第2話 江ノ電
江ノ電の小さな駅舎は、人であふれかえっていた。
ホームにもたくさんの人。
掲示板や時刻表を見ながら、わいわいと話しているところを見ると、ほとんどが観光客のようだ。
「平日の朝なのに、なんでこんなに人がいるの?」
と僕が言うと
「今年は桜の開花が遅かったからね。今が満開だもん」
とハルが言った。
僕らはこの四月から、高校二年生。
相変わらず同じ学校へ通っている。
鎌倉の桜が、他の場所よりも特別に綺麗とは思わないけれど、古都の風景と桜の組み合わせは格別なのだろう。
毎年この時期はたくさんの人がやってくる。
最近は外国人も多く、ローカルな駅舎にいろんな言語が飛び交っている。
鎌倉、湘南と言えばドライブコースでもあり、海沿いの国道134号線と、八幡様に向かう若宮通りは、常に大渋滞だ。
この時期は歩いても気持ちがいいから、移動に電車を使うのは賢い選択だろう。
だけど江ノ電は、多い時でも4両編成だ。
学校までの数駅とはいえ、この混雑はつらい。
通学途中でやることを楽しみにしている、スマホのゲームも開けない。
人に埋もれてつり革に届かないハルに、片腕をつかまれたまま、小さな電車は僕らが下りる駅に着いた。
学校に向かう坂道にも、桜が咲いていた。
半分ぐらいの所まで来て振り返ると、江ノ電の線路の向こうに海が見えた。
右手には江の島。
青く澄んだ空と相まって美しい。
景色に見とれて立ち止まった僕にじれて、ハルが
「碧樹!もう、先に行くよ!」
と言うので、そっちを見ずに手を振って、ポケットからスマホを出した。
そして、海に向かってスマホを構えると、シャッターを押す。
するとその瞬間に、ふざけた顔が画面いっぱいに割り込んできた。
「うわっ やめろよー 昂太!」
「へへへー ばっちり映っただろ?」
変顔で割り込んできたのは、秋山昂太だった。
中学からの友達で、ゲーム仲間でもある。
「お前、あのゲーム、なんレべまでいった?」
「50」
「ええーっ!おとといインストールしたばっかだろ?やりこんでるなぁ」
「まぁね」
「まさか、課金してんの?」
「んなわけねーだろ。金ないもん」
「だよなー。あー俺も部活がなければ、もっとゲームできるのになぁ」
昂太はサッカー部だ。
うちの高校は偏差値もそこそこだけど、運動部もけっこう強い。
サッカー部は特に強くて、関東大会ぐらいまでは常連校らしい。
昂太は小学校から地元のクラブチームに所属し、高校一年からレギュラーだ。
「いいじゃん。部活、頑張れよ。俺は他に打ち込めるものがないからさ」
それは僕の本心だった。
中学までは水泳部に入っていた。
小学四年生で再開したスイミングは、体の成長とともにレベルアップし、小学校を卒業する頃には一番上の級になっていた。
そこでやっとハルに追いついたわけだ。
中学で水泳部に入ると、市や県の大会に出してもらえるようになった。
けれど僕のレベルはそこ止まりだった。
それに比べてハルは、女子の中では飛びぬけていた。
県大会を勝ち進み、関東大会まで行ったこともある。
スイミングスクールを続けて、選手コースでやってみないか?
と声もかかっていたし、本気で頑張れば全国、いやオリンピックも夢では無かったかもしれない。
中学の部活の顧問の先生も、ハルの指導には熱が入っていた。
それなのにハルは、スイミングスクールの誘いをきっぱり断り、部活も三年になるとあっさり引退してしまった。
「成績がやばいのよ。このままじゃ碧樹と一緒の高校に行けない!」
そんな理由で?
別に一緒の高校じゃなくても、家は向かいなんだし、かまわないと思うんだけど。
「俺が行こうと思ってる高校、水泳部ないみたいだけどいいの?」
高校の説明会に行った帰りに尋ねると
「ぜんぜんいいよ!絶対受かってやるんだから」
と気合に満ちた顔で言った。
「それより、高校生になったら、どうしてもやりたいことがあるの」
「へえ。何?」
「毎日、碧樹のお弁当を作る!」
「え?なんで」
「ほんとはね、中学から作りたかったんだけど、うちの学校給食だったから」
「あぁ、うん」
「お弁当を毎日作るのは、碧樹のおばあちゃん大変だと思うの。
高校でやりたい部活がなかったら暇になるし、毎日メニュー考えるの、楽しそうじゃない?」
「ふーん」
ハルがそんな風に考えていたのは意外だったけど、最後のは多分付け足しで、うちのおばあちゃんの負担を心配していたんだろう。
母さんが死んでから、うちの家事は全部おばあちゃんがやっている。
最近は僕も、自分のことは自分でできるようになったけど、小学校の時は大変だった。
明日着ていく服もわからない。
毎日の持ち物や学校からの連絡。
何よりも、突然母親を亡くした僕のメンタルはボロボロだったから。
いったいどうやって乗り切ったのか。
あの頃のことは、あまりよく覚えていない。
というより、思い出したくない。
それから、ハルはなりふり構わず勉強に没頭し、見事合格を射止めた。
その4月から僕たちは同じ高校に入学し、約束通りハルは毎日僕にお弁当を作ってくれる。
高校2年になって、僕たちのクラスは初めて別々になった。
大学受験を見越しての選択授業のせいだった。
僕は理系で、ハルは文系だ。
そんなことでクラスが分かれるなんて!とハルは文句を言ったけど、僕と同じクラスにいるために、大嫌いな数学を勉強する気持ちもなかったので、素直にあきらめた。
思えば、小学校も中学校もずっと同じクラスだった。
少子化とやらでクラス数も少なかったけれど、不思議に思っておばあちゃんに聞いたことがある。
そこにはどうやら、学校側の配慮があったらしい。
母さんが死んでから、僕は半年以上学校に戻れなかったのだ。
母親を亡くして、心身共に弱り切っていた扱いにくい子供を、先生は同級生のしっかりものの幼馴染にサポートしてほしかったのだろう。
最初は僕を心配したおばあちゃんが、担任の先生に頼んだそうだ。
春陽ちゃんを、碧樹と同じクラスにしてください、と。
それが進級して次の学年でも伝えられ、中学に進むときにも申し伝えられたのではないか。
いじめにあった子供を、いじめていた子と引き離したい時に、よく使われる手らしい。
だけど、さすがに高校ではその手は使えない。
高1の時のクラスが一緒だったのは、奇跡的な偶然だろう。
ハルがいない教室を、僕はちょっと不思議な気分で眺めた。
理系は女子が少ない。
クラスの三分の二は男子だ。
男女共に眼鏡率が異常に高く、おとなしめの子が多い。
この中で、僕と昂太はちょっと浮いているかもしれない。
昂太のように運動部で、部活をやる為に学校へ来ているような奴は、普通理系を選択しない。昂太がこのクラスにいるのは、致命的に国語ができないせいだ。
去年のテストで1回赤点を取って、進級が危ないと泣きついてきたのは記憶に新しい。
僕はどちらかと言うと文系寄りの頭だ。
少し偏りはあるけど、好きなジャンルの本は読むし、日本史、世界史にも興味がある。
だけど将来行きたい方面が理工系だった。
まだ漠然としているけれど、僕らはもう卒業後の将来を考えなければいけない時期に差し掛かっていることは、間違いないだろう。
4時間目の授業が終わると、前の席の昂太が振り返った。
「はらへったぁ。やっと昼休みだ」
あいうえお順で名前が近い昂太とは、よく席が前後になる。
人見知りで友達を作るのが苦手な僕にとって、大事なお助けキャラだ。
二人で向かい合って、お弁当を出した。
今日はどんなお弁当かな。
なんだかんだ言っても、ハルのお弁当は楽しみだった。
僕の好きな食べ物を知りつくしているから、嫌いなものは絶対入っていない。
はずなんだけどな。
今日のお弁当箱は二段式だった。
ハルは何種類かのお弁当箱を用意して、内容によって使い分けている。
ふたを開けると、真っ先に目に飛び込んできたのが、右端の黄色い玉子焼きだった。
今日は真中にウィンナーが入った厚焼き玉子。
なるほど、そう来たか。
そして中心にメインの鳥の唐揚げ。この色は僕の好きな塩だれの味付けかな?
付け合せはかぼちゃの煮物と人参のグラッセ。
ほうれん草のソテーは、苦くてあんまり好きじゃないけど、これはきっと全体の彩りのための苦渋の選択だったのだろう。
仕方ない、僕が犠牲になろう。
ご飯の方には、鮭のふりかけと昆布の佃煮。
これは安定のおいしさだ。
昂太が僕のお弁当を見て
「碧樹の弁当、本当にいつもうまそうだな」
と言った。
「うん。うまいよ」
と言うと、
「いいなぁ。うちの母ちゃんは質より量だからさ」
と言って、ちょっと不満げにため息をついた。
運動部の昂太にはそのボリュームが必要だろうな、と僕の倍ぐらいある大きさの、お弁当箱を見て思った。
昂太は僕のお弁当を、ハルが作っていることを知っている。
もちろん、僕が言ったわけではない。
1年の時、同じ教室でお弁当を食べていたら、クラスメイトの誰かが気づいて大声で言ったのだ。
「あれ?おまえら、お弁当一緒じゃね?」
それでハルが僕の分も作っていることがばれて、さんざんからかわれた。
登下校も一緒なんだから、そりゃ疑われるのもしょうがない。
断じてそういう仲ではないと言い張ってもいいんだけど、いちいち否定して歩くのもめんどくさかった。
付き合っていないなら、なんでお弁当作ってもらってるの?と聞かれるし、そうなれば家庭の事情を話さなければならないだろう。
僕よりも、ハルがそんなことを望んでいなかった。
「言いたい奴には言わせとけ」
それが僕たちの暗黙の了解。
ところがこの騒動は、思いのほか早く決着した。
翌日の昼休みにも、わざわざ僕らのお弁当を確認しに来て、ひゅーひゅーと言ってからかってきた奴らが、その次の日には急に静かになった。
それどころか、僕と昂太が向かい合ってお弁当を食べている所へ来て、
「これ、やるよ。碧樹」
と言って、校内の自販機で売っている缶ジュースを置いて、そそくさと立ち去った。
「え?なにこれ、どういうこと?しかも下の名前呼んだぞ」
と昂太に言うと
「さぁな。あいつらも大人になったんじゃね?」
と言って、ちょっと遠くを見た。
これは何かをごまかすときの昂太の癖だ。
それで僕は、昂太があいつらに何か話したんだと思った。
中学から一緒の昂太は、僕の家にも何度か遊びに来たことがある。
直接話したことはなかったはずだけど、僕の家のことをよくわかっているようだった。
そういえば中学までは、母親がいないことで何かを言われたり、逆に過剰に気を使われたりしたことがなかった。
みんな自然に僕と接してくれていたと思う。
もともと人見知りで、自分の気持ちを人に伝えるのが下手な子供だったので、学校では先生や友達に助けを求めたことはなかったけど、僕が知らないところでみんなが手を貸してくれていたのかもしれない。
自分のことでいっぱいいっぱいだった僕は、今更ながらそのことに気付いた。
その時から昂太も、僕にとって特別な存在になったのだ。
そのあとは、スマホのゲームの話をしながらお弁当を食べ、
「ごちそうさま」
と箸を置くと、お弁当箱のふたを閉めた。
右端にふたつ並んだ玉子焼きだけを残して。
五時間目の体育の用意をしていると、スマホの画面に通知が来た。
ハルからだ。
『次体育だよね?日焼け止めクリーム、忘れないで』
あ、そうか。と素直にリュックのポケットをあさってから思い出した。
今日の体育はバスケだ。
『体育館だから大丈夫』
そう返信すると、りょーかいっ!というしるしのでっかいスタンプが返ってきた。
うちのクラスの時間割まで把握している。
おそるべし情報収集能力…と感心していると、すぐに次のメッセージが来た。
『今日、学校帰りに八幡様の桜、見に行かない?』
花見は土曜日に行くことになっていた。
今日は水曜日だ。
『それ、土曜日じゃなかったっけ?』
と返すと
『天気予報見たら、土曜日雨っぽいんだよね』
と来た。
四月は意外と雨が多い。
散り間際の桜は綺麗だけど、雨が降ったら終わってしまう。
『明日から球技大会だから、今日がベストだと思う』
そうだ、明日と明後日の二日間、新しいクラスの親睦を兼ねた、クラス対抗の球技大会があるんだった。
競技は卓球とバレーボールとサッカー。
早く負けたクラスは午前中で終わるけど、勝ち進んだクラスは午後も試合になる。
水泳以外の運動能力を持たない僕には、めんどくさいだけの行事だけど、ハルは違う。
試合というものに出るからには、負ける気はないはずだ。
今度は僕が、りょーかいっ!のスタンプを押すと、急いでジャージに着替えた。
六時間目のホームルームでは、明日の球技大会の種目決めをした。
女子が少ないので、女子は全員バレーボール。
男子はサッカーと卓球にまわることになった。
どっちも得意じゃないし、どうせ補欠だろう。
だったら昂太と一緒のサッカーにしよう、ということになり、あっさり決まった。
黒板のサッカーのメンバーに、秋山昂太。
その隣に僕の名前が書かれた。
『市原碧樹』
キャプテンの隣に名前を書かれるのは、少し気恥ずかしかった。
部活に向かう昂太と別れて、昇降口に向かうとハルから通知が来た。
『ごめーん!理恵に買い物付き合ってと頼まれちゃったの
一時間ぐらいで終わるから、先に八幡様に行ってて』
ふぅん。まぁいいけど。
『じゃあ源氏池でカメ見てるよ』
と返信すると、ゴメン!!!
という文字が飛び出すスタンプが返ってきた。
理恵というのは、高校からのハルの友達で、去年も同じクラスだった宮内理恵のことだ。
すらっと背が高くて、大人びた感じの人。
うちの高校はあまり校則が厳しくないので、女子のスカートはけっこうな短さだし、ワイシャツの襟もとに着けるリボンも指定の紺色以外の色のものを着けていても、あまり怒られない。
式典の時だけはリボンも靴下も紺と決められているけど、それ以外はわりと自由だ。だからいろんなリボンで個性を出している子が多いけど、理恵はちょっと違う。
初めからリボンは着けず、シャツのボタンを二つぐらい開けて、ネックレスをしている。
鎖の細い、目立たないものだけど、他の女子とは明らかに違うスタイルなので、逆に目立つのだ。
長いストレートの髪は明るい茶髪で、肌の色は健康的に焼けている。
ハルの髪が真っ黒なので、比較で明るく見えるのかな。
僕も髪は相当明るくて、ハーフは無理でも、クォーターぐらいなら言ったら通るんじゃないかと思うけど、肌も白くて要するに色素が薄いだけだ。
肌が浅黒くて髪が茶髪なのは、染めているとしか思えなかった。
以前ハルに
「宮内ってなんか部活やってるの?運動できそうだけど」
と聞くと
「理恵はね、サーファーなんだよ」
という答えが返ってきて、納得した。
サーファーね。確かに雰囲気あるわ。
いつも元気なハルと違って、口数も少なく、机に頬杖をついて座っている理恵はちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
それがいつのまにか二人が仲良くなっていて、学校帰りに遊びに行くような友達になっていたとは、僕も意外だった。
ずっと二人でいるのが当たり前で、一緒に成長してきた僕たちだけど、高校生になって少しずつ環境が変わり始めていたことに、この時はまだ気づいていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます