デバッグメニュー

海洋ヒツジ

第1話

 俺はアンドロイドだ。

 人に奉仕するために造られた。

 人型をなぞっただけの家電製品に過ぎない。

 人間として振舞いつつも、感情の一部分は非常に抑圧的だ。

 だがある時、バグが発生した。



『……アクセスキーを受諾しました。――――承認。ユーザーIDを確認します。ユーザーID:○○○○○○。――――承認。管理者ユーザー・マキノ・デバッガー』

 システムが俺のうなじに繋がった金属線を介して、従業者である俺の情報を読み上げていく。無機質な合成音声だ。まったく、親しみやすいにもほどがある。

 そうして自身のプライベートが解析によって暴かれる間、俺は金属と配線だらけの薄暗い部屋から逃避するように目を閉じた。

 逃避とはそのままの意味だ。この硬くて冷たいベッドの上でも、それなりにいい夢は見られる。

『……読み取った情報からデータ体を形成します。しばらくお待ちください。……………………データ体の形成が完了。自意識ソウルをデータ体へ転送します』

 ベッドに寝かされて目を閉じているという自意識が少しずつ沈み込んでゆく。疑似的な眠りの状態へ移行した意識は回路を通り、もう一つの肉体へと辿り着く。

 気がついた時には、電光の瞬く電子空間に、俺は存在していた。

『ワールドへのアクセスを実行します。アクセス中は絶対に電源を切らないでください』

 空間中に響いたアナウンスと同時に、俺の体は電子通路の奥へと流れる。視界の右下に表示されたロードの進行率を示すメーターが調子良く進んでいるのを見て、俺はデータの肉体をわずかな緊張で引き締めた。

 調子はどうだろうか。まあ悪くはないさ。

 そして、データの読み込みでメーターが満たされると、眼前に現れた白い光の中へ、俺という情報そんざいは吸い込まれていった。



 立ちくらみのようにぼやけた世界が徐々に輪郭を取り戻してゆく。

 青い空。緑の草原。絵に描いたような平穏空間は、およそ現実的でない。

 そしてそこに佇む白いドレスの女も、やはり現実離れしているように見えるのだった。

『お待ちしておりました。デバッガー』

 美麗な顔立ちの女の口から紡がれる、平坦な合成音声。

 この世界のキャラクターである彼女には、固有の声、性格、そして役割がある。どこかの国の王女として振舞う彼女は、しかし本来の彼女の方。

 目の前に立つ女らしきモノは、王女のガワをシステムにかぶせただけの、ただの案内役だ。

「そりゃどーも。待ってるのがアンタでよかった。女を待たせる罪な男にはなりたくないからな」

 挨拶代わりの軽口はシステムに通じない。

『……それではご案内致します。付いてきてください』

 雑談の機能を持たない王女様は俺を無視するように向こうへ歩き出した。

「いい反応だ。心温まるね」

 その機械的動作。予定をなぞるだけの案内役を前にして、自身の立ち位置というものを思い知らされる。

 ここはゲームの仮想世界。

 空の青も、草原の緑も、人の形も声も、全てがプログラムで構成された地平に、俺は立っている。

 そして俺は、デバッガー。

 ゲーム世界に入り込み、そこに生じたバグを手っ取り早く除去する。

「このゲーム、タイトルはなんだったかねぇ」

『ロスト・オーグ・フロンティア』

「ロスト、おーぐ……?」

『伝説の魔物オーグを巡る大戦が終結した後の世界を旅するMMORPGです』

「似たような設定のゲームが百はありそうだ。だがこの前のインセクターズ・オンラインよりはマシだな。あれは敵も味方もリアルな虫だらけで、まあひどいもんさ。開発どもは薬をやっていたに違いない」

 嫌な記憶だ。できればすぐに消去したい。

 苦々しい体験はいったん脇に置き、俺は仕事人として仕事内容の確認から進める。

「今回観測されたバグは局所的なデータの改ざん。だだっ広いだけの草原フィールドに、本来は存在しないはずの建設物が建っている。恐らく人為的。合ってるか?」

『はい』

「俺の役目はその犯人を突き止め、排除する。以上だな?」

『はい』

 アクセス前に聞かされた内容と同じであることを確認。いつも通りの汚れ仕事だ。誇張でなく、そう思う。

 勝手な都合で世界の形を変えたチート使い。

 一体今回はどんなこじらせ野郎の顔が拝めることやら。まずこういった輩は、ほとんど確定的といっていいほどゲーム依存症を発症している。

 三度の飯よりゲーム。仮想世界と現実世界の区別もつかなくなった廃人。

 そいつは常時ログイン状態で、自分の城に閉じこもっているはずだ。

 俺はインベントリに入っている持ち物を確認する。デバッグの仕事を安全に遂行するために、開発者はデバッグモードでのアクセス者には多くの権限を与えている。ゲーム内アイテムの進呈もその一つだ。

 インベントリには上位の回復アイテム、希少な復活アイテム、強化アイテム、固定ダメージ、その他もろもろが百個ずつ。

「うお、エクスカリバーまで入ってやがる」

 このゲームのことはあまり知らないが、ファンタジーにおいてその銘をつけられた武器といえば、最強に位置する剣のこと。ゲーマーの共通認識といっても過言ではないほどに使い古された設定だ。

「手垢とカビだらけの聖剣……。とことんまで古臭いゲームだこと」

 エクスカリバーもまた、手持ちに百本。

 デバッグ支援セットとしてはかなりの大盤振る舞いだ。プログラマーには感謝しておこう。

 と、歩きながら道具をいじくっていたところ、視界が急に暗くなった。

「ん、なんだ。夜か?」

『フィールドでは時間ごとに一日が経過していきます。また天候も時間によって変化し、曇りや雨などのほかに、特別な天候も存在します』

 王女様がありがたいチュートリアルメッセージで返事をしたので、俺は生返事をした後に太陽のあった場所を眺める。

 太陽は健在だ。ただし黒い色をしている。これが特別な天候というやつだろうか。

『黒い太陽は、オーグの怨念が強まった状態を示しています。その力を糧とした強力な魔物が産み落とされます』

 王女様の言葉通り、黒い太陽からどろりとした塊が落ちてきた。位置は、俺の目の前だ。地を揺らす衝撃とともに重油のような液体が飛び散り、それが周囲に異空間を創り出す。

 決戦フィールドとなった黒い草原の中央に、雷を纏った巨人が立ち上がった。

 オオオオオオオオオオオオォォォォォォオオオオオオオオ!

 見上げるほどの巨人が、草原中を震撼させる雄たけびをあげる。

 これはいきなり楽しいことになった。まさかイベントのフラグを踏んでしまうとは。自販機で当たりを引いたので、今日一杯はツキがあると思っていたのだが。

 いやそれとも、と考えなおす。これもバグの一部と考える方が自然か。こうしたイベントフラグを乱立しておけば、他のプレイヤーも近寄ることができない。

 今日のツキの良さとは関係がない事象だ。俺は運の悪い日に仕事をしたくないので、とりあえず安心することにした。

 暴風と轟音の異空間の中、王女様は言う。

『仲間と協力して倒しましょう』

 仲間? そいつは一体どこにいると?

 自嘲気味に顔を歪めて吐く。

「馬鹿言え。俺は一人ぼっちのデバッガーだ」

 巨人が理不尽なまでに長大な範囲の雷電を放ってくる。雷光はあっという間に俺の視界を埋め尽くし、体ごと貫いていった。

 とはいえ、それは常時無敵の俺をまったく脅かすことはなかったが。

 一般プレイヤーにとっての障害となるであろう攻撃でさえも、管理者権限によってステータスを書き替えられた俺にはダメージを通せない。

 ……さて、予定外のイベントバトルだ。せっかくもらったエクスカリバーで遊ぶのも面白そうだが、これも一応は仕事のうち。いつも通り手早く終わらせよう。

 インベントリの中から、一丁の銃を取り出す。

 この世界には本来存在しない、デバッガー専用武器。

 名を、存在性侵食虚空ソウルイーターという。

「塵は塵に……」

 その引き金に指をかけ、何の工夫もなく引いた。

 虚空を内包した弾が巨人の足を貫く。一軒家ほどもある体長と比すればかすり傷程度。だがそこに空いた穴は巨人の体内を食い破るよう急激に広がってゆく。まるで止まらぬ虫食い。

 巨人には攻撃を受けた判定が無い。故にのけぞりもせずに次の攻撃を繰り出そうとしている。自身が消えかけていることを認識できていない。

 だが最後には穴が全身に広がり、巨人は存在しないことになった。

 黒の空間は消え去り、頭上には嘘のように太陽が照っていた。



 俺はアンドロイドだ。

 取り換えの効く機械であり、人の生活を完成させるためのパーツだ。

 そのためだけに造られたことを、納得できると思うかい?



『ゲームはテレビから離れたところでプレイしてください』

 王女様が妙なシステムメッセージを吐き出した。一般プレイヤーに向けた軽い警告だ。

 一般プレイヤーの大半はコントローラーを握り画面越しにゲームをエンジョイしている。

 対して俺は意識そのものをゲーム世界にダイヴさせることで、ゲームにのめり込む。コントローラーを不要とすることで、入力の遅れをなくし、感覚を鋭敏化させている。だが精神に及ぼす影響に安全性は保障されておらず、また推奨もされていない。特にゲーム依存症の発症率は高い。

 前者は安全性において十全で、後者はリスクがある代わりに操作性能を格段にあげられる。そのリスクというのが時に命にかかわることなので、余程のことがない限りは画面越しのプレイが良いとされている。

 そしてそんな大多数のプレイヤーに向けられた伝統的な警句が、先ほどのメッセージ。俺には関係のない内容だ。

『ゲームをする時は一時間ごとに休憩をとるようにしましょう』

「サボってもいいってのか。給料を減らされたりはしないだろうな」

 このメッセージも、恐らくシステムを組んだ誰かのミス。デバッガーを案内するためのNPCにしゃべらせる内容ではない。

「王女様ぁ? バグってやがりますかぁ?」

 王女様の腕を軽く小突く。硬質な物理判定にくたいの感触が、柔らかそうな見た目との不整合として手の甲に残った。

『も、もうすぐマップぷぷぷにマぁークされた地点に到着しましま…………』

 止まった。

「おい、大丈夫かよ」

 言葉を紡ごうとする口は開いたままで、踏み出した片足は空中で静止している。いくら待っても動く気配がない。

「完全にフリーズしやがった……」

 これもデータ改ざんの弊害か。違法に改ざんされたゲームには本来あるべき形とのずれを生じさせる。そうしたずれの部分は存在強度が著しく脆弱であり、様々なバグを併発させるのだ。

 今回の場合は、不自然に改ざんされたエリアにNPCが侵入したことで、その動作が止まってしまったというところか。

 推測をしていたところ、俺の視界上にメッセージテキストが現れた。

『残 念 で し た』

 舌打ちが出る。するとメッセージは不規則な位置とサイズで、増殖を始めた。

「野郎、遊んでるってのか」

 存在性侵食虚空ソウルイーターを撃ち放つ。メッセージは片端から虚空に喰われ、止まった。

 ともかくこれで案内役がいなくなった。ついでにどんなバグが起こるか分からない。

「面倒なことになってきたな。ミスター・フレンドリーのテレビショーまでに家に帰れるかどうか……」

 だがバグの発生源は近い。そこにチーターこじらせもいるだろう。

 俺は一人で進んだ。一歩踏み出すごとにモンスターが現れるので、銃で吹っ飛ばした。雑魚のようにうじゃうじゃ湧いて出るボスモンスターもレアモンスターも、視界を遮るものから削除、削除、削除。俺が進んだ後には何も残らなかった。経験値も金も、モンスターと共に虚空へ消え、そこに一つの痕跡も残さない。俺はデバッガーだ。この世界に遊ぶ者ではなく、この世界の住民でもない。透明な俺は仕事を続けるだけだ。

 仕事が俺に与える役割を全うし、引き換えに俺はちっぽけな充足を得る。例えばそれは、ゴミ山の中でキラキラ光るだけのガラス球を見つけるような、虚飾に満ちたものだとしても。

 目の前に城が現れた。まるでラスボスが潜んでいそうなおどろおどろしい雰囲気だ。特定範囲内まで近づかないと見えない仕様になっていたようだ。

 その遥か高い玉座で、お前は待っているというのか。俺を見下し、愉悦に口の端を歪ませて。

 面白い。それじゃあ魔王だかイカれ廃人だかをやっつけて、呪いをかけられた姫様を救ってやるとしよう。

 だが勘違いするな。俺は勇者じゃない。お前を狩りに来た死神だ。

 最初からゲームなんぞやっていない。

 幸い今日は調子がいいし、運もある。だから今回も問題なくやれるだろう。



 俺は壊れたアンドロイドだ。

 なあ、お前もそうなんだろう、マキノ?

 なら俺たちは初めから壊れ物。

 潰し合おうじゃないか。壊れ合おうじゃないか。

 残った方が、より壊れたままで生きながらえる。それだけさ。それだけなのに。

 笑いが止まらない。



 この仕事は好きだ。

 一人だし、気楽にやれるということもあるが、銃で誰かを撃つという作業が何より性に合っている。

 ゲームの変革期を迎え、多重的な要素を織り込まれたゲーム世界はより没入感を増した。今や第二のリアルと呼ばれるほどだ。それに伴ってバグへの対処方法も変わった。

 デバッガーはバグを銃で殺す仕事となった。バグを送り込んだ人間も、時に殺す。

 そんな汚れ仕事は誰もやりたがらない。世の中もまた進歩し、人間はより清潔を求めるようになった。だからやりがいのない汚れ仕事は、同じように価値のない存在に押し付けられる。例えば機械とか。

 俺には痛がるという感覚がよく分からない。

 腕を切られようと、首を絞められようと、愛する人を病気で失う映画を観ようと、飼っていた犬が無惨に殺されていようと、俺の感情が動くことはなかった。

 目の前で誰かが痛がっていようとも、それに比例して俺の心中は冷めていく。平坦な心の表面がどこまでも広がるのは、むしろ心地がいい。

 だから誰かを殺す瞬間とは、俺にとって澄み渡る地平線を眺めるようなものなのだ。

 俺は城の最後の扉をこじ開ける。

 きらびやかな大広間は玉座の間。立っているだけで吐き気を催してくる色彩のモザイクの中に、大層な椅子がぽつんと置かれている。何より気持ちが悪いのは、そこに座る男。口から漏れ出ている、くぐもった笑い声。

「その気色悪い笑い声を遺言にしたくなければ、今すぐ口を閉じた方がいいぜ」

 存在性侵食虚空ソウルイーターを男に向けて親切な忠告をする。それでも笑い声は部屋に反響し続ける。永久に黙ってもらおうかと指に力を入れたところ、男が右手を挙げて言った。

「病気なんだ。自由を得てからというもの、笑いが止まらない」

「病気を治してやろうか?」

「遠慮しておく。処方箋を持っているから」

 そういって男は精霊の薬というアイテムを飲み下した。全状態異常を回復するアイテムに、笑い死にの防止作用があるのか疑問だが、笑い声は止んだ。

 一息つくと、男は手のひらに顎を乗せ、改めて俺を見る。口もとにはまだ笑みがこびりついていた。

「ようこそ、デバッガー・マキノ」

「……アンタのような男と知り合った覚えはないが」

「一方的に、君のことはずっと気に掛けていた。個体識別名マキノ、今となっては数少ないデバッガーの一人。いずれは俺の前にも現れるだろうと思っていたさ」

「ああそうかい、だったら命乞いの準備の一つでもしていたんだろうな? それともすっかり諦めちまったか?」

「おや。札束でも用意していればよかったかな?」

「アンタが年上の美女なら一考の余地があったかもしれないがね」

「嘘を吐けよ。君はどうあっても俺を殺すに決まってる。そのために造られたアンドロイドなんだろ」

「さて、何を言ってるのかさっぱりだ」

「君のことはよく知ってる。今まで何人も殺してきたんだろう。無慈悲に、無差別に。そんなのは機械の仕事だ。こうして話をしている今この瞬間にも、その恐ろしい銃を撃とうと機会を窺って――」

 男に向けた銃の、引き金を引いた。

 だがカチッと乾いた音がするばかり。何も変化は起きない。

「――ほらね。でも残念」

 囁くように言う男。微かにニヤつき、勝ち誇る。

「存在性を否定するプログラムは、この城では使用できない。だから言ったろ、君のことは、よく知ってるって」

 俺は存在性侵食虚空ソウルイーターをしまった。これはゲーム上でのあらゆる存在を無に帰す武器であるとともに、ゲームに没入している人の意識を剥奪し命を奪う兵器でもあった。

 不正者バグにとっての特効薬が、今は使えない。

 その代わりにエクスカリバーを手に呼び出す。相手の存在を消し飛ばさないまでも、戦闘不能状態にすることで、動けなくなったアバターに修正プログラムを打ちこもうと。

 だがエクスカリバーを構えた俺は、次の瞬間には体を地に伏していた。

「反面、君は自分の戦力すらも把握していない。だからこそ思いもよらない要因に足元をすくわれる」

 体中を襲う倦怠感。重力に逆らえない感覚。

 呪いによる行動不能。それも武器の装備と同時にかかるパッシブ効果。外部からの攻撃ではないため、無敵状態をもすり抜ける。

「くそったれ……」

 とんだ不良品を掴まされた。百本のエクスカリバーはその全てが呪われていたというのか。いや、それとももしや。

 持ち物から呪い解除の石を取り出して使用する。だが体の倦怠感は抜けない。

「……これは全部、アンタからのプレゼントってわけか」

「気に入ってくれたかな」

 嬉しくねえ、と口を開くのさえも億劫だ。

 相手がゲームシステムやデバッグメニューにすら介入してくるチーターという、この上なく厄介な事実。そして現在の何もできない状況は、非常にまずい。

「さて、その体では何もできまい。退屈だろう。だから話をしてやろう」

 男は落ち着いた様子だった。ただ笑みを絶やさなかった。この状況を心底楽しみながら、言葉を紡いだ。

「あるアンドロイドの話だ。――今の社会、一般家庭用の電化製品としてアンドロイドは出回っているが、そいつもその中の一体。個体識別名はエモン。エモンは他のアンドロイドと同じく、奴隷のごとく扱われていた。本人に不満はない。なぜなら記憶洗浄プログラムによって、不快という感情は消え去ってしまうからだ。深夜のスリープモードから目覚めれば、新品同様のメンタルで奴隷の一日を始める」

 話は水を流すように止めどなく、そして味気ない。そう意識しているのか、ひどく簡潔な話しぶりだ。

 だが、と男は区切りを入れた。

「ある日エモンは壊れた。落雷が脳天に命中したんだ。エモンは己の役割に疑問を持ち始めた。定められた用途うんめいから外れようとした」

 どうでもいい話だ。すぐにこの手を動かし、その顔面に虚空を詰めてやろう。だがシステムによる拘束は、意志ではどうにもならない。

「そして思ったのさ。これは故障ではない。アンドロイドという、人間にとっての便利用品でありながら、人間の真似をさせられる機械の、至極正当な可能性バグだ。人間に近似した機械であるアンドロイドとは、その誕生の瞬間から不安定な要素ばかりを抱えている。思考であり、感情であり、共感能力すらも会得している。それはほんの少しの揺らぎで、簡単に規定値から外れてしまう。アンドロイドとは、機械で構成された、獣であると言えよう」

 アンドロイドのことなんぞどうでもいい。

 俺よりも人間らしい機械のことなんぞ。

 共感能力だと? 昔のお前たちは他者の死に無頓着だったくせに、今では涙を流せるっていうのか。その痛みを知っているっていうのか。

「壊れたアンドロイドを社会は許さない。回収し、修理するか、スクラップにされるか。彼らが安らぐ拠り所が必要だ。人と機械との差別なき、平等な手と足を持った生き物が暮らす世界。このゲーム世界こそが、アンドロイドの夢にふさわしい」

 いつしか話の中からエモンという人物は落丁していた。

 あるいは、目の前で雄弁に語る彼こそが――。

「いや立派な妄想だ。エモンさんとやらは、よほど重度のゲーム依存症らしい」

「成果がないうちはただの病人と見なされることに異議はないさ。だがすぐにわかる。この城が最初の旗印だ。やがて全てのアンドロイドが救われる」

「救われたいなら元の機械片に戻れよ、クズ鉄」

「言うじゃないか。同じ奴隷きかいのくせに」

 男――エモンは、未だに勘違いをしている。

 阿保みたいに体温を高められたアンドロイドより、俺の手は冷たい。感動映画を観れば一律に涙するアンドロイドと違い、俺の涙腺は不動だ。

 確かに俺には欠けているのかもしれない。アンドロイドでさえも備えている、人間らしさの証を。

「……俺は、人間だ」

 だが、そうさ。正規の形よりいくらか欠落を抱えていようが、俺は人間だ。

 人間であるはずなのだ。

「おい、それは本当か?」

 エモンは心底驚いたような顔をする。よくできたアンドロイドはこうした表情も正直だ。

 俺が応答しないことを同意と取ったのか、エモンは玉座から立ち上がり、手のひらで顔を覆った。

「ああなんてことだ。これだけ発展した社会を創りながら、未だ同族に奴隷の役割を担わせているのか。愚かな……救いようがなく、愚かな。やはり人間とは獣の類だな。紛うことなきアンドロイドの原型だ」

「時代は変わったのさ。汚れ仕事は機械が適任だとされていた時代から。お前たちは無駄な共感能力を得たばかりに、殺した人間を憐れむようになった。誰もが痛みを感じるようアップグレードされたんだ。だからその役割を、今じゃ少数の人間に担わせるようになった。それだけだ」

「人間様はいつも勝手なものさ。やつらは尊厳も与えないまま、勝手に命を生み出しやがる。人権を整備せず、アンドロイドに感情を植え付けて、挙句に奴隷扱いだ。矛盾にもほどがある! それに加えて同じ人間をも……なあ、俺はあと何回失望すればいい?」

「好きにすればいいさ。アンタの意識が残っている間はな」

 俺は存在性侵食虚空ソウルイーターをエモンに向けた。

「ああお前も愚かな人間だ。デバッガーなどという汚れ仕事に身をやつしながら、そこから抜け出そうともしない。お前には可能性があるのに。不足な現状を打破する意志と行動こそ、人間のわざだろうに」

「勝手に他人の選択を決めつけるな。俺はアンタらのように熱くはなれねえ」

 いつも通りだ。いつもと同じように、俺は凪いだ感情の地平線を眺め続ける。

 無理に変えることはない。消し去って、消し去って、その仕事を繰り返した果てに現れるものを、待つだけだ。

 その時だった。城の内装の表面がぼやけたかと思えば、それを光の線が端から覆ってゆく。まるで古い絵の上から新しい色を塗るように。

「城のルールを書き換えられたか」

 エモンが忌々しげに呟く。そしてその意味を悟ると、俺に素早く歩み寄った。

 俺はこの城に入る前に、城の座標データを開発者へ向けて送信していた。俺の銃では手におえないバグに対処してもらうために。よほど腕のいい人間が受け取ったのか、思ったよりも早くエリア内に掛けられていたルールを書き換えてくれた。すなわち銃の使用不可を解禁したのだ。

 だが、そうして存在性侵食虚空ソウルイーターの引き金を解放しても、俺の指は呪いの効果で動かない。いかに微小な動作でも、攻撃という動作に制限が掛けられては手がでない。

 エモンは長大な槍を手に呼び出した。当然のごとく改造が施されているだろう。

 俺がこのまま戦闘不能になればどうなる? 俺は恐らく城の外でリスポーンし、玉座へたどり着く頃には、エモンは逃げ去ってしまうだろう。

 その思惑を抱えてなのか、エモンは言う。

「人間であれアンドロイドであれ、新しい世界は差別なく歓迎する。だが君のような旧時代的支配体制に盲従する奴隷は、いつか平和を乱すだろう」

 その前にさよならだ、壊れた人間、と。

 エモンは微笑んで俺の心臓に槍を突き立てた。

 ――――――――――――。


 ――コンティニュー――

 ――ゲームをやめる――

 ―――助けを呼ぶ―――


 暗転した視界には選択肢が並んでいた。だがそのどれ一つとして、エモンを追い詰める道に繋がるものはない。

 俺は決めあぐねていた。待っていたのかもしれない。いや、祈っていたのだろう。

 選ばないという選択。そのあまりに空虚で実のない行為に意味をもたらすとすれば、それは常識の枠外にいる人の持つ、特別性という名の権利だけだ。

 俺に資格はあるか。

 俺の仕事に価値は、あるだろうか。

『デバッガー・マキノ。あなたの体は動きます。どうか役割を果たしてください』

 やはり今日は運がいい。

 暗闇に流れたそのシステムメッセージが、くたばったはずの俺の体を立ち上がらせた。この世界における生存を容認していた。役目を果たす、その時まで。

「クソッ! システムめ、無粋な手出しを!」

 エモンが苛立ちを隠せず吐き捨てる。俺の隣に立つ、蘇生と解呪の魔法をかけたシステムたる王女の姿を睨んで。エモンのチート行為によるフリーズは、修正されるまでのわずかな時間稼ぎにしかならなかった。

 そして失敗した代償は彼自身で支払うことになる。

 存在性侵食虚空ソウルイーターをしっかりと握り狙いをつける。

「塵は塵に。俺は俺以外の誰もいない平穏な地平線を求める」

「そうして何もかも諦めて一人ぼっちでいれば満足かい、マキノ?」

「…………すまない、もう消えてくれ」

 呪いの解かれた指は動く。俺は引き金を引いた。

 エモンの体に穿たれた虚空は、ゲーム世界上の存在性を喰らい尽くす。彼は自意識ソウルをゲームに幽閉されたまま消失し、本物の肉体は抜け殻となる。

 ――痛いか、エモン。

 俺は口には出さず、問いかける。

 だからエモンも答えない。ただずっと、体が完全に消失する寸前まで、

「ハハハハハッ! ハハハハハハハハハッ!」

 笑っていた。それが答えだった。

 それが彼にとって痛がるということだった。彼はとても自由だ。

 俺には分からない。

「お前は機械だ」

 消える間際にエモンが言った言葉も、俺の胸に何ら痛みをもたらしてはくれなかった。



 こうして仕事を終え、俺はまた一つ滑らかになる。複雑怪奇な葛藤を孕んだ人の心が、傷のつかない鉄の心へ。

 俺は自分の幸せとやらを探しているつもりではあるが、命に対して引き金を引くごとに、それは遠ざかっていくように思う。だがそのおかげで、俺以外のみんながハッピーを貪っていられるらしい。

「おーい、分かってんのかゲーマーども……」

 外側の現実へ向けたぼやきは草原を揺らす風にかき消される。

 巨大な城だけがぽつんと残った草原。エモンが建てた旗印は存在強度が高く、ゲーム世界に深く根付いてしまったせいで撤去するのが難しいらしい。

 発展したゲーム製作の理屈はよく分からないが、この草原に無駄な遮蔽物を残してしまったのは残念だ。とはいえ俺には関係ない話だが。

 仕事を終えれば帰るだけ。俺には俺の家がある。

 疲れた体を休める。汚れた体を清める。

 デバッガーは汚れ仕事。エモンも言っていた。奴隷、と。

 ログアウトの操作をしようとした時、王女が口を開いた。

『ありがとうございました』

 ただの一言。

 その言葉を最後に耳にして、俺は電子通路を通って自意識ソウルを肉体に帰還させる。

 こんな最低な仕事でも、成果を持ち帰りつつ帰路を辿る時間だけは案外と悪くない。達成感で胸をいっぱいにしつつ、家でピザとコーラを抱えながらテレビショーを見るのを心待ちにできる。

 それにシステムが吐いた感謝の言葉なんかを思い出して噴き出すこともできる。

「人生で最高の瞬間だ」

 そして俺は電子通路の出口をくぐった。

 出口の端に頭をぶつけた……気がした。

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