第5話:霧の都の路地裏にて③

 先ほどカフェから出た時は、まだ明るい時間帯だった。急に雨が降ってきたとき、夕焼けの鮮やかな空を見上げたから間違いない。だというのに、いま結菜がいる場所はほとんど真っ暗なのだ。どこからか差し込んでくる遠い光で浮かび上がるのは、足元と左右に広がっている石のタイルを並べたと思しき壁だった。

 さっきの落雷のショックで吹き飛ばされた? いや、あの神社はふだん人が居なくて、静かな境内にはたくさんの樹が植わっている。いずれも数百年レベルの大木で、たしか重要文化財とか天然記念物とかになっていた、はずだ。覚えている限り、どこを見ても木々ばかりの風景に、こんな人工的な一角は存在しない。

 ということは、もしかすると。いや、でもマンガとか小説でもなかろうに。だけど現に目の前で小鳥がしゃべっているし……

 『? おねえさん、どうしたの』

 「あー、えーっとね、目が覚めたら知らないところだったからビックリして」

 『うん、ぼくもしらない。でもね、たぶんもともといたところだとおもうから、だいじょうぶだよ』

 「え、ホント? じゃあ道案内とかできる?」

 『んーとね』

 眉間にしわを寄せて考え込んでいたら、手のひらでちょこんと座っている小鳥が話しかけてきた。正直まだ慣れないが、もふっと小首をかしげた仕草でなんだか和んでしまう。少しだけホッとしつつ、会話を続けていた時だ。

 

 ――かつん。


 やや離れたところから堅い音が響いた。そちらに顔を向けると、うっすらとした光が差し込んでくる方向に何かの影がある。さほど距離はないのに、カーテンを通したみたいに輪郭がはっきりしない。そこで初めて、周りに白い煙のようなものが漂っていることに気付いた。煙たさの代わりに水のにおいがするこれは、視界をほとんどさえぎるほど濃い霧だ。

 そんな水の幕の向こうから、かつかつと断続的な音が近づいてくる。次第にはっきりして来る影が、どうやらやや小柄な人間のものだと気づいた結菜はぱっと立ち上がった。よかった、あの人に聞いてみよう。

 「あの、すみません。ちょっと――」

 聞きたいことが、と続けようとした声が止まった。鼻先を、今までとは全く別のにおいがかすめたからだ。

 (……錆?)

 そう、錆びた鉄のにおい。公園の古い遊具を触ったときのような、あれだ。それが何故か、人影の方から漂ってくる。

 徐々に近寄って来る相手は、結菜と同じくらいの背丈だった。少し腰をかがめた年配の男性で、ニット帽とジャケットとズボンを身に着け、片手に杖のようなものを持っている。そこだけ見れば、夕方のお散歩中か何かかと思うところだ。

 が、そうと断じるには見逃せない問題点があった。このおじいさん、全身がペンキでも浴びたみたいに真っ赤なのだ。しかもさっきの錆のにおい、風向きからしてこの人からしているらしい。

 『――にげてっ!!』

 手のひらで小鳥が叫んだのと、あちらが足を止めたのがほぼ同時。そして、


 ビュン!!


 「ひゃっ!?」

 何かがものすごい勢いで、とっさに身を引いた結菜の目の前を横切った。それが、一瞬で数メートルの距離を詰めてきた男性のしわざだと理解するのにさほど時間はかからなかった、のだが。

 「……うげ、オノ」

 杖だとばかり思っていたが、間近で見たら長い柄を持った大ぶりなオノだ。しかも、いまや手が届きそうな近距離にいる相手の顔が明らかに普通ではない。ザンバラの白髪越しに見える瞳は白目がなく、真っ赤な空洞のようになっているし、口は吊り上がって耳まで裂けているのだ。

 (このひと、絶対人間じゃない!)

 逃げなきゃ、とは思うものの、異様な雰囲気に呑まれて根が生えたみたいに足が動かない。あせって引こうとしたら、石畳に引っ掛かってバランスを崩してしまった。その場にしりもちをついた結菜めがけて、再度突っ込んできた相手がオノを振りかざす。

 『おねえさんっ』

 「う、わ……!!」

 頭を抱える代わりに、小鳥を抱え込んでぎゅっと目を閉じる。勢いよく風を切る音が聞こえて――

 

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