “お客の目に付く場所に出てこない”

 理由=二人の関係性の説明が面倒。からかわれるのは御免だ。


 “人前でマスターと呼ばない”

 理由=僕の性癖を疑われる。パウラが奴隷と間違われるのも不愉快だ。


 という簡単な約束事項とその理由を教え込むのにだいぶ時間を割いたせいで、あまり仕事にならなかった。


 しかも一番肝心な“無闇に密着して来ない”だけは絶対に聞き入れないと固辞されてしまったので、僕の精神的な受難はまだ続くらしい……。


 それにしても人間と同じ装備を必要としない分、先を歩くパウラは身軽で元気だ。踊るような足取りで険しい山道を軽々と登っていく。


 考えてみれば陽の下で行動する彼女を初めて見た。


 あと三日で工房であの姿になってから二週間なことを考えれば、かなり長く我慢をさせていたに違いない。だとすればいつもより色艶が増しているように見えたのも、久しぶりに光合成をしているせいか? 何にしても可哀想なことをしてしまった。


「―――パウラ」


 息が切れているのか声が少しかすれた。彼女は結構先を歩いていたにも関わらず、聞き取りにくい僕の声を聞きつけて駆け下りてこようとする。それを手で制して(下りてきたら何をされるか分かり切っているので)から素直な今の感想を彼女に告げることにした。


「今日の君はとても魅力的に輝いて見える。光合成が足りていなかったせいで身体が辛かっただろうに、気付けずにいてすまな――」


 “かった”と言い終えるより早く、ラリアット気味の抱擁を受ける。それでも何とか無様に後ろに倒れ込まずにいられたのは、ひとえにこんな場所まで採取に訪れていた日々の賜物だと思う。


「あぁ、マスター……光合成などしなくても、今のマスターの言葉だけで私あと半年は太陽光を浴びなくても平気かもしれません」


 首にぶら下がるようにしがみついたパウラはそう感激したように囁いてくれるのだが……朝からの山歩きで足が地面から浮きそうな状態のパウラを支えるのにも限界が来た。


 数度堪えようとたたらを踏んだが間に合わず、咄嗟に彼女を胸に抱き留めるようにしてその場に尻餅をつく。


「お疲れだったのですね……思い至らず申し訳ありません」


 腕の中でシュンとうなだれてしまったパウラに何か言葉をかけようとした瞬間、僕の瞳は何故か空を映していた。


「ここでしばらくこうして休憩して行きましょう。私が気付いたからにはもう無理はさせませんからね?」


 そう楽しそうな声が上から降ってくるのを聞きながらも、頭の下にある柔らかな感触が何なのかを深く考えないように心がけようと思うのに――。


「マスター、パウラの“ひざまくら”は如何ですか?」


 悪戯っぽく微笑む金色の瞳の少女を見上げて「悪くない」と最大限の強がりを返すことが精一杯だ。


 ……目当てのフェアリー・リングまでこのノミの心臓は保つのだろうか?

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