*1* ここは裏通り五号店。

 この世に冒険者という職業がある限りポーション工房が潰れることはないとされている。しかし当然冒険者などという一部のアウトロー集団の為だけにポーションが作られている訳ではない。


 そもそもなろうと思って就ける職業でもないので、その数は大体いつの時代も横這いなのだ。そのせいで親子や家族といった血族関係でなる者も少なくない。


 たまにそういった家系からではない亜種のような人種もいるが、その数はさほど多くないのが現状だ。そんな諸々の理由もあって一般人客も大切なお客様である。


 この中規模都市ウォークウッドでも、ポーションは一般の人達の間でも広く普及していて冒険者達が使用するものより効力と値段を落として販売されている。


 実際にウォークウッドで有数のポーション工房が軒を連ねるエディール通りでも一、二を争うポーション工房【アイラト】の末席に、お義理とは言え名を連ねさせてもらっている僕ですら街の他の職人達よりは収入がある。


 ただし、あくまでも末席の収入なので夕飯におかずが一品増える程度のことで、他の兄弟子や同期に比べればその能力の差は歴然だった。


 昔からここ一番に弱い僕は年に四回もある昇格試験に五年連続で滑り続けている。工房設立以来、前代未聞の出来損ない。


 ――それが僕こと、ヘルムート・ロンメルだった。


 癖の強い黒髪にやや茶色がかった黒に近い瞳。薄くも厚くもない胸板。


 ただでさえややなで肩なのに身長は男にしてはもう少し欲しい百七十二。同年代の仲間との集まりの中で一人だけ見下ろされるあの気分の悪さといったら――。


 今年で二十五歳になろうというのに未だに年嵩の客からは“ヘルムート坊や”とからかわれる童顔気味な顔を誤魔化す為に髪を後ろに撫でつけているものの、これに一体どれだけ効果があることやら。


 そんな“ノミの心臓のヘルムート”があだ名の僕に割り当てられた店舗は富裕層と貧民地区とを隣り合わせにした裏通り。華やかなエディール通りなどまさに夢のまた夢。


 ガルバ裏通りと呼ばれるこの貧民窟界隈で売れるポーションは、その大半が老人の腰痛やリュウマチ、食欲不振を改善する物か、さもなければ二日酔いを散らしたり刃物沙汰の喧嘩の手当てに使う為の安価なものばかりだ。


 “貧困者を救済せずしてポーション工房を開くなど以ての外だ!”という初代工房設立者の崇高なご意志で僕はこの裏通りに店を構える羽目になった。


 わざわざここに見習いで来たがる物好きなどいないので、他店と違って実力云々の揉め事もなく配属されたその日から店長だ。


 しかし貧困者の半数はツケで収益は毎月真っ赤。そのうえ数だけは出るので採取も度々行かなければ追い付かないので骨が折れる。


 本来ならばこの仕事量であれば助手の一人も欲しいが、前述の通りだ。


 その点について僕自身は何の不満もない。それにここでは――ここでくらいは……工房設立以来の落ちこぼれである僕の居場所もあるだろう。


「……マスター、今です ! フラスコをランプの火から下ろして優しく揺すって下さい」


 日だまりのように元気で、それでいて雪解け水のせせらぎのように涼やかな声でそう言われた僕は、慌てて一瞬遠くに飛んでいた意識を目の前のフラスコに集中させた。そっと先ほど僕にかけられた声の指示通りフラスコを回して中の試薬を撹拌させると、試薬は徐々に無色から淡いスミレ色を帯びていく。


「うん、無事に結合したみたい……これで完了ですね。マスター、お見事でした!」


 固唾を飲んでそれを見ていた僕はようやく呼吸を思い出して、喘ぐように息を吸い込んだ。そのままその出来上がったばかりの試薬を、用意しておいた縦に長細い薬瓶の中にこぼさないようにロートを使って流し込む。


 出来上がったのはごくごく普通の疲労回復薬(効果・小)なのだが、見た目が美しいのでうちの地味な商品棚の中で映えそうである。


「……へぇ、これは綺麗なものだな」


「ふふ、そうでしょう? マスター、今度はこの鉱物を使ってサイダーを作ってみませんか? 色も綺麗ですし、そう調合の材料も多くありませんから今からでも四日後の中間評定に間に合いますよ」


 そう言って輝くばかりに脳天気な笑顔を向けてくる彼女に私は力なく微笑み返す。異国情緒の漂う小麦色の肌に深い緑の波打つ髪。金色の瞳が彼女の活発な性格を表している。


 見た目だけで女性の年齢をはかるのは難しいが、恐らく人間の年齢に見立てれば十七、八歳くらいだろうか?


 健康的でバランスの良い肉付きの身体にクリーム色のふんわりとしたワンピースが良く似合っていた。最初の華奢すぎた頃を考えれば安心出来る姿になってくれて嬉しい。


「マスターのポーション実績が評価されたら店舗も表通りに引っ越せますし、万年裏通りの五号店だなんて言わせませんよ!」


 握り拳を震わせて、地黒な肌色のせいでほとんど変わらない顔色の代わりに怒りを表現する。そんな風に僕を思って怒るのは彼女くらいだが、生い立ちを考えれば無理のないことか……。


「マスターには厳しい崖から優しく採集してもらっただけでなく、愛情を込めてお世話してもらいましたもの。だからあの日、事故とはいえ鉢植えから出られた時は“あぁ、私ったら何て幸運なんだろう”って思いました」


 彼女とこの姿で対面してからもうすぐ一週間。あの日のことを思い出して顔を赤くする僕に気付く様子もなく、両手を胸の前で祈りの形に組んだ。その瞳は熱っぽく潤んで、彼女の魅力を最大限に引き立てた。


 彼女が人型を取った日から二日かけて何とか一般常識と僕の店が置かれている現状を教え、自由になった彼女に身の振り方を選ばせた訳だが……何故か彼女はここに残って店を軌道に乗せる手伝いをすると申し出てくれた。


 訊けば彼女は植物の頃と何の違いもない食生活で生活出来るとの答えだったから、てっきり前よりも良い環境を探して出て行くだろうと思っていたのだ。


 それによくよく考えなくとも彼女をいわば勝手にさらってきた僕に、ここまで友好的に接してくれるのも不思議なのだが……。


「このパウラがいるからには、鉱物から取り出せる情報はどこにも引けを取らせませんよ!」


 けれど僕の沈みかけた思考も彼女が自信たっぷりに力強く微笑めば、些細なことに思えてくる。しかし彼女の言葉は半分本当だが、もう半分は彼女の思い違いから来ているために訂正し辛い。


 ――というのも、まず彼女が崖から助け出された(と、本人は思っている)のはひとえに僕の腕がヘボだったからだ。


 崖に採集に行ったのは採集場所が店舗実績順に決められて割り振られるせいでハズレをひいただけだし、植木鉢から出られたのもただの事故。


 余談として、マンドラゴラが特に鉱石との相性が良いとは聞いたことがないので、彼女が鉱石に詳しいのも自生していた場所のせいではないかと睨んでいる。


 そして優しく採取したのは力任せに採取すればこちらが死ぬから。


 昔は他の動物に紐をくくりつけて驚かせて走らせ、人間はだいぶ離れた場所で引き抜いた動物が悲鳴を聞いて絶命するのを見てから取りに行っていたらしい。


 さすがに非人道的だと現在では採取する数日前から徐々に睡眠薬を溶かした試薬を根元に撒いて、仮死状態にしてから周りの土ごと掘り起こす方法が主流だ。


 次に丹誠込めて世話をしたのだってそうしなければ痩せた土地に自生していた彼女では薬効成分に不安があったから。


 本来マンドラゴラは中性的な霊力を持った植物型の精霊の一種で、貧栄養で育った物は男性型に、富栄養で育った物は女性型になる。


 ――以下の点から薬効成分が高いのが女性型なのだ。


 崖で当初見つけた彼女は栄養価の低い土地で育ったせいで痩せていて、男性型になるのは時間の問題だった。


 だから試行錯誤に試行錯誤を重ねて特製のアンプル(差し込む型の肥料)を作って本来なら数日の所を三週間も与え続けたのだ。


 それでも人型を取った姿はまだ少し痩せていて胸が痛んだので窒素、リン酸、カリウムといった栄養素を与えたら毎日ビタミン剤の如く摂取したので今では立派に育った。


 しかもその時の試薬を明記していたメモを直後に卓上ランプでうっかり燃やしてしまったせいで、どんな調合比率だったのかさっぱり憶えていない自分が情けない。


 あれがあればマンドラゴラを人間体にすることが可能であると学会に発表出来たのに勿体ないことをしてしまった。


 しかしそのせいというか、妙な野心を持たずに済んだお陰でこうして彼女が僕に盲心的に懐いてくれているのだから……皮肉なものだ。


 ――と、彼女の声が急に聞こえなくなったことに気付いて下がりかけていた視線を上げれば心配そうにこちらを伺う金色の瞳と視線がぶつかった。


「……マスター今日はあまりお話になられないですね。どこか体調がお悪いのですか?」


 実を言えばこんな風に誰かに心配されたことのない僕は、パウラのこういうところにまだ慣れていない。しかしそれをパウラに伝えたところで可哀想なだけなので何とか少しだけ微笑んでみる。


「そんなことはないよ。ただちょっと――考え事をしていただけだ」


 全くの嘘ではないものの、直前まで考えていたことの内容の後ろめたさから少しだけ後味の悪い思いをする。パウラはその答えにホッとしたのか見る見るうちに柔らかな微笑みを浮かべた。


 あまりに嬉しそうに微笑んでくれるので、こちらもつられて思わず笑顔になってしまう。


 神経はまださっきの調合で少し疲れていたけれど、壁の時計を見ればあと十分ほどで開店時間だ。自分の格好を見下ろせばまだ植物の汁で染みだらけの調合用のエプロン姿であったことに気付く。


 作業机の前から立ち上がって壁のフックに引っかけてある接客用のまだキレイなエプロンに付け替える。


「さて――そろそろ開店の準備をするとしようかな。調合を終えたばかりで悪いけど……パウラも手伝ってくれるかい?」


 一週間近く生活を共にして(寝室は別)断られないことが分かっていつつも、毎回こうして聞いてしまう。しかし無防備にもパウラに対して背中を向けたままだった僕が“しまった”と身構えるより早く。


「勿論です、マスター!」


 無邪気に背中に抱きついて身体を密着させてくるパウラ。植物特有の大地と太陽の香り。それに混じって微かに甘い香りが鼻先をくすぐる。


 僕は色々な邪念を振り払うために頭の中で調合器具とその名称、利用法をそらんじ続けなければならなかった……。

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