第9話 江ノ島

次の火曜日、先生のお弁当を食べながら楽しかった紫陽花デート(希望的呼称)の話をした。

先生はお天気のことをすごく気にしていて、「来週だったら雨予報だったんだよ。良い天気で本当に良かった」と言った。


「次回行きたい所ってどこですか?」


僕の質問に先生は、ちょっとはにかんで言った。


「あのね、江ノ島!」


「江ノ島ですか。渡ります?」


「渡ります!私子供の頃行ったきりなの。あの展望台?」


「展望台に行きたいんですか?洞窟じゃなくて?」


「洞窟があるの?」


「あります。けっこうな深さの。蛇の神様が祭られてるんですよ。僕も小学校の時遠足で行ったきりですけど」


「小学生なら探検だね。楽しそう」


「洞窟までが意外と歩きますけど。あ、でも確か途中に綺麗な庭園があったな。そこでお弁当を食べた記憶があります」


「外ご飯ね!それも魅力的なんだけど、お昼は行きたい所があるんだ」


「ふーん、当ててしまいましょうか」


「え。当ててしまうの?」


「はい。あの有名なハワイアンカフェでは?」


「あー…当たってしまいましたね。参りました」


先生は少し恥ずかしそうに頭をかいて見せた。


湘南の象徴とも言える江ノ島は観光地だ。

車でも歩いても渡れる橋が架かっていて、誰でも渡ることができる。

市の境界でもあり、ここから先は藤沢市になる。


橋を渡る手前にはたくさんのレストランやカフェが並んでいる。

橋を渡った江ノ島側にも食べ物屋さんはたくさんあって、主に名産のシラス丼やかき揚げ丼などの海鮮料理が人気だ。たこせんべいなどの名物もあって、商店街を歩いているだけでも楽しい。


先生が行きたいそのカフェは橋の手前にあって、平日でも行列ができている。


「席の予約ができるみたいなの。私がやっておくから」


僕が初めてそこに行ったのは、四月のハルの誕生日だった。

前日に突然行きたいと言うので、早めに行って並んで入った。

予約が出来るなんて知らなかったな。そういう下調べはハルにまかせっきりだったし。


「パンケーキ、好きだったよね?」


「はい!甘党なんで」


「あとの問題はお天気ね」


「あー梅雨入りしそうですね」


「雨だったら洞窟は難しい?」


「行けないことはないけど、傘差して歩くのは危ないかも。濡れたら足元も悪くなるし」


「そっかぁ」


「じゃ、雨が降ったら江ノ島水族館にしませんか?イルカショーとか見たいです」


「うん、いいね!水族館新しくなってから行ってないし」


「えっもうだいぶ前ですよ?建て替えたの。僕が幼稚園の時ぐらい」


「知ってるー。よくテレビで見るよね。クラゲが有名?」


「そうそう。きれいですよ、クラゲ」


「よしっ。じゃあ雨だったら水族館にしよう」


大雑把に行先を決めて、その日のランチタイムは終わった。



二週間後の日曜日は…

カレンダーを見るまでもなく、僕は気づいていた。

その日は僕の誕生日だ。

もちろん先生は知らない。僕の口から言うことはしない。

うっかり言ってしまって気を遣わせるのが申し訳ないから。


17歳の誕生日を先生と過ごせることになってしまった。なんという幸運。

ただの偶然なんだけど、まるで最初から決められていたかのように僕の中ではぴったりとつじつまが合っていた。


それからの二週間を僕は妄想の中で過ごした。


暗い洞窟でうっかり足を滑らす先生を抱きとめる自分。

突然先生のことを名前で呼んで驚かせる自分。

帰り際に実は今日誕生日だったんです、と告げて告白する自分…。


「うわー!むりむりむりむりむりー!」


そして現実に戻って狼狽える自分。はぁ。


出会った頃と比べれば、先生とずいぶん仲良くなれたと思っている。

少なくとも、先生にとってもただの生徒の一人ではなくなっていると思いたい。


僕は先生とどうなりたいんだろう?


もちろん、できることなら付き合いたい。

恋人になりたい。

もっと先生に…触れたい。


でも先生は大人の女性で、僕のことは恋愛対象として見ていないかもしれない。

いや、多分そうだろう。


「男として見てください」と言い切る自信もない。


勢いで告白して、実は彼氏がいるって言われたらどうしよう…


この結論に至って、僕の妄想は強制終了させられてしまうのだ。



最近先生はお弁当を食べながら、僕の近況を聞いてくる。

僕の気持ちなんて全くおかまいなしの、ただの世間話みたいな感じで。


「この前のテストはどうだったの?」


から始まって


「最近杉山さんとはどう?」


「お友達とはうまくいってる?」


「ご家族とはちゃんと話してる?」


「困っていることはない?」


正直こんな会話はあまり続かない。

僕の答えが「はぁ」とか「まあ」とかで終わってしまうから。

先生は何か僕から聞き出したいことがあるんだろうけど、僕は答える気がなかった。


だってこんな質問に答えたら、この場所がただのカウンセリングルームになって、先生は保健室の先生になってしまうから。

だから僕はいつも適当に答えると、話題を変えた。


「この前貸した漫画、来週最新刊が出ますよ」


「あのアニメ、映画化されるらしいです」


「僕は頭がいいんで、勉強しなくても大丈夫です」


最後のは「テスト勉強大丈夫?」と聞かれた時の鉄板返しだ。

先生との大事な時間を勉強なんかに潰されたくないので、しれっと言うことにしている。

もちろん心配をかけたくないので、勉強もそれなりにしている。

万が一、赤点くらって留年とかになったら恥ずかしすぎて立ち直れないし。


江ノ島デート(希望的…てかもういいか普通にデートで)当日の天気予報は雨。

僕の誕生日は毎年八割の確率で、雨だ。

梅雨の入り口だし仕方ない。それに水族館デートは楽しみだった。


「えのすいかぁ…もはや神社仏閣ですらないけどな」


そう呟いて笑うと、僕はスマホで江ノ島水族館のホームページを検索した。




6月17日日曜日、午前9時30分


江ノ島駅改札で待ち合わせ。やっぱり僕は早く着きすぎてしまった。

予想通り先週梅雨入りした関東は、当分雨の日が続く。

昨日の雨は結構な本降りだったからどうなることかと思ったけど、今日は小雨で傘を差せば問題なく歩けそうだ。

少し肌寒いくらいの気温で、梅雨時のムシムシするような不快な感じはなかった。


改札の外の屋根のある場所で先生を待った。


次の電車が着いて、次々と改札から出てくる人の中に先生がいた。

先生は少し周りを見回して、すぐに僕を見つけた。


「おはよう!」


「おはようございます」


今日は白いレースのチュニックブラウスにベージュのパンツ、レモンイエローのカーディガンに白のショルダーバッグ。

清楚系と言うか、ちょっと大人っぽい感じだと思った。


僕は白のVネックのTシャツの下に黒スキニー、黒の薄手のジャケットを羽織っている。

僕が持っている服の中では一番大人っぽい服を選んだ。

だって僕は今日十七歳になったから。

もちろん先生は知らないけど。


「水族館コースかな?」


「ですね。行きましょう」


それぞれの傘を開いて、雨の中を歩き出した。

海沿いの道に出ると目の前に江ノ島が見える。

グレイの空の下、細かな雨の向こうに霞むその島はいつもより少しだけ遠くに見えた。


「行きたかったなぁ。洞窟とか」


「またお天気の時に行きましょう。こんな近くに住んでいるんだからいつでも来れるし」


「そうね。近いと意外と行かないよね。海水浴も」


「僕も子供の頃行ったっきりです」


「えっ本当に?もったいない。もしかして泳げないとか?」


「まさか。元水泳部ですよ。その気になれば江ノ島まで泳いで渡れると思う」


「えー!本当に?」


「いや、ちょっと盛りました。実は海でちゃんと泳いだことないんです。苦手で」


「苦手?」


「波とか、塩水とか、海藻とかプランクトンとか、色々考えるとちょっと。プールの清潔さに慣れすぎちゃって」


海が苦手というよりほとんど避けてると言ってもいいくらいだったけど、その理由を人には説明できないから、それらしい言い訳を用意してあった。


「そうなの。でも泳げるのっていいね。得意の種目は何?」


「クロールかな。背泳ぎも好きだけど、どうしても曲がっちゃって」


「わかる!あれ真っ直ぐ泳げる人って、逆にどんなレーダー付いてるのって思うよね」


「泳ぎながら気が付くんですけどね。あ、俺今曲がってる、曲がってるーって。大体いつもなぜか右に寄って行きます」


「あははっそうなんだ」


そんな話をしている間に着きました。江ノ島水族館。


雨だけどデートスポットだけあってカップルさんたちがいっぱいいる。

先生と僕も人から見たらカップルさんに見えないかな。

まだ手も繋げない、付き合い始めの初々しい二人に。


「うわー、きれーい!」


相模湾の展示スペースを過ぎると、楽しみにしていたクラゲファンタジーホールへ向かった。

海の中にいるみたいな青い照明の元、中央にあったのは大きな水晶玉のようなガラスの球体の水槽。

その中を半透明の体をゆらゆら揺らしながらただよう、摩訶不思議な生き物がクラゲだ。


「クラゲは人類が誕生するよりはるか昔に地球上に現れたんだって」


解説文を読みながら先生が言った。


「そうなんだ。今クラゲは癒し効果があるとか言われているけど、後から出てきた人類が癒されるっておこがましいですね」


「確かに。クラゲ先輩だよね」


「そうそう、クラゲ先輩ちわっす、って言わなくちゃ」


「ちわっすって。完全にパシられてる後輩だね」


「あははっバシられるって。もう死語じゃないですか?」


「ええっそうなの?湘南と言えばヤンキーの聖地じゃない」


「最近じゃ絶滅危惧種って言われてますね。漫画とコントでしか見たことない」


僕たちの間に時々現れる小さなジェネレーションギャップ。

それを見つけてからかうのも僕の楽しみになった。先生の反応がすごく可愛いから。


広い展示室にいるたくさんのクラゲは色とりどりで形もいろいろ。

泳ぎ方も特徴があって、見ていて飽きなかった。

それぞれの進化を遂げて今ここに展示されているクラゲたち。

生物誕生の年表をひっくり返して、展示する側になった人類。

そこにはどんな進化の行き違いがあったのか。


「先に生まれたのに、クラゲ先輩不憫だなぁ」


「これから先、もっと上級の生物か宇宙人が現れて人類が展示される側になったりしてね」


「うわー嫌だな。その時は感情面が退化していますように」


「恥ずかしくないように?」


「そうです。無駄なプライドや疑問を持つこともなく観察されたい」


「逆に言えばその部分が人類を進化させてきたのかもしれないね」


「好奇心と探究心ですね」


「うん。なんでもいいから興味を持って、どうしてこうなったんだろうって考えることで文明を進めてきたんだと思うな」


クラゲ先輩から人類の文明進化まで話がぶっ飛んだ。


こんなことを真面目に話している僕と先生は、ちょっと変わった見学者だろう。

だけど思いついたことを口にする僕に期待以上の反応を見せてくれる先生を、やっぱり好きだと思ってしまう。

いつまでも先生と話していたいと思ってしまう。

こんな人には今まで会ったことがなかった。


その後僕たちはイルカショーでそこそこの水をかぶってはしゃぎ、タッチプールで海星に触ったりして楽しんだ。



「そろそろ行こうか」


予約の時間になったらしく、先生が楽しみにしていたハワイアンカフェに向かった。



午後一時。


日曜日のランチタイムだけあって、外には20人ほどの人が並んでいる。

明るいグリーンと白の外観は、ハワイアンなのかアメリカンなのか、とにかくおしゃれなリゾートの雰囲気で、ドアを入ると広くない店内はほぼ満席だった。


先生が名前を告げるとそのまま席に案内された。

可愛いアロハシャツの制服を着た店員さんが、メニューの説明をしてくれる。


「お腹すいたね。先にお料理をたのもうか」


「はい!」


僕はエッグズベネディクト、先生はベーコンとチーズのオムレツを頼んだ。

ボリュームがあって、クリームやバターがたっぷり使われていてとてもおいしい。

大きなグラスのジュースもトロピカルで綺麗な色で、見た目も味も大満足だった。


たくさん歩いた僕たちはぺろっと料理をたいらげ、いよいよパンケーキを…と僕がメニューに手を掛けた所で先生が「ちょっと待ってね」と言って、店員さんに合図をした。


すると店員さんが奥から大きなお皿を運んできて、僕の前に置いた。


「おめでとうございまーす!!」


「え?」


そのお皿には山盛りの生クリームをのせてイチゴやマンゴーを散りばめたパンケーキが盛りつけられていた。

お皿の周囲の白い部分はカラフルなチョコペンでAOKIと書かれ、可愛い花や葉などハワイの植物の図柄の中に17の数字が踊っていた。


「ええーっ!!」


「お誕生日おめでとう、市原君」


「うわーあ、ありがとうございます。って、えー?知ってたんですか?」


「うん、知ってた!」


「なんで?言ってないのに」


「だって、前に言ったじゃない。私は君の個人情報を全部握ってるって」


得意げにそう言うと、先生はくしゃっと笑った。


衝撃から回復できないまま、「お写真撮りますか?」と聞いてきた店員さんにスマホを差し出す先生にまた驚く。

「こっちを向いてくださーい」と言われ、「ほら、お皿持って」と先生に言われるがまま中途半端なポーズで写真を撮られた。


それが先生との初ツーショットだった。

今日のデートの最大ミッションをあっさりクリアしてしまった。

僕はちゃんと笑えていたのだろうか?絶対引きつっていたと思う。


「サプライズ、大成功ね?」


「う、はい」


いつ頼んだのか、先生の前にもバナナとチョコがかかったパンケーキが運ばれてきて、僕たちは気が済むまで写真を撮り合ってからおいしく頂いた。

山盛の生クリームは甘すぎず重すぎず、薄く焼いて重ねられたパンケーキも程よいしょっぱさがあって、ナッツとバニラの甘い香りが絶妙な風味だった。


「ここは私にご馳走させてね」


「いいんですか」


「お誕生日プレゼントだもの」


「なんかすいません。ご馳走様です!」


僕は本当にうれしくて、きちんと頭を下げてお礼を言った。


先生が僕の誕生日を知っていてくれた。

ここでお祝いしようと計画してくれた。


その全てが幸せすぎて、すっかり舞い上がってしまって、これ以上ないくらいに上機嫌だった僕は、その直後に訪れる悪夢のような瞬間を全く予測できなかった。



食事を終えて先生がレジに並んでいる間に、邪魔にならない所で壁に掛かっている絵やハワイアンの雑貨などを眺めている時だった。


「あの、市原くんでしょ?」


と突然後ろから声を掛けられたのだ。

慌てて振り向くと店員の女の子が僕を見ていた。


「えっと…」


「私、隣のクラスの吉田南。わかんないかな」


正直、顔に見覚えはなかったけれど、同じ学校の生徒と知ってびっくりしたどころか、ほてった顔に冷や水を浴びせられたように血の気が引いた。


「ごめん。…なんで俺の事知ってるの?」


「あ、市原君て目立つから。今日誕生日なんだね。AOKIってあんまりいない名前だったから、もしかしてって思って」


「あ、うんそうなんだ。ここでバイトしてるの?」


「うん。一緒に来てるのって…お姉さん?」


「あぁ、えーとまぁ、親戚の?」


「そうなんだ。雰囲気似てるからそうかなって思ったの。もしかしたら彼女さんかな?とも思ったけど違うんだね」


うーわー やばいやばいやばいやばい

僕の頭の中はその言葉で埋め尽くされていた。


僕は先生の方をちらっと見た。

ちょうど会計が終わった所だった。


「うん、あ、じゃあもう行くね。ご馳走様でした」


「うん。ありがとうございましたぁ」


最後は同級生から店員さんの顔になって送り出されたけど、僕は明らかに挙動不審だっただろう。


まさか、こんなところで知り合いに会うとは。

地元を歩いているんだから不思議ではないんだけど、県立高校に学区はないので案外鎌倉市や藤沢市以外の住民の生徒が多かったりする。

うちのクラスも横浜や茅ヶ崎から来ているやつが多い。


それに地元の人は週末の混雑する時にわざわざ観光したりしない。

現に今まで一度も知り合いに会ったことはなかったんだ。


あの子が先生を知らなくて本当に良かった…


一般の生徒は校内で怪我をしない限り、保健室へ行くことはない。

僕だってついこないだまで一度も行ったことがなかったし、保健室の先生の顔も知らなかった。

だけど地元の子がバイトしているっというのは、盲点だったな…。


「どうしたの?」


カフェを出た所で先生に聞かれて、言おうかどうしようか迷ったけど


「いえ、何でもないです。ほんと、ご馳走様でした!」


僕はとりあえず黙っていることにした。

せっかく先生が用意してくれた時間を台無しにしたくなかった。


「どういたしまして。あとで写真送るね」


「はい」


外は曇り空だったけど雨は止んでいた。

後でゆっくり頭の中を整理することにして、駅までの道を歩き出した。


「もうすぐ期末テストだね」


「ええっもうですか」


「もうですよ」


「この前中間が終わったばっかりなのに」


テスト期間はお弁当タイムがなくなるから、カウンセリングルームへ行くこともなくなる。

つまり、先生と会えなくなる。


「じゃあ、テスト勉強頑張って。また来週ね」


駅の近くの交差点で先生は立ち止まると、僕に手を振った。


「はい。今日はありがとうございました」


「うん。それじゃ」


同じ電車に乗ればいいのに、現地解散というこだわり。

最初に決めた約束だけど、もう同じ学校の人に見られてしまった。

ここで別れる意味はあるのだろうか。

すごく複雑な気持ちで僕は先生にさよならをして、一人で江ノ電に乗った。


電車の中でさっきの出来事を考えていた。


先生と一緒に誕生日を過ごしている所を、隣のクラスの女子に見られた。

これはどう考えてもまずいよな。

あの子は先生を知らなかったけど、これから学校で見かけたりして気づく可能性はあるだろう。


あと、あの子は先生の事を「お姉さん?」と言った。

これは、やっぱりそうかと少なからずショックだった。

七歳も年が違うんだ。いくら先生が若く見えても、高校生には見えないもんな。

僕もどっちかというと童顔だし。


「雰囲気が似てる」とも言われた。

そういえば、僕が先生に惹かれた最初のきっかけは、先生が僕の母さんに似ていたからだった。そして僕は母さん似だ。


だけど僕は先生と接しているうちに、母さんに似ているということを忘れかけていた。

いつの間にか先生そのものを見るようになっていたんだと気付いた。

僕の中で先生と母さんを重ねて考えることがなくなっていたんだ。


色白の肌に色素の薄い髪と瞳。確かに似ている。

親戚、と言い逃れできたことは結果として良かったのかもしれないが。


そして最後に「彼女さんかな?とも思ったけど」って言ってた。

これは単純に考えれば嬉しい。

僕と先生がカップルに見えるってことだろ?

別に周りから見てどう思われようが関係ないんだけど。

それでも素直に嬉しいと思ってしまう。


そしてそれは同時にまずいってことだろうな。

先生と生徒が付き合っているって、噂になったら。

先生に迷惑を掛けたくない。


これは…やっぱり先生と話さないといけないかもな。


そうしたらもうデートは終わり?

今日が最後になってしまうのか…

そんなの嫌だ。今の僕にとって、先生とのデートは最大の楽しみであり、生きる糧のようなものだから。


どうしたらいいんだろう。どうしたら。

一人の帰り道、僕はぐるぐると考え続けた。



家に帰るとおばあちゃんが待っていた。


「ただいま」


「あ、碧樹おかえり。ちょっとおいで」


キッチンの方から声がしたので行ってみると


「ほら、これ」


と白い四角い箱を見せてきた。


「何?ケーキ?」


それはあきらかにケーキの箱で、おばあちゃんが買ってきてくれたのかと思った。


「開けてみて」


言われて開けると立派なバースディケーキが入っていた。

生クリームでデコレーションされていて、その上にいろんな形のクッキーが載っている。カラフルな色で描かれた可愛い図柄。これは多分砂糖を色づけしてクッキーに塗っているんだろうな。一目見て恐ろしく手間がかかっていることがわかった。


中心のチョコレートの飾りには白いチョコペンで「HAPPY BIRTHDAY AOKI」と書かれていた。


「えっすごい。これ手作り?」


「さっきハルちゃんが持ってきてくれたんだよ」


「ハルが!?」


「もう碧樹帰ってくるだろうから待ってて、ハルちゃんも一緒に食べようって言ったんだけどね、用事があるからって帰っちゃって。碧樹におめでとうって伝えてって言われて」


「そっか」


「ちゃんとお礼を言ってね」


「わかってる」


「ほら、今日はおばあちゃんも碧樹が好きな唐揚げと散らし寿司作ったから、お父さんが帰ってきたら一緒にお祝いしようね」


「うん。着替えて来るね」


ケーキを元に戻すと、自分の部屋へ行った。


僕の誕生日にハルがケーキを持って来たのは初めてだった。

去年はどうしたっけ?

確か小町通りの裏にある小さなレストランでお祝いしてくれた。

そのあといつものカラオケで歌いまくって、二人で声を枯らして帰ってきたんだ。

たった一年前のことなのに、遠い昔みたいだな。


僕は忘れないうちにハルにお礼のメッセージを送ろうとした。


『ケーキありがとう』


そう送ればきっとすぐ返信が来て、前みたいにやり取りが始まるだろう。

この時はまだそんなふうに考えていたんだ。

まだ僕たちは仲良しの幼馴染のままだって。

誕生日に、手作りのケーキを届けてくれるぐらいなんだから、ハルだってそう思っているに違いないって。


それなのに。


僕はこの日、ハルにたった一言のメッセージを送ることができなかった。


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