第6話 甘縄

月曜日の朝、スマホのアラームが三回鳴ったところで起き上がった。


よし、自分で起きたぞ。

よくやった、と。

まずは自分を褒めて、ベッドから抜け出した。


制服に着替えて階下に降りると、おばあちゃんがびっくりして言った。


「あら、碧樹。また朝練なの?」


「違うよ。今日はちょっとだけ早く行こうと思って」


いつもの電車でハルと鉢合わせるのは、気まずい気がした。


「ハルちゃんは、一緒じゃないの?」


「うん。もうハルは朝迎えに来ないから。お弁当も断ったんだ」


「えっ じゃあお昼どうするの?何か作る?」


「いいよ。コンビニで買ってもいいし、学校に購買もあるし。

たまにはおにぎりぐらい頼むかもしれないけど」


「あら、まぁ。ケンカでもしたの?めずらしいねぇ」


「違うよ。今まで甘えすぎてたなぁと思って」


「そうなの。それもそうだね。

だけど、ハルちゃんの顔を見れないのはさびしいねぇ」


そうか。

おばあちゃんは、ハルと毎朝話すのを楽しみにしていたんだ。


「向かいなんだから。いつでも会えるよ」


トーストを食べながら、僕は今日の予定を考えていた。



いつもより一本早い電車に乗ろうと、だいぶ早く家を出た。

江ノ電の駅の前にあるコンビニで、お弁当を買って。


桜の時期も終わり、電車の混み具合は元に戻っている。

また紫陽花の頃に混み始めるんだけど。

そして梅雨明けには完全に観光地になるのだから、つかの間の平和かな。


学校へ向かう坂道も、一人で歩くといつもと違う。

なんだか景色も違って見えるから不思議だな。


例えば、気まぐれに道を一本手前で曲がってみるとか。

たまには裏門から入ってみるとか。


遠回りになるだけだから、今までは絶対しなかったけど、身軽な今ならやってみるのもいいかもしれないな。

何か新しい発見があるかもしれないし。


そう思いついて、あえて正門を素通りして真っ直ぐ進み、裏門から入ってみることにした。

あまり生徒が出入りしない入口。

車を15台ぐらい止められそうなスペースがあって、職員用の駐車場になっている。

そしてその奥に、職員用の出入り口が見えた。


そうか、先生たちはここから校舎に入っていたんだな。


近づくと、二階の部屋の窓が開いていて、そこから話し声が聞こえる。

いつもは反対側から見ているからぴんとこなかったけど、あの場所は職員室だ。


この時間、先生たちは職員会議をしているんだっけ。

ってことは、相沢先生もあそこにいるのかな。


僕はなんとなくほっこりした気持ちになって、その窓を見上げた。


この学校は、鉄筋四階建ての校舎が二棟並んで建っていて、校庭側の校舎が教室。

四階が一年、三階が二年、二階が三年。

一階には生徒指導室や、更衣室、図書室なんかがある。


裏側の校舎が職員室や各教科の専門教室、理科室や音楽室、美術室なんかがあって、両サイドに屋根のついた渡り廊下、中央は二つの校舎をつなぐ廊下になっていて、普段生徒はここを通って校舎を行き来している。


二つの校舎の間は中庭になっていて、ベンチやジュースの自動販売機が置いてある、休憩スペースもあった。


僕は思いついて、この校舎の一番端まで歩いた。

怪我をした生徒が渡り廊下側からも入れるように、一階の角にある保健室。

僕が先週だけで二回もお世話になった場所だ。


裏側からぐるっとまわって渡り廊下に出ると、中庭の桜の木がすっかり葉桜になっていた。

保健室の中庭に向いた窓はぴったり閉められていたけど、カーテンは開いていたので、窓越しに白いベッドが見えた。

その奥には先生用の机も見える。


先生の姿は、まだ見えない。

でもここに来れば、外から先生が見えるかもしれない。


あの、ベンチからはどうだろう?

一番近くにあるベンチを見た。

でもここはきっと、保健室からも丸見えだ。

あからさますぎるかな。


反対側の校舎からも見えるかな。

保健室の、ちょうど向かい側の部屋は…

図書室。


図書室は突き当りの角部屋だから廊下が無くて、中庭側もテーブルが並べられて、読書スペースになっていたはずだ。


見つけてしまった。

ここなら本を読みながら、保健室を眺めることができる。


さっそく後で下見に行かなくちゃ。


もはや、僕の目的は相沢先生が見える場所を探すという、かなりやばいものに変わっていた。

別に見るだけならいいよな?

犯罪じゃないよな?

待って、俺ってもしかしてストーカー気質だったの?


そんな自分にびっくりしながらも、もう気持ちを止められなかった。

今すぐ確かめたい気持ちを抑えて、自分の下駄箱へ向かった。



四時間目の授業が終わって、昼休み。


いつものように昂太と向かい合ってお弁当を食べようとすると、ガタガタと近くの机を寄せてくる奴がいる。

齋藤と長谷川だ。


「一緒に食べよーぜ」


「いいよ」


四人で食べることになった。


僕が出したお弁当を見て昂太が言った。


「あれ?碧樹、今日はコンビニ弁当?」


「そ」


そっけなく答えると、長谷川が齋藤と目配せしながら言った。


「ほら、やっぱりな」


昂太が


「やっぱりって?」


と聞くと


「今日、おまえら別々に登校したろ」


と長谷川が言う。


おまえら、とは、まぁ僕とハルのことだろうな。


「なんで知ってんの」


「そりゃあ、もう女子が大騒ぎしてたからさ」


「なんで大騒ぎ?」


「そりゃ、今までずっと一緒だった二人が別々に来たら、どーしたどーしたってなるよ。ある意味、名物カップルだったわけだし。

杉山、今日はまだ一回もうちのクラスに来てないし」


「くだらねぇ。てか、みんな見すぎだろ。人の事」


「基本、女子はそんなもんだよ。今頃杉山も野次馬にかこまれてんじゃね?」


「え。おまえらも野次馬なの?」


「ちげーよ、俺らはと・も・だ・ち!」


長谷川は言ってる途中で恥ずかしくなったのか、最後のち!はやけにかん高かった。

齋藤が真面目な顔で


「それで、どうなんだよ。ちゃんと話したの?」


と聞くので、仕方なく答えた。


「話したよ、昨日。もうお弁当も朝の…モニコもいらないって言った」


「モニコ?おまえ、毎朝杉山に起こしてもらってたの?!」


「声、でかいよ。まぁね」


「しんじらんねぇ。ほんっとしんじらんねぇ」


しつこく言う長谷川に、本当はモニコじゃなくて、直接起こしに来てもらってたなんて行ったら、どんな罵倒が始まるんだろう、と恐ろしくなった。

絶対言っちゃいけないって心に決めた。


だまって聞いていた昂太が、そこで初めて口を開いた。


「で、大丈夫なのか?杉山は」


「あぁ。多分ね。実はちょっと泣かれちゃったんだけどさ。

でも、最後はわかってくれたと思う。ちゃんと今までの事感謝してるって言ったし」


「感謝?感謝ってなに?どういうこと?」


長谷川がかぶせ気味に聞いて来る。

昼休みにするような話じゃないけど、長谷川と齋藤が僕を友達と言ってくれるなら、ちゃんと話そうと思った。


「これは昂太しか知らないんだけどさ、俺、母親がいないんだ」


そこで二人の顔を見る。

案の定、えって顔をした。


「子供の頃…事故で亡くしてさ。

それからハルが母親代わりみたいに、いろいろ世話してくれたんだよ。

だから、本当にみんなが思ってるような関係じゃ…」


「えーーーーーーー!」


そこまで言った時、長谷川がのけぞりながら絶叫した。


「だから、声でけぇよ」


「おまえ、うるさい」


「ちょっ、だまれ」


三人から口々に言われて、長谷川は自分の手で口をふさいだ。


齋藤が


「そうだったんだな。なんか、納得した。やっぱりただの幼馴染じゃなかったんだ」


と言うと、昂太が齋藤に言った。


「俺はさ、中学から一緒だから、事情を知ってからも『だからあいつら仲いいのか』ぐらいにしか思わなかったけど、小学校から一緒の奴に聞いたら、碧樹はそうとうやばかったって」


それを聞いて、僕が答えた。


「うん。そうだと思う。

半年ぐらいは学校行けなかったし、家からもほとんど出られなかった。

あの頃の事、自分でもよく覚えてないんだけどさ、よく現世に戻って来れたと思うよ」


母さんが死んでからの記憶は、僕にとって現実ではないみたいだったから。


「杉山が、そうとう頑張ったんだろ?」


「そうだな。

毎朝迎えに来て、俺の顔見て『行けないなら無理しないでいいからね』って言って、一人で学校に行くんだ。

で、学校から帰ってくると、その日にやった勉強を教えてくれたり、一緒に食べようっておやつ作ってくれたり。

俺の反応が薄くても、一生懸命話しかけてきて。


遠足の時とかさ、俺も行けそうな気がして支度するんだけど、やっぱりだめで。

ハルが集合時間ギリギリまで待っててくれてさ。

『もういいから、ハルは行って』って言うと、仕方なさそうに行くんだけど、帰りにいろんなお土産持って来るんだよ。石ころとか、花とかさ。

どんなところに行ったか、全部説明してくれて。

で、『楽しかったよ。次は碧樹も行こうね!』って言うんだけど、絶対楽しんでないだろって。多分うちにいる俺の事ばっかり考えてたんだろうなってわかるから」


ずっと口をふさいだまま話を聞いていた長谷川が、遠慮がちに言った。


「それ、いくつの時?」


「八歳」


「まじかよー、俺泣きそうなんだけど」


齋藤が静かに聞いた。


「それで学校へ行けるようになったの?」


「最初は校門までね。次が保健室まで。そういや、保健室よくお世話になったな。

やっと教室へ入れたのは、一年後ぐらいかな。

その時もびっちりハルが隣にいてくれたよ。行きも帰りもずっと一緒で」


なんだか今となっては懐かしい。

ずっと忘れていたのに、思い出したらつい昨日のことみたいだ。

あの時の心の重さまで蘇ってきそうで、ずっと封印していた。


「そこまでの話は、俺も知らなかったなぁ」


とつぶやく昂太に


「そうだな。俺も初めて人に話したわ」


その場が沈み込むのが嫌で、わざと明るく言った。


「杉山って、本当にいい子だな」


と、長谷川がしみじみ言う。


「うん。だから、ハルにはほんとに感謝してるよ。

ハルがいなかったら、多分俺は今ここにいない」


それは、僕の心からの言葉だった。

あの時ハルがそばにいなかったら、僕は今どこにいるんだろう?


「なんか俺、軽い気持ちで関係変えろなんて言って、悪かったな」


と昂太が言った。


「いいんだよ。俺、今まで甘えっぱなしだったからさ。

ハルにはハルの人生があるし。今が、ちょうど良い機会だったんだと思う」


「俺も、ちゃかしてごめん」


「俺も」


長谷川と齋藤にも謝られて、なんか余計変な空気になってしまった。


「なんでだよ。二人が友達って言ってくれたから話したんだぞ。

罰として、これからはおまえらが俺の面倒を見てくれ」


ふざけて言うと、みんなが笑った。



お弁当を食べ終わって、午後の授業までにまだ時間がある。

外に行くと言う三人に、


「俺、ちょっと保健室行ってくるわ」


と声を掛けた。


「保健室?頭の怪我か」


と昂太に聞かれたので


「うん。もう治ってると思うけど、見せに来てって言われてるから」


そう言って教室を出た。



 保健室のドアをノックすると、はーい!と声が聞こえた。

ちょっと緊張しながらドアを開けた。


「失礼します」


「あ、市原君いらっしゃい」


相沢先生が奥から顔を覗かせた。


今日も他に生徒はいない。

大した怪我もしてないのに、他の生徒と顔を合わせたら気まずいと思っていたので、

ほっとしながら中に入った。


「怪我の具合はどう?ちょっと見せて」


先生が指差した丸椅子に座ると


「もう完治してますよ。触っても痛くないし」


と言った。


「どれ?」


先生が僕の頭に触れる。


「そうね、腫れは引いたけど。でもまだちょっと赤くなってるし。

押すと痛いんじゃない?」


と言って強めに押された。


「いてっ」


「ほら、やっぱり」


「そりゃ、押したら痛いですって」


「ふふふっ」


僕の顔の近くでいたずらっぽく笑う先生の顔を見て、僕の心音が速くなった。


「今朝はちゃんと起きられたの?」


「はい。自分でもびっくりです」


「すごいじゃない。お昼はどうしたの?」


「コンビニで買って食べました」


「うーん、それはそれで毎日だと栄養が偏るよね」


「まぁ、仕方ないですね。おばあちゃんにあんまり負担かけたくないんで。

購買のパンとコンビニ弁当で生き延びますよ」


僕がそう言うと、ちょっと先生の顔が曇った。


「なんか、責任感じるな」


「え、なんで先生が?」


「だって、杉山さんとの関係、変えた方がいいって言ったの、私だし」


またそれ?

昂太と同じ反応だな。


「うーん、ねえ?こんなのどう?

週に、二回。私が市原君にお弁当を作ってあげる」


え?今なんて?


驚きすぎて固まった僕に


「あ、やっぱりだめか。私あんまり料理が…」


「いやいやいや、そうじゃないですって。

あーびっくりした、なんで?えー?」


予想外の申し出に、軽いパニックを起こした。

だけど、僕の聞き間違えじゃなさそうで。

先生が僕にお弁当を作ってくれるってよ。ほんとかよ。


「そんなに驚くか。やっぱり出しゃばりすぎかな」


独り言みたいに言ってるけど、ばっちり聞こえてますから。


「嬉しいです!!ありがとうございます!」


先生の気が変わらないうちに、僕は全力でお礼を言った。


「でも、あの、大変じゃないですか?」


「自分の分を作るついでだから。

でも寝坊したい時もあるし、毎日は無理だよ。

残り物入れちゃう時もあるかもしれないし、期待はしないで」


「もちろんです!って。あれ?それも失礼かな」


「ふふふっ」


先生が笑ってくれたので、調子に乗ることにした。


「あの、お弁当って材料費かかりますよね。いくらか払います」


「何言ってるの。もらえるわけないでしょ。副業になっちゃうもの。

お弁当屋さん始めたのかって」


「あ、そうか。じゃあ、何かお礼をさせてください」


「うーん、でもなぁ。週に二回だけだし」


と、先生が困っている。

僕も自分で言っておいて、何かできることあったかな?と考えた。


「あ!そうだ。僕が鎌倉を案内するのはどうですか?

今度の日曜日に銭洗い弁天に行って、次の場所も考えます。

先生が好きそうなカフェとかも、案内できます!」


「え!カフェ?」


先生の顔が、ぱっと明るくなった。


「えーほんと?それはちょっと、嬉しいかも…

きみ、なかなか良いところついてくるなぁ」


ですよね、知ってます。

女の人はみんなカフェが好き。


「でもね、このことは内緒にしてね。学校はいろいろ大変なところだから」


「もちろんです!友達にも絶対言いませんから。

でも受け取りとか、どうしたら…」


「そうね。ここじゃまずいかな。

二階の端っこに、カウンセリングルームがあるの、知ってる?

この上」


先生は右手の人差し指を真上に向けた。


「あー。存在だけは。確か保健室便りかなんかに書いてありましたよね」


「あれ、読んでくれてるんだ。今回から私が担当なのよね」


「へぇ。あれ、保健室の先生が書いていたんですね」


不定期なのか、時々配られる保健室便り。

流行の病気や学校カウンセラーの紹介なんかが書いてあって、以前カウンセリングルームの事が載っていた。

四月号は新任の先生の紹介文が載っていたはずだ。


…うかつだった。

なんで気が付かなかったんだろう!新任の先生の紹介だよ。

相沢先生の写真が載っていたかも。帰ったら探してみよう。


「あ、それでその部屋なんだけど」


先生は脱線しそうな話を戻した。


「悩みや相談したいことがある生徒が予約できるの。

学校カウンセラーの池上先生は、月に何度かいらっしゃるんだけどね。

それ以外の日は私が聞くことになってるの。

だから、週に二回、昼休みに市原君が予約を取ったらどうかな。

そこでお弁当を食べて、雑談して帰ればいいんじゃない?

もちろん、悩み事があれば聞くし」


「カウンセリングルーム、ですか」


なんとなく敷居が高いような気がする。


ていうか…僕にはあんまり良い思い出がない響きだ。

さりげなく、悩み事って言われた気もするし。


「そんな、固く考えなくても大丈夫よ。

こっそりお弁当を食べに来ると思えばいいんじゃない?」


こっそり。内緒で。


先生を独り占めできるのか。

もちろん、僕に文句はない。あるわけない。


「わかりました。何曜日がいいですか?」


とにかく先生の気が変わらないうちに。

そう思って、僕は話を進めた。



その日の午後、僕は授業が始まる直前に教室に走りこんだ。


五時間目は英語。


急いで準備をしようとリュックの中から教科書を探した。

あれ?

英語の教科書…ないぞ。

たしか昨日の夜、軽く予習をしようとして、机に出した。

その後どうしたっけ?

リュックに入れた記憶がなかった。


まじかー。さっそくやらかしたな。

もっと早く気が付けば、ハルに借りに行ったのに。


当たり前にそう考えて、頭を振った。

だめだだめだ。ハルを頼っちゃだめなんだ。

それに初日から教科書忘れたなんて言ったら、ほらね、って笑われるぞ絶対。


仕方ない、今日は授業で当たらないことを祈って、やりすごそう。

筆記用具とルーズリーフを机に出して、僕はなるべく目立たないように気配を消した。


…つもりだったのに。悲劇が起きた。

今日の日付は僕の出席番号と末尾が同じだったのだ。


「じゃあ、次。三番。市原、読んで」


よりによって朗読!!

教科書がないと無理だろ。


「はい」


と、返事をしたけど、立ち上がれない。

その時、先生が板書をしようとして、後ろを向いた。


チャンス!と思って前の席に座っている昂太の背中を突っつこうとした

その瞬間、僕の右側からさっと教科書が差し出された。


えっ!と隣を見ると、隣の席の女子が前を向いたまま、左手で教科書を指し示していた


「市原?どーしたー?」


先生が板書しながら、間延びした声を掛けた。


「はい!」


勢いよく立ち上がると、教えられた場所から朗読した。


「はい、そこまでー」


先生は何も気づかず、僕に止めていいと言った。

ほっとして席に座ると、隣の席にこっそり教科書を返して、小さい声で


「ありがとう」


と言った。

その子は初めて僕を見て、小さく首を振った。

隣の席だけど、僕はその時初めてその子の顔をまともに見た気がした。

確か、名前は倉持…なんだっけ。

ふちなしのメガネをかけてる、ショートカットの女の子だった。


「倉持飛鳥だろ」


次の休み時間に、昂太に聞いた。

僕の隣の席の女子の名前だ。

くらもち、あすか。そうか、そんな名前だったな。


「なんで?」


「いや、さっき英語の教科書見せてくれたから」


「忘れたの?教科書」


「うん。そういう時に限って当てられるんだよなー

あせって、昂太を突っつこうとしたら倉持が貸してくれた」


「俺、突っつかれても気が付かなかったかも。爆睡してたわ」


「まじかよ。寝方うまいな」


「よく言われる」


「前から二番目で、よく寝れるな」


「五時間目の英語とか、まじ拷問だろ」


まだ寝足りないとばかりに、昂太は座ったまま伸びをした。


六時間目の数学は、死ぬほど問題を解かされたので、さすがの昂太も寝てはいられなかったようだ。

今日は六時間授業。

ホームルームが終わると、やっと僕たちは解放された。



放課後の図書室は、思ったよりも人がいた。

一年の時に何度か来たことがあったな。ハルと一緒に。

あの時は、何かの授業の調べものがあったんだっけ。


部屋の中央に大き目のテーブルが並んでいて、何人か勉強している

あれは、三年だな。

まだ四月なのに、受験勉強か。

来年は自分も…と思うと恐ろしい。

時よ止まれ!と叫びたくなる。


机の両側と後ろ側に本棚が並んでいる。

目的の本は、どこだ?

ぎっしり本が詰まった棚の間を歩いて、探した。


「カ行、カ行…」


あった。このへんだな。

僕は『鎌倉』と書かれたタイトルの本を数冊取って、空いている席を探した。


裏庭に向いた席は、机が長いカウンターになっていて、絶好のポジション。

ちょうど保健室の窓が見える場所に座って、外を眺めた。


相沢先生が、机に向かっているのが見えた。

何か書き物をしているようだ。


例の、保健室便りかな?

僕は頬杖をついて、好きなだけ先生を眺めた。


しばらくすると、先生が立ち上がってドアへ向かう。

僕から見て、左側の奥にあるドアから、ジャージ姿の女子が入ってきた。


あのジャージの色は、一年生だ。

部活で怪我をしたのかな。

先生がかいがいしく世話をしている。


その子が帰ってまたしばらくすると、今度は柔道着を着た男子生徒が入ってきた。

あいつは見たことあるぞ。

確か五組の、柔道部の奴だ。

道着を脱いで、肩に湿布を貼ってもらっている。


そんなところ、自分で貼れるだろっ!

心でツッコミを入れながら、早く帰れと唱えていた。


放課後の保健室は、意外と忙しいんだな。

生徒が帰った後は、必ず机に向かっているし。


これでカウンセリングなんかがあったら大変だな。

パラパラと本をめくりながら、今日の昼休みに先生と決めた事を考えていた。


週に二回、先生が僕にお弁当を作ってくれる。

曜日は火曜日と、金曜日。

昼休みの三十分、カウンセリングルームを予約してもらった。


明日の火曜日は、先約が入っているから、今週の金曜日から。

飲み物は自分で用意する。


僕が鎌倉を案内するのは、月に二回。

基本、第二と第四の日曜日。


先生の用事で変わる可能性あり。

一緒に歩くと目立つので、現地集合、現地解散で。


忘れないように、スケジュールに入れておこう。

僕は、スマホを出した。


そういえば、今日はほとんどメッセージを受け取っていない。

ハルから連絡がないからだ。


教室も離れているから、一度も顔を見なかった。

同じ学校にいても、会おうとしなければ会わないもんなんだな。


ケンカしたわけでもないのに、会うのは気まずいと思うのは、僕の中に後ろめたさがあるからだろう。


そのうち、自然に顔を合わせるだろう。

そしたら、いつものように話せるよな。


僕はあまり深く考えずに、自分の予定でカレンダーを埋めていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る