ひまわりが咲かなくなった日

夜野トバリ

第1話

 またサイレンの音で目が覚めた。

 重苦しく低い音が一定の間鳴り続いた。

 本当ならベッドから飛び起きて、近くの避難所へ向かわなければならないけれど、あたしも町のみんなも、もうそんな気力なんて一グラムも残っていなかった。時間を選ばないで頻繁に鳴るものだから、頭も体も慣れていた。

 このごろ、急に活発になってきたセミもまだおとなしい朝。カーテンから、少しだけやんわりと朝日がもれている。

 あたしはため息をついて、パジャマのまま部屋から出て洗面所へ向かい、貯水タンクから少し水を出して顔を洗った。それから朝ごはんを食べるためにリビングへ向かう。リビングではママが朝ごはんの用意をしていたけれど、心ここにあらずって感じで、ごはんが盛られた茶碗を持ったまま窓の外をぼーぜんと眺めていた。

 あたしがおはよう、って声をかけるとびくっ、とママは肩を震わせた。それからゆっくり振り返り、笑顔でおはようと言った。ママの顔や声にも、前みたいなぬくもりはちっとも宿っていなかった。

 でもあたしは別に気にしなかった。

 もうそんな余裕なんて、誰にだってないんだ。

 てきとーに盛られたごはんと味付けが変わった塩辛い味噌汁を食べていると、パパが起きてきて、けだるそうにおはよう、って言った。ぼさぼさに跳ねた髪の毛を気にする素振りも見せず、乱暴にソファへ腰を下ろした。ぎゅい、とソファが情けない音を出す。

 パパの朝の日課となっていた新聞やニュース報道も、今となって意味の無いものになっていた。テーブルの上に無造作に置かれたリモコンにもパパは見向きもせず、魂が抜かれたような感じでぼーっと遠くを見ていた。

 そういえば、新聞なんてここ最近、うちに届いてすらいなかったっけ。

 時計が七時半を指す。パパが会社に行く時間。でも、もう会社に行く必要がなくなったんだよ、と前にパパが教えてくれた通り、パパは出かけようとも着替えようともしなかった。「それサボりじゃないの?」ってあたしが訊いてみたら、パパは何故か子どもみたいに泣きじゃくりながらあたしを抱きしめてくれた。すごく、痛かった。

 そんなあたしも、パパと同じように学校へ行かなくなっていた。

 もうランドセルを背負うこともない。

 先生と友達みんなでわいわい授業を受けることもない。

 なにもかも全部、アイツのせいだ。


    ***


 アイツがやってきた日から、世の中めちゃくちゃになった。テレビではどの番組もアイツの話題で持ちきりで、偉い学者さんとかが熱く言い争っていた。何を話しているのかさっぱりで、あたしは大好きなアニメが見れなくなってひどく落ち込んでた。次回が最終回なのに。

 やがて、戦争や争いといったもめごとがあちこちでぽつぽつ起こるようになった。ある国は資源の問題で、ある地域では宗教の問題でと、開戦の理由は様々だった。大きい国はアイツに対して協力して向き合うべきと呼びかけたけれど、世界は思いのほか冷たかった。

 そのうち身の回りで強盗事件とか空き巣の事件がしょちゅう起こって、うちの中にいても安全、とは言えなくなった。あと変なカルト集団みたいな人達がわらわらやってきて、あたし達一家を勧誘してきたこともあった。もちろん、丁重にお断りした。

 蛇口から水が出なくなったのはアイツがやってきて数日後のこと。よく分からないけど、大元の会社が機能しなくなったとか、有名な誰かさんが逃げ出したとか、だ。せけんてい、に言えばそれは責任逃れ、とか言うみたい。だから今は高いお金を払って水を買って溜めている。結構、洒落にならない金額らしくて、ママはいつも頭を抱えている。

 その内、学校から登校しなくていいっていう連絡があった。担任の先生に訊いてみたら「夏休みの時期がずれたのよ」と答えてくれた。それも宿題が一切ないという未知のボーナス付き。あたしはおもわず飛び上がって声を弾ませた。反対に、先生の声は、不思議と低くて震えていた。

 それっきり、先生とは連絡が取れなくなった。

 少しだけ早くきた夏休み。せっかくだから友達と遊ぼうと思った矢先、仲が良かった友達は大半、海と空を越えた所に引っ越してしまった。引っ越し先の国の名前はカタカナでやたらと長くて、あんまり、よく覚えていない。

 とにかく、いろんな事がアイツのせいでおかしくなっていた。ある人は糸が切れた人形みたいにだらーん、と脱力して、一方で狂ったようにどんちゃん騒ぐ人もいた。

 世界中が、おかしくなっていた。


    ***


 ごちそうさま、と食器を台所に運ぶ。無反応のパパとママ。二人ともまるでセミの抜け殻みたいに黙ったままで、何かをしゃべる気配も、動く気配もない。

 でも、わたしには二人を責める気なんてさらさらない。

 だって、全部アイツが悪いんだから。

 リビングを出てパパの部屋にひっそり忍び込み、棚の奥にあった金属バットを取り出す。パパが高校生のときに使っていたバットだ。当時は四番のエースを任されていたんだぞ、と自慢気にパパが話していたあの頃が、妙に、懐かしい。

 バットを両手で抱えながら、忍び足で玄関先まで行き、靴を履いて外へ出る。

 まだ涼しげな朝。日差しも昼に比べればまだやさしくて、夜の気配が少し残っているそよ風が、あたしの前髪をいたずらっぽくなでた。小鳥が電線から軽やかに飛んで、くすぐったくなるような声を出していた。

 黒い平和だ。

 こんな世の中とはえらくかけ離れてる。そんな風にあたしには思えた。

 空を見上げる。夏の空は澄んだ青が一面に広がっていた。曇り一つない、文字通りの快晴だった。ただ、アイツが通った跡で青空はいくつも白く引き裂かれていて、爪痕が地平線までまっすぐ伸びていた。

 ちくしょう。

 あたしはアイツの爪痕を力いっぱいにらみつけて、いつも素振りを練習している近くの高台を目指して歩き出した。引きずっている金属バットがアスファルトにあたり、静まりかえっている住宅街にごりごり、と鈍いうなり声を響かせた。

 にこやかに挨拶してくれる掃除のおばさんも、

「近所迷惑だっ」と怒鳴り散らすおじさんも、

 柵越しに吠えてくる犬も、

 誰一人いない。

 どんなに願っても祈っても、あの日は二度と戻ってこないんだ。多分。

 住宅街を抜ける最後の角を曲がっていると、突然、三頭のシカと出くわした。角が生えているのが一頭、角は生えてないけどそれなりに大きいのが一頭。そして角なしの小さいのが一頭。どうやら親子連れみたいで、お父さんシカはあたしを見つけるなり、ぶるるっと体を震わせて警戒し出した。子どもシカはのんきに道ばたに生えている雑草の臭いをかぎ回っていた。

 もちろん、この辺りにシカなんて住んでない。きっと市内の動物園から逃げ出してきたんだろう。みんな自分たちのことで精一杯で、動物たちにかまっていられなくなったんだ。もしかしたら最後くらい、って思い切って動物たちを檻の中から解放してあげたのかもしれない。

 しばらく硬直状態が続いていると、お父さんシカが「こいつは無害」と判断したのか、先頭を切って歩き出した。お母さんシカが子どものお尻を鼻先で突いて、歩き出すようにうながした。子どもはびっくりして、それからひょこひょことお父さんの後を付けていった。

「どこまで行くの?」

と、あたしが声をかけると、

「地の果てまでさ」

と言わんばかりに、お父さんシカが短くてちっちゃい尻尾をぶるると震わせた。

三頭の仲の良い後ろ姿を見送って、あたしも歩き出した。

 ごりごり。

 ごりごり。

 やがて視界が開けて農道に入った。畑は人の手が加えられていないせいか、雑草がいたるところに生えていて、ビニールハウスのシートも破けて不気味に揺れていた。いつも脇道に流れている水路の水も、見事に干上がっていた。舗装されていない農道は自転車や車のタイヤの跡ででこぼこになっていて、風が吹くと乾いた空気が鼻を強く刺した。

 そんな緑ばかりの畑に、黄色い花がいくつも並んで咲いていた。

 ひまわり。

 夏の花。

 あたしの名前と同じ太陽の花。

 まだ日がそんなに昇ってもいないのに、ひまわりはみんなして空を見上げて、きれいな黄色い花を咲かせていた。

「どんな時も、お天道様のように明るくいてほしいから」

 ちょっと前、あたしにそう名付けた理由を、ママは秘密を打ち明けるようにそっと教えてくれた。

 あの時、あたしとママは向かい合いながら笑っていた。

 ママが太陽で、あたしがその方角を向いているひまわりみたいだった。

 幸せだった。

 でも、誰かが言っていた。

 来年の夏、少なくともここでひまわりが咲くことはないだろう、って。

 アイツが来たら、多分、そうなる。

 でも、あたしはあきらめたくない。来年もまたここで、ひまわりが咲いている夏を迎えてやるんだ。

 あたしの花を、ちらせてなるもんか。

 そんなあたしをあざ笑うかのように、またサイレンが何十にも重なり響いた。

 国家保護サイレン。

 直後、頭上をすさまじい閃光と音が通り過ぎていった。空が震えて、遅れて爆風が頭上から降り注ぎ、砂埃が乱暴に吹き荒れた。とっさに顔を背けて目をつむり、片手で顔面をかばいながらしばらくやり過ごす。巻き上げられた小石がびしびしと容赦なくあたしを襲ってきた。

 ちらりと、目を開けた。

 視界の中で、ひまわりが悲しく揺れていた。

 まるで、泣いているみたいだった。

 砂埃がおさまると、辺り一面に、黄色い花びらが力なくに散っていた。続けざまに、地面を這ってきた振動が足下に届いた。地震とは比べものにならない震え。震源地はきっと、あたしの真後ろの、ずっと向こう。

 ちくしょう。

 ぎゅっと、バットを握る手に力を入れる。

 揺れが止むと、あたしは振り向かずそのまま高台を目指した。

 あたしには、まだやり残したことがたくさんある。

 このまま死んで、なるもんか。

 だから今日も、このバットでめんいっぱい素振りを練習する。

 そして絶対、アイツを宇宙の彼方まで打ち返してやるんだ。

 月よりでっかい、あの石ころを。

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