カンデ・ラディール=カンクロウのネオガリア戦記 ~最幸の降霊書を泣き祓いし者。~

十夜永ソフィア零

【調整池の福音者】

 都心を走る鉄道の高架下。時は深夜。

 空間認知の狭間はざま辿たどり、現れようとした敵のバードに対する、統子もとこの初動は手はず通りだった。瞬時に迎撃のバードを差し向ける。シールドを展開し、現れる敵から発せられるであろうニードルの攻撃を予め無効化しておく。片足を失っていた統子もとこだったが、代わりの義足は十分に高性能。官九郎を抱きかかえ、後続のバードの攻撃を前に一旦距離を取り、敵の認知捕捉を阻害し、逃れようとした。

 しかし、敵のバードは現れた刹那に気化爆弾をその狭い部屋に炸裂させた。統子もとこのバードがダメージを受ける中、官九郎を守り抜いた統子もとこだったが、直後に現れたバードからのニードルに、統子もとこと官九郎は貫かれる。

 

 そして、再度の気化爆弾が二人を襲う。鉄路の高架が崩れ、二人は瓦礫の山に埋まった...



 僕はどこかに浮かんでいた。外から緩やかに射し込む光がゆっくりと回っている。ううん、浮かびながらゆっくりと回っているのは僕の方だった。静やかで、音はない。

 

 ここは何なのだろうか?

 

 『こここは、調整池ちょうせいちです。』

 

 ちょうせいち?

 

 『はい。

 まだ小さな身であなたは、ここに参りました。

 あなたが、次の世界でひとりで生きていくことができるまで、

 この調整池ちょうせいちでお世話いたします。

 私は、福音者ふくいんしゃ。』

 

 ふくいんしゃ?

 

 僕の周りを光が回り続ける。囘っているのは僕だ。

 静やかになった中、僕は眠りに落ちる。

 

 

 それから、僕は目が覚めるたびに幾度も幾度も福音者ふくいんしゃと話をした。

 福音者ふくいんしゃは言葉少なだったけれども、その言葉が聞こえるたびに僕はいつも何事かを話した。福音者ふくいんしゃは、言葉をかけてくれるだけで僕に何も与えてはくれなかった。でも僕は何ももらわなくても、おなかがすくことはなかった。

 

 ある時、福音者ふくいんしゃは、僕に何か聞きたいことはあるかと言った。そんなことを聞かれたのははじめてだった僕は、僕がどうして調整池ちょうせいちに来たのかを聞いた。

 福音者ふくいんしゃは、僕がモトコという人に育てられていたことを教えてくれた。僕はモトコを知っていた。そう、モトコとある日から毎日一緒にいたのだった。最後の日まで。

 モトコを知った時から、福音者ふくいんしゃは、僕にモトコのいた世界のことを教えてくれた。中には僕がわからないことがあったけれども、僕はその話を聞き続けた。その世界では僕は歩いたり走ったり笑ったり泣いたりしていたはずなのだけれど、今の僕はただ浮かんでいるだけだった。でも、さみしいとは思わなかった。

 眠りに落ち、また起きた僕は、モトコとその世界のことをもっと知りたいと思っていた。

 

 ある時から、福音者ふくいんしゃは、紅く輝く光の玉を動かし、ひらがなと漢字とABCを見せてくれた。僕は見たことがあった。そして、僕に藍色の光の玉をくれた。僕は落書きをしたり文字を真似して書いたりしながら福音者ふくいんしゃと過ごした。

 僕は文字を通じて、かつての世界の一日を振り返っていった。朝起きると、モトコがいた。ごはんと卵焼きとかを食べた。モトコに手をひかれ、電車の音を聞きながら、西館と呼ばれる建物に向かった。センセイと僕より小さな子も大きな子もいた。そして、猫がときどき遊びにきた。散歩にも行った。僕のお気に入りはカンダミョウジン。大きなところだった。神様にお参りをしたこともある。そして、僕たちは夕方におねんねをして、夜が来た後にモトコに手をひかれ、いくつものハンモックがある部屋で眠った。その部屋の上には電車が走っているので、電車の音がするのだけれど、いずれ音は無くなった。でも、朝起きるとまた電車の音がしていた。僕はその音が嫌いではなかった。

 福音者ふくいんしゃは、昔は電車はもっと乱暴な音を出していたのだけれど、21世紀末の電車はいい音を奏でるようになったのだという。

 

 僕は世紀末という言葉に聞き覚えがあった。

 世紀末の世界の、モトコと、電車と、センセイと、みんなと、猫。そして、神社。

 みんな、好きだった。

 

 僕は、福音者ふくいんしゃに、「福音者ふくいんしゃは、神社の神様なの?」と聞いた。福音者ふくいんしゃは違うと言ったけれども、神社のことも神様のことも知っているとも言った。

 

 そして、福音者ふくいんしゃは、もういろいろと思い出すことができているから、次の世界に転生する準備をしようと言った。僕は、転生すると、また歩き回れるようになるらしい。

 

 ☆

 

 それから、福音者ふくいんしゃは、調整池ちょうせいちに浮かぶ僕に紅玉こうぎょくを動かし、転生先の世界で使われている文字と読み方を、教えてくれるようになった。

 

 そうやって時を過ごした後に、福音者ふくいんしゃは、元の世紀末の世界で何か知っておきたいことを一つ求めるように言った。

 電車と、センセイと、みんなと、猫も好きだったのだけれど、僕はやっぱりモトコのことをもっと知りたかった。

 そう応えた僕に、福音者ふくいんしゃは、モトコの何を知りたいのかと言った。

 僕は、モトコが朝の神社で飛ばしてみせてくれたバードのことを知りたいと言った。

 

 福音者ふくいんしゃは、バードはヘイキなのだといった。ヘイキだけれと、平気ではない。僕はバードが打ち出したニードルに刺されここに来たのだという。

 

 僕は転生した後にモトコのようにバードを飛ばせるようになるのかを聞いた。

 福音者ふくいんしゃは、僕がそう望むのならば、飛ばせるようになると言った。

 そして、その前に僕はフライすることができるとも言った。転生先では、僕は歩いたり走ったりする他に、飛ぶこともできるようになるらしい。今、この調整池ちょうせいちに浮かんでいるように。

 

 ☆

 

 それから、僕は福音者ふくいんしゃから、転生後の世界のことを、転生後の世界の言葉でたくさん学んだ。その地はネオガリア連侯国と呼ばれ、いくつも侯爵地に分けられていること。それぞれの侯爵地は騎士と精霊使いが守っていること。騎士と精霊使いが戦う相手は異族や怪異なのだという。時として、人と人、侯爵地同士が争い合うこともあるらしいが。

 そして、連侯国にはいくつもの異界の門がある。異界の門をくぐると、異教の者や亜人の者と交流することができる。ふだんは、異界の門は少ししか開かない。その門が大きく開く時に何が起きるかは、福音者ふくいんしゃも知らないのだという。

 

 さらに時を重ねた後、福音者ふくいんしゃは、転生の時が来たと言った。

 僕は、福音者ふくいんしゃに聞いた。僕が、世紀末の世界の誰かと転生先の世界で会うことはできるのか、と。長らく調整池ちょうせいちに浮かんでいる間、誰にも会うことはなかったので、期待はしていなかったけれども。

 

 ところが、福音者ふくいんしゃは、モトコには会えるかもしれないと言った。僕は驚いた。

 福音者ふくいんしゃは、モトコは転生者ではないが、異界の門の先の、福音者ふくいんしゃも知らないどこかの国に転移しているはずだ、と言う。

 

 ☆

 

 転生を前に、僕は藍玉あいぎょくを操り、『官九郎』と書いた。僕が世紀末の世界で覚えたばかりの漢字、僕の名前だった。

 そして、福音者ふくいんしゃに、モトコの漢字を教えてくれるよう頼んだ。福音者ふくいんしゃ紅玉こうぎょくを操り『統子もとこ』と書いてくれた。

 僕は、藍玉あいぎょくを操り、何度も『統子』と書き続けた。

 

 福音者ふくいんしゃが転生の時が来たといった。どこに転生するかは福音者ふくいんしゃは分からないのだという。


 調整池ちょうせいちを満たしていた光が消えていく。

 転生先の世界のどこに転生しようと、いつか異界の門をくぐり、世紀末の世界の統子もとこを探す。僕は、そう思った。

 

 

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